オーシャンエッジプロジェクト プロミネンス 

sin art

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29話 市長の決断

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 執務室の扉がノックされた。

「どうぞ」

 ライアンが応じると、扉が静かに開き、一人の男が姿を現した。

 オーシャンエッジ治安局直属の調査員、北見だった。

 
 だが、藤堂は北見に違和感を覚えた。背筋をぴんと伸ばし、常に淡々とした口調で話す北見が、今日は妙に口ごもっている。



「……し、失礼します。例の、GT社に関する調査の……件ですが……」

 ライアンはGT社、通称グレイ社の調査を早急に行う必要があると判断し調査員に偵察させるように指示し、今日はその報告の日だった。


 北見は机に報告書を置く手がかすかに震え、視線も泳いでおりライアンの目をまともに見ようとしない。

「……何か、あったのか?」

 ライアンが目を細めて問うと、北見は咄嗟に首を横に振った。

「い、いえ……。調査は……問題ありませんでした。ええ、問題は……ありませんでした」


 不自然なまでに繰り返す「問題ない」という言葉。

 そして、報告書の数ページ目には、訂正された跡が目立ち、箇条書きの一部は明らかに急ぎで書き直されている。



「君の報告を信じたいが……これまでの報告と齟齬があるようだな。先日送ってもらった映像記録との整合性が取れていない」

 ライアンの指摘に、北見は肩をびくりと震わせた。



 沈黙。


 そのとき、不意に秘書の藤堂が声をかける。

「北見さん?……手が震えてますよ?」

 その言葉に、北見は顔をこわばらせ、無言のまま報告書を睨みつけるように見たあと、急に立ち上がった。


「も、申し訳ありません!失礼します!」

 北見は一礼もせず、乱れた足取りで部屋を飛び出していった。

 その背中は、何かを追い払うような怯えがにじんでいた。



 扉が閉まると同時に、藤堂がつぶやく。

「北見さんでは荷が重かったですかね」

「ああ、どうやらそのようだ」


 ライアンが顎に手を当てた。

「もしくは、取引の代償に……“何か”を握られた可能性がある」

 藤堂は北見の報告書を手に取り、細部を確認する。その報告書の最後のページの端に、小さく文字が書き込まれているのを見つけた。



『コールド倉庫B5』



 記載欄とは関係のない場所に書かれたメモ。

「……これは?」

 藤堂の顔が険しくなる。



 ライアンが短く息を吐いた。

「今夜、私の名で特別捜査班を出そう。北見を守る意味でも、グレイが動いた証拠を掴まなければならん。藤堂、念の為エドガーとマリアにも連絡しておいてくれ」

「了解しました」

 そう言って足早に藤堂が捜査班へ指示を伝えるために部屋を出ていった直後――

 
 わずかに開いたままだった扉が、きしむこともなく、まるで風に押されるように再び開き、足音ひとつなく、黒のスーツに身を包んだ女がそこに立っていた。視線には一切の感情がなく、ただ任務だけに忠実な無機質な意志が表情に宿っていた。


