『命の糸は、ほどけても』

月華 澪

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久美子の章 ―優等生の仮面、その裏で―

第20話 「鏡の中の私」

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中学生になった久美子は、ますます“完璧な優等生”として知られるようになっていた。

成績は常に学年トップ。
生徒会に立候補し、委員長にも選ばれた。
制服はきちんと着こなし、先生にも礼儀正しい。
誰に対しても穏やかに微笑み、反抗することなど一度もなかった。

──けれど、それは「演じていた」自分だった。



母・香菜は、銀座のクラブでさらに名の知れた存在となっていた。
週に一度も帰ってこない日も増え、久美子はひとり、炊飯器のご飯を温めて夕食を済ませた。

「ごめんね。今度の休みにどこか行こうか」
香菜はそう言いながら、ブランド物のリップを直し、また夜の街へと消えていく。

久美子はもう、期待もしなかった。
「いいよ、私、勉強あるし」と微笑んで、扉の閉まる音を背中で聞いていた。



その頃、久美子は時々、自分の顔を鏡でじっと見つめるようになった。

整った顔立ち。母に似た二重の瞳。
けれど、その目の奥にあるものを、自分で見てもわからなかった。

「私は何のために生きてるの?」

勉強すれば褒められる。
成績を取れば、価値があると思える。
けれど、ふと気を抜くと、急に息ができないような虚しさが胸に広がった。



そんな中、初めての“感情の揺れ”が訪れる。

相手は、同じクラスの男子・翔太だった。
特別頭がいいわけでもなく、むしろ少しお調子者。
でも、教室の誰よりもよく笑い、誰にでも気軽に声をかける。

ある日、廊下で偶然ぶつかった久美子に、翔太が言った。

「わっ、ごめん!……でも、久美子って、ほんと完璧すぎて逆に緊張するよ」

その言葉に、久美子は不思議な気持ちになった。
“完璧”という言葉は、褒め言葉のはずなのに、どこかさみしい響きだった。

──緊張させてる? 私が?

その日から、久美子は翔太を目で追うようになった。
笑い声、筆記用具を落とす音、ノートの汚れまで。
その自然体が、自分にはまったくないもののように思えた。



だが、翔太にはすでに付き合っている子がいた。

その現実を知ったとき、久美子は自分でも驚くほど冷静だった。
笑って、「そっか、よかったね」と言えた自分が怖かった。

──私は、好きになることすら、ちゃんとできないの?

誰かを好きになる感情よりも先に、「どう見られるか」「どう振る舞うか」が優先されてしまう。
それは、子どもの頃に覚えた“生き延びる方法”だった。



ある夜、風呂上がりの鏡の前で、久美子は思わず口にした。

「……私って、誰?」

誰かの期待に応え続けることで、自分を保ってきた。
だけど、その“自分”は、いったいどこにいるのだろう。

鏡の中の自分が、ふっと笑った気がした。
その笑顔が、どこか母に似ていた。

「お母さんも、こうやって生きてきたのかな」

その瞬間、心の奥にある“綻び”が少しだけ、見えたような気がした。



中学卒業の春、校長から皆の前で表彰を受けた。
晴れ着のような制服に、誰もが拍手を送った。

でもその夜、久美子は一人、誰もいない部屋で式の花をゴミ箱に捨てた。

心に残ったのは、「嬉しい」ではなく、ただの「空しさ」だった。

──まだ、本当の私には出会えていない。

そんな予感だけが、やけに鮮明に残っていた。
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