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第1部 皇太子殿下との婚約

第4話 舞い降りた熾天使を前に、磔刑を覚悟した夜

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「先程はステキな贈り物をありがとうございました、早速ですが部屋に飾らせて頂きました」

 カタカタとカップを持つ手が震えそうになるが、エマさんの顔を思い浮かべてなんとか耐える。
 なんで肝心な時に限ってあの人はいないんだ!
 俺の目の前には皇后様が座っているが、これは幻ではない。
 その証拠に、さっきつねった掌が痛いからだ。

「そうですか……だ、そうです」

 口元を扇で隠した皇后様は、ヒソヒソと隣の侍女を伝い言葉を返す。
 相変わらず対応も、安定のヒエヒエである。
 皇后様側の指示で、この部屋には今この3人しかいない。
 私の侍女や、皇后様の他の侍女は手前の部屋で待機している。
 私が、贈り物を受け取り返礼の言付けを返して、まだ2時間ほどしか経っていない。
 普通であればありえない事だが、一体何の用だろう。

「あの、今回はどういったご用件で参られたのでしょうか? もし、私の言付けに不敬があるとしたら謝罪いたします」

 皇后様の視線が一層厳しくなる。
 俺、本当に、何やらかしたんだよ。
 びびる俺に、皇后様の侍女が視線に促されて、テーブルの上に見覚えのあるお菓子の箱を置く。

「これは……高級菓子店、シリル・エインズワースの物ですね」

 見覚えがあって当然である。
 このお菓子は、公爵領の有名菓子店のものだ。
 お菓子の箱を開けると、予想通り中には日持ちのする焼き菓子が多数詰められている。

「たまたま手に入ったので、ご一緒にどうか……だ、そうです」

 安定のヒソヒソである。
 皇后様は、何故か俺と直接会話をする事がない。
 無論、国によっては身分差によるそういう仕来たりがある所はあるし、この帝国でも儀式や形式によってはそうする場合がある。
 しかし、皇宮でこういった仕来たりが適応されるとは教えられていないし、エマさんも疑問に思っていた。
 俺と皇后様の会話が弾まない要因の一つがこれだろう。
 
「皇后様の格別のお気遣いに感謝いたします」

 ヒッ、俺を睨む皇后様の目力が強まる。
 養母様も母様も、どうやってこの人とコミュニケーションを取っていたんだ。

「……だ、そうです」

 だ、そうです……だけじゃわかんねーだろうがあああああ。
 などと返せるわけもなく、俺にできるのはニッコリと微笑みを返すだけだ。
 無論、会話など続くはずもなく、周囲はシーンとしている。
 この状況から一体どうすればいいって言うんだ。
 エマさん、一刻も早く帰ってきて!

「ふふっ」

 今、笑ったのは俺じゃないよ?
 もしかしたら皇后様かと思い、淡い希望を抱いたが、そんなことは一切なく、皇后様は隣の侍女さんを睨んでいた。
 俺も侍女さんの方に視線を移すと、口を抑えて笑えるのこらえているように見える。

「失礼、あまりにも不毛でしたので……皇后様、これではエスター様には何も伝わりませんよ」

 皇后様の目つきが一層鋭くなる。
 侍女さんの暴走に、俺はどうしていいのかオロオロするだけだ。

「エスター様、もしかして、皇后様に嫌われてるかも? なんて思ってません?」

 オロオロして誤魔化そうとしたのに、突如として賽は此方に投げられた。
 ここは、そんな事ありませんわ、と誤魔化すのが無難だろう。
 しかし、皇后様との関係に打開策を見いだせていない現状、俺もここで勝負に出る。

「は、はい……もしかして、今も何か粗相したのではと……」

 迷わず俺は地獄の特訓で得た秘技を駆使する。
 これぞ、奥義上目遣いからの派生技、秘技チラ見上目遣い!
 説明しよう、伏し目がちの状態からからチラチラと様子を伺うその姿は、愛らしい小動物のように相手の庇護欲を掻き立てる事ができるのだ。

「そ、そんな事はありましぇっ……!」

 あ、舌噛んだ。
 皇后様は扇子を落とし両手で口元を隠す。
 よくみれば目は睨んではいるが、舌を噛んで痛いのか少し涙目に、恥ずかしさから頬のあたりは紅潮していた。
 あれ? もしかして、この人、そんなに怖くない?
 しかも兄貴と違って、こちらの秘技も効いてるようだ。
 おまけで、もう2、3回チラッと行っとくか。

「エスター様……そこまでで勘弁してください、皇后様が死んでしまいます」

 どうやら調子にのったのが侍女さんにバレたようだ。

「ご、ごめんなさい」

「い、いいのです」

 再びここで、お互いに押し黙っては困ると、侍女さんは口を挟む。

「皇后様、ご自分でちゃんとお伝えにならないとわかりませんよ」

 侍女さんにせっつかれた皇后様は、俯きながらも声を絞り出す。
 さっきのシーンが脳裏に焼き付いているせいか、皇后様ってもしかして、ただの可愛らしい人なのかもしれないと思い始めている。

「こ、コホン……まず最初に、私がエスターさんを嫌っている、などと言う事はありません」

 どうやら、エマさんの読みは当たったみたいだ。
 俺もほっと胸をなでおろす。

「それでその……」

 皇后様はチラチラと助け舟を求めるように、侍女さんに視線を送る。
 それに耐えかねた侍女さんは、ため息を吐き、諦めたように口を開く。

「つまりですね、皇后様は嫌っているどころか寧ろエスター様の事を好いているのですよ」

 侍女さん曰く、娘がいない皇后様は、私に会えるのをとても楽しみにしていたらしい。
 しかも親友であった2人の娘であり義理の娘が、自分の義理の娘にもなるのだから、その喜びは天にも昇るほどだったそうな。
 色々準備を重ねに重ね、いざ、私に会うと、不幸にも見た目がドンピシャすぎて逆に言葉につまってしまい、どんどん悪い方向に歯車が噛み合ってしまったと……。
 事前に私の絵写真を見ずに、楽しみにしていたのが余計に仇だったようだ。

