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ゴルフへの道

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  美咲「安村 美咲」には、お母さんがいない。

 3歳の誕生日を迎え、少しして、美咲より10歳上の娘を連れて出て行った。

 我が家の家族構成は、祖父母、父(私)、息子、そして美咲の5人家族である。



 2008年9月

  美咲が4歳の時7歳年上の兄(弘樹)がモトクロスを辞めた後、

また弘樹と一緒に何か出来てればと、知人がゴルフ練習場に再就職した事がキッカケで今度はゴルフをチャレンジする事にした。

 その時一緒について来ていた美咲がこの時初めてゴルフを知る事になる。

  次第に弘樹よりも一緒について来ていた美咲の方がゴルフに興味を持ち始め、

「父さんゴルフがしたい」

その一言から

 美咲が、5歳の誕生日の時にクラブ4本入りのゴルフセットをプレゼントした。

 その時はまだ身長も100cmにも満たない愛嬌のある本当に小さな女の子だった。

「ゴルフをしたいなら約束があるんだけど守れる?」

 父は弘樹がモトクロスをしていた時に、練習量で 苦労した経験がある。

 今の学校は毎週土日が休みなので、父が土日休める家庭と、日曜だけ休みの場合では1年間で練習量を比較すると、1年分練習量が違う事になる。

 父はその点ゴルフは毎日練習しようと思えば出来る事に魅力を感じていたが、

美咲はどんな約束をさせられるのか心配そうな顔で私を見つめる。

「なに?」

「宿題、勉強はちゃんとする事!」

「もう一つ練習は毎日する事!」

「出来る?」

「ちゃんとするよ」

「本当にぃ?」

「がんばるから」

 そんな約束で、美咲のゴルフ人生がスタートする。

 美咲がゴルフを始めた事で、モトクロスを辞めてからの平凡な日常がゴルフ中心の生活に変わり、娘と過ごす時間が増える事になった。



 私は昔職場でしたくもないゴルフを無理矢理させられた経験が15年以上前にあり、その影響でゴルフに全く興味がない為に、技術、知識が全くの素人と言っても過言じゃない程が無く、おまけにゴルフが下手くそで嫌いだったので、ゴルフ好きで流行で始めた訳ではない。

 ゴルフが嫌いな私だったが、仕事が終わると真っ直ぐ家に帰り、美咲を連れて練習場に通う毎日が日課になり、ゴルフが嫌いだったはずなのに、いつの間にか楽しくなって行く。



 楽しくなった理由がある。

 それは、毎日の練習で沢山言われたりしたが、美咲の感性が人より優れている様だった。

  我が子が褒められると嬉しい気持ちになるのは、どの親も共通してると思うが、楽しくなった理由には十分だった。

 ゴルフをしない父だがグリップの握り方位は分かるのでそれだけを教えた。

「美咲、グリップはこうやって握るんだよ」

「分かったぁ~」

 本当にそれ位しか教えていない。

最初の頃は練習場に行くと沢山のゴルファー

が、

「カキィーン」

「パキィーン」

「バチィーン」

「パチィーン」

「ボコーン」

「バゴーン」

「スカッ」

と、スイング、個性、技量も様々だが、ゴルフをしない父にはそれが全て同じ様に見えた。

 そのおじさん達に混じりながら、100cmにも満たない小さな美咲は楽しそうに最初から、

「パチィーン」

「パチィーン」

「パチィーン」

と、上手に打つ。

最初は楽しそうにボールを打つも、15分過ぎると集中力無くなり、一球打つと後ろを振り返り父とお喋りを始める。

 それでも、楽しそうにボール打つ美咲を見と、とても可愛く思え、毎日15~20分程度の練習がとても楽しみで仕方なくなった。


 そうして毎日練習場に通っていると、常連のお客さん達と顔見知りになり、次第にアイドル的な存在にり、美咲を応援してくれるおじさん達が増えて行った。

 ゴルフが嫌いだった父は、いつの間にか嫌いな気持ちは無くなり、ゴルフが少しずつ好きになり頑張ってる美咲の成長が楽しみで生き甲斐に変わって行く。
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