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14 侯爵家は
一方その頃。
「ディディアが、アレクサンダー王太子殿下の側近に……?」
ファントム侯爵家に届いた一通の手紙。王室からの通達を示す赤と金の封蝋に、最上級品質の便箋。紛うことなく真実だと、侯爵の肩へ無言の圧力がかかるようであった。
「まぁ!なんてこと、あんな子が?おかしいわよ。スキルも持っていませんのに!ユージーンだってなれなかったのよ」
その該当人物がユージーンなら、これほどまでに緊張していない。夫の乾きそうなほど見開いた眼球に、妻のアイリーンは全く気付きもしなかった。
「そ、そ、それはそうだが、王太子殿下は傑物でいらっしゃる……このような、重大な間違いは冒さないはずだ」
「でも、もしかしたらラシェルと間違えていらっしゃるかもしれませんわ!わたくし、それとなく教えて差し上げます!」
「ま、待てアイリーン…………!はやっ……」
侯爵夫人は軽いフットワークで消えた。ことラシェルに関しては、アイリーンは実の息子のように愛情を注いでいる。
実の息子であるディディアが失敗作であったために、持て余した愛情を注いでいるのだろうと、侯爵は想像していた。
「ん……?」
カサリ。封筒にはもう一枚、何か入っていた。
小さなメッセージカードだ。ようやっと引き抜いたそこには、雄々しい切れのよい字体で、『自らの過ちである。ラシェル・ポルカ殿の教本が破損されたのは』と書かれていた。
(こ、これは王太子殿下の直筆……っ!?)
ファントム侯爵は仰天して椅子から転がり落ちる所であった。滅多にない、王族の直筆である。
それも内容が賞賛ならいざ知らず、叱咤であるのならば、それはもう、死刑宣告とほぼ同様である。
(教本とは何のことだ!?何をした、ラシェル!?)
ラシェルは見るからに純朴で、素直で可愛らしい少年だ。勉学の成績も平凡ながら、一生懸命やっている。
教本は高位貴族には端金だが、没落寸前の子爵令息にとっては高価なもの。
それの破損を、王族直々にわざわざ教わる事態とは。
(そういえば…………………………)
一度気になると、止まらない。
ファントム侯爵は最近、少しの疑問を抱くようになっていたことを思い出す。しかしそれもちょっと立ち止まったらすぐに忘れるような、些細な疑問のはずだった。それが、ここへ来て妙に気になる。
ディディアを寮へ行かせたのだから、使用人たちの配置換えが必要なはずだ。
ディディアについていた使用人たちの仕事が無くなってしまったはずなのに、アイリーンは特に采配している様子もない。見る顔ぶれも特に変わらない。彼らはどこに消えたのだろうか。
それに、屋敷内の空気がどことなく澱んでいるような気もする。掃除が行き届いていないのならば、彼らを異動させれば良いのに。たったそれだけのことが、滞っている…………。
ディディアを追い出してからだ。
何かが変わったのは。
家令を呼び付けて、それとなく聞き出すことにした。
使用人の采配はアイリーンに任せており、侯爵が口を出すと烈火の如く怒り出す。自分の領分に侵入される居心地の悪さは理解しているため、これまで静観していたのだが……。
「いない?」
「はぁ、もう何年も前からの話ですが……」
家令を呼び付けて聞いてみれば、ディディアの側付きは一人もいなかった。スキル無しだと判明した時に三人に減って、それからラシェルが来てゼロに。
逆にラシェルには、子爵令息としては多すぎる人数がついていた。それも、見目の良い侍従ばかり。
「ハァ?」
侯爵は、ディディアを虐待したかったわけでは無い。ただ視界に入らないように、追いやっただけ。
侯爵令息としての扱いはしていた。
家庭教師も付けた。
それなりの予算も、毎月きっちり無くなっている。
それなのに、ディディアの暮らしぶりを聞けばまるで平民だった。
食堂で摂る夕食以外は自ら厨房へ取りに行き、掃除や洗濯も自分の手で。
ディディアの使っていた部屋を見に行けば、使用人と変わらぬ、いやそれ以上に古ぼけて質素な部屋であり、侯爵は顎を落とした。
「なんだ…………この、部屋は。この、貧相な、部屋は」
家庭教師は、そんな侯爵令息に疑問を抱かなかったのか?
