悠久のクシナダヒメ 「日本最古の異世界物語」 第二部

Hiroko

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35 戦いへの衝動

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 目が覚めると、まるで井戸の底から見上げるように、はるか遠くに青い空が見えた。
 僕はしばらく動けず、その空を眺めた。
 静かに白い雲が流れている。
 いったい、何が起きたんだっけ?
 二匹の大蛇の戦いのさなか、僕と芹那は崖に落ちて……、そ、そうだ! 「芹那!!!?」僕はそう大声で叫ぶが早いか、挟まった岩の間から抜け出し、辺りを見渡した。
「芹那!!! 聞こえる!? 芹那!!!」僕は大声で呼んだ。辺りが暗くてよく見えない。それに無数の巨大な岩々が崖に挟まるように落ちていて、その向こうが見えない。
「芹那ーーー! 芹那ーーー!」
 しばらく歩くと天叢雲剣を入れた竹刀袋が落ちていたのでそれを拾い、僕は叫び続けた。「芹那!!! 芹那!!! 芹那ーーー!!!」
「こっちよーーー!」と、くぐもった芹那の声が聞こえた。
 僕はその声を頼りに、大きな岩を一つ乗り越え、その向こうにある暗い裂け目に降りて行った。
「どこだい、芹那?」
「こっちよ、こっち!」声は聞こえるけど暗くて見えない。
「怪我はない?」
「わかんない。大丈夫みたいだけど、逆さまになってて抜け出せないのよ」
 さらにその声に近づくと、岩の上に芹那の足が見えた。
「せ、芹那!」
「か、和也。苦しいわ……、早く助けて……」
「うん。ちょっと待って」そう言って芹那に近づくと、その足を引っ張った。
「ちょ、ちょっとちょっと、そんなんじゃ無理よ」
「みたいだね。そう言いながら僕は芹那の挟まる裂け目の中に入り、芹那を下から押し上げる形で力を入れて肩を持ち上げた。
「ど、どう……?」
「うん……、何とか抜け出せそう……」そう言いながら芹那は挟まった岩の間から横に体を動かし、なんとか頭を上にして足場を見つけ、そこから抜け出した。
「あーーー! 苦しかったあ!」と芹那は遠くに見える空を仰ぎながら大きく息をした。
 僕も芹那のところまで上り、横に座った。
「それにしても、ずいぶん落とされたわね。出られるかしら」
「出るしかないよ。急がないと香奈子が心配だ」そう言いながら、僕はなんだか心の中に酷い焦燥感があることに気が付いた。香奈子のことを気にしているからではない。そいう言うのとは少し違う。両の手の平を見ると、小刻みに震えていた。芹那を助けることに夢中で気づかなかったけど、今こうやって自分に目を向けることができてようやく気が付いた。なだろう、この居ても立っても居られない感じは……。
「どうしたの?」
「え、いや、なんでもないよ……」
「顔色が悪いわよ? どこかぶつけた?」
「ううん。大丈夫……」僕がそう言っても、芹那は訝し気な目を僕に向けたまま離そうとしなかった。
「それにしても、こんなに静かになったってことは、あの二匹の蛇の戦い、終わったのかしら」
「うん。たぶんそうだよ」
「すごかったわね。あんなの初めて」
「うん」
「どうなったのかしら」
「どうなったって?」
「どっちが勝ったのかしら」
「わからない……」
「どっちが、勝つべきだったのかしら」
「それも、わからないよ」
 僕は芹那と会話を交わすのが精いっぱいだった。心がここになかった。心臓の鼓動が高鳴ったまま静まろうとしない。僕は竹刀袋から天叢雲剣を取り出した。
「どうしたの?」
「いや、なんだかこれを握ると落ち着くんだ」
 暗くて恐らく芹那には気づかれなかっただろうが、天叢雲剣はうっすらと黒い靄に覆われていた。

