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本編
初雪
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──情報層の深度が、限界を超えていた。
無数の魔術式が、視覚ではなく神経そのものに刻みつけられる。
私は防護結界を展開しながら、情報層の最下層、「幽界」へと降下していた。
肉体の半分は研究棟の椅子に座っている。
だが、意識はすでにこの世界に半分以上沈んでいた。
「これが……根幹……」
声にならない声。
眼前には、青白い光の海が広がっていた。
全ての魔力情報、遺伝子配列、過去の演算記録がひとつに融け合う領域。
──人間の脳が設計したはずの“記録層”が、いつの間にか“生命的挙動”を始めている。
知っていた。
ここが、魔力と情報が自己進化を始めた最初の場所だということを。
「……彼らが恐れていたのは、これか」
自然と笑えた。
周囲に見える水泡に反射して、小さく自分の姿が見える。瞳の奥では、白金色の光がゆらいでいる。
私は探している。
“魔力の構造”ではなく、“魔力の意思”を。
突如、周囲の光が形を成した。
それは人の輪郭をしていた。
私自身の姿に、酷似していた。
《お前は、来てはいけない場所に来たのだな》
音ではない。
演算式そのものが声として響いた。
「誰だ……?」
《“情報層が生んだ模倣体”──そう言えば分かるか? 》
「私の……コピー?」
《正確には、“お前の願い”の残響だ》
模倣体の瞳に、微弱なノイズが走る。
その中に私の輪郭が混ざったように見えた。
《お前は、境界を壊そうとした。けれど、壊したのは自分の形の方だったんだ》
その言葉を否定も肯定もしなかった。
「人間が進化するなら、まず“人間”を捨てる必要がある。──私はそれを証明したいだけだ。前からそう決めていただろう?」
《証明の先に、誰もいない》
「それでも構わない」
私はゆっくりと手を差し伸べた。
模倣体と指先が触れ合う。
光が弾け、記録空間全体が震えた。
光の海が、津波となって押し寄せる。
《お前の遺伝子は、ここに刻まれる。お前が生んだ子たちは──境界を超える》
最後にそう言い残し、模倣体は泡のように消えた。
「そうか──私は、行かなければならないのだな。この先で、あの子たちを護らなければならない」
青白い光の海の中に、流れにのまれて意識を失っている少年の姿を見つける。
少年の口からは銀色の無数の泡粒が吐き出され、手足は力無く放り出されている。
私は迷うこと無く、その手を掴む。
激流が体じゅうを殴り付ける。
それでも、手は離さない。
「返してもらうぞ。私の子を」
ーーーーー
身代金目的に誘拐された弟は、犯行声明が出たその日のうちに戻ってきた。
女性警官2人に手を繋がれて、僕を見るなり泣きわめき出した。
泣きじゃくる弟を迎え入れる。
こんな時にも、父親は顔も出さない。
「その程度の事で騒ぎ立てるな。お前の弟の事くらい自分で解決しろ」
そう言って丸投げされた。
騒ぎ立てたつもりはなかった。
実際、犯人の目星は付いていた。
どう殴り込みに行くか──そう思案しているうちに、誘拐されていたはずの弟は警察署の前に佇んでいたらしい。
弟は誘拐されている間のことは、曖昧な記憶しか無かった。
誰に誘拐されたのかも、誘拐された時の事も覚えていなかった。
ただ彼は、「海を泳いできた」と言った。
恐怖から混乱しているのだろうと思った。
警察からの聴取を終え、泣き疲れて眠りそうな弟をおんぶする。
まだ起きているのか、ぎゅっと肩にしがみついてくる弟の体温をようやく感じられて、ほうっと息をついた。
弟を送り帰すために歩き出す。
「はるにい。どうして俺は、はるにいと一緒に住めないの。もう、あそこは嫌だ」
「もっと大きくなってお前がおねしょしなくなったらな」
「してないもん!」
「知ってるぞ。おととい……」