何故なら、教師陣はアイリーンがつけた者たちで、彼らもまたスキル無しへ嫌悪を抱いており、学園へ入るだけにしては高度すぎる内容を持ち出しては、嫌味たらしく説教をしていた。
(そのような状況なら、癇癪を起こしても仕方な……待て。儂は、ディディアの癇癪した姿は見ていない)
よくよく考えれば、ディディアが茶器を投げつけて壊しただの、装飾品が気に入らず二束三文で売っただのは、アイリーンから聞いていた。
アイリーンの方が屋敷にいる時間が多いのだから、そういう場面によく遭遇するのは当然だと思っていたが、この部屋の惨状ーー綺麗に整頓されてはいるーーからすれば、違う。
部屋に残っていた茶器は何年も使い古し、縁が欠け、茶渋で元の色が分からないもの。普通は四、五個ほどあるべきティーカップは一つしかなく、それでも大事に使われていたのか、戸棚の一番よく見える場所に丁寧に仕舞われていた。
宝飾品に至っては、一つも無い。寮へ持っていったのだと信じたいが、ここに残されたほつれだらけの衣類やリネン類を見て、察する。
(あやつはそれでも小綺麗に見えた。容姿がそれだけ端正だったからか?)
余りあるほど美麗な顔立ちと、均整の取れた体つきのせいで、身につけるものが貧相なのに気付けなかった。
というのは、言い訳でしかない。
では、ディディアにつけた予算はどこへ消えたのか。
嫌な予感がする。
バンッ!
「…………!これは、」
妻アイリーンの部屋には、想像以上の宝飾品がずらりと並べられていた。客室専用に作らせた部屋が、二つも三つも潰されてコレクションルームへ変貌していた。
「まさか……っ」
ばたばた、バタンッ!
更に、ラシェル専用のコレクションルームさえあった。
そこにはレイヴンから贈られたであろう、公爵家の家門入りのペンダントや、レイヴンの色をあしらった豪華なものが、数種類も。
量と質、どちらも、没落しかけの子爵令息には分不相応のもの。実際に、ラシェルが煌びやかな格好をしているのを見た事はないが、あったとしたらディディアより目立って非難されていたに違いなかった。
ラシェルとレイヴンは、つい先日婚約を結んだばかりだ。にも関わらずこの数ということは、レイヴンはかなり前からラシェルへ贈っていたことになる。
(……いや、レイヴン殿は、そのような事はしない。正義感に溢れる青年なのだ。だからこそラシェルを守るためにディディアを排除して…………)
その部屋の隅には、泥に塗れた鞄と、教本があった。焼却に回すでもなく、ポイッと、そこに打ち捨てておけばいつか誰かが捨てるであろうという甘えが、捨て方に表れていた。
これが、王太子直筆の訳だ。ファントム侯爵は脂汗を浮かべながら思い出す。
『自らの過ちである』……と。
これは、侯爵のことか。あるいは、ラシェルのことか。
いずれにせよ、泥の渇き具合から見て、この教本が使い物にならなくなってから数日は経ってそうだ。しかしラシェルから何も聞いていない。こうもずたずたにし泥に塗れさせた犯人を、王太子は言及していない。傑物たる王太子がそういうということは、つまり。
考えがぐるぐると波状に広がって、纏まらなかった。
今までディディアにしてきたこと。
ディディアについて聞いた事。
それと、目の前に横たわる、ディディアの生活の事実が、噛み合わない。
なにか取り返しのつかない失敗をしたような気がした侯爵は、王城へ向かうことにした。奇しくも妻の跡を追うような形で。
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