「おや……堂々と正面からとは珍しいな」

 ライアンは椅子に座ったまま、書類を閉じて視線を合わせる。


「市長ともなれば、警告も特別な形でお届けせねばなりませんので」

 女はにこりともせず、静かに一歩踏み出す。
 
 その手には一枚のタブレット端末が握られていた。画面には監視カメラのような映像が映っている。廃倉庫のような
 場所。

 狭い一室に、毛布にくるまる小さな子どもの姿――。



「……これは、北見の息子か?」

 ライアンの目が細くなる。女は端末を伏せ、テーブルの上に置いた。


「私達は、彼に“誤った報告”をするよう指示しました。あなたの調査網が無駄であることを、分かっていただくために」

「そして、それが失敗した場合は……?」

「それは……言わなくてもおわかりでしょう?」


 言葉の一つ一つが冷え切っている。しかしそれは脅迫ではない。
 完全に、交渉の「条件」として成立しているかのような無感情な口ぶり。

「だが――あなたが来るなら、子どもは無事に解放される」


 女は一歩近づき、口元だけを動かす。

「今夜、コールド倉庫B5。お一人で。市長という立場の重みを、どうか証明してください」

 そのまま女はくるりと踵を返し、再び音もなく部屋を出ていった。

 執務室に静寂が戻る。

 ライアンは机の上のタブレットを見つめたまま、しばし動かなかった。

 そして、低くつぶやく。


「――やはり、私を試すつもりか」

 端末の映像に映る少年の姿。その震える背中に、ライアンの瞳がわずかに揺れた。


「仕方ない。私が動くしかないようだな……」

 静かに立ち上がり、上着を羽織る。
 市長の身でありながら、自ら危険地帯へ赴くなど、本来であればあってはならないこと。

 だが、都市を守る者として――
 子どもを犠牲にする選択肢だけは、あり得なかった。


「……私は“保証”を信じる人間ではないが……」

 扉の前に立ち、深く息を吸った。

「人質が解放されるなら、それでいい」




 ライアンは藤堂への置き手紙をさらりと書くと書類にはさみ、部屋をあとにした。


 ――――――――
 
  



 午後の陽が差し込むオーシャンエッジセントラルスクールの受付ホールでは、新入生を迎える準備が進められていた。制服に袖を通した海輝とユウキが、少し緊張した面持ちでマリアの後を歩いている。セリアは珍しく落ち着かない様子で、辺りを見渡していた。

 受付を終えたマリアは、担当の教師に海輝たちを紹介し、簡単な挨拶を交わす。教師たちの表情は柔らかく、転入生たちに対する配慮が感じられた。

「じゃあ、あとは校内案内をお願いします」

 マリアが軽く頭を下げたとき、学園の廊下の向こうから足早に歩いてくる一人の女性が見えた。


「……藤堂さん?」

 マリアが驚いたように声を上げると、藤堂は息を整えながら手にしていた書類を差し出した。

「すみません、通信が筒抜けになっている可能性があるので、直接来ました」

 マリアが書類を受け取りながら目を通すと、それは北見の報告書の写しと、グレイ社に関する情報だった。


「これは……?」

「我々がグレイ社の調査を頼んでいた北見さんという方が今朝市長室に報告に来ました。でも普段と違ってなにか様子がおかしかったんです。そして、報告書の最後のページにあったこのメモ――『コールド倉庫B5』。市長は何かを感じ取り、捜査班を出すようにと命じました」

 
 マリアは表情を引き締めた。

「了解しました。子どもたちはお願い、私はエドガーと合流するわ」

「わかりました。こちらで責任を持ってお預かりします」

 
 藤堂は海輝たちに柔らかく微笑みかけ、彼らを教師に引き渡した。

 そのとき、海輝が一歩前に出た。

「……マリアさん、なにかあったんですか?」

 マリアは少しだけ戸惑ったが、すぐに穏やかな笑みを浮かべて答えた。

「少しだけ大人の話。大丈夫。すぐ戻るから、ユウキとセリアと一緒に待ってて」

「……うん。気をつけて」

 海輝は少し不安そうに言ったが、その声には確かな強さもあった。

 マリアはそれを確認すると、足早に学園を後にした。

 ――――

 数十分後、エドガーと合流したマリアは、すぐさま市長執務室へ向かった。

 部屋に入ると、そこにライアンの姿はなかった。
 ただ、机の上に広げられたままの報告書と、一枚のメモが目に入る。

 マリアがそれを手に取ると、そこには端的な一文があった。

『市民の命を優先する。
 戻れなければ、それが私の責務だったと伝えてくれ。
 藤堂、後を頼む。
 ――ライアン』

 その筆跡に迷いはなかった。マリアは唇を噛む。

「……この人、ほんとに行ったんだ」

 エドガーも黙ってメモを覗き込む。

「急ごう。もたもたしてたら、本当に取り返しがつかなくなる」

 マリアは無言で頷き、エドガーと共に市庁舎を飛び出した。

 ――――

  日が暮れかけ、冷たい海風が吹き抜けるコールド倉庫B5の外。
 倉庫街はオーシャンエッジの一番外側にあり、中央の市長執務室からは2時間ほどの距離にあった。その前に、黒い車が一台停まっている。

 ライアンはゆっくりと車から降り、静かに倉庫へと歩を進める。

 彼の背後には港と海が広がっており仕事が終わっているのか誰一人歩いているものはいなかった。

 ライアンが倉庫の扉の隙間からにわかに中を除くと不穏な気配が、空気をひりつかせていた。
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