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3章 夏:再会篇
5 まぶしい季節③
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正の額には汗の玉が浮かんでいる。
(もしかして走ってきてくれたのかな?)
そう思うと申し訳なかった。
何かできることがないかと頭をめぐらせる。
「少しでも冷やしましょうか?」
ゆきはいたわるように、正の額にに手のひらをのせる。
力はさきほど使い切ったのでカスカスだった。
でも集中すれば指先だけは冷たくできたから、アイスノン代わりのつもりで手を這わせる。
「助かるよ」
ため息まじりにお礼を言われ、ゆきは首をふった。
正は猫がきもちよく寝るような顔をして、目をつぶっている。
会話がなくても、いごこちがいい。
ゆきがじっと正を観察していると、視線に気づいたようだった。
「そんなに見られていると、なんだか照れる」
「……見てないです」
嘘はばれているのだろう。
目はつむったまま、正が喉の奥で笑った。
「……今日はみんなの中にいるのはしんどいか?」
まりなたちのことを言っているのだと、すぐにわかった。
ゆきはとっさに否定できず、沈黙してしまう。
正はまぶたをゆっくり上げると、心配そうにこちらをのぞいてきた。
「それとも、いやなことがあったとかか?」
真摯な目で正が手を握ってくれる。
温かかった。
ゆきとは違う、優しくて骨ばった男の人の手。
いつだって差し伸べてくれる手に、ゆきは相談してみようかとふいに思った。
なんて説明すればいいのだろうか。
言葉を選びながら、ゆきは正の手を握り返した。
「たいした話じゃないんですけど」
「うん」
「例えば、どうしても苦手な人と会わなきゃいけないとしたら、正さんならどうしますか?」
意を決して尋ねると、正の顔がくもる。
まるで、酢をのんだような顔だった。
「それって真紀のことだよな? ごめんな、ゆきちゃんにいやな思いさせて」
「え? あ、いえ、真紀さんのことでは、ないです」
「でも、ゆきちゃんが苦手なんて、真紀くらいだろ?」
「いえ、引っ越してから会った人ではないんです」
ぼそぼそと説明すると、正は不思議そうに首を傾げた。
「そうなの? 本当に? 俺に気をつかってない?」
優のことで混乱していたから、真紀のことはまったく考えてもいなかった。
ゆきは慌ててフォローする。
「真紀さんのことは別に苦手とかじゃないです。別に意地悪されたわけじゃないですし。それに、あの後、おまけのフルーツもたくさんのせてくれて、逆にうれしかったんですよ」
「そっか。でもおばあにも大樹にも、デートに元カノの店を使うんじゃない!って怒られたんだよね」
ゆきは気になるワードに固まった。
(あれってデートだったの!?)
正はゆきの無表情を気にすることなく、言葉を続ける。
「だから、次のデートはもっと考えてお店誘うから! 本当にごめんよ」
(あ、次もあるんだ……)
申し訳なさそうに手を合わせる正にドギマギする。
デート、という言葉で頭がぐるぐるしてしまう。
そんなゆきをしり目に、正がうーんと悩むような顔をした。
「でも、真紀のことじゃないとしたら、その苦手な奴って誰のこと?」
思い出したように聞かれ、ゆきははっとした。
優のことを思うと、すっと気持ちが冷えていく。
浮かれている場合じゃない。
ゆきの様子に正が真剣な顔で聞いてくる。
「苦手な人に会わなきゃいけない、だっけ? 会いたくないなら逃げちゃうのはできないのかな」
「……追ってきたらどうすればいいんでしょうか」
「追ってくる? ずいぶん物騒だな……。うーん。でもゆきちゃんは会いたくないんだろ?」
ゆきはためらいがちに、頷いた。
「相手の行動パターンはわかる?」
「……図書館で1度だけ見かけました。あとはよくわからないです」
「図書館で待ち伏せでもされた?」
「いえ、偶然見ただけで、あっちは私に気づいてなかったみたいです」
説明してみると、もう一度会う可能性なんてない気がしてきた。
(大げさに考えすぎてるだけかな……。教えてない引っ越し先に急に現れたから、気が動転してたのかも)
じっと手をみる。
指さきがかすかに震えている。
(わたしは何がそんなに怖かったのかな)
震えの止まらない指さきを、正の手が強く握りこむ。
「大丈夫か?」
心配してくれる人がいる。
それだけで、ゆきは心の中がぎゅうっいっぱいになった。
(ああ、そっか……)