「昨日はしなかったもん!だからもうはるにいのところに行く……母様に、泳ぎ方を教えてもらったから」
「おまえ、もう泳げるだろう。スイミングスクールはもう飽きたって言ってたじゃないか」
「ちがう。プールの中じゃなくて、海の中の泳ぎ方……」
「同じようなものだろう。いつそんな事を教わったんだ?」
「ん~……」
弟はそれきりむにゃむにゃと何か言って眠ってしまった。
その日を境に、母親が姿を消した。
母親の部屋の入室記録を最後に、姿はどこにもなくなっていた。
記録装置には「終端演算完了」のログだけが残され、彼女の脳波は情報層の奥底に微弱な定常波として検出されていた。
生死不明。──死んではいないが、姿がどこにもない。
どのログを参照しても、母親の姿は見当たらなかった。
警察の捜索では「魔力暴走による事故」とされたが、父親は信じていない様子だった。
「あの人は、消えたんじゃない。──転移したんだ」
父親は、僕にそうとだけ告げた。
「どこに?」
僕は問い返した。
父親は、無言で僕の顔を見つめた後に目を伏せた。
ーーーーー
その数日後、誘拐犯グループは続々と逮捕された。
誘拐犯だけではなく、その裏で手を引いていた企業や事業所の人間たちも。
警察サーバーへの直接的な情報提供があった。
犯行計画のやり取りや、スイミングスクールの送迎バスの運行経路に付けられた幾つもの印。
犯行に使われた車、ロープ、ナイフ、通信機器。
魔術痕跡は無く、誰かに操作された形跡は無かった。
まるで樋を水が伝って行くかのように、証拠は不自然な程に綺麗に揃った。
それでも、母親の行方についてはさっぱり分からなかった。
弟は、そんな出来事などなかったかのように依然として僕に甘えてくる。
そして興奮気味に、あの日の母親についての話をする。
「母様がね、海にもぐるんだって、魔力は使わなくても空を飛べるんだよって」
無邪気に笑っている弟の側で、僕は窒息しそうになっていた。
その海は、僕の体を切り裂くように拒んだ。
咄嗟に僕は依代を用意する。
ここに生身でいてはいけない。
──早く、式を……
──次元を越える式を。
情報層の最下層で、1頭の蝶が静かに羽ばたいた。
無数の魔術式が、視覚ではなく神経そのものに刻みつけられる。
私は防護結界を展開しながら、情報層の最下層、「幽界」へと降下していた。
肉体の半分は研究棟の椅子に座っている。
だが、意識はすでにこの世界に半分以上沈んでいた。
「これが……根幹……」
声にならない声。
眼前には、青白い光の海が広がっていた。
全ての魔力情報、遺伝子配列、過去の演算記録がひとつに融け合う領域。
──人間の脳が設計したはずの“記録層”が、いつの間にか“生命的挙動”を始めている。
知っていた。
ここが、魔力と情報が自己進化を始めた最初の場所だということを。
「……彼らが恐れていたのは、これか」
自然と笑えた。
周囲に見える水泡に反射して、小さく自分の姿が見える。瞳の奥では、白金色の光がゆらいでいる。
私は探している。
“魔力の構造”ではなく、“魔力の意思”を。
突如、周囲の光が形を成した。
それは人の輪郭をしていた。
私自身の姿に、酷似していた。
《お前は、来てはいけない場所に来たのだな》
音ではない。
演算式そのものが声として響いた。
「誰だ……?」
《“情報層が生んだ模倣体”──そう言えば分かるか? 》
「私の……コピー?」
《正確には、“お前の願い”の残響だ》
模倣体の瞳に、微弱なノイズが走る。
その中に私の輪郭が混ざったように見えた。
《お前は、境界を壊そうとした。けれど、壊したのは自分の形の方だったんだ》
その言葉を否定も肯定もしなかった。
「人間が進化するなら、まず“人間”を捨てる必要がある。──私はそれを証明したいだけだ。前からそう決めていただろう?」
《証明の先に、誰もいない》
「それでも構わない」
私はゆっくりと手を差し伸べた。
模倣体と指先が触れ合う。
光が弾け、記録空間全体が震えた。
光の海が、津波となって押し寄せる。
