西伊豆の廃屋から東京のタワマンへ。美しき食人鬼たちは、人間を喰らって愛を成す

秦江湖

文字の大きさ
2 / 69

白い箱から、愛の城へ(2)

しおりを挟む
「世璃!」


 お兄様の声が、潮騒を切り裂いて届く。  その音色は、あたしの中にある「那美」の記憶回路を激しく震わせた。

  喜び。安堵。そして、どうしようもない庇護欲。

  この身体の全細胞が、一斉に歓喜の悲鳴をあげて沸騰する。


 あたしは荷物を捨てて、石畳を蹴った。

  わざと少しだけ足をもつれさせて、よろめくフリをする。 

 か弱い妹。守ってあげたくなる妹。 

 そう演じることで、お兄様の「守らなきゃ」という呪縛を強めることができると、あたしの本能が計算しているからだ。



「お兄様っ……!」 

「っと、危ない!」


 お兄様が杖を放りだし、倒れこむようにして両手を広げた。

  あたしはその胸に、勢いよく飛びこんだ。  ドン、と鈍い衝撃。 

 二人して地面に転がりそうになりながら、お兄様は強く、強くあたしを抱きとめてくれた。


「お兄様、ただいま。……ずっと、会いたかった」

「お帰り、世璃。寂しかっただろう。怖かっただろう。 もう大丈夫だよ。これからはずっと一緒だ」


 お兄様の身体は、記憶にあるよりもずっと薄く、頼りなかった。 

 肋骨が指に触れるほど痩せている。心臓の音が、早鐘のように激しく、そして痛々しく響いている。 

 あたしは顔をお兄様の首筋に埋めて、深く息を吸いこんだ。


 ――ああ、いい匂い。  ずっと嗅いでいたい。 

 お兄様の匂いは、高級な石鹸と、古い書物の紙の匂い。 

 そして、その奥底に、ほんの少しの「絶望」が混じっている。


  甘くて、苦くて、鼻腔が痺れるようなスパイス。 

 
 「……世璃?」 

 お兄様が、あたしの肩を掴んで少しだけ身体を離す。 

 彼の視線が、あたしの白いワンピースに、そして頬にこびりついた赤黒い汚れに注がれた。  


    お兄様の瞳が、驚愕に大きく見開かれる。


「その、血は……。怪我をしたのか? どこか痛むのかい?」  震える指先が、あたしの頬の血をなぞる。  


 あたしは、とびきり可愛く首を傾げてみせた。 

「ううん、あたしのじゃないの。……お腹が空きすぎて、我慢できなくて。門のところで、タクシーのおじさんを『食べちゃった』」


 お兄様の呼吸が止まった。

  普通の人なら、ここで悲鳴を上げて逃げ出すか、警察を呼ぶだろう。

  けれど、お兄様は違った。彼は真っ青な顔のまま、ただあたしをもう一度、壊れ物を扱うように抱きしめた。


 「……そうか。……そうだったんだね。辛かったね、世璃」

    お兄様だけが知っているのだ。 
 
    自分が抱きしめているこの柔らかい肉体が、妹の皮を被った「別のナニカ」だということを。 
 
    それでも拒絶できずに、受け入れるしかない自分の弱さに、お兄様は絶望し、そして陶酔している。 

 その爛れた感情の匂いが、あたしを興奮させる。


「……お帰り。世璃」

 不意に、水を差すような濁声がした。 

 お兄様の後ろ、玄関ポーチの陰から、男が現れた。  叔父様だ。  

    パパの弟にあたる男。そして今、遺産目当てで後見人を名乗り、この屋敷の主のように振る舞っている男。

 あたしはお兄様の腕から離れ、ゆっくりと叔父様を見上げた。

  脂ぎった肉の塊。

  高そうなスーツを着ているけれど、その腹は醜く突きだし、ボタンが悲鳴をあげている。  

    叔父様は、あたしと目を合わせようとしない。  視線を地面に這わせたままで、手足が小刻みに震えている。 

 まるで、天敵である蛇に睨まれた、哀れな雨蛙だ。

 あたしは叔父様に一歩近づいた。  ムッとするような、すっぱい汗の臭気が鼻をつく。  それは「恐怖」のフェロモンだ。


 この男は知っている。 

 1年前のあの日、この身体の中で何が起きたのかを。

  那美の身体が内側から裂けて、ドロドロの粘液と共に「あたし」が這いだしてくる瞬間を。  そして、あたしが両親の首をどんなふうに「掃除」したのかを、カーテンの隙間から見ていたのだから。


