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19 ウォルター(3)
妻と離縁した実感はないまま、ウォルターが日常に戻ろうとした矢先のことだった。
「計算係、ですか……。」
「ああ。ミスの少ないお前にはうってつけだ。頑張れよ。」
少し顔色の悪いデリックにそう指示されたのは、事実上の降格。ひたすら計算を解き、ミスが無いか確認する、地味で気が狂いそうな単純作業は、仕事ができないというレッテルを貼られたも同然だ。
王宮を歩く度に耳に入る、自らの醜聞は本当に酷いものだった。
『美人妻を放置して男を咥え込んでいた男』
『妻の献身に胡座をかき嘲笑っていた男』
『身の程も弁えない』
『捨てられて当然』
仕事に集中している時だけが、唯一心を落ち着かせていられた。
もう、ウォルターは誰を誘っても寝台に連れ込めない。関係を持った全員に、『もう辞める』と宣言されたのだ。
一番好きだったデリックはもう目も合わない。妻に離縁されそうだとか聞いたが、それならばウォルターと結婚をしてくれてもいいのに。
アルドやサティアスも、もう奥方の尻に敷かれて身動き出来ないようだった。
遊び相手の男には、『金のない男に用はない』と言われた。別に傷付いたりなんかしない、元々遊び目的だったのだから、とウォルターは毒づいた。
父も母も大絶賛していたベルフィーナとの結婚は、自分自身、最良の選択だったと思う。
ただ、最上級も過ぎると毒になることは、あの頃の自分では分からなかった。
誰もが羨む順風満帆なウォルターの、人生の風向きが変わったのは、王城で文官として働き始めてからのこと。
学生時代は良かった。試験には明確な答えがあり、それを記すのは勉強さえしていれば自然と出来ること。
就職すると天地がひっくり返った。到達点を自分で定め、それに向かう道筋も、手段も自分で考えなくてはならない。
ウォルターはそれが、致命的なまでに出来なかった。
上官に、最終の目標と辿るべき経緯を決めてもらい、先輩には必要な資料の有無と在処も教えてもらわなければならない。
新人の頃はまだしも、半年経っても一年経ってもそれが出来ず、同期はどんどん評価されていき、首席だった過去の栄光は、思わぬ恥へと変わっていく。
元妻のベルフィーナは、秀才タイプのウォルターとは違い真に天才だった。一を教える途中で十を知り、百を得る発想力まである。
かつて先輩として、彼女の勉強を手助けをしていたのに……。
卒業後はどうだ?
ウォルターが目の前の仕事に悪戦苦闘している隣で領主の仕事をさらっとこなし、協賛者を集めて新規事業まで起こす。
社交界でも美しさと聡明さを讃えられ、家に帰れば品の良くなった屋敷と、以前より生き生きと誇らしげに、楽しそうに働く使用人。そして優しく微笑み、必ず温かく迎えてくれるベルフィーナ。
その笑顔は、『私こんなにやっているけれど、あなたは?』と責められているように感じた。
気付けば遠のいていた寝台での距離。まだ子供は早いと思っていたし、愛を確かめるのなら他にいくらでも方法はある。自分は真面目に仕事を頑張っているし、いつも優しいから伝わっているはずだ。
そう自分自身に言い訳していた。
とうとう初めてベルフィーナから誘われた時に、あまりに抱く気が起きなくて自分でも途方に暮れた。
ベルフィーナは『家』そのものになっていた。
家の壁や備え付けのソファに欲情するか?しないだろう。それと同じ。稀に床を使う奴は居るらしいが、ウォルターは違う。
ベルフィーナが、いくら見目が良くとも仕事が出来ようと、家は家。壁紙が高級品に変わったのと大差ない。
ベルフィーナは後継を産むという仕事も、きっと完璧にこなすのだろう。全身で愛し、世話をし、家庭教師も凌駕する豊富な知識を授けるだろう。
そこまで分かっているのに、まるで反応出来なかった。
