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第一章
1.ある伯爵の受難
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大陸を二分するかのように流れる川は、増殖する巨大な森アーティから流れている。その上流のどこかには聖域と呼ばれる場所があり、泉があると噂されていた。
流れる川の水は清らかで、それはいくつにも分散され幾多の川になり、この大陸の人々の生活を支えている。
大陸の北西側にあるリバーガルドの王都ハイドランジアには、アーティの森の内部に潜む切り立った崖を流れ落ちる水が滝となり注ぎ込まれるウェルデン川からの影の水と、ターラス川の光の水との二つが混じり合う巨大な湖がある。影と光。水につけるにはあまり適さないこの通称はアーティの森の特性に由来している。豊かな川に、巨大な湖、そして大陸を囲む大海原。それにより、周辺諸国からハイドランジアに来れば食べられない魚はないと噂されるほどに魚介が豊富で、水の神が守る国とも呼ばれていた。
伯爵フィル・リュデルガー・ベルシュタットが住まう館は中央の城から少し離れたところに建っている。普段は静かなその館では、今ちょっとした騒ぎが起こっていた。
「あれは女の子だよ。もしかしたらフィル様の恋人なんじゃないのかい?」
「恋人? あのフィル様に? いいや! それはないだろう。フィル様だぞ!?」
「馬鹿言うな。フィル様だって一応いい歳した男なんだから、そりゃ~恋人の一人や二人くらい」
「でも、マントにくるまれてて誰も顔を見てないって聞いたよ……」
「女だよ、女。」
「はぁ~。しかしまあ、我が屋敷にもとうとう奥方様がくるのかねぇ」
「あんたは本当に気が早い男だよ。まだ女って決まったわけでもないのに…」
「いいえ、私は見ました! 少年でしたよ。きっと、お優しいフィル様の事です。目の前で行き倒れた子供を見ていられず、手を差し伸べたのでしょう」
「いいや。そうは見えなかったがね。第一、行き倒れる子供なら山ほどいる。あの方はフィル様にとって特別な方に違いない」
「そうだ。なんにしたって、あんな夜中にフィル様直々に抱きかかえて連れてくるなんざ、絶対なんかあるに決まってるじゃないか」
二日前の深夜。日頃女っ気の全くない主がマントに包まれた謎の人物を抱えて戻ってきたのだ。
退屈な日常に降って沸いたようなこの珍事に、食堂の料理人から侍女から厩番までもが自分の仕事を放り出して井戸端会議を始める始末である。
「大変な騒ぎでございますな……」
「騒ぎすぎ。と言うものではないのか?」
噂の主、ベルシュタット伯爵は自室の窓からその光景を目にして心外そうにつぶやいた。
「常日頃、浮いた噂の一つもないからあのように些細な事で騒がれるのです。せっかく奥様譲りの端正な顔をしてお生まれですのに、まったくもったいない…」
執事の話がお説教に変わりそうな気配を感じ、フィルは慌てて尋ねる。
「それはともかく、あの少女の様子はどうなんだ?」
「はい。依然として眠られたままでございます」
(まだ目覚めない……か)
執事の報告を聞きながら、身を翻し豪奢な長椅子に腰かけると、一向に動く気配のない事態に頭を悩ませた。
四日前、共に戦ってきた戦友がある任務を遂行中、突如として姿を消した。フィルが現場に駆けつけた時には、すでに副団長と部下の騎士兵達は命を奪われ、第一騎士団隊長のニールはその姿さえなかった。慌てて周辺を捜索したのだが、発見することはできず。そして現場の近く少し離れた木陰に友人の外套と一緒に見慣れぬ格好をした一人の少女が倒れていたと報告を受けたのは次の日の事。
フィル自身、現場の惨状を一通り確認した後、すぐにニールの捜索に加わったため、あとの現場を新人の若者に任せてしまったのが悪かった。その部下が手違いとやらで彼女を城の牢へ運んだ事に気づき大急ぎで連れ出した時には、少しだがまだ本人の意識があったように思えたのだが……。
(しかし、あんな小さな子供を一時的とはいえ牢屋に入れてしまうとは……)
フィルは深くため息をついた。
なぜあの場所に倒れていたのか。事情を聞こうにもその当事者がこの四日間眠ったままなのでは聞きようがない。連れ帰った時に呼んだ医者の見立てでは、彼女はこん睡状態でいつ目覚めるか分からないと言う。
(あまりに眠りが長いようであれば、魔女に頼むしかないか……)