「叔父様、お久しぶりです。お留守番、ありがとうございました」


 あたしは精一杯の愛想で、ぺこりとお辞儀をした。 
 
 叔父様は血まみれのあたしと、庭先に放置された「無人のタクシー」を見て、顔を痙攣させた。

「な、なんだその血は! それにその車は……まさか、よ、世璃、お前がやったのか!?」 

ガタガタと震える叔父様にお兄様が静に、強く言った。

「お願いします、叔父様。世璃は……僕の大切な妹なんです。どうか、あの車を森の奥へ。……あそこなら、誰も気づきません。叔父さんも世璃のおかげで潤っていますよね?その潤いが続くんですよ」

 沈黙が流れる。  叔父様は、あたしの血塗れの瞳と、お兄様の必死な形相を交互に見て、やがて忌々しそうに吐き捨てた。 

「……クソが。どいつもこいつも、狂ってやがる」

カチン。

「叔父様。ごめんなさい」

    あたしはちょこんと頭を下げた。
そして顔を上げた瞬間、ほんの少しだけ――喉の奥を鳴らして睨んだ。

『―― 分をわきまえろ』

 言葉にはしなかった。ただの空気の振動だ。  けれど、叔父様の本能には届いたらしい。


「ひぃッ!?」

 短い悲鳴を上げて、叔父様は無様に尻餅をついた。

  顔面が蒼白になり、脂汗が滝のように噴きだす。


「どうしたんですか、叔父さん」 

 お兄様が、不思議そうに振り返る。 

 もちろん演技だ。お兄様は、叔父様があたしに怯えている理由なんて、痛いほど理解している。


 「……い、いや。何でもない。久しぶりで、感極まってしまったようだ」

 叔父様は引きつった笑みを浮かべ、必死で立ち上がった。 

 膝が笑っている。 叔父様はガタガタと震える膝を隠すようにして、タクシーへと向かっていった。 

 四苦八苦して重い車体を押し、森の闇へと隠蔽していくその後ろ姿。  あたしとお兄様は、それを静かに見つめていた。


「世璃。お風呂に入ろう。……綺麗に洗ってあげるからね」  

 お兄様の手が、あたしの手を握る。

  その手は、やっぱり少しだけ震えていたけれど。 

 あたしは、お兄様のそんな「弱さ」と「愛」が、たまらなく愛おしかった。




 全てを終えた叔父様は逃げるように、屋敷の中へと駆けこんでいった。 

 ドタドタと、みっともない足音が遠ざかっていく。 

 その後ろ姿を見送りながら、あたしは口の中に溜まった唾液を飲みこんだ。


 あの太い首。  血管の中を流れる、濃厚でドロドロしたスープ。 

 噛み千切ったら、きっと綺麗な音がして、温かい血飛沫があたしの顔を濡らすだろう。 

 想像するだけで、胃袋がきゅっと収縮する。


 ……でも、今はまだ駄目。 

 お兄様が「家族ごっこ」を望んでいるから。  お兄様が作ったこの優しい嘘の世界を、あたしが勝手に壊すわけにはいかない。 

 この男には、まだ使い道がある。  

 お兄様が「掃除していいよ」って許可をくれるその時まで、あたしは可愛い妹の皮を被って、いい子にしていてあげる。


「行こう、世璃。君の部屋は、あの時のままにしてあるよ」

 「うん。ありがとう、お兄様」


 あたしはお兄様の手を取った。 

 冷たくて、温かい手。

  この手を引いて、あたしたちは重厚な扉をくぐる。 

 死体と嘘で積み上げられた、あたしたちだけの城へ。  二度と出られない、楽園へ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

処理中です...