「この通り、皇后様は人見知り……失礼、少し恥ずかしがり屋さんな所がありまして、どう接していいのか分からずにあたふたしているだけですので、大丈夫ですよ」

 今も、贈り物をした直後にも関わらず、会いたくて会いたくて、待ちきれなかったと。
 エインズワースの焼き菓子セットも、貰い物などではなく皇后様が手配したそうだけど、そこは言わないで良かったんじゃないのかなぁ。
 隣の皇后様が、そこまで話すな、と言わんばかりに睨みつけてるもの。

「あと、目つきが悪いのは元からです!」

 ちょっとそこ、そんなはっきりいっちゃっていいの!?
 処されちゃうよ! 処されちゃわない?

「なるほど、わかりました、睨まれているわけではなかったのですね……」

 これにて一件落着かな?
 どうですかエマさん、貴女が居なくても、俺は立派にやり遂げましたよ!
 まぁ、ほとんど侍女さんのおかげですけど、それも実力のうちでしょう。

「ともかく、誤解はこれで解けましたね? いい加減、通訳するのも面倒くさかったので、あとはお2人でどうぞ、私も一旦席を外します」

 あれ? 侍女と皇后様のこの関係……なぜか俺は、皇后様に自分と近しい物を感じてしまう。
 どうやら、侍女と雇用主の力関係が狂っているのは俺だけじゃなかったようだ。
 侍女さん本当に出てっちゃうし、ここは、私が頑張る番だろう。

「えっと、私、このエインズワースのフィナンシェがとても好きなのです」

 ここのフィナンシェは、バラの蜜を練りこんでいてとても香りが豊かだ。
 バラを象ったその造形も見るものを楽しませてくれる。
 エスターもこのフィナンシェが好きだったから、よく取り合いになって負けてたっけ……。
 そのせいで、余ったマドレーヌの方ばかり食べさされた記憶しかない。

「こ、この……マドレーヌもとっても美味しいわ……フィナンシェも美味しいのね?」

 エインズワースのマドレーヌはレモンが入っているからか、他の店のものより重たくなく食べやすい。
 皇后様は此方のにも興味があるのか、チラチラと私の目の前にあるフィナンシェの方を見ている。
 もしかして欲しいのかな?

「はい、どうぞ」

 切り分けたフィナンシェをフォークで突き刺し、皇后様に向けて手を伸ばした所で気がつく。
 し、しまったぁぁぁあああああ~! 男だった時の感覚で、エスターに分け与えるようにやってしまった。

「い、いただきます」

 皇后様は一瞬戸惑ったものの、パクリと俺の差し出したフィナンシェの端きれを咀嚼する。
 俺の不敬をリカバリーしてくれた事に感謝いたします、皇后様。

「で、では、こちらも……」

 皇后様は美しくマドレーヌを切り分けると、同じように俺に向けてフォークを向ける。
 え? これ食べちゃっていいんですか? 不敬じゃありません?
 しかし、悩んでる時間はないようだ。
 皇后様も自分でやってみて恥ずかしかったのか、睨みつけながらも顔がどんどんリンゴのように赤くなっている。
 ええい、ままよ!

「フゴッ」

 慌てて口に運んだせいか、案の定、喉に詰まらせる。

「大丈夫!? これを!」

 皇后様は慌てて俺に紅茶を手渡そうとするが、俺は誤ってそれを落としてしまう。

「あっつぅ!」

 紅茶を被ったドレスが、水分によって浸食されていく。

「大変!」

 そういって、皇后様は私の後ろに回り込むと、ドレスのファスナーを下ろす。
 私のドレスは首元の喉仏を隠すために、ぴったりと吸い付いている。
 故に皇后様は、火傷を恐れて、即座に行動したのだろう。
 しかし、これが俺に取っては致命傷なのである。
 俺は突然の事に気が動転して、対処をするのが遅れてしまう。

「えっ!?」

 皇后様が驚くのは無理がない、ゆるんだドレスがはだけ、作り物の胸が床に転がり落ちた。
 即座にはだけたドレスを引っ張り、胸と喉仏を隠すがもはや手遅れである。

「えっと、これは……」

 だめだだめだだめだ、頭をフル回転させるが、既にこの状態は俺の頭は処理能力を大きく上回っている。

「……」

 下を俯いた皇后様の表情は見えず、言葉も発しない。
 うん、これはもう死刑ですね、そうですね。

「どうかされましたか?」

 異変に気付いた先程の侍女さんが、ドア越しに話しかける。
 あっかーん、俺は慌ててドレスを抑えてない手で地面に落ちた詰め物を回収し、必死に胸に押し込む。

「何でもないわ……エスターさんの侍女が来たら部屋にお通しして、それ以外の人は誰1人として入れてはダメよ」

 父様、母様、爺様、兄貴……ごめん、やっぱり俺には不可能だったよ。
 エマさん……俺のために色々教えてくれたのに、不出来な生徒でごめんね。
 エスター……せめてお前だけは、俺の分まで長生きしておくれ。
 死を覚悟した俺は、全てを諦め、手に胸の詰め物を握りしめたままその場にへたり込んだ。
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