「フィル様。少し休まれてはいかがですか? ニール様が行方知れずになられてからというもの、一睡もなさっていないようですが……」
「……」
流れる川の水は清らかで、それはいくつにも分散され幾多の川になり、この大陸の人々の生活を支えている。
大陸の北西側にあるリバーガルドの王都ハイドランジアには、アーティの森の内部に潜む切り立った崖を流れ落ちる水が滝となり注ぎ込まれるウェルデン川からの影の水と、ターラス川の光の水との二つが混じり合う巨大な湖がある。影と光。水につけるにはあまり適さないこの通称はアーティの森の特性に由来している。豊かな川に、巨大な湖、そして大陸を囲む大海原。それにより、周辺諸国からハイドランジアに来れば食べられない魚はないと噂されるほどに魚介が豊富で、水の神が守る国とも呼ばれていた。
伯爵フィル・リュデルガー・ベルシュタットが住まう館は中央の城から少し離れたところに建っている。普段は静かなその館では、今ちょっとした騒ぎが起こっていた。
「あれは女の子だよ。もしかしたらフィル様の恋人なんじゃないのかい?」
「恋人? あのフィル様に? いいや! それはないだろう。フィル様だぞ!?」
「馬鹿言うな。フィル様だって一応いい歳した男なんだから、そりゃ~恋人の一人や二人くらい」
「でも、マントにくるまれてて誰も顔を見てないって聞いたよ……」
「女だよ、女。」
「はぁ~。しかしまあ、我が屋敷にもとうとう奥方様がくるのかねぇ」
「あんたは本当に気が早い男だよ。まだ女って決まったわけでもないのに…」
「いいえ、私は見ました! 少年でしたよ。きっと、お優しいフィル様の事です。目の前で行き倒れた子供を見ていられず、手を差し伸べたのでしょう」
「いいや。そうは見えなかったがね。第一、行き倒れる子供なら山ほどいる。あの方はフィル様にとって特別な方に違いない」
「そうだ。なんにしたって、あんな夜中にフィル様直々に抱きかかえて連れてくるなんざ、絶対なんかあるに決まってるじゃないか」
二日前の深夜。日頃女っ気の全くない主がマントに包まれた謎の人物を抱えて戻ってきたのだ。
退屈な日常に降って沸いたようなこの珍事に、食堂の料理人から侍女から厩番までもが自分の仕事を放り出して井戸端会議を始める始末である。
「大変な騒ぎでございますな……」
「騒ぎすぎ。と言うものではないのか?」
噂の主、ベルシュタット伯爵は自室の窓からその光景を目にして心外そうにつぶやいた。
「常日頃、浮いた噂の一つもないからあのように些細な事で騒がれるのです。せっかく奥様譲りの端正な顔をしてお生まれですのに、まったくもったいない…」
執事の話がお説教に変わりそうな気配を感じ、フィルは慌てて尋ねる。
「それはともかく、あの少女の様子はどうなんだ?」
「はい。依然として眠られたままでございます」
(まだ目覚めない……か)
執事の報告を聞きながら、身を翻し豪奢な長椅子に腰かけると、一向に動く気配のない事態に頭を悩ませた。
四日前、共に戦ってきた戦友がある任務を遂行中、突如として姿を消した。フィルが現場に駆けつけた時には、すでに副団長と部下の騎士兵達は命を奪われ、第一騎士団隊長のニールはその姿さえなかった。慌てて周辺を捜索したのだが、発見することはできず。そして現場の近く少し離れた木陰に友人の外套と一緒に見慣れぬ格好をした一人の少女が倒れていたと報告を受けたのは次の日の事。
フィル自身、現場の惨状を一通り確認した後、すぐにニールの捜索に加わったため、あとの現場を新人の若者に任せてしまったのが悪かった。その部下が手違いとやらで彼女を城の牢へ運んだ事に気づき大急ぎで連れ出した時には、少しだがまだ本人の意識があったように思えたのだが……。
(しかし、あんな小さな子供を一時的とはいえ牢屋に入れてしまうとは……)
フィルは深くため息をついた。
なぜあの場所に倒れていたのか。事情を聞こうにもその当事者がこの四日間眠ったままなのでは聞きようがない。連れ帰った時に呼んだ医者の見立てでは、彼女はこん睡状態でいつ目覚めるか分からないと言う。
(あまりに眠りが長いようであれば、魔女に頼むしかないか……)
「フィル様。少し休まれてはいかがですか? ニール様が行方知れずになられてからというもの、一睡もなさっていないようですが……」
「……」
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