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第1章
百人斬り
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その朝から、さっそく訓練が始まった。
平地での整列、合図に従って隊列を組み替えることなどの基礎的な内容を徹底的に繰り返した後、訓練場に移動し、肉体を鍛錬するさまざまな競技を行う。
《獅子隊》の面々のうち、二十代のなかばを超えた兵たちはすでに何度も実戦を経験し、それぞれにすばらしい武勲を持つつわものばかりであったから、訓練の内容は非常に高度なものとなり、しかも、彼らにはそれを楽しむほどの余裕があった。
しかし若年兵たちにとっては、その訓練は熾烈を極めるものとなった。
選ばれて《獅子隊》の一員に名を連ねた彼らも、それぞれに優れた資質の持ち主であったが、神代の英雄に比すべき古参兵たちに囲まれては、ひたすらに自分たちの力の不足を思い知らされるばかりだ。
疲れ果てて倒れそうになる者には容赦なく罵声が飛んだ。
「そんなへっぴり腰で蛮族どもを打ち破れると思うのか!? 敵をケツで喜ばせてやるつもりか!」
「どうした! 泣きたくなったらお家へ帰ってもいいぞ、おじょうちゃん!」
「この××××××野郎! 貴様の×××は××××かっ!? 《獅子隊》の名に泥を塗る恥さらしめが!」
神経の細い者なら首でもくくりかねない悪口雑言に耐え、少年たちはふらふらになりながら己の限界と戦っていた。
レオニダスはゆっくりと歩き回りながら、冷静に全体の様子を観察し、部下たちそれぞれの性格、能力を把握することにつとめていた。
おおむねのところを見終えると、彼はみずから少年たちの相手をすることにした。
少年の兄役たちには手を止めさせ、その様子を見ておくように命じた。
後で、少年の癖や弱点について、彼らから教えさせるためだ。
レオニダスは重い模擬剣を取ると、片手で軽々と振り回して感触を確かめた。
少年たちは《半神》との手合わせと聞いて興奮した様子だったが、見事に鍛え上げられ、名工の手になる彫像のように均整のとれたレオニダスの肉体を目の当たりにすると、青銅の盾に小枝の剣で立ち向かうような気後れを感じずにはいられないようだった。
最初の少年は、かすかに身体を震わせていた。
緊張のあまりか、それとも武者震いか。
おそらくは両方だ。
「来い」
軽く顎で誘うと、少年は模擬剣を握り締めて目をいっぱいに見開き、うおおっ、と声をあげて突進してきた。
悪くない。
レオニダスは、わざと何度か打ち込ませてから、
「左の守りが甘い」
ぼそりと呟いて、あっという間に左の脇腹に一撃を見舞った。
もちろん充分に手加減はしていたが、少年は息を詰まらせて膝をつき、涙目になって喘いだ。
何とか立ち上がろうとしているようだが、それ以上は身体が動かなかった。
少年のフィロメイラクスが、黙ってその腕を取り、彼を立たせた。
その仕草が労わりに満ちているのを見て、レオニダスはうなずいた。
「次」
こうして少年たちは次々と《半神》に挑んだが、無論、誰一人として勝利をおさめることはできなかった。
「次……」
流れる汗をぬぐいながら言おうとして、レオニダスははっとした。
模擬剣を手にしたクレイトスが、ぴたりと身構えていた。
身体つきこそすらりとして、いまだ男としては未完成であることを思わせるが、膂力に不足のないことは微動だにせぬその構えを見れば判った。
照りつける陽射しの下で、ブルーブラックの髪がつややかに光り、不思議に涼しげな青い目がレオニダスを見つめている。
綺麗だ。
自然にそう思い、同時に、心臓が騒ぎ始めた。
