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僕の人生
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僕は17歳という若さで鬱病になった20歳の女の子。今まで色々辛い思いをして生きてきて、何故鬱病について書こうと思ったか話していこうと思う。
まず大前提として、僕は鬱病患者である。その鬱病患者である僕からの目線、あるいは経験から学んだ事を活かして1人でも多くの鬱病患者や今現在辛い、苦しい思いを抱えて生きている人を救いたいと思い書くことにした。それが僕の目標であり、夢である。
では、実際僕がどのような環境で育ったか、生まれもった性格はどうだったのか。
僕が生まれたのは2005年3月。そして、岡山県岡山市で誕生した。約20年前、普通の女の子としてこの世に命を持って、兄妹で唯一の女の子として生まれてきた。
僕は、小さい頃から泣き虫な性格だった。1番印象に残っているのは、幼稚園に通っていた頃毎日登校する度に母と離れるのが嫌で泣いていたことだ。
両親共にとても仲が良く幸せに暮らしていた。家に帰れば兄や弟と小さな事で喧嘩の毎日。だが、大きくなるにつれて喧嘩は減り、一緒に遊ぶことが増えていった。仮面ライダーを観たり、カードゲームをしたりと兄妹2人男なのもあり男の子の遊びに夢中になっていた。
そして、何より僕は父が大好きだった。毎日仕事の帰りを待ち、待ちきれない時だってあった。時には「お父さんに会いたい」と泣き叫ぶこともあったそうだ。
そして、小学校に上がり友達作りを頑張った。兄妹のおかげもあり男友達が多かった。この頃はまだ現実を知らず、学校生活が純粋に楽しかった。中学校は市内で1番大きかったため、1クラス40人の八組まであり、1学年約300人の生徒がいる中学校だった。
部活はバドミントン部に入った。だが、この部活で僕の人生を大きく変える出来事が起こった。
それは、ある日僕が手首を骨折し夏休みの部活を休み、その休みが明けた時の事だった。普段仲が良い友達も苦手だった同級生もみんなして冷たい目線で僕を見ながら悪口を言われていたのだ。
「なんで勝手に休んでるんだ」「ずる休みだ」「なにがしたいんだあいつは」などと、散々の言われようで最終的には誰も相手をしてくれなくなったのだ。そして僕は、部活を辞めるという選択肢を取った。
高校は県立の全日制に見事受かった。だが、この高校生活が僕の鬱病のきっかけとなった。
高校に入学し1年が経った頃だった。僕は陰口を言われてることに気が付いた。何故わかったか、それは休み時間にわざと聞こえるように僕たちの方を見て悪口を言っていたからだ。その当時言われていた言葉は「はやく死ねばいいのに」「なんでまだ生きてるの」「ほんとに気分悪い」など。教科書は破られ、上履きは捨てられ、物は投げられ…。
そこから僕は学校へ行く事の恐ろしさを知った。そして、ついに不登校になった。
僕の家庭でも色々な事が起こっていた。母はがん患者となり抗がん剤治療をしていた。父は1人で家事をする事の大変さもありある朝、僕にこう言った。
「はやく学校行きなさい」
僕は、この一言で親は何も分かってないと確信した。学校が僕にとってどれだけ恐ろしく、怖いものなのか、親はそれを知らなかったのだ。
それから僕は、眠れない日が続いた。鬱病と診断されるまでに出た症状として、1番最初に出た症状が不眠症だった。そこから母に心療内科へ連れて行かれた。初めての病院、心療内科は何をする所なのかも分からず不安のまま通院することになった。ある日のこと、幻聴、幻覚が症状として出始めたのだ。統合失調症だ。
統合失調症とは、思考、感情、行動などがまとまりにくくなる精神疾患のことである。症状として、幻聴、幻覚、妄想などがある。
そして、症状は悪化する一方、薬は増える一方となり、ついに入院施設のある精神科を紹介された。今度はその精神科に通院することなり、診断結果として鬱病と診断された。