今は、仕事を頑張らなくてはいけない。集中しなければ、同期とどんどん差がついてしまう。……子供をつくるのはその後でいい。また今度と言っておけばいい。
ベルフィーナは悲しそうな顔をしたものの、心配をかけまいとしたのか直ぐに笑顔を見せた。その健気な姿勢すら、煩わしかった。
それから作られ始めた愛妻弁当。料理人の弁当を持ちこむ同僚は多いが、妻の本当の手作りを持たせられる者はまぁいない。少し茶色の多い、素人感の滲むそれは同僚に大絶賛された。
『ちょっと焦げているのが可愛い』と言われても、それすら計算なんじゃないかと白けた気持ちになった。
家でも職場でも完璧な妻の気配に、押しつぶされそうだった。
きっと難航している案件を妻に相談すれば、流れるように助言をしてくれて解決するだろう。そんな惨めな思いはしたくない。
だから家に仕事を持ち込むことはせず、職場に長く留まっていた。本来残業するほど忙しくは無い部署で、あまりに仕事が遅い為に。
そうこうしているうちにどんどん家へ帰りたくなくなり、上官のデリックと飲み歩き、親しくなり、求められる悦びを知った。
『お前は良く頑張っている。』
そんなありふれた言葉に陥落し、尻を差し出せばこちらが喘いだ分だけ喜んでくれる。性欲は薄いのではない、快感を得る方法を知らなかっただけだ。そしてそれは、ベルフィーナとでは絶対に得られない強烈な経験で、彼女を抱く気になれないのはもはや仕方ない、とさえ思った。
ベルフィーナが出て行った時、ホッとした。彼女を思い浮かべるだけで息が詰まりそうだったのだ。
なんなら愛人を作ってくれても良い、子供さえ作らなければ。
完璧だった次期伯爵夫人は、亭主のいぬ間に浮気をする、最低な妻に早変わりする。そうして、もっと自分の影より小さく、愚かな、ただの添え物になればいい。
かと言って、特別言うべき不満はない。『何か失敗しろ』だなんて意味不明過ぎて言えないし、わざと失敗させた所で自分が尻拭いするのは面倒な上、ベルフィーナの優秀さが変わる訳でもない。
性欲は彼らで補えばいい。歳を取れば落ち着くだろうし、仕事も徐々に慣れていくだろうし、このままでいい――。
そう思っていた。
窓のない、狭くて埃っぽい室内は計算係に割り当てられた、出来ない者達の吹き溜まりにぴったりである。
既にいる先輩はとても暇そうにだらだらと仕事をこなし、定時を待たずに帰る程。……これで給料が貰えるのならいいのだが、そんな訳もなく、新人の頃よりも減給された。
それを差し引いても、廊下を歩くだけでヒソヒソされるウォルターにとっては、醜聞が落ち着くまでここで耐えるのもアリかと思っていた。
「この馬鹿者が!」
父は激怒し、ウォルターを殴り付け、壁に叩きつけ、かけてあった絵は落ちて粉々になるのも構わず、殴られ続けた。
ベルフィーナと離縁した、領主の仕事が回らないので助けて欲しい――恥を偲んで便りを出した所、これだ。
「ニコラスから聞いた!なんて恥知らずで、傲慢きちで、こんな、こんな、」
家令がリークしたらしい。あまりに怒りすぎて言葉のつっかえてぶるぶる震える父を、母はおろおろと抑えるもあまり意味をなさない。
「まぁ、アナタ、ベルフィーナさんだって少しは悪い所も……、」
「お前!何を言うんだ!いいか、お前も底意地の悪い嫌がらせをしていたらしいな!情けない!コレの教育を失敗したことにも気付かないのか!」
「ヒッ……!」
「ウォルター。こんな愚かな男を当主にする訳にはいかない。遠縁に優秀な次男がいた筈だ、あそこから貰ってくる。諸手を上げて喜ぶだろうな。お前はここから出てどこへなりとも行け。娼婦にでもなればいい。」
それは、ウォルターの貴族籍剥奪の宣告だった。
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