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第二十話
「サチコは知らないだろうけど、モンセン家には大きな負債があったんだ」
ディランシーズは、今は亡き父が残した負積の返済をするため、多くの従事者たちを暇に出し、高価な家財道具などを売り払って返済に充てたそうだ。大きな事業投資の話も出ていたが、その資金も負積に充てるため手を引いたらしい。
「だから我が家は貴族と言っても、今じゃ私財も何もない形骸化したものなんだ。そんな家の当主は僕が最後。ヒカルには閉ざされた貴族の世界ではなく、自由に大空を羽ばたいて欲しいと思っている」
彼が死んだら、爵位は国に返上するそうだ。つまり、モンセン伯爵家は事実上消えてなくなる。何百年も続いてきた家を取り潰すのが彼の代であることに胸が痛んだ。けれど光を貴族にさせる気はないので、それしか道はないのも確かだった。
ディランシーズ曰く、爵位を返上してもいくばくかの財は残るらしい。その財を生前贈与という形で私たちに与えたいと言われた。
「そんな!私たちがそんな大金を受け取るなんて!」
貴族からすれば端金だろうけれど、パン屋としてやっていくつもりの私たちには恐れ多い額だった。
「いいから貰ってくれ。僕にはもうこれ以外君たちにしてやれることがない。君が受け取りたくないと言うのなら、将来ヒカルに託したらどうだろう」
確かに不測の事態に備える意味でお金は必要だ。あって困ることはないだろう。それでも……
「どうか将来のヒカルに使ってやって欲しい。これが父親としての最後の望みだ」
頼むと頭を下げられてしまった。
「わかりました。ヒカルに贈与する形でお受けします。ありがとう、ディラン」
これが彼の望みなら、ヒカルの将来に役立たせてもらおう。私がお礼を言うと、彼は満足げな表情で頷いた。
それから私たちはいろんなことについて話した。過去のこと、現在のこと。そして未来のこと。ディランシーズのいない未来。彼は随分前に自らの死を受け入れたのだろう、その話になっても落ち着いていた。
「……父に脅迫されていたとは言え、僕は君を裏切るべきではなかった。本当にすまなかったと思っている」
私の殺害を仄めかされたので、アンジェリカを抱いた。けれど妻にするのは嫌だったので妾にした。そこに私への思いやりはない。私が知ったら悲しむだろうとは思わなかったのか。なぜ私に相談してくれなかったのか。もっと他の方法があったかも知れないのに。
セックスという行為の概念が、根本的に一般の常識から外れているがゆえに起きた不幸なのかも知れない。何を言っても後の祭りなので、私は口をつぐんで彼の話に耳を傾けることに集中した。
「こんなことになってしまったけれど、今でも君を愛してる」
以前の私なら喜んで舞い上がっていただろう。けれど今の私には同じだけの情熱を彼に返してあげることは出来ない。なぜなら私はトーマさんを愛しているから。
私がうつむいたまま黙っていると、彼がクスッと笑う音がした。
「ごめん。そんな風に困らせたいわけじゃないんだ。今言ったことは忘れてくれていいよ」
「ううん、ありがとう。私たちが愛しあって光が生まれた。私は忘れない、あなたの愛を。本当にありがとう」
昼寝から起きた光を連れて、私たちは庭の散歩に出かけた。途中、ディランシーズは薬の時間だからと寝室へと消えて行った。数時間置きに薬を塗るスケジュールらしい。
庭には春に見られるパステルカラーの花たちが美しく咲き乱れていて、私たちの目を楽しませてくれた。光は蝶を追いかける遊びにすっかりハマってしまったようで、今も目の前で走り回っている。
散々外で遊んだ後、汚れてしまった光を連れて部屋へと向かう。湯浴みをさせて髪を乾かしてやっていると、食事の時間を知らせに従者が姿を現した。
「奥様、食事の支度が整いましたのでご案内いたします」
「ありがとう。さ、光、これに着替えてお食事にしよう」
「あ~い」
食卓にはディランシーズが既に席について私たちを待っていた。全員が席についたら晩餐が始まる。食べ始めて早々、ヒカルの悪い癖が始まった。
「おとうたま、ぼくのにんじんあげる」
「こら、そうやって嫌いなものを人にあげないの!ちゃんと食べなさい!」
「やぁよ~、にんじんきらいぃ」
はぁ、また始まってしまった光の人参嫌い。ここにトーマさんがいたら楽なんだけどなぁ……。
「ありがとうヒカル、お父様は人参が大好きなんだ」
そう言って、ディランシーズは皿の隅に置かれた人参を食べた。その様子を焦げ茶の目をまん丸に見開いて見つめる光。その様子を見ていたら、なんだか笑いが込み上げてきて止まらなくなってしまった。
「まったく、ディランはすぐ甘やかすんだから。これじゃいつまで経ってもこの子の人参嫌いが治らないじゃない」
「大丈夫、大人になれば食べられるようになるって」
「そういうものかなぁ」
「そういうものだよ。だから食べられるようになったら僕の分も褒めてあげて」
言葉の端々に、彼のいない未来がちらつく。私はあえて明るい雰囲気を保つため、「うん、わかった」と言って会話を終わらせた。
彼は体調の悪い日もあるだろうに、一分一秒を大切するかのように私たちと共に過ごした。
時は緩やかに流れていく。
夏が過ぎ秋が終わり、冬が来る頃、私たちは彼に寄り添うように暮らしていた。
彼はもう歩けない。
ベッドに横たわる彼は、カーペットの上で積み木と遊んでいる光を見つめている。暖炉の火が煌々と私たちを照らしていた。
「サチコ……、愛してる」
「……うん、私も……愛してる」
優しい嘘だった。
「あり……がとう……」
「ううん、私こそありがとう」
病状は日々悪化し、肉体は蝕まれ、病魔が彼の脳までをも侵食していく。
彼はもう私たちが誰なのか認識できない。ぼんやりと窓の外を眺めている日々が続く。もう彼には届かないけれど、私はたくさん語りかけた。輝かしい日々の思い出、今ある幸福、そして共にいる喜び。
そして、ついにその日が訪れた。
春の木漏れ日が窓から差し込む部屋で、彼は家族に見守られながら神の庭へと旅立ったのだった。
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