鬱病と診断され、今まで出てきた症状として例を上げるならば、パニック発作、体がだるく重力に負けている感じがするなど様々だ。僕はパニック発作を初め、ヘルプマークを付けることにした。電車などの交通機関を利用する際にすごく便利で安心して利用ができると思う。
他にも手足の震えや不安障害、自律神経失調症や自傷行為をするなど沢山の「辛い」を抱えてきた。
そして、事件は起こった。2024年5月のこと。
僕はいつものように家族に明るく振舞っていた。そして5月6日、この日は今でも忘れることのない日だ。僕は自殺未遂をしてしまったのだ。自傷行為などでは満たされなかったせいか、本当に心に限界が来ていたのか、「死にたい」という願望に勝つことができなかった。午前2時、僕は自分の肺を包丁で刺した。肺からは空気が抜け呼吸が苦しくなる、心拍数は上がる、「やっと死ねるんだ」そう思った。
だが午前6時、苦しくなって母に電話をした。「今すぐ助けて欲しい」と。すると母と父は急いで僕の所へ駆けつけた。そしてすぐ救急車を呼んだ。運が良く後遺症も残る事なく退院ができた。
そんな僕が何故ここまで元気を取り戻し誰か1人でも多く救いたいと思ったか。
それは自信の付け方を知ったからだ。自信とは、自分を信じること。自分を信じれる最強の味方は自分だけなのだ。そして自分を信じる力をどのように育てていったか。メンタルが不安定な時期と安定している時期との2つのパターンで考えていこう。
まず不安定な時期、この時期はなかなか自分を信じることが難しい。物事の失敗を重ねてしまう、そんな時期だと僕は思う。なかなか自信がつけにくい時期でもある。そんな時は無理に自信をつけようとせず、ありのままの自分を愛すことが自信に繋がる。何事もありのままの自分を愛せる人ほど幸せや運がやってくる。
そして安定している時期、この時はなんでも好奇心旺盛な場合が多い。そうすると、あれもしたいこれもしたいと全部が中途半端になりがちだ。だから1つの事に夢中になり、小さな成功体験を重ねることが重要なのだ。小さな成功体験とは、例えば、勉強をしていたとしよう。1問正解した、だが残り全部は不正解だ。この場合正解した1問が小さな成功体験となる。この小さな成功体験がのちに自信へ変わってくる。
まずは、自分なら「できる」と思うことが自信のつけ方の第1歩だと思う。
今頑張っている貴方へ
どんな過去があろうと辛いことに変わりはない。その辛さは誰にも分からない。僕だってわからない、人それぞれ辛さのレベルは違うから。でも、1つ言えるのは貴方が今ものすごく頑張っているということ。努力して努力してこの世界で生き延びようとしている。例え目に見えない努力でも、頑張っている証拠だ。そんな貴方を僕は心の底から褒め讃えたい。誰も努力を見ていないそう思ってる人もいるだろう。でも神様は必ず見ていてくれる。必ず周りの誰かは見ている。言葉にして褒めないだけだ。だが、言葉にして「よく頑張った」「頑張ってる」と言われた方が誰でも嬉しい。だから僕は今ここで貴方は頑張っていると伝えたい。苦しい過去も先が暗い未来も絶対希望という名の光が見えてくる。貴方の指を指した場所に光は集まっていく。貴方の努力は1番と言っていいほどの頑張りだ。誰も認めてくれない、そう思うなら僕が認める。何度も言う。貴方は頑張っている。泣いてもいい、弱音を吐いたっていい、叫んでもいい、人間誰しも強いわけではない。泣いた分だけ笑顔になり、弱音を吐いた分だけ強くなり、叫んだ分だけ夢に近づく。
貴方なら必ず大丈夫。
将来の不安や苦しい、辛い気持ちあると思う。でもそれを乗り越えれるのは他の誰でもない、貴方だ。自分に勝てるのは自分だけなのだ。どんだけ落ちたってどんだけ泣いたって最後に笑顔になるのは貴方だろう。必ず笑顔で迎えられる日が来る。だから大丈夫。明日が来るのが怖い、夜が怖いそんな日だってある。でもそれも乗り越えられるのは自分だけだ。成長するためには自分との戦いだ。どれだけ自分に勝てるか、どれだけ自分と向き合えるかそれが1番大事だ。
