甘酸っぱい恋の味

第一章 言えなかった、ひとこと

入りこめない、ふたりの空気

昨夜は、なかなか眠れなかった。

ベッドに入ってから何度も寝返りをうち、天井の模様を数えてみたり、枕をひっくり返してみたり。
胸の奥が落ち着かなくて、目を閉じても航太の顔と、陽菜の笑顔が交互に浮かんできた。

結局、眠りについたのは夜中の二時を過ぎていた。

「憧子！また寝坊してる！」

母の声で、ようやく目を覚ます。

「うそ、やばっ！」

急いで制服に袖を通し、髪をぐしゃぐしゃにまとめて自転車に飛び乗る。
教室へ滑りこむ頃には、開始5分前になっていた。

ドアを開けると、先に着いていた航太と陽菜が、黒板前のプリントを見ながら何か話していた。

「へぇー、そうやって覚えるんだ！すごいね」

「いや、たまたま見た動画でね、わりと覚えやすくて」

ふたりの距離が、近い。
笑い合う声が、軽やかに響く。

憧子は、足を止めたまま教室の入口で立ち尽くす。
さっきまで慌ただしかった体が、急に静かになってしまったように感じた。

――あの空気に、入りこめない。

「……」

憧子が席へ向かおうとしたそのとき、陽菜が気づいたように顔を上げた。

「あ、憧子ちゃん。おはよう！」

ふわっとした笑顔。まっすぐな声。
悪気なんてないのに、なぜかそれが少しだけ、胸に刺さった。

「……おはよう」

精一杯の声で返して、憧子は自分の席に座った。
前の席にいる航太の背中は、何も気づいていないように、ただまっすぐだった。

憧子はカバンから筆箱を出しながら、心の中で静かに問いかけていた。

――ねえ、航太。
あたし、なんでこんなに、苦しいの？