侍女を抱いていたのは私の夫でした。さようなら、どうか探さないでください。

エトカ

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第十九話


 「ヒカル、美味しいかい?」
 「うんっ!」

 よっぽどお腹が空いていたんだろう、光は出されたサンドウィッチをものすごい勢いで食べている。その様子を目を細めて見つめるディランシーズ。

 「ごめんなさい、この子ったらお行儀が悪いんだから。こら、もっとゆっくり食べなさい!」
 「良いんだ。子供は子供らしくあるのが一番だよ」

 どこかしみじみと話す彼がいた。

 「あの、ディランシーズ様、」
 「ディラン、と以前のように呼んではくれないか?」
 「……ディラン」
 「何だい、サチコ?」

 幸せそうに目を輝かせて私を見ている。

 「……容態の方は?」
 「良くはないね。でもそんなことはどうだっていいんだ」

 サチコと光とこうして一緒にいられる。それ以上望むものは何もないという。

 そこで私は気がついた。彼は今を生きているんだと。今この瞬間を。おそらく彼は知っている、未来はなく、そこから逃げられないということを。

 お腹いっぱいになった光は、席を立って庭先で遊び始めた。その様子を見ながら、私たちは執事が入れてくれた紅茶を飲む。

 「……元気だったかい?」
 「うん……私も光も良い人たちに恵まれてとても良くしてもらってる」
 「そう」

 彼は光が蝶を追いかけている姿を眩しそうに眺めていた。

 「あっ」

 私たちの目の前で何かにつまずいた光が転んでしまった。手と顔を芝だらけにし今にも泣きそうな顔をしてこちらにやって来る。

 「ヒカル!!」

 ディランシーズは立ち上がると、慌てた様子で駆け寄った。そうしてそのまま光を抱き上げるかと思われたが、直前になって手を引っ込めた。

 「ふぇぇ、まぁまぁ~」
 「誰かいるか!?医師を……、今すぐ医師を呼べ!!」
 「あらら、転んじゃったねぇ。ディラン、いつものことだから大丈夫」
 「だ、だが……」

 私は光の顔と手についた芝を叩(はた)いてとってやる。そして持っていたハンカチで拭いてやり、「きれいきれいになったよ」と言って笑顔を見せる。

 「お父様にも見せてあげよっか」
 「おとうたま、きれいになったよ」

 えへへ、とはにかんで彼に両手を見せた。それを見てまた抱きしめようとするディランシーズ。けれど彼の腕が光を抱きしめることはなかった。

 やはり触れようとしない……違う、触れたくても触れられないんだ。

 その後、疲れた光を部屋に連れて行き寝かしつけ、私はディランシーズに呼ばれていた書斎に向かった。

 「ヒカルは寝たかい?」

 書斎ではディランシーズがデスクで仕事をしていた。私は勧められた向かいの椅子に座って質問に答えた。

 「昼間いっぱい遊んだからぐっすり」
 「サチコに似て純粋で愛らしく、天使のように優しい子だ。僕に似なくて良かったよ」

 ちょっとそれは言い過ぎじゃないだろうか。ディランシーズは昔から私を過大評価する癖がある。今回もそれが現れたんだろう、まるで光が私の生写しみたいに話している。

 「何言ってるの、光はあなたにそっくりじゃない」

 光は子供ながらにとても整った顔立ちをしている。それはもちろん彼から受け継いだもので、髪の色も同じ金髪でディランシーズにそっくりだった。

 「それじゃ、あの子は僕たちの良いところだけを受け継いだんだね」

 そういうことにしておこう、と一旦話はそこで途切れた。

 「さて、ここからが本題だ。サチコ、聞いていると思うけど、僕の命はそれほど長くない。来年、若葉が芽吹く頃には神の庭にいるだろう」
 「……ひとつ聞いてもいい?」
 「僕に答えられる質問なら何でも」

 私は彼の病気について尋ねた。一体どこから感染し、どんな症状が出ているのか。余命宣告されているが回復の見込みは本当にないのか。私たちにできることはないのか、など。

 「まず一つ目の質問だけど、感染源はアンジェリカだ。感染経路は粘膜接触、つまり性交。症状は……見て知った方が早いと思うんだけど、どうするかい?」

 私は見せて欲しいと頼んだ。彼はひとつ頷くと立ち上がって顔の包帯を外し始める。少しずつ暴かれてゆく彼の素顔に私は息を呑んだ。
 小豆ほどの大きさの赤い斑点が皮膚上にびっしりとあり、それらから黄色い膿の様なものが滲み出ていた。シャツのボタンを外すと、身体にも同じ発疹がある。

 「ディラン……」
 「すまない、不快なものを見せてしまったね。これが身体中に出ているんだ。痛みは薬が効いているから見た目ほどではない」

 病名を聞くと、『悪魔の薔薇』と言われているらしかった。薔薇……確か元の世界でも薔薇に例えられた感染病があったような……。
 そこで私はハッとした。もし私の考えが正しければ、この病気は抗生物質で治るはずだ。けれどおそらくこの世界の医療レベルではまだ発見されてはいないのだろう。あればとっくに使っているはずだった。

 「何か、私にしてあげられることはない?」

 そう尋ねる私に、彼はゆっくりと首を横に振った。

 「もうすでにしてくれているよ。僕にとって、君たちとこうして心穏やかに過ごせる時間が、人生で最高の贈り物だ」

 ありがとう、と彼は微笑んだ。


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