悠久のクシナダヒメ 「日本最古の異世界物語」 第二部

Hiroko

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正人の話 其の玖

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 その山に着いたのは十日後のことだった。
 やけに冷え込む夜だった。
 針葉樹の林を抜けると、急に開けた場所に出て、サラシナショウマの白い花穂が丘一面に咲いていた。月明かりにぼんやりと浮かび上がるその姿は、まるで失った記憶の亡霊のように見えた。
 ここがどこなのか知らなかった。
 ただ、一筋の香の匂いを辿るように、何者かの気配に誘われこの山に来た。
 最初はほんの微かにわかる程度だった気配も、ここまでくればそれがどれほど強大なものなのか感じることができた。鼻腔の奥がひりひりとした。
 突然、山の斜面を何者かが真っすぐ自分に向けて駆け下りてくるのを感じた。
 視界に入る前に、腹の下にその振動を聞いた。
 ズドドンッ、ズドドンッ、と、力強く四本の脚で地面を蹴る音だ。
 そして目でとらえた瞬間、俺はそいつに突き飛ばされ、空を飛んでいた。
 白い猪だった。
 目を真っ赤に染め、その巨体は体高が三メートルほどはあった。
 俺は腹に傷を負った。
 ほんのかすり傷だったが、俺の体に傷をつけた奴なんて今までにいなかった。
 いや……、俺は何かを思い出しそうになった。
 俺を……、俺を倒した奴が、はるか昔にいたような……。
 それを思い出すことに意識を集中していたせいで、俺は再び白猪の攻撃を食らい、横っ腹を吹き飛ばされて山を転げ落ちた。
「立ち去れ、邪悪な者よ。この山は神の物なり」と白猪は言った。
「その神に用がある」俺は首をもたげ、そう答えた。
「お前ごとき弱き者に、神に会う資格はない」
「聞く気はない」俺はそう言うと、山の斜面を回り込むように登り、俺を目で追う白猪に近づくと、鋭い牙を見せ、喉から絞り上げるような声をあげて威嚇した。
 白猪は首を下げ、地面を蹴り上げ、サラシナショウマの花穂を風に巻き上げながら再び俺に突進してきた。
 俺はその攻撃を寸前でよけると、横から白猪の首に噛みつき、毒を注ぎながら体を巻き付かせた。
 グキグキと白猪の体の中で関節のねじれる音がしたが、なかなか折れる様子がない。
 俺はさらに力を籠め、白猪の体をねじ上げた。
 メリメリと音がし、腹の辺りで最初の一本が折れたところで、白猪は蹄で俺の腹を打ち、同じように俺の腹の骨を折った。
 俺が体を離すと、白猪は自らの吐き出す赤い血で首元を染めていた。吐き出す息が湯気をあげるように白い。
「この山を統べる神に何の用がある」白猪は聞いた。
「その力を我が物とするするため」
「ならぬ! お前のような卑賤(ひせん)の者が、恐れ多いわ!」そう言うと白猪は、さらに力を籠め地面を蹴り、山の岩をも砕かんばかりの勢いで頭を下げ突進してきた。
「無駄なことを!」そう言って俺は体をねじり横に避けたが、白猪はそれがわかっていたかのように体の向きを変え、俺の喉元に牙を食い込ませた。
 白猪の牙は鋭く長かった。
 俺の喉を貫いた牙は食道に達し、喉の奥に血の味がした。
 俺は白猪の首に体を巻き付け、今度は首の骨を折ってやろうと力を込めてねじ上げた。

「もう霜月にもなるのに、今年はサラシナショウマの花が落ちようとはせぬ。いと不思議なことじゃと思えば、お前の現るのを待っておったらしい」
 気配も何も感じなかった。
 その声に頂を見上げると、巨大な白蛇が見下ろしているのが見えた。
 体が軽くなり、するりと地面に落ちた。
 確かめると、さっきまで戦っていたはずの白猪がどこにもいなかった。
「なにを本意としてこの山に参った?」白蛇が尋ねた。
「お前の力を我が物とするため」
「痴れ者(しれもの)が。お前ごとき遣いの立場で我の力を欲するとは、いかなる思いからか」
「この世の理(ことわり)を変えるため」
「神が創りしこの世の理を変えると申すのか。ならぬ!」
「では力尽くで奪わせてもらう!」俺はそう言うと尾で地面を叩き、大地を叩き割った。大地の裂け目は白蛇まで届き、その衝撃は山の頂の形を崩すほどだった。崩れた岩々は白蛇を巻き込みながら割れ目へと流れ込み、舞い上がる砂塵と立ち昇る大地の蒸気で辺りが見えなくなった。するとそれを断ち切るように空までまで伸びる一筋の晴れ間が見え、その隙間から吹き込む雪とともに、天をも貫くほどの巨大な凍てつく氷の刃が振り下ろされた。
 俺はそれをよけきれず、体の一部をそぎ落とされた。が、致命傷には至らなかった。流れる血も痛みも、さほどではない。見上げると、白蛇は雲に絡まるように空の彼方からこちらを見下ろしていた。俺はその雲を蹴散らそうと、山の麓から湿気た空気を呼び、白蛇のさらに上空に雨雲を作った。が、白蛇はその雲をも飲み込み、巨大な台風のように渦を作った。
 空からひらひらと雪が降ってきた。最初は優しく、鼻先を少し濡らす程度だったが、その量は瞬く間に増え、空に浮かぶ白蛇の姿を見えなくした。やがて積もる雪はみるみる重さを増し、俺の体を地面に押し付け凍らせていった。
 俺は雪を振り払い、渾身の力で尾を振るい、一度、二度、三度と何度も大地を叩いた。
 大地の裂け目は叩くほどに深さを増し、削れた岩々や崩れた雪を巻き込みながらやがて地下水脈に届き、さらにその下のマントルに眠るマグマ溜まりにまで達した。
 大地の揺れは天地をひっくり返さんばかりに激しさを増し、裂け目の底からは天の向こうにまで届きそうな咆哮が聞こえた。それとともに割れた大地からはまるで木の葉のように巨大な岩石が空を飛び、黒煙が吹き出し流れる川の水のように辺りの山を覆いつくした。

 






 

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