あえて今まで忘れていたのに、駄目だ、この少年を見ると、どうしても妙な気分になる。
それが、単なる美への感動でないことは判っていた。
何か、もっと……
「来い」
それでも反射的に言った瞬間、クレイトスの切っ先が顔面めがけて飛んできた。
おお! と声があがる。
周囲で見ていた戦士たちが思わずどよめいたのだ。
レオニダスはすばやく頭をそらしてその一撃を避けたが、顎のあたりをわずかにかすめられた。
(踏み込みが早い――)
と、驚いている自分に驚く。
こんな少年に先手を打たれるとは。
集中が欠けているせいだ。
時間にしてほぼ一瞬で、レオニダスは自分を取り戻していた。
クレイトスは打ち込む手を緩めず、守りを破ろうとあらゆる方向から攻めたが、レオニダスは鉄壁の防御でそのすべてを打ち払った。
ぶん、と横に振り抜かれた少年の剣を、身体を屈めてやり過ごす。
慌てて引き戻される刃を受け止め、力任せに弾き飛ばした。
武器を追って反射的に泳いだ少年の身体を突き倒し、喉元に切っ先を突きつける。
おお……と周囲からもう一度声があがったが、今度は安堵の響きが多分に含まれていた。
クレイトスの肩が激しく上下し、切っ先の下で、鎖骨の間に汗が光っていた。
レオニダスは、眩暈がするような気がした。
倒れた愛人に手を差し伸べることも、思いつかなかった――
「隊長!」
いきなり、フェイディアスが叫んだ。
「次は、ぜひ、俺のお相手を!」
皆が目を丸くするなか、勇んで模擬剣を手に取り、進み出てくる。
どうやら、少年たちとレオニダスの立ち合いを見ているうちに、自分もやる気になってきたらしい。
「では、俺も!」
「私もっ!」
男たちが鼻息も荒く次々と名乗りをあげ、まだぼんやりしていたレオニダスは、断る機を逸してしまった。
彼がはっと気づいたときには、クレイトスは自分で立ち上がり、静かに人垣のなかに下がってしまっていた。
後に伝説となる「レオニダスの百人斬り」の幕は、こうして開いたのだった。
平地での整列、合図に従って隊列を組み替えることなどの基礎的な内容を徹底的に繰り返した後、訓練場に移動し、肉体を鍛錬するさまざまな競技を行う。
《獅子隊》の面々のうち、二十代のなかばを超えた兵たちはすでに何度も実戦を経験し、それぞれにすばらしい武勲を持つつわものばかりであったから、訓練の内容は非常に高度なものとなり、しかも、彼らにはそれを楽しむほどの余裕があった。
しかし若年兵たちにとっては、その訓練は熾烈を極めるものとなった。
選ばれて《獅子隊》の一員に名を連ねた彼らも、それぞれに優れた資質の持ち主であったが、神代の英雄に比すべき古参兵たちに囲まれては、ひたすらに自分たちの力の不足を思い知らされるばかりだ。
疲れ果てて倒れそうになる者には容赦なく罵声が飛んだ。
「そんなへっぴり腰で蛮族どもを打ち破れると思うのか!? 敵をケツで喜ばせてやるつもりか!」
「どうした! 泣きたくなったらお家へ帰ってもいいぞ、おじょうちゃん!」
「この××××××野郎! 貴様の×××は××××かっ!? 《獅子隊》の名に泥を塗る恥さらしめが!」
神経の細い者なら首でもくくりかねない悪口雑言に耐え、少年たちはふらふらになりながら己の限界と戦っていた。
レオニダスはゆっくりと歩き回りながら、冷静に全体の様子を観察し、部下たちそれぞれの性格、能力を把握することにつとめていた。
おおむねのところを見終えると、彼はみずから少年たちの相手をすることにした。
少年の兄役たちには手を止めさせ、その様子を見ておくように命じた。
後で、少年の癖や弱点について、彼らから教えさせるためだ。
レオニダスは重い模擬剣を取ると、片手で軽々と振り回して感触を確かめた。
