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27 神の末裔

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「ねえ、スサノオが契りを交わしたって言ってた人は、今どこにいるの」
「ん? ああ、クシナダヒメのことか?」
「クシナダヒメって言うの? その人の名前」
「ああ、そうだ。もうとっくに死んじまったよ」
「え、そうなの? 聞いちゃいけなかったかな……」
「なんでだよ。聞いて悪いことなんか一つもないぜ。どうせそのうちまた会えるからな」スサノオはそう言って笑った。
僕はスサノオがどう言う意味で会えると言ったのかわからなかった。
「会うって、そのうち死んで天国で会うってこと?」
「天国? あの世のことか? 違う違う、そうじゃない。クシナダヒメも、もとは神の血筋だ。だが人の世で暮らすうち、ほとんどその力は失っていた」
僕はよくわからずに話の続きを聞いた。
「つまり、人と変わらなくなっていたってことさ。けれど俺と契りを交わすことで、再び神としての力が蘇った。まあ逆に、俺は神としての力を失ったがな」
「どう言うこと?」
「神の命は永遠だ。その肉体も魂も滅びることはない。逆に人の命には限りがある。肉体も魂も滅びちまう。クシナダヒメはさっきも言ったが人と変わらなかった。つまり命に限りがあったのさ。だが俺と契りを交わすことで、永遠の魂を手に入れた」
「それはつまり、肉体は死ぬけど、魂は生きてるってこと?」
「まあそう言うこった。そしていつか生まれ変わる」
「じゃあ、スサノオは?」
「俺は元々神だ。永遠の命を持っていた。だがクシナダヒメと契りを交わすことで、この肉体は永遠ではなくなったんだ」
「つまり、いつか死んじゃうってことだろ?」
「肉体はな? だが魂は永遠だ。クシナダヒメと同じさ。いつか生まれ変わる」
「つまり、いつか二人は生まれ変わって、また出会えるってことを言いたかったのか」
「そう言うこった」
それは僕の生きていた世界ではメルヘンチックな御伽噺のようなものだっただろう。
けれど今いるこの世界では、まんざらそれも嘘ではないのだろう。
「クシナダヒメって人の話、もっと聞かせてよ」
「ああ、そうだな。絶世の美女だ」そう言ってスサノオはまた笑って話を続けた。「嘘じゃないぜ、ほんとにありゃあ、美しい女だった。神の世界にだって、あれほどの女はいない」
「スサノオは、どうやってその人と知り合ったの?」
「命を助けたんだ」
「命を?」
「ああ。八岐大蛇からな」
「え?」
「話せば長くなる。別に勿体つけるわけではないが、その話はまた今度にしよう」そう言ってスサノオはあくびをした。
僕たち二人は早朝から歩き続けているせいで、さっきからあくびばかりしていた。
確かに今は、長い話を集中して聞くには疲労と眠気が溜まりすぎていた。
「お、川の音がするな。あんまり先に進んでも、亡霊の列を見失っちまったらいけねーからな。あの川で一休みしようぜ」とスサノオは言った。
川に着くと、僕たちは顔を洗ったり水を飲んだり、捕れた沢蟹を茹でて食べたりした。
「それより和也、お前さん気づいてるか?」
「気付いてる? 何に?」
「お前さんたち、未来の違う世界から来たんだろ?」
「うん」
「だが、全員がこちらにうまく来れるわけじゃない」
「そうみたいだね」
「あの村にいた真治ってやつな、こっちの世界に来た時脚を怪我したって言ってたろ」
「うん、確かに。酷い怪我だったみたいだ」
「和也はどうだ?」
「どうって?」
「怪我なんかしてたかい?」
「いや、ぜんぜん」
「和也の連れの、美津子って子はどうだ?」
「美津子もぜんぜん、怪我なんかしてなかったよ」
「だろ?」
「だろって何が? 勿体つけないで教えてよ」
「まあ待てって。じゃあどうしてあの真治ってやつだけ怪我をしてたんだい」
「それはわからないよ。こっちに来る時、どこかにぶつけたとか……」
「いや、違うな。ぎりぎりだったんだ」
「ぎりぎり? なにがぎりぎりなんだい?」
「こっちの世界に来る条件がさ。真治はぎりぎりこちらの世界に来ることができたんだ」
「条件って、何がぎりぎりなんだよ」
「これは俺の想像だ」
「いいから言ってみてよ」
「和也の世界からこっちの世界に飛ばされてきた連中な、お前らはみんな、神の末裔だ」
「え? 何を言い出すんだい……。僕はただの子供だよ。神でも何でもない。美津子も同じさ」
「わかってねえだけだよ」
「じゃあ真治さんはどうなのさ。ぎりぎりとかって」
「んー、あいつはたぶん、神の遣いかなんかだな」
「神の遣い? ハクビシンや八岐大蛇みたいにかい?」
「ああそうだ。ぎりぎり神の力を宿していた。だからこっちの世界に来れたものの、脚を怪我していたんだ」
「けど、それって特に証拠はないんだろ?」
「あるさ。真治の体は、八岐大蛇の鱗を受け入れた」
僕はその意味がわからなかった。
「普通の人間なら、あんなことしちまったら死んじまう」
「死ぬ?」
「ああ。神の力は強大なんだ。たとえそれが八岐大蛇のような神の遣いのものであってもな。普通の人間なら、その力に手を出しただけで命取りだ」
「でも、真治さんは普通だったよ? 何事もなかった」
「だからだよ。何事もないってことは、あいつは普通の人間じゃあなかったってことさ」

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