おさかなごはん

七山月子

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ともだち

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朝、出して置きっぱなしのフライパンに油を敷く。
温めながら卵をボウルに割り出したら菜箸で白身と黄身を混ぜる。
油の敷布団の上で溶き卵が薄い色に変わって行く、表面に透明なベールを纏った黄色。
菜箸で頃合いを見て八の字に混ぜながら焼く。
赤いトースターから飛び出した食パンの耳を、包丁で切り離す。小気味いい音。
キャベツを数枚千切ったら、ザルに放って水で洗うついでに揉み手で更に小さく砕く。
耳なしトーストにバターナイフでなすりつけたバターと粒マスタード。
キャベツを数枚散らした上に卵焼きをバランスよく載せる、ケチャップは適量。
トーストで挟んで軽く押さえ、三角に切る。

足元で尻尾を揺らして、ご飯の催促をするミルクを撫でるために前掛けで軽く手を拭いた。

キャットフードの小山を先端からかぶりつき始めたミルクの横で、丸いテーブルに乗せたホットエッグサンド、冷やしておいた豆乳を並べる。

噛み砕いたホットサンドの味は、上々。
今日も一日が始まる。

以前シェードランプを買った雑貨屋に、私は向かっていた。
青い瓦屋根が、緑一色の景色に溶け込んでそのお店は息づいていた。雀が道端の土をついばんで、私が通ると雀はおもむろに飛び去った。その先を目で追うと雀は悠々と白い空を飛び回り、群れをなしてどこかを目指すように舞っていく。右へ左へ、上へ下へ、整列を成したまま。
マフラーを緩めてモザイクガラスの引き戸を引くと、一番上が見えないほどの高い天井から床まで四方をぐるりと本に囲まれている。
土間の真ん中の什器に並べられたランプや雑貨、本棚の前に置かれたあらゆるチェアの上で小さな値札を隙間風に揺らめかせながら買い手を待ちわびた人形やマグカップ。

この店が、好きだな、と思う。

奥の部屋から、老婆ともう一人の声がした。
悪いと思いながら耳を立ててみると、どうやら何か困り果てている老婆の言葉と畳み掛けるように責めるような声だった。

「申し訳ないんやけど、このお店は、私が死んだらもうあとはどうしたっていいと思うとるんよ。けど、それは私が死んだらの話にしてほしい。おかしな事言うとるか? あんたさんのとこに明け渡すのも、いい話や思います。やけどねえ、この平屋は主人の建てた家なんよ、私の死ぬまでここに居たいちゅうわがまま、聞いてくだはりませんか」

「いや、いや、わかってますよ。わかってますが、こちらも時間が惜しいのです。私どもは、この立派なお屋敷を、もっと多くの人に楽しんでくれる、そういう場にしたいと思っているだけなんです。観光客が来て、この土地が潤うことは、加藤さんにとっても嬉しくない話ではないでしょう? 」

地上げ屋か、と把握する。
「ビルでも建つんですか? 」
私が障子を開けると、加藤さんが驚いて、目を丸くして居た。
「ああ......雛川さんとこの。ルイちゃんやった? よう来たねえ」
私だとわかると目を細めて手招きするので、近寄って、
「加藤さん、このお店、辞めないでくださいよ。私、ここが好きですよ」
と言った。
加藤さんは嬉しそうにしてお茶を用意すると立ち上がったが、痛い視線をくれるスーツ姿の男性が少し怖い。
「すみませんがお嬢さん、僕は仕事できてるんですよ。申し訳ないけれど席を外していただけませんか? 」
加藤さんが台所でお湯を沸かしているのをいいことに、私を追っ払おうとする地上げ屋。
「酷いじゃないですか。加藤さんはご主人の思い出しか今はないんですよ。雑貨屋さん、素敵じゃないですか。どうして立退けなんて言えるんです? 酷いですよ」

私が構わず言うと、腕を組んでため息をつき、私を哀れなものを見るような目で見た。
なんだこいつ、腹がたつな。
「お嬢さんにはわからないかもしれないけどね、深刻なんだよ、今この町は。もっとより多くの人口が必要だし、もっとより多くの潤いが必要なんだ。僕だって、嫌いじゃないよ。こういう店。アンティークで趣きがあるよね。でもね、それだけじゃなんにもならないの。なんにもならない上に場所が問題なの。だから僕が来たの。オーケー? 」

腹が立った私は、彼の名前を訪ねた。
雪平と書かれた名刺を奪うようにして、会社にその場で電話をするフリをした。
「そちらの雪平さんが、無礼な物言いで加藤さんに暴言を吐いているんです。私? 私は加藤さんの知り合いで、ちょうど彼が加藤さんに吐いた暴言を聞いたので。一体どういう教育をされてるんですか? 恫喝寸前ですよ。ひとまず、今日のところはお引き取り願いたいのですが、ええ、加藤さんのメンタルケアも必要ですし」