優といたときのゆきと、いまのゆき。
いまのゆきの手の中にはたくさんの幸せがある。
でも、優にそれをひっくりかえされてしまいそうで……。
怖かったのは、きっと、そういうことなのかもしれない。
ゆきは正の指を握り返した。
だれかではなく、正がそばにいてくれるのが、うれしかった。
「話してみたら、そんなに怖いことじゃなかったのかも。私が勝手に大げさに考えていたのかもしれません」
「でも、ゆきちゃんは嫌だったんだろ、その子に会ったのが。それなら、自衛はするべきだよ。ぜんぜん大げさでもなんでもないさ」
勇気づけられ、ゆきはぽつりぽつりと心情を話していく。
「引っ越し先を言わずに、別れたんです。なのに観光地でもない図書館にいて、なんで?って思って。もう2度と会わないつもりだったから、どうしたらいいかわからなくなっちゃったんです」
「たしかに偶然というには変だな」
「そうですよね。せっかく逃げてきたのに。本当に私を追ってきたんじゃないかもしれないんですけど、追ってこられた気になって……怖いなって。幼馴染なんです。嫌われていたのに、ずっと一緒にいた」
正は何かを考えるようにして目をすがめる。
一瞬後に、優について質問をしてきた。
「参考までに、それは男なのかな?」
ゆきがうなずくと、眉間にしわをよせた。
「家は特定されてる?」
「家ですか? たぶん、まだ、大丈夫かと」
「でも、引っ越し先のおおまかな場所は特定されてると思った方がいいな。どうやって調べたかはわからないけど、こんな田舎にくるのはおかしいと俺は思うよ」
正の言葉に、ゆきは胸がドキドキしてきた。
第三者から見ても、やはり、優がゆきを追ってきたように見えるのだ。
「ほかに気になることはないのか」
まりなのことが頭に浮かぶ。
でも、口は悪いけれどどこか憎めなくなった彼女のことを話すのは憚られた。
どう伝えればいいんだろうか。
悩んでいると、その当の本人のまりなが怒ったように近づいてきていた。
(もしかして走ってきてくれたのかな?)
そう思うと申し訳なかった。
何かできることがないかと頭をめぐらせる。
「少しでも冷やしましょうか?」
ゆきはいたわるように、正の額にに手のひらをのせる。
力はさきほど使い切ったのでカスカスだった。
でも集中すれば指先だけは冷たくできたから、アイスノン代わりのつもりで手を這わせる。
「助かるよ」
ため息まじりにお礼を言われ、ゆきは首をふった。
正は猫がきもちよく寝るような顔をして、目をつぶっている。
会話がなくても、いごこちがいい。
ゆきがじっと正を観察していると、視線に気づいたようだった。
「そんなに見られていると、なんだか照れる」
「……見てないです」
嘘はばれているのだろう。
目はつむったまま、正が喉の奥で笑った。
「……今日はみんなの中にいるのはしんどいか?」
まりなたちのことを言っているのだと、すぐにわかった。
ゆきはとっさに否定できず、沈黙してしまう。
正はまぶたをゆっくり上げると、心配そうにこちらをのぞいてきた。
「それとも、いやなことがあったとかか?」
真摯な目で正が手を握ってくれる。
温かかった。
ゆきとは違う、優しくて骨ばった男の人の手。
いつだって差し伸べてくれる手に、ゆきは相談してみようかとふいに思った。
なんて説明すればいいのだろうか。
言葉を選びながら、ゆきは正の手を握り返した。
「たいした話じゃないんですけど」
「うん」
「例えば、どうしても苦手な人と会わなきゃいけないとしたら、正さんならどうしますか?」
意を決して尋ねると、正の顔がくもる。
まるで、酢をのんだような顔だった。
「それって真紀のことだよな? ごめんな、ゆきちゃんにいやな思いさせて」
「え? あ、いえ、真紀さんのことでは、ないです」
「でも、ゆきちゃんが苦手なんて、真紀くらいだろ?」
「いえ、引っ越してから会った人ではないんです」
ぼそぼそと説明すると、正は不思議そうに首を傾げた。
「そうなの? 本当に? 俺に気をつかってない?」
優のことで混乱していたから、真紀のことはまったく考えてもいなかった。
ゆきは慌ててフォローする。
「真紀さんのことは別に苦手とかじゃないです。別に意地悪されたわけじゃないですし。それに、あの後、おまけのフルーツもたくさんのせてくれて、逆にうれしかったんですよ」
「そっか。でもおばあにも大樹にも、デートに元カノの店を使うんじゃない!って怒られたんだよね」
ゆきは気になるワードに固まった。
(あれってデートだったの!?)
