冥界の金継ぎ花嫁 ~うつけな閻魔王子の「ヒビ」は、私が愛で直します~

秦江湖

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地獄のビフォーアフターと、熱烈な信者たち

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「というわけで、今日からこいつらが俺の代わりだ」

 翌朝。  波旬様は、二匹の鬼を私の前に放り出した。  昨日、門番をしていた赤鬼と青鬼だ。彼らはガタガタと震えながら、互いに抱き合って怯えている。

「牛頭(ごず)、馬頭(めず)。今日からお前らはこの女……巴の部下だ。掃除でも洗濯でも、こいつの言うことには絶対服従しろ。いいな?」


 「ひ、ひぃぃぃ! 承知いたしましたぁッ!」


 「殺さないでぇぇ! 俺たちはまだ食べ頃じゃありませんんん!」



 二匹は涙目で絶叫し、床に額を打ち付けている。  波旬様はそれを見て「ケッ、情けねえ奴らだ」と鼻を鳴らし、ひらひらと手を振った。


 「じゃあな巴。俺は親父殿への報告がある。……帰ってくるまでに少しは綺麗にしておけよ?」  


     そう言い残し、彼は黒い雲に乗って閻魔庁の本殿へと出かけていった。



 残されたのは、荒れ果てた離宮と、怯える二匹の鬼。そして私。  私は腕まくりをして、腰に襷をキリリと締めた。



「さて、と」  私が一歩近づくと、牛頭と馬頭が「ああっ、来ないで!」と後ずさる。 


「安心してください。取りませんし、食べません。……あなたたち、お名前は?」 

「お、俺は牛頭……でげす」 

「あ、あっしは馬頭……」 

「そうですか。牛頭さん、馬頭さん。まずはその散らかった酒瓶を片付けてください。それから床の水拭き。窓を開けて空気を入れ替えますよ」 


 私が淡々と指示を出すと、二匹はキョトンと顔を見合わせた。 

「……へ? そんだけでいいんで?」 

「はい。まずは環境整備からです。さあ、動く!」  


私が手を叩くと、二匹は慌てて動き出した。




   ◆



 掃除を始めて数刻。  離宮は見違えるように片付き始めていた。  牛頭は力持ちで、重い家具を軽々と動かしてくれる。馬頭は意外と器用で、細かい部分の雑巾がけが上手い。 


「すごいですね。二人とも、とても筋がいいですよ」  


     私が褒めると、彼らは「えっ……」と照れくさそうに頬(と鼻先)を赤らめた。

 「ほ、褒められたのなんて、生まれて初めてだ……」 

「波旬様には毎日『役立たず』って蹴られてたのに……」


 そんな時だった。 「――何をしているのかしら、騒々しい」  凛とした、鈴を転がすような声が響いた。  

     現れたのは、豪奢な着物を纏った美女だ。頭には狐の耳、ふわりとした尻尾が揺れている。  彼女は長いキセルをふかしながら、値踏みするように私を一瞥した。


「あ、夜狐(やこ)姐さん!」  


     馬頭が小声で教えてくれる。彼女はこの離宮を取り仕切る女官長らしい。 


「貴女が噂の『人間』ね。波旬様の気まぐれで置かれているそうだけど……ここは高貴な方のお住まいよ。人間の小娘が好き勝手していい場所じゃないわ」  


      ツン、と顔を背ける仕草も絵になる。典型的な「お局様」の登場だ。  本来なら縮こまるところだが、私の目は彼女の「手元」に吸い寄せられていた。



「……あの」

 「何? 言い訳なら聞かなくってよ」 

「そのキセル、雁首(がんくび)のところが緩んでいませんか?」  


     夜狐さんがピクリと反応した。

 「……よく分かったわね。ええそうよ、お気に入りの羅宇(らう)キセルなのだけど、先日落としてしまって……吸い心地が悪くてイライラしているの」 

「貸してください。直します」 

「はあ? 人間ごときが、妖具を直せるわけ……」



 彼女の言葉が終わる前に、私は懐から愛用の道具を取り出した。  緩んだ接合部に、素早く「麦漆(むぎうるし)」を塗り込み、微細な隙間を埋める。仕上げに指先から少量の魔力を流し込み、金粉をサラリと撒いた。  所要時間、わずか三分。   


「はい、どうぞ。吸ってみてください」  


     手渡されたキセルを見て、夜狐さんは目を見開いた。  接合部には美しい金のラインが入り、まるで最初からそういう意匠だったかのように格上げされている。  

     彼女は震える手でキセルを口に運んだ。  一服、紫煙を燻らせる。 


「……ッ!」  その瞬間、彼女の狐耳がピン! と立ち上がり、頬が紅潮した。 


「す、凄い……! 通りが全然違うわ! 新品……いえ、新品だった頃より味がまろやかになっている! 嘘、これ貴女がやったの!?」 


「ええ。空気の通り道を少し調整しておきました」  


      私が何でもないことのように答えると、夜狐さんはガバッと私の両手を握りしめた。


「巴様……っ!」 

「え?」 

「なんて素晴らしいの! 私、こんなに器用で粋な方、初めて見ましたわ! ああ、私の簪も、帯留めも、全部見ていただきたいわ!」  



     さっきまでの冷ややかな態度はどこへやら。彼女の尻尾は千切れんばかりに振られている。 


「牛頭! 馬頭! あんたたち何ボサッとしてるの! 巴様にお茶をお持ちして! 一番上等な茶葉よ!」

 「へ、へいッ!」



   ◆



 夕刻。  波旬様が帰還した時、離宮は異様な光景になっていた。

「……おい。これは何の騒ぎだ」

 そこには、ピカピカに磨き上げられた床。  そして、直された武具を身に着けて「かっけぇ! 俺ら強そう!」とポーズを取る牛頭と馬頭。  さらに、「巴様、こちらの干菓子も召し上がって♡」と、甲斐甲斐しく私の世話を焼く夜狐さんの姿があった。



「おかえりなさいませ、波旬様」  


     私が雑巾を持ったまま出迎えると、波旬様はあんぐりと口を開けた。 


「お前……たった半日で俺の部下を全員タラし込んだのか?」 

「人聞きが悪いですね。信頼関係を『修復』しただけです」 

「……チッ」  


     波旬様は面白くなさそうに舌打ちをすると、夜狐さんにへばりつかれている私を睨んだ。


 「おい夜狐。その女は俺の専属だ。気安く触るな」 


「あら、減るものではありませんわ。それに巴様は、波旬様にはもったいないくらいのお方です」


 「なんだと?」



 火花が散る二人。  その真ん中で、私は困ったように微笑むしかなかった。  どうやら私の「金継ぎ」生活は、予想以上に賑やかなものになりそうだ。
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