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第2部 私と貴方の婚約者生活

第21話 嫌なことから逃げても、逃げた先には何もない。

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「くそったれ!」

 遠見の魔法道具で外を見張っていたゴードン様が声を荒げる。

「新手のドラゴンだ!!」

「上か!?」

 ウィルの頬を汗が伝う。
 その表情だけで、かなり切迫した状況である事がよくわかる。

「いえ、地面スレスレの低空飛行でこちらに向かっています」

「くっ……低空飛行できるだけの技量がある者達か、厄介だな」

 低空飛行は竜騎士の騎乗技術の中でも高等技術に当たります。
 つまりはそれだけの手練れが襲撃者に混じっているという事でしょう。

「ここに残ったのは失敗だったかもしれません」

 ラルフ様はウィルに視線を向ける。
 ……これはまずいですね。
 明らかに襲撃者達の次の一手が早い。
 しかしその一方で、いくつかの違和感が引っかかります。
 これほどの物量があるならば、もっと簡単に私たちを殺すことができるはずだ。
 そうしないと言うことは、私たちの誰かを何らかの目的の為に、生きている状態で手に入れる必要があるのでしょうか。
 更にもう一点、次の一手が早い割に襲撃者間の連携が感じられません。
 例えば竜を使っている者達はおそらく他国の者でしょうが、ヘンリーお兄様が交戦している騎馬隊は間違いなく帝国の者達です。
 ……わざとどちらかが襲撃情報を漏らして、もう片方を利用している可能性がありますね。
 そう考えると、良い様に操られているのは帝国の裏切り者達の方かな。

「しかし騎馬隊の連中はおそらく我が帝国の者達だ。あれだけの数、この経路近辺の貴族が協力していなければ動かせない」

 ウィルも気がついていたようですね。
 この経路の近辺の領地の者が裏切ったのか、それともその先の領地にある貴族が裏切ったのか。
 多くの騎馬隊が移動しているなら、どこかで必ず本国に伝わっているはずです。
 そうじゃないと言うことは、つまりは裏切り者達の騎馬隊をこの近辺の領地のどこか、または反逆を首謀する貴族に連なる経路にある領地、その全てが素通りで通したという事だ。
 これでは腕木通信も意味なかったかもしれません。
 焦って指示を間違えたでしょうか……いや、今は反省している場合ではないですね。

「よしっ、ここから出て俺たちは馬を使って南東部へと向かう。あそこの深い森であれば追っ手を交わせるはずだ」

 その分、別の危険が伴いますが、今はそうするより他にないかもしれません。
 私は目を閉じレヨンドールへと言葉を送る。

『レヨンドール、一先ず私達は南東に逃げる事になりました』

『わかった、我はどうすればいい?』

 敵の竜と交戦中のレヨンドールは、列車の上部からだいぶ北に移動しました。

『南東部、森の手前の平野で合流しましょう、そこでシエル様とウィルを頼みます』

 あとでウィルには文句を言われるかもしれませんね。
 しかし、2人を助ける事はなによりも最優先されるべき事です。
 レヨンドールが逃げの一手に徹すれば、他の竜達では早々追いつけないでしょう。

『……エスター、いや、エステル、お前はどうする?』

『私1人であれば問題ありません。もう暫くで薬も丁度切れるので、近くの町で服を調達した後に、西部から来た男の旅人を装って、南部にあるサマセット公爵家の遠縁を当たります』

 温暖な気候の西部の男性は、腰にサラシを巻いてベストを羽織ってるだけの人も多い。
 これであれば一見して男なのだとすぐにわかるために、エスターとは結びつきません。
 問題があるとしたら、私の正体を知らないラルフ様とゴードン様、そしてエトワール様ですか。
 途中でうまくアルお兄様とエマの3人だけで逸れる必要がありますね。
 ただ一つ懸念があるとしたら、襲撃者が私の正体がエステルである事を知っていれば、このやり方も通用しません。
 その場合は、また別の方法を考えるしかありませんね。

『わかった……死ぬなよエステル』

『もちろん、そっちこそ2人を頼んだわよ!!』

 私は目を開けレヨンドールとの会話を打ち切る。
 それと同時にウィルが号令をかけた。

「殿はラルフとゴードン、エマはエスターを、エトワール殿はシエル殿を、前は俺とアルで切り開く……よしっ、行くぞ!!」

 ウィルの号令と同時に、屋根上から小さな爆発音が発せられた。
 一体なんの音かと考える暇もなく、列車の天井に取り付けられた屋根上に出る為の蓋が地面に落下する。
 続けて筒状の物が上から落ちてきた。