最後に、生まれてきてくれてありがとうと伝えたい。この世界に生まれてきてくれてありがとう。これを読んで少しでも気持ちが楽になることを願ってる。それが僕の夢だから。
まず大前提として、僕は鬱病患者である。その鬱病患者である僕からの目線、あるいは経験から学んだ事を活かして1人でも多くの鬱病患者や今現在辛い、苦しい思いを抱えて生きている人を救いたいと思い書くことにした。それが僕の目標であり、夢である。
では、実際僕がどのような環境で育ったか、生まれもった性格はどうだったのか。
僕が生まれたのは2005年3月。そして、岡山県岡山市で誕生した。約20年前、普通の女の子としてこの世に命を持って、兄妹で唯一の女の子として生まれてきた。
僕は、小さい頃から泣き虫な性格だった。1番印象に残っているのは、幼稚園に通っていた頃毎日登校する度に母と離れるのが嫌で泣いていたことだ。
両親共にとても仲が良く幸せに暮らしていた。家に帰れば兄や弟と小さな事で喧嘩の毎日。だが、大きくなるにつれて喧嘩は減り、一緒に遊ぶことが増えていった。仮面ライダーを観たり、カードゲームをしたりと兄妹2人男なのもあり男の子の遊びに夢中になっていた。
そして、何より僕は父が大好きだった。毎日仕事の帰りを待ち、待ちきれない時だってあった。時には「お父さんに会いたい」と泣き叫ぶこともあったそうだ。
そして、小学校に上がり友達作りを頑張った。兄妹のおかげもあり男友達が多かった。この頃はまだ現実を知らず、学校生活が純粋に楽しかった。中学校は市内で1番大きかったため、1クラス40人の八組まであり、1学年約300人の生徒がいる中学校だった。
部活はバドミントン部に入った。だが、この部活で僕の人生を大きく変える出来事が起こった。
それは、ある日僕が手首を骨折し夏休みの部活を休み、その休みが明けた時の事だった。普段仲が良い友達も苦手だった同級生もみんなして冷たい目線で僕を見ながら悪口を言われていたのだ。
「なんで勝手に休んでるんだ」「ずる休みだ」「なにがしたいんだあいつは」などと、散々の言われようで最終的には誰も相手をしてくれなくなったのだ。そして僕は、部活を辞めるという選択肢を取った。
高校は県立の全日制に見事受かった。だが、この高校生活が僕の鬱病のきっかけとなった。
高校に入学し1年が経った頃だった。僕は陰口を言われてることに気が付いた。何故わかったか、それは休み時間にわざと聞こえるように僕たちの方を見て悪口を言っていたからだ。その当時言われていた言葉は「はやく死ねばいいのに」「なんでまだ生きてるの」「ほんとに気分悪い」など。教科書は破られ、上履きは捨てられ、物は投げられ…。
そこから僕は学校へ行く事の恐ろしさを知った。そして、ついに不登校になった。
僕の家庭でも色々な事が起こっていた。母はがん患者となり抗がん剤治療をしていた。父は1人で家事をする事の大変さもありある朝、僕にこう言った。
「はやく学校行きなさい」
僕は、この一言で親は何も分かってないと確信した。学校が僕にとってどれだけ恐ろしく、怖いものなのか、親はそれを知らなかったのだ。
それから僕は、眠れない日が続いた。鬱病と診断されるまでに出た症状として、1番最初に出た症状が不眠症だった。そこから母に心療内科へ連れて行かれた。初めての病院、心療内科は何をする所なのかも分からず不安のまま通院することになった。ある日のこと、幻聴、幻覚が症状として出始めたのだ。統合失調症だ。
統合失調症とは、思考、感情、行動などがまとまりにくくなる精神疾患のことである。症状として、幻聴、幻覚、妄想などがある。
そして、症状は悪化する一方、薬は増える一方となり、ついに入院施設のある精神科を紹介された。今度はその精神科に通院することなり、診断結果として鬱病と診断された。
鬱病と診断され、今まで出てきた症状として例を上げるならば、パニック発作、体がだるく重力に負けている感じがするなど様々だ。僕はパニック発作を初め、ヘルプマークを付けることにした。電車などの交通機関を利用する際にすごく便利で安心して利用ができると思う。
