月に誓った、千年の恋 ―時を超えて、ただ君へ―

月華 澪

文字の大きさ
38 / 46
🌙第三章 「忘れられない人」

第八話 「雨と傘と、言えなかったこと」

しおりを挟む
午後、空はどんよりと曇り、窓の外には細かな雨が降り始めていた。

書店の入口に並べられた傘立て。ぽつり、ぽつりと濡れた傘が並んでいく。

さくらは店内を見回しながら、カフェスペースに立つ咲希の姿を目で追っていた。海翔が来てからというもの、咲希の表情にはときおり翳りが差す。

「咲希さん、少し休憩しませんか?」

「……ああ、ごめんね。さくらちゃん、ありがとう」

咲希がスタッフルームへと消えてすぐ、まるでその瞬間を狙っていたかのように、海翔が現れた。

「雨、降ってきましたね。天気予報、また外れました」

「ほんとですね。傘、持ってなかったんですか?」

「ええ、見事に忘れてました。書店に寄ったら、少しは晴れるかと期待してたんですけど」

彼の冗談に、さくらは少し笑った——けれどその笑みは長く続かなかった。
ふと、海翔の目線がカフェの奥へと向いた。その先には、咲希が先ほどまで立っていた場所。

「神谷さん……咲希さんのこと、知ってますか?」

一瞬の沈黙。そして、海翔は苦笑いのように、小さく頷いた。

「……昔、付き合っていました。ほんの少しの間でしたが、彼女は……特別な人でした」

やはり。さくらは思った。あの視線、あの空気。何かがあった、と。

「けれど、咲希は何も言わずに姿を消して、それっきりです」

「……咲希さん、男の子をひとりで育てています。おそらく——」

「……俺の子です」

それは、決して軽くはない告白だった。
さくらの中で、胸の奥がひやりと凍る。

「俺がそれを知ったのは、つい最近です。誰にも言っていないのに、咲希の姿を見て、確信したんです。——あの子の顔、俺によく似ていたから」

「……」


カフェスペースの奥から戻ってきた咲希が、海翔の姿を見て、何も言わずに立ち止まった。海翔は、少し躊躇いながらも声をかけた。

「……咲希、少しだけ話がしたい。あの子のことも」

咲希の目に、一瞬の光が差し、それから静かに首を横に振った。

「今さら何を言われても、私は——もう、大丈夫だから」

そう言って、彼女はふいと視線を逸らし、厨房へと戻っていった。

 
咲希の言葉に、海翔は視線を落としたまま何も答えなかった。
答えは、とっくに出ている。それでも踏み出せないのは、守りたいものが、いま目の前にはいないからだ。
それだけのこと。

静かな雨音が、ふたりの間に漂った。

咲希と海翔……。
二人の間には確かに、もう一つの物語があった。



書店を出たさくらが見上げた空は、変わらず灰色だった。
傘を持たず、店先で立ちすくんでいたそのとき――

湊が、さくらの前に無言で立った。
手には一本の傘。
何も言わず、それをさっとさしかける。

「……」

さくらは、目を伏せて小さく頷く。
そして、湊の隣へ歩き出した。

重なるように揃った歩幅。
濡れた夜道に、ふたり分の足音が静かに響く。

その沈黙が、どんな言葉よりもあたたかくて、
そして、胸の奥を切なく締めつけた。

何も問わず、何も語らず、
ただそばにいる——それだけで、涙がこぼれそうになる。

雨は強さを増し、傘の花がひらひらと咲いていく。

誰かの想いが、閉じかけたまま。
誰かの心が、差し出した傘のぬくもりに揺れていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

悪役令嬢の慟哭

浜柔
ファンタジー
 前世の記憶を取り戻した侯爵令嬢エカテリーナ・ハイデルフトは自分の住む世界が乙女ゲームそっくりの世界であり、自らはそのゲームで悪役の位置づけになっている事に気付くが、時既に遅く、死の運命には逆らえなかった。  だが、死して尚彷徨うエカテリーナの復讐はこれから始まる。 ※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。 ※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。 「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。 「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

ぽっちゃり女子の異世界人生

猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。 最強主人公はイケメンでハーレム。 脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。 落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。 =主人公は男でも女でも顔が良い。 そして、ハンパなく強い。 そんな常識いりませんっ。 私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。   【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】

処理中です...