「全員口元を塞げ!」

 私はポケットの中に入っていたハンカチで咄嗟に口をふさぐ。
 次の瞬間、筒状の物体に取り付けられた両側の蓋が開き、辺り一面に煙を吹き出した。

「くそが! 後ろだ! みんな動け!!」

 ゴードンさんの一言で、みなが一斉に後部車両へと向かう。
 先頭のアルお兄様が扉を蹴破ると、反対側の小さな窓から器用に外に出たラルフ様が屋根上にいる敵を屠っていく。
 最後尾にいるゴードン様は、煙が充満する私たちがさっき居た車両から侵入してきた者達と交戦を始めた。

「殿下ぁ! ここは俺たちに任せてください!!」

「わかった、死ぬなよゴードン、ラルフ!」

 私達が列車の外に出てしばらく進むと、数人の味方が馬に乗ってこちらに駆けつけた。

「ご無事ですか殿下!?」

 彼らはヘンリーお兄様と共に騎馬隊で戦っていた者達だ。
 こちらに騎士を送ってきたという事は、どうやらヘンリーお兄様も異変に気がついたのでしょう。

「あぁ、俺は無事だが従者達が列車内で交戦中だ!」

 駆けつけた味方の騎士にウィルは指示を出す。

「わかりました、では我々の馬をお使いください」

 騎士の4人が自らの馬から降りる。
 この馬達は竜同様、列車の車両を厩舎に改造して運搬していました。

「助かる、お前たちも無事に生き延びろよ!」

「はい!」

 四頭の馬の内二頭は、アルお兄様とウィルがそれぞれに騎乗し、一頭はエトワール様がシエル様を抱きかかえる様に騎乗した。
 そして残った一頭にはエマと私が騎乗する。

「殿下、どうかご無事で!!」

 私達は南東部へ向かって馬を駆ける。
 途中気がついた襲撃者の騎馬隊がこちらへと進路を変えるが、ヘンリーお兄様がすぐに対応したおかげでもたついていた。
 やはりこちらに逃げて正解でしたね。
 残念な事に竜を操る他国の襲撃者と違って、騎馬隊を率いる我が国の裏切り者はあまり賢くないようです。
 いくらヘンリーお兄様が有能だと言っても、10倍近くの数の差があってモタつく騎馬隊の指揮官は、無能だと言わざるを得ないでしょう。
 一体、他国の者に何を吹き込まれて誑かされたのやら……。

『エステル、そろそろ合流地点だ!』

 レヨンドールの言葉が頭に響く。
 どうやらレヨンドールもこちらに向かって動き出したようです。

『交戦中の竜たちは?』

『問題ない、ウィルフレッドとラタが良くやっておる。それと、2人の竜や他の竜にはこちらから説明してあるからこちらは心配せずとも大丈夫だ』

 最悪の状況には変わりはないけど、道は見えてきました。
 あとはやるべき事を見定め、明確に目標に向かっていくだけです。

「エマ、すみませんがエトワール様の馬に寄ってください」

 私の指示を受けたエマはエトワール様の馬へと寄せていく。
 エトワール様に目で合図を送ると、少しスピードを落として先頭を走るウィルに会話を聞かれない距離へと間隔を広げた。

「エトワール様、レヨンドール……殿下の竜を使って、シエル様と殿下をこの場から一足先に脱出させます」

 私は2人に今こちらにレヨンドールが向かっている事を伝える。
 エトワール様がシエル様から離れる事を懸念されたらどうしようかと思いましたが、2人は首を縦に振り作戦を了承してくれた。

 よし!
 あとはレヨンドールが2人を拾って、皇都へと一目散に逃げるだけです。
 そう……あと一手、たった一手なのに……私の作戦は脆くも崩れ去りました。
 どうやら敵の指揮官は、逃げに徹した私の思考も読みきっていたようです。
 我々の走る地上を黒い影が覆う。
 空を見上げた私達は、その影の正体を視認し口元を歪ませる。
 どうやらレヨンドールより先に、新手の竜たちの方が先に私たちに追いついたようです。

「見つけたぞ!」

 竜騎士の1人が声を上げると、4体いるうちの3体の竜が、後ろを走る私とシエル様の方に向かって急降下してきた。
 目的は誰? ここに来ても私はまだ敵の目的が絞れずにいる。
 
「エマ! 右に開いて!!」

 指示を受けたエマは馬体を右へと流す。
 これで私の方に来ればこの人たちの目的は私だ。
 そうじゃなくても、回り込んで後ろを取る事ができる。

「竜達がこちらに向かって来ます!」

 なっ、目的は私!?
 一応可能性の一つとはしては想定していましたが……3人の中では、私が目的である可能性は一番低いと考えていました。

「エスター!」

 敵の狙いが私だと知ると、ウィルは馬の向きを変えこちらに駆ける。
 ダメ、ウィルを止めなければと、後ろを振り返った私の視界が迫り来る竜騎士の1人の顔を捉えた。
 ほんの一瞬、口元を緩ませた竜騎士の顔を見た瞬間、全てを察した私は声を張り上げる。