少年たちは《半神》との手合わせと聞いて興奮した様子だったが、見事に鍛え上げられ、名工の手になる彫像のように均整のとれたレオニダスの肉体を目の当たりにすると、青銅の盾に小枝の剣で立ち向かうような気後れを感じずにはいられないようだった。
最初の少年は、かすかに身体を震わせていた。
緊張のあまりか、それとも武者震いか。
おそらくは両方だ。
「来い」
軽く顎で誘うと、少年は模擬剣を握り締めて目をいっぱいに見開き、うおおっ、と声をあげて突進してきた。
悪くない。
レオニダスは、わざと何度か打ち込ませてから、
「左の守りが甘い」
ぼそりと呟いて、あっという間に左の脇腹に一撃を見舞った。
もちろん充分に手加減はしていたが、少年は息を詰まらせて膝をつき、涙目になって喘いだ。
何とか立ち上がろうとしているようだが、それ以上は身体が動かなかった。
少年のフィロメイラクスが、黙ってその腕を取り、彼を立たせた。
その仕草が労わりに満ちているのを見て、レオニダスはうなずいた。
「次」
こうして少年たちは次々と《半神》に挑んだが、無論、誰一人として勝利をおさめることはできなかった。
「次……」
流れる汗をぬぐいながら言おうとして、レオニダスははっとした。
模擬剣を手にしたクレイトスが、ぴたりと身構えていた。
身体つきこそすらりとして、いまだ男としては未完成であることを思わせるが、膂力に不足のないことは微動だにせぬその構えを見れば判った。
照りつける陽射しの下で、ブルーブラックの髪がつややかに光り、不思議に涼しげな青い目がレオニダスを見つめている。
綺麗だ。
自然にそう思い、同時に、心臓が騒ぎ始めた。
あえて今まで忘れていたのに、駄目だ、この少年を見ると、どうしても妙な気分になる。
それが、単なる美への感動でないことは判っていた。
何か、もっと……
「来い」
それでも反射的に言った瞬間、クレイトスの切っ先が顔面めがけて飛んできた。
おお! と声があがる。
周囲で見ていた戦士たちが思わずどよめいたのだ。
レオニダスはすばやく頭をそらしてその一撃を避けたが、顎のあたりをわずかにかすめられた。
(踏み込みが早い――)
と、驚いている自分に驚く。
こんな少年に先手を打たれるとは。
集中が欠けているせいだ。
時間にしてほぼ一瞬で、レオニダスは自分を取り戻していた。
クレイトスは打ち込む手を緩めず、守りを破ろうとあらゆる方向から攻めたが、レオニダスは鉄壁の防御でそのすべてを打ち払った。
ぶん、と横に振り抜かれた少年の剣を、身体を屈めてやり過ごす。
慌てて引き戻される刃を受け止め、力任せに弾き飛ばした。
武器を追って反射的に泳いだ少年の身体を突き倒し、喉元に切っ先を突きつける。
おお……と周囲からもう一度声があがったが、今度は安堵の響きが多分に含まれていた。
クレイトスの肩が激しく上下し、切っ先の下で、鎖骨の間に汗が光っていた。
レオニダスは、眩暈がするような気がした。
倒れた愛人に手を差し伸べることも、思いつかなかった――
「隊長!」
いきなり、フェイディアスが叫んだ。
「次は、ぜひ、俺のお相手を!」
皆が目を丸くするなか、勇んで模擬剣を手に取り、進み出てくる。
どうやら、少年たちとレオニダスの立ち合いを見ているうちに、自分もやる気になってきたらしい。
「では、俺も!」
「私もっ!」
男たちが鼻息も荒く次々と名乗りをあげ、まだぼんやりしていたレオニダスは、断る機を逸してしまった。
彼がはっと気づいたときには、クレイトスは自分で立ち上がり、静かに人垣のなかに下がってしまっていた。
後に伝説となる「レオニダスの百人斬り」の幕は、こうして開いたのだった。
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