青くなった雪平は、立ち上がった。
私は電話を置いて、「チェンジ」とクビを切るジェスチャーをしてみた。

雪平は、書類をまとめて、「また来ますね」
と冷たい目で私を見下ろし、煩く引き戸を開けて去っていく。

「おや、あの人帰ったん? 」
加藤さんが急須と湯のみをお盆に乗せ、部屋に戻って来た。
「酷いですね、地上げ屋」
私が言うと、加藤さんは寂しそうな表情で、手先を弄るようにした。
「老い先短いし、息子は家に来い言うてくれて、私は幸せもんやから......、時代やね。逆らえるもんでもないゆうことはわかっとんねんで......」
どうやら、加藤さんはいつかはこの雑貨屋を引き払う決意をしていたようだった。
「......じゃあ、せめて最後にぱあっとやりませんか? 」
私が言う。
「加藤さんの、会いたい人をいっぱい集めて、この平屋で、美味しいものを食べませんか? 私、料理だけは少し自信があるんです。この平屋に思い出のある人、いっぱい集めて、ありがとうって言いませんか」
加藤さんは、目を輝かせて、そのまま涙ぐんだ。
「あかんねえ、年寄りは涙もろくて。そうやねえ......主人も、きっと喜ぶやろうねえ」

そうして、「加藤さん宅へありがとうの会」を開くことになったのだった。

その夜、ナツキの家に行きその話をすると、私の作ったカレーライスを頬張りながら、
「へー、いいんじゃないの? 加藤さんならあたしも縁深いよ。加藤さんの雑貨屋をモデルにした漫画も描いたくらい」
と賛成してくれたが、
「それにしてもルイ、仕事探してたんじゃないの? 」
と呆れたような目線をくれた。
ナツキはふと思いついたような顔で、電話をした。カレーを食べながら、器用にタップしている。
「あー、みっちゃん? 友達が、立ち退き寸前の屋敷でパーティしたいんだって。スポンサーなってくんない? どうせ、持て余してんでしょ。え? ああ、もちろん。代わりにあんたんとこに料理人寄越すよ」

なんか話が大きくなりそうだ。
どうやらナツキは友人の大金持ちに電話をしたらしく、話によるとその大金持ちは相当な変わり者で、金の使い道にいつも困っているそうだった。
今回、ありがとうの会にかかる費用は持ってくれるらしいが、その代わりに私の料理を食べさせてくれというのが交換条件らしかった。
世の中、わからない。

ユウヒが、家に来たのはその日の夜だった。
私がお風呂から上がってバスローブに身を包み、買ったばかりのワインをこっそり開けて居た時だった。
ノックが三回して、こんな格好じゃ出られないから待ってくれ、というと人影がガラス越しに後ろを向いたのが見えた。
律儀である。

バスローブからジーンズにニットの出で立ちに変わり、扉を開けるとユウヒはどこか申し訳なさそうな顔をして、立って居た。

「ルイちゃん、聞いたよ。加藤さんのところで何かやるんだって? 」
「あれ、加藤さんと知り合いなの? 」
「うん、雛川さんと、加藤さんは仲が良かったから、よく一緒に旦那さんの愚痴を言い合う場に居合わせたよ」
「そ、そうなんだ」
「僕も参加してもいいかな? 加藤さんにはお世話になったんだ」
「そりゃあ、加藤さんさえ良ければ......」

ユウヒが家に来るのは、10回を超えて居た。
呼び方もぎこちなさをなくし、いつか見た男の人のユウヒの影は、彼自身がそうしているのか、見当たらない。

私とユウヒは、毎晩なにかを共に食べ、他愛もない話をして、別れの挨拶をする関係だ。

「今日は何を持って来てくれたの? 」
「うん、実はこれだよ」

ユウヒがおもむろに肩にぶら下げて居た、保冷バッグの中を開けた。
大きな肉の塊だ!
「この地域のブランド豚だよ。ヤマトポークって言うんだ」
「へえ! わあ、ちょうどいい。冷やしておいたワインがあるの」

私は早速、キッチンに向かって肉塊を適当なサイズに切り落とす。
ユウヒは、スケッチブックを広げてやっぱりミルクを描いて居た。

ちょうどカレーのあまりの人参とジャガイモがあったので、人参は甘く煮てジャガイモは蒸して、添え物にする。

そう、今夜は豚のステーキだ。

キッチンであれよあれよと動いて居たら、ユウヒが「いい匂いがする」と、肉の焼ける香りにそそのかされて近づいて来た。

「美味しそう」
私が笑うと、ユウヒも笑った。









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