冥界の金継ぎ花嫁 ~うつけな閻魔王子の「ヒビ」は、私が愛で直します~

秦江湖

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壊れかけの王子と、修復師

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私の人生は、生まれた時から「ひび割れ」ていたのかもしれない。


「巴(ともえ)。お前には土の声が聞こえんのか」


 実家の工房で、父はいつもそう吐き捨てた。  文明開化の音が響く、明治の終わり。帝都ではガス灯が輝き、陸蒸気が走る時代になっても、久住の家は古びた土の匂いに閉ざされていた。  
   

    代々続く、陶芸の名門。その長女として生まれながら、私には土を練り、無から新たな形を生み出す才能が欠片もなかった。  私にできることと言えば、父や弟子たちが失敗して割った器を拾い集め、漆で継ぐことだけ。


「出来損ないめ。割れた器なぞゴミだ。ゴミを直して喜ぶお前も、またゴミだ」




 そうして二十歳になった日、私は家を追い出された。  厄介払いのように押し込められた輿の行き先は、華やかな嫁ぎ先ではない。  ――冥界。  死者と獄卒が蠢く、常闇の国への「生贄」として。



   ◆



 ガタン、と輿が乱暴に地面に叩きつけられる衝撃で、私は我に返った。 「着いたぞ、人間の娘」  鬼の低い声に促され、おずおずと外に出る。  


    そこは、極彩色と闇が入り混じる異様な空間だった。  頭上には紫色の雲が渦を巻き、足元には血のように赤い彼岸花が、視界の限り咲き乱れている。鼻を突くのは、線香と硫黄が混じったような独特の冷たい匂い。  


     目の前には、見上げるほど巨大な朱塗りの門がそびえ立っていた。  ここが、閻魔庁の離宮。



「……おい、本当にこんなひょろついた娘なのか? 波旬(はじゅん)様のお相手というのは」 「知るか。どうせまた『三日』で壊される。前の花嫁も、その前の花嫁も、波旬様の瘴気に耐えられずに発狂して逃げ帰ったんだ」



 門番をしている二匹の鬼が、私の目の前で隠す気もない大声で噂話をしている。  


    波旬様。それが私の夫となる方の名前らしい。  閻魔大王の第一皇子にして、冥界きっての「うつけ者」。  

    気に入らないことがあれば雷を落とし、興が乗れば地獄の山ひとつを消し飛ばす。その暴虐ぶりから、実の父である閻魔大王すら手を焼いているという。


(壊される、か)


 私は自分の指先を見つめた。  指には、漆のかぶれと、炭研ぎでついた無数の傷がある。  実家でも散々「役立たず」と言われてきた身だ。今さら扱いが多少悪くなったところで、何も変わらない。  むしろ、割れた器を直している時だけが心の安寧だった私にとって、何も生み出さなくていいこの場所は、お似合いの墓場かもしれない。



「――ッハッハハハハハ! なんだその辛気臭いツラは!」



 突如、鼓膜をつんざくくような高笑いが響き渡った。  その瞬間、場の空気が凍りついた。  直前まで下卑た笑いを浮かべていた門番たちの顔から、さっと血の気が引いていく。赤鬼は青く、青鬼は白く変色し、彼らは弾かれたように背筋を伸ばした。 


  「は、波旬様……ッ!」  ガタガタと鎧を鳴らし、その場に額を擦り付けるように平伏する。それは敬意というより、絶対的な「捕食者」に対する生存本能からの恐怖だった。


 門の奥から現れたのは、一人の男。  私は思わず息を呑んだ。  ……美しい、と思ってしまったのだ。  凄みのある美貌、人間離れした長身に、鍛え上げられた褐色の肌。  金糸で虎の刺繍が施された派手な着物を片肌脱ぎにして、首元には大きな数珠をぶら下げている。


 彼は黒髪を荒々しくかき上げ、野獣のような金色の瞳で私を見下ろした。  その全身から放たれるのは、圧倒的な「死」の気配。


「ようこそ、俺のクソッタレな離宮へ! 俺が波旬だ。覚悟はできているんだろうな?」


 波旬様はニヤリと唇を歪め、大股で私に近づくと、遠慮のない手つきで私の顎を掴み上げた。  


    熱い。火傷しそうなほどの体温。  間近で見ると、その迫力に足がすくみそうになる。周囲の鬼たちが死人のように押し黙っているのも無理はない。  けれど。  私の目は、彼の整った顔立ちよりも、別の「ある一点」に釘付けになっていた。


「……酷い」


 無意識に、言葉が漏れた。 「あ?」  波旬様の眉がピクリと跳ねる。


「今、俺の顔を見て言ったのか?」 

「いえ、違います。……その、お身体です」  


    私は彼の手を振りほどくのも忘れ、彼のはだけた胸元を凝視した。  

    遠目には刺青に見えたかもしれない。  だが、職人の私には分かる。  褐色の肌の表面に、無数の「亀裂」が走っている。  


    首筋から鎖骨、そして強靭な胸板にかけて、まるで焼き締め過ぎた陶器のように、今にもパリンと砕け散りそうな危うい黒い線が、ドクドクと脈動していた。  痛い。絶対に痛いはずだ。  身が裂けるような激痛を抱えながら、この人はこんな風に笑っているのか。


「……おい、聞いているのか。俺の瘴気にあてられて呆けたか?」


 波旬様が不機嫌そうに声を低くする。周囲の鬼たちが「ひぃッ」と悲鳴を上げて後退った。  今すぐに平伏して、命乞いをすべき場面なのだろう。  しかし、私の職人魂のスイッチは、もう入ってしまっていた。  目の前に「壊れかけた名品」がある。それを放置するなど、修復師としてあり得ない。


「動かないでください」 

「は?」 

「ヒビが広がります。……じっとして!」


 私は着物の袖を捲り上げると、恐れ多くも閻魔王子の胸板に、ペタリと掌を押し当てた。  周囲で「あッ」と誰かが息を呑む音がした。  


    波旬様自身も、予想外の行動に目を見開き、硬直している。  掌の下で、彼の心臓が早鐘のように打っているのを感じる。焼けるような熱。破壊の衝動。そのすべてが、悲鳴を上げている。


 私はその熱から逃げず、真っ直ぐに彼の金色の瞳を見上げた。


「手入れが、全くなっていませんね」 

「……なに?」 

「扱いが雑すぎます。これほど良い『素材』なのに、このままでは遠からず割れてしまいますよ。どうしてこんなになるまで放っておいたんですか」


 シン、と。  地獄の離宮が、静まり返った。  鬼たちは信じられないものを見る目で私を見ている。生贄の小娘が、冥界最強の暴君に説教をしたのだから。  波旬様は呆気に取られたように瞬きをして、それから、ゆっくりと口角を吊り上げた。


「……ハ、面白い」


 低く、地を這うような響き。  彼は私の手首を掴むと、今度は逃がさないと言わんばかりに強く引き寄せた。  金色の瞳が、獲物を見つけた獣のように細められる。


「俺を『手入れ不足』と言ったのは、親父殿以外でお前が初めてだ。――いい度胸だ、女」

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