「ダメですウィル!!」

 上空に残っていた竜の1体が降下し、ウィルを追うアルお兄様を牽制する。

「この人たちの目的は貴方です!!」

 そう叫んだ瞬間、横から現れた新たな1体の竜がウィルを狙う。
 ウィルは咄嗟に剣を構えるが、竜はウィルの持った剣を咥え上空へと飛び立つ。
 しかしウィルもすかさず剣を握っていた手を離し、地面へと転がり受け身をとった。
 だが敵の連携した攻撃は素早い。
 私を追っていた竜のうちの一体が転進すると、続け様にウィルの頭の上になんらかの粉末を落とす。
 
「ウィル!」

 ウィルはなんとか起き上がろうとするが、小刻みに足が震えて起き上がる事ができない。
 おそらくあの粉は、しびれ薬の類が混ざっていた物だったのでしょう。
 ウィルの剣を弾き飛ばした竜は上空で折り返すと、ほんの数秒で気絶したウィルの身体を前足で掴み上げ空へと飛び立っていく。
 その後を2体の竜がついていった。

「エマ! アルお兄様!!」

 ダメ、2人は交戦中だ。
 考えるのよ……いや、考えるんだエステル。
 ここでウィルを失うわけにはいかない。
 どうやる? どうやればウィルを助けられる。
 ここまでは全部、相手の思惑通りだ。
 だから普通の事をしても、相手は対策している可能性が高い。

「レヨンドール!!」

 私は龍笛を鳴らし、レヨンドールの名前を叫ぶ。

『今来たぞ!! 状況は? どうなっている!?』

 ウィルが攫われてからほんの数分、駆けつけたレヨンドールが上空に姿を見せる。

「攫われたウィルを助けるわ! 私を連れて行きなさい!!」

「エスター様!!」

 驚いたエマが声を上げるが、その時にはもう遅い。
 私は交戦中の馬上から、地面に飛び降りて転がった。
 すぐ様立ち上がると同時に長いスカートの裾をビリビリと破く。
 飛び降りたせいで身体はアザだらけだし、乱れた髪も泥のついた顔もひどいものだ。
 だが、そんな事を気にしている余裕はない。

「ダメです、お戻りください!!」

「ごめんエマ! お説教は後で聞くから!!」

 私は降下してきたレヨンドールに飛び乗る。
 まさか襲撃者達も、皇太子殿下の婚約者が追ってくるとは思わないだろう。
 敵の指揮官が読みきれない先に行くためにも、考えられる中でもこれが相手にとって最も想定外の行動だ。
 そうだ腑抜けるなエステル、常に考え続けるのよ。
 エステルはただウィルに守られているだけの存在じゃない。
 私が……僕が! ウィルを助けるんだ!!

「なぜだ! 何故貴女がそこまでする?」

 上昇する私に向かって、エトワール様が馬で追いかけながら叫ぶ。

「帝国のためか? それとも公爵家のためなのかっ!?」

 家同士が決めた婚約相手。
 側から見れば私達はそれだけの関係だ。
 そしてそれがウィルとエステルにとっての最初の関係。
 でも今はそうじゃない。
 だからこそ私は胸を張って答える。

「いいえーー、誰のためでもない、私のためよ!!」

 帝国もサマセットも関係ない。
 私は僕のためにウィルを助ける。

「行くわよレヨンドール! 私のウィルに手を出した事、あいつらに絶対に後悔させてやる!!」







 一体、今、私はどういう表情で空を見上げているのだろうか?
 私は馬の上から、上空を飛ぶエステルとレヨンドールを見送る。
 そんな私の服を、小さな手が引っ張った。

「行ってくださいエトワール」

 視線を落とすと、シエルは全てを見透かした様な目でこちらを見る。

「ここで行かなきゃ貴女は絶対に後悔します。そして最後まで見届けなさい。貴女にはその義務があるはずです」

 そんな事、言われなくても分かっている。
 分かっているけど、それをこんな小さなお姫様に言われるくらい、今の私はダメなんだろうな。

「わかりました……私も過去に蹴りをつけてきます」

 そう答えると、シエルは子供らしく微笑んだ。
 私は服の内側に隠した龍笛を取り出し、空に向かって音を鳴らす。
 空で交戦している竜達より更に上空、敵に察知されないほどの高度に私の竜は待機している。
 音を鳴らして僅かに数十秒、真っ黒な私の竜が地上に降下してきた。

『覚悟はできたか? 我が主君よ』

「あぁ、どうやら少し日和っていたようだ」

 私は漆黒の竜ザバーブに跨る。
 もはや迷いは一つもない。
 エステルがそれを望むなら、私はそれを叶えるだけだ。
 それが全てから逃げた私の償いなのだから。
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