侍女を抱いていたのは私の夫でした。さようなら、どうか探さないでください。

エトカ

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第一話

 灰色の重い空から牡丹雪ぼたんゆきが絶え間なく落ちてくるのを、私は顔に受けながらどんどん空に吸い込まれていく感覚に陥っていた。

 「……サチコ、こんなところにいたらお腹の子に良くない。今頃アンジェリカがホットチョコレートを入れてくれているはずだ。さあ中に入って温まろう」

 そう言って、夫は私の肩を抱き寄せるとバルコニーの扉を開けて屋内へといざなった。目尻に唇を寄せられ、彼の金色に輝く髪が視界に映る。それを鬱陶しげに顔を背けた私に、夫は苦笑いして一人居間へと入って行った。

 気まずい雰囲気に、私は少し時間を置いてから彼の後に続く。中に入ると、夫の言った通り侍女のアンジェリカがカップにホットチョコレートを入れて待っていた。

 侍女服を着た赤髪の若い女。夫はカップを受け取ると、礼を言って湯気のたつカップに口つけた。それを熱のこもった目で見つめている。妻の前であんな眼差しを向けるなんて……。けれどそれはいつもの事で、私は怒りよりも呆れを感じていた。

 「奥様もどうぞ、こちらにいらして温まりください」
 「ありがとう。でも今はいらないわ」

 夫と体の関係を持つ女が入れたものなど、中に何を仕込まれているか分かったものではない。侍女は笑顔で飲み物を下げたけれど、その目は全く笑ってはいなかった。

 残念ね、どうせ堕胎薬でも入っているんでしょう。お腹の子が流れてしまえば自分にもチャンスがあるとでも思っているのかしら、馬鹿な女。

 ……でも、本当に馬鹿なのは私の方。



 ある日、突然異世界に飛ばされて、困り果てていた私に手を差し伸べてくれたのが今の夫であるディランシーズだった。伯爵家の嫡男であり見目麗しい彼は、当時の社交界では多くの令嬢たちから注目を集めていた。

将来は家督を継いで当主になる身、数多の釣書が毎日のように送られて来ていた。にもかかわらず、親の反対を押し切って私との結婚を決めたのは愛ゆえだと信じて疑わなかった。

 確かにそこには愛があったのだろう。彼は私を大切に慈しんでくれたし、子を授かったと知った時は心から喜んでくれた。

 けれどある晩、私は見てしまったのだ。寝静まった屋敷の一隅で夫と侍女のアンジェリカが激しく交わっているところを。

 「あっ、あっ、あぁっ!旦那さまぁ……すごっ……ああぁぁん!」
 「そうかい、それは良かった、よっ!」
 「ひぃんっ!!」

 背後からガツンと穿たれ、侍女は喜びの悲鳴をあげた。

 「ああ、アンジェ。愛してるよ……」
 「あんっ!嬉しい……お慕いしています旦那さまぁ!」

 蝋燭の灯りに揺れる人影を前に、それを聞いた私の心は凍りついた。

 「そろそろ出すよ……!」
 「中にっ、中に子種を……旦那さまの子種をくださいっ」
 「……いいよ、中にたっぷり注いであげる」

 パンパンパンパンパンッ

 「あ、あ、あ、……ああぁぁ!!」
 「イクぞっ……、出るっ!!」

 女は甲高い声をあげて絶頂を味わっているようだった。恍惚な表情で快楽を貪る男女を前に、凍りついた私の心は粉々に砕け散った。



 結局、二人の逢瀬は私の知るところとなり、夫婦関係は修復不可能なまでに拗れた。

 不貞を働いたアンジェリカは、その後もクビにはならず今も屋敷で働いている。高貴な家の出ということで簡単には追い出せなかったらしい。その結果、私の居場所はどこにもなくなってしまった。



 「ここでいいわ。降ろしてちょうだい」
 「ですが奥様……」
 「大丈夫よ。今までありがとう。これ、少ないけれど」

 ここまで連れて来てくれた従者に謝礼として小袋を手渡した。受け取った従者は、中を見るなり慌ててそれをつき返してきた。

 「こんな大金、私などが受け取るわけにはいきません!」
 「いいから何も言わずに受け取って。あなただって私を助けた時点でもう屋敷で働けないのは分かっているでしょう?」

 自分の生活を犠牲にしてまで逃亡に手を貸してくれた忠実な従者に、少しでもお礼がしたかった。

 大きくなりつつあるお腹を抱え、足元に気をつけながら彼の手を借りて馬車を降りる。北風がコートの裾を揺らし、息を吐くと白い気霜があらわれた。

 「せめて列車に乗るまで見送らせてください」

 そう言うと、従者は私の返事を待たずにトランクケースを持って駅への道を歩き出した。

 

 この日、長いこと秘めていた計画を決行した。三年という、長くも短くもない夫との生活に限界を感じていた私は、今日何も告げずに屋敷を出た。

 これは大きな賭けだった。身内のいない異世界で一人、身重の私がやっていけるのか。

 もし私が生粋の貴族令嬢で政略結婚だったとしたら、きっと泣き寝入りして屋敷で暮らし続けていたことだろう。

 けれど私は異世界に来るまで自立した生活を送っていたのだ。躓くこともあるだろうけれど、後ろ暗いもの無く生きて行きたかった。

 彼のことを愛していないと言えば嘘になる。けれど、夫の浮気相手と同じ屋根の下で暮らすなど、私には到底無理な話だった。



 曇り空からチラチラと白い雪が降り始めた。……大丈夫、切符はポケットにあるし、当面の生活費は持って出て来た。

 ここからは雪が積もる前に出られるだろう。夫が私の不在に気づく頃には、私は遠い異国の地にいるのだから、彼のことはもう忘れよう。こうなった以上、忘れるしかない。
 そう思うのに、次から次へと流れる涙が止まることはなかった。


 愛してた。
 心からあなただけを愛してた。
 けれど、それを壊したのはあなた。


 【ディランシーズ、

 お腹の子は私一人で育てます。

 どうか私たちのことは忘れてください。

 さようなら。

 沙知子】


 トランクケースを片手に汽車に乗る。切符に書かれた番号を探すため、通路を進むと二人掛けの窓側が私の席になっていた。トランクケースを頭上の荷物置に乗せ席に着く。

 曇りガラスの向こうに佇む従者に小さく手を振ると、こちらに向かって深々と頭を下げられた。

 汽笛が鳴る。ゆっくりと景色が動き出すのを見て、さまざまな思い出が走馬灯のように浮かんでは消えていった。


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