 その崖は思いのほか険しく、長かった。
 歩きなれた二人でも、暗闇の中岩を乗り越え、時には近くに水脈があるのか池のようなところを渡り、崩れる足場を上へ下へと行きながら進むのはかなり難しかった。
 香奈子は、大丈夫だろうか……。僕は無理やり香奈子のことを考え、意識をそちらに集中しようとした。けれどそれはうまくいかなかった。
 僕は気づいていた。この焦燥感は、この鼓動の高鳴りは、戦いへの衝動だ……。
 胸にできた痣から、また黒い何かが手を伸ばし、僕を支配しようとしている。
 大蛇の戦いを見たからだ。
 あのすさまじい戦いを見て、僕の中の何かが目を覚ますようにして、抑えきれなくなっている。
「ちょっと和也、もう少しゆっくり歩いてよ」
「うん、でも、香奈子のことが気になって……」
「そうね。それはわかるけど……」そう言って芹那も不安そうに崖の上に見える青空を見た。
「とにかく急ごう」そう言って、僕と芹那は黙々と岩を乗り越え、崖の出口となるようなところを探した。
 結局崖を出られたのは夕方になってからだった。
「ここ、どこだろ……」
「わからないわね。登って来た時とは違う場所に出たみたい。だいたい蛇たちの戦いで、地形も大きく変わっちゃってるみたいだし……。まって……」そう言うと芹那は、近くにあったバス停に走って行った。そして戻ってくると、「私たち、滋賀県側に出ちゃったのよ」と言った。
「滋賀県側?」
「そう。私たちが登ってきたのは、岐阜県側の関ヶ原からだったでしょ? でも、崖に沿って降りて行くうちに、滋賀県側の米原に降りてきちゃったのよ」
「そんな……。香奈子は……」僕はそう思ってスマホを見た。崖にいる間、電波が届かなくてスマホが使えなかった。けれど今は大丈夫みたいだ。僕はさっそくLINEで香奈子に呼び掛けた。けれど、いくら待っても返事はなかった。
「あ、そうだ。和也、写真見せて?」
「写真?」
「そうよ。スマホに入ってる写真」
「どうして今そんなこと言うんだよ……」そう言いながら、僕は芹那にスマホの写真を見せた。
「やっぱり……」
「なにが?」
「これが……、正人って人ね?」
「え?」そう言って僕もスマホの画面を見た。「あっ、あああ!!!」そこには蛇に姿を変えた正人の写真ではなく、ちゃんと元の人としての正人の姿が写っていた。
「山頂で戦っていたの、やっぱり正人君だったのね」
「どうして?」
「きっとさっきの戦いがきっかけで、もとの姿に戻ったのよ」
 僕は芹那のその言葉に半信半疑だったが、と言うか、あの姿を見てその正体が正人だったなんてことがいまだに信じられていないのだ。
「それに見てほら、相変わらず美津子ちゃんの写真は真っ黒だけど、香奈子ちゃんの写真はなんともない。きっと香奈子ちゃんも無事よ」
 芹那が本気でそう思っているのか、僕の気持ちを静めようとして言ってくれているのかわからないが、確かに写真に写る香奈子の写真が無事なことで、少し安心したのは確かだった。けれど、それと同時に……。
「どうしたの? 和也」
 今までなんとか香奈子のことで気を紛らわせていたけれど……、それが無くなったことで、僕の気持ちはどんどん戦いへの衝動へと向けられていき……。
「ねえ和也、聞いてる?」
 大きな気配を感じた。
 ここからさらに南西の方向だ……。
 何が……、何があるんだろ……。
 強い……、強い何かがいる……。
 戦いたい……、戦いたい……。
 僕はその衝動と予感に胸の底から打ち震えた。
「和也?」
「ねえ芹那……、悪いんだけど、一人で帰ってくれないかな……」
「一人で? 急に何言い出すのよ?」
「僕は……、僕はどうしても、行きたいところがある……」
「行きたいところって?」
「わからない。わからないけど、向こうの方になんだか……」
「向こうの方?」そう聞いて芹那も僕と同じ方角を見た。けれどそこには日の暮れる田舎の景色があるだけで、何か惹きつけられるようなものがあるようには見えない。
「香奈子のことはどうするの?」
「香奈子のことは任せる……。きっと大丈夫。香奈子は強い……」そして今の僕が立ち向かおうとしている者に対して、きっと香奈子はあまりにも弱い。
「とにかく朝まで待ちましょ? 化け物だって出るわ」
「僕は大丈夫。芹那は朝までここから動かないで。ここはまだ、あの白蛇の縄張りだ。化け物が出るとは思えない」
「待ってよ、ねえ和也……。って、そっちってまさか!?」
 芹那の声が聞こえても、もう僕はそれを理解することができなかった。
 自分が自分でない。
 あまりに強い衝動に、僕は体を置き去りにさえしてしまいそうだった。















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