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月日が流れるごとに高まる命の価値。

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 生命というものが発言して、今に至るまで、二種類の時代があると思う。


 一つは、人が現れるまで。動物の時代。

 もう一つはヒトが現れてから、人の時代。


 その二つの時代、月日が流れるごとにある量が増えていると思う。

 その量とは、命を失わせまいとする感情の量。

 命が死んだときに悲しむ大きさ。

 言い換えるならば、命の価値が大きくなっているのだ。

 そして、その価値とともに、命を大事にする制度やシステムが、時が経つにつれ発達しているように見える。


 動物の時代において、原初的なウィルス、あるいは魚類などは、卵を産んでから、子供を作ってから放置が基本で、ほ乳類など、のちの時代になるほど、卵から育ててから放置する方法が出てきていると思う。

 それは、つまり生殖の方法がより良い方法になり、複雑になっただけととらえられるが、

 前者は、数だけを大量にやればいい。卵から生まれた個体は即殺される可能性があるが、数さえ大量にやれば、生き残る個体が出てくるのでOK。

 しかしそれはある意味で命を粗末にしているともいえる 対して後者の育ててから放置する方法は、子供が強くなってから放置するのでより生き残る確率が高くなる。

 故に、より進化したほ乳類の育て方こそが、命一つ一つの価値が高まっているのだ。


 

 そして、人の時代も、時代が経つにつれ命大事にになっていく。

 昔は戦争などをしてきた。だが、現代において戦争は一般的に悪である。

 戦争をしてきた数百年前ほど昔、多くの死者を出していった。それでも戦争は辞めない。

 それは仕方がなかったと言えばそれまでだ。

 だが、戦争をする現場は、多くの死者や苦しみを生み出していく。人は知能が高いので、それが悪いことだと分かっているだろう。

 故にか、現代では完全にではないにせよある程度平和が保たれている。科学の発展によるものも大きいかもしれないが。

 このように、何らかの法則が働いているのか、それとも勘違いや偶然なのか、時代が進むにつれそうなっているように見えるのである。


 この現象に仮説を付けてみる。

 それは、個々の意識の肥大化、価値の高まりではないだろうか。

 昔の時代は、群集として生き残ればそれでよかった。集団のためならば個体の命は多少捨ててもいいという考え方だ。

 だが、生命を生命タラ占めている意識というものが時代とともに成長してきたのである。

 どう成長したかといえば、つまり「この世界で一番価値のあるものは自分自身である」ということである。

 つまり、ヒト一人一人が、神、あるいは王、貴族と同じになってきているのだ。

 神や王は、尊ぶべきものとして昔から蔓延ってきた概念だ。

 それが一般人においても徐々に適用されるようになってきた・・と考えてほしい。

 あるいは、自分と他人の境界線がはっきり分かれてきた、という解釈もできると思う。

 それが何をもたらすのか、、豊かな生活、科学のシンギュラリティ。労働からの解放。

 そして、、それ以上の何かをもたらすだろうか。

 おそらく、仮想世界内部限定でかもしれないが、人ひとりが神様のごとく力をふるえる未来が来るのだろう。(無論、他の世界に迷惑をかけなければの話だろうが。

 現代はそのつなぎなのだろうか。

 
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