《お前の遺伝子は、ここに刻まれる。お前が生んだ子たちは──境界を超える》
最後にそう言い残し、模倣体は泡のように消えた。
「そうか──私は、行かなければならないのだな。この先で、あの子たちを護らなければならない」
青白い光の海の中に、流れにのまれて意識を失っている少年の姿を見つける。
少年の口からは銀色の無数の泡粒が吐き出され、手足は力無く放り出されている。
私は迷うこと無く、その手を掴む。
激流が体じゅうを殴り付ける。
それでも、手は離さない。
「返してもらうぞ。私の子を」
ーーーーー
身代金目的に誘拐された弟は、犯行声明が出たその日のうちに戻ってきた。
女性警官2人に手を繋がれて、僕を見るなり泣きわめき出した。
泣きじゃくる弟を迎え入れる。
こんな時にも、父親は顔も出さない。
「その程度の事で騒ぎ立てるな。お前の弟の事くらい自分で解決しろ」
そう言って丸投げされた。
騒ぎ立てたつもりはなかった。
実際、犯人の目星は付いていた。
どう殴り込みに行くか──そう思案しているうちに、誘拐されていたはずの弟は警察署の前に佇んでいたらしい。
弟は誘拐されている間のことは、曖昧な記憶しか無かった。
誰に誘拐されたのかも、誘拐された時の事も覚えていなかった。
ただ彼は、「海を泳いできた」と言った。
恐怖から混乱しているのだろうと思った。
警察からの聴取を終え、泣き疲れて眠りそうな弟をおんぶする。
まだ起きているのか、ぎゅっと肩にしがみついてくる弟の体温をようやく感じられて、ほうっと息をついた。
弟を送り帰すために歩き出す。
「はるにい。どうして俺は、はるにいと一緒に住めないの。もう、あそこは嫌だ」
「もっと大きくなってお前がおねしょしなくなったらな」
「してないもん!」
「知ってるぞ。おととい……」
「昨日はしなかったもん!だからもうはるにいのところに行く……母様に、泳ぎ方を教えてもらったから」
「おまえ、もう泳げるだろう。スイミングスクールはもう飽きたって言ってたじゃないか」
「ちがう。プールの中じゃなくて、海の中の泳ぎ方……」
「同じようなものだろう。いつそんな事を教わったんだ?」
「ん~……」
弟はそれきりむにゃむにゃと何か言って眠ってしまった。
その日を境に、母親が姿を消した。
母親の部屋の入室記録を最後に、姿はどこにもなくなっていた。
記録装置には「終端演算完了」のログだけが残され、彼女の脳波は情報層の奥底に微弱な定常波として検出されていた。
生死不明。──死んではいないが、姿がどこにもない。
どのログを参照しても、母親の姿は見当たらなかった。
警察の捜索では「魔力暴走による事故」とされたが、父親は信じていない様子だった。
「あの人は、消えたんじゃない。──転移したんだ」
父親は、僕にそうとだけ告げた。
「どこに?」
僕は問い返した。
父親は、無言で僕の顔を見つめた後に目を伏せた。
ーーーーー
その数日後、誘拐犯グループは続々と逮捕された。
誘拐犯だけではなく、その裏で手を引いていた企業や事業所の人間たちも。
警察サーバーへの直接的な情報提供があった。
犯行計画のやり取りや、スイミングスクールの送迎バスの運行経路に付けられた幾つもの印。
犯行に使われた車、ロープ、ナイフ、通信機器。
魔術痕跡は無く、誰かに操作された形跡は無かった。
まるで樋を水が伝って行くかのように、証拠は不自然な程に綺麗に揃った。
それでも、母親の行方についてはさっぱり分からなかった。
弟は、そんな出来事などなかったかのように依然として僕に甘えてくる。
そして興奮気味に、あの日の母親についての話をする。
「母様がね、海にもぐるんだって、魔力は使わなくても空を飛べるんだよって」
無邪気に笑っている弟の側で、僕は窒息しそうになっていた。
その海は、僕の体を切り裂くように拒んだ。
咄嗟に僕は依代を用意する。
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