他にも手足の震えや不安障害、自律神経失調症や自傷行為をするなど沢山の「辛い」を抱えてきた。
そして、事件は起こった。2024年5月のこと。
僕はいつものように家族に明るく振舞っていた。そして5月6日、この日は今でも忘れることのない日だ。僕は自殺未遂をしてしまったのだ。自傷行為などでは満たされなかったせいか、本当に心に限界が来ていたのか、「死にたい」という願望に勝つことができなかった。午前2時、僕は自分の肺を包丁で刺した。肺からは空気が抜け呼吸が苦しくなる、心拍数は上がる、「やっと死ねるんだ」そう思った。
だが午前6時、苦しくなって母に電話をした。「今すぐ助けて欲しい」と。すると母と父は急いで僕の所へ駆けつけた。そしてすぐ救急車を呼んだ。運が良く後遺症も残る事なく退院ができた。
そんな僕が何故ここまで元気を取り戻し誰か1人でも多く救いたいと思ったか。
それは自信の付け方を知ったからだ。自信とは、自分を信じること。自分を信じれる最強の味方は自分だけなのだ。そして自分を信じる力をどのように育てていったか。メンタルが不安定な時期と安定している時期との2つのパターンで考えていこう。
まず不安定な時期、この時期はなかなか自分を信じることが難しい。物事の失敗を重ねてしまう、そんな時期だと僕は思う。なかなか自信がつけにくい時期でもある。そんな時は無理に自信をつけようとせず、ありのままの自分を愛すことが自信に繋がる。何事もありのままの自分を愛せる人ほど幸せや運がやってくる。
そして安定している時期、この時はなんでも好奇心旺盛な場合が多い。そうすると、あれもしたいこれもしたいと全部が中途半端になりがちだ。だから1つの事に夢中になり、小さな成功体験を重ねることが重要なのだ。小さな成功体験とは、例えば、勉強をしていたとしよう。1問正解した、だが残り全部は不正解だ。この場合正解した1問が小さな成功体験となる。この小さな成功体験がのちに自信へ変わってくる。
まずは、自分なら「できる」と思うことが自信のつけ方の第1歩だと思う。
今頑張っている貴方へ
どんな過去があろうと辛いことに変わりはない。その辛さは誰にも分からない。僕だってわからない、人それぞれ辛さのレベルは違うから。でも、1つ言えるのは貴方が今ものすごく頑張っているということ。努力して努力してこの世界で生き延びようとしている。例え目に見えない努力でも、頑張っている証拠だ。そんな貴方を僕は心の底から褒め讃えたい。誰も努力を見ていないそう思ってる人もいるだろう。でも神様は必ず見ていてくれる。必ず周りの誰かは見ている。言葉にして褒めないだけだ。だが、言葉にして「よく頑張った」「頑張ってる」と言われた方が誰でも嬉しい。だから僕は今ここで貴方は頑張っていると伝えたい。苦しい過去も先が暗い未来も絶対希望という名の光が見えてくる。貴方の指を指した場所に光は集まっていく。貴方の努力は1番と言っていいほどの頑張りだ。誰も認めてくれない、そう思うなら僕が認める。何度も言う。貴方は頑張っている。泣いてもいい、弱音を吐いたっていい、叫んでもいい、人間誰しも強いわけではない。泣いた分だけ笑顔になり、弱音を吐いた分だけ強くなり、叫んだ分だけ夢に近づく。
貴方なら必ず大丈夫。
将来の不安や苦しい、辛い気持ちあると思う。でもそれを乗り越えれるのは他の誰でもない、貴方だ。自分に勝てるのは自分だけなのだ。どんだけ落ちたってどんだけ泣いたって最後に笑顔になるのは貴方だろう。必ず笑顔で迎えられる日が来る。だから大丈夫。明日が来るのが怖い、夜が怖いそんな日だってある。でもそれも乗り越えられるのは自分だけだ。成長するためには自分との戦いだ。どれだけ自分に勝てるか、どれだけ自分と向き合えるかそれが1番大事だ。
最後に、生まれてきてくれてありがとうと伝えたい。この世界に生まれてきてくれてありがとう。これを読んで少しでも気持ちが楽になることを願ってる。それが僕の夢だから。
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