正はゆきの無表情を気にすることなく、言葉を続ける。
「だから、次のデートはもっと考えてお店誘うから! 本当にごめんよ」
(あ、次もあるんだ……)
申し訳なさそうに手を合わせる正にドギマギする。
デート、という言葉で頭がぐるぐるしてしまう。
そんなゆきをしり目に、正がうーんと悩むような顔をした。
「でも、真紀のことじゃないとしたら、その苦手な奴って誰のこと?」
思い出したように聞かれ、ゆきははっとした。
優のことを思うと、すっと気持ちが冷えていく。
浮かれている場合じゃない。
ゆきの様子に正が真剣な顔で聞いてくる。
「苦手な人に会わなきゃいけない、だっけ? 会いたくないなら逃げちゃうのはできないのかな」
「……追ってきたらどうすればいいんでしょうか」
「追ってくる? ずいぶん物騒だな……。うーん。でもゆきちゃんは会いたくないんだろ?」
ゆきはためらいがちに、頷いた。
「相手の行動パターンはわかる?」
「……図書館で1度だけ見かけました。あとはよくわからないです」
「図書館で待ち伏せでもされた?」
「いえ、偶然見ただけで、あっちは私に気づいてなかったみたいです」
説明してみると、もう一度会う可能性なんてない気がしてきた。
(大げさに考えすぎてるだけかな……。教えてない引っ越し先に急に現れたから、気が動転してたのかも)
じっと手をみる。
指さきがかすかに震えている。
(わたしは何がそんなに怖かったのかな)
震えの止まらない指さきを、正の手が強く握りこむ。
「大丈夫か?」
心配してくれる人がいる。
それだけで、ゆきは心の中がぎゅうっいっぱいになった。
(ああ、そっか……)
優といたときのゆきと、いまのゆき。
いまのゆきの手の中にはたくさんの幸せがある。
でも、優にそれをひっくりかえされてしまいそうで……。
怖かったのは、きっと、そういうことなのかもしれない。
ゆきは正の指を握り返した。
だれかではなく、正がそばにいてくれるのが、うれしかった。
「話してみたら、そんなに怖いことじゃなかったのかも。私が勝手に大げさに考えていたのかもしれません」
「でも、ゆきちゃんは嫌だったんだろ、その子に会ったのが。それなら、自衛はするべきだよ。ぜんぜん大げさでもなんでもないさ」
勇気づけられ、ゆきはぽつりぽつりと心情を話していく。
「引っ越し先を言わずに、別れたんです。なのに観光地でもない図書館にいて、なんで?って思って。もう2度と会わないつもりだったから、どうしたらいいかわからなくなっちゃったんです」
「たしかに偶然というには変だな」
「そうですよね。せっかく逃げてきたのに。本当に私を追ってきたんじゃないかもしれないんですけど、追ってこられた気になって……怖いなって。幼馴染なんです。嫌われていたのに、ずっと一緒にいた」
正は何かを考えるようにして目をすがめる。
一瞬後に、優について質問をしてきた。
「参考までに、それは男なのかな?」
ゆきがうなずくと、眉間にしわをよせた。
「家は特定されてる?」
「家ですか? たぶん、まだ、大丈夫かと」
「でも、引っ越し先のおおまかな場所は特定されてると思った方がいいな。どうやって調べたかはわからないけど、こんな田舎にくるのはおかしいと俺は思うよ」
正の言葉に、ゆきは胸がドキドキしてきた。
第三者から見ても、やはり、優がゆきを追ってきたように見えるのだ。
「ほかに気になることはないのか」
まりなのことが頭に浮かぶ。
でも、口は悪いけれどどこか憎めなくなった彼女のことを話すのは憚られた。
どう伝えればいいんだろうか。
悩んでいると、その当の本人のまりなが怒ったように近づいてきていた。
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