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◆第35話 決勝前セレモニー

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 古都サンティカ、闘技場。

 街の中央に位置するそれは、遥か800年も前の時代に築かれた歴史ある建造物だ。
 近隣の山岳地帯で産出される豊富で質の高い石材に恵まれたサンティカの土地では、道路や家屋などの殆どが近隣で採掘される強度の高い石で作られる。
 この闘技場も例外ではなく、一段と頑強に作られた風体は800年という途方もない年月を経た今でも、風雨により朽ちることなくその姿を残しているほどだ。

 その歴史的価値もある闘技場の中央で、一人の男が叫び声を上げた。


『──────皆様、お待たせ致しました! 只今より、第108回闘技会グラディアサンティカ杯、決勝戦を開始致します!!』


 場内に響く進行役の声。
 サンティカの闘技会グラディア、その頂点を決める戦いを行うという宣誓は、半ばで大歓声によりかき消された。


『今日という日、この栄えある大会の決勝戦に勝ち進んだ、訓練士トレーナー獣闘士グラディオビスタの入場です!!』


 古代の石材で作られた頑強な闘技場でさえも、崩れ落ちてしまうのではないかと思うほどの大音声だいおんじょう
 日の光の下に歩み出た俺たちは、その声を全身に受けながら進んで行く。
 3万人を超える、文字通り超満員の観客たちが、総立ちで歓声を送ってくれている。


「うわわ~っ……! いつもよりたくさん人がいるっ! す、すっごい応援だね、トレーナーっ!!」

「あぁ! 皆がピノラの事を応援してくれてるぞ!」

「えへへへ……! 嬉しくなっちゃうなぁ~っ!!」


 訓練士トレーナー用の入場口から現れた俺たちを見て、客席の最上段まで埋め尽くされた観客たちから割れんばかりの大きな拍手が沸き起こる。
 これほどの声援の真ん中に、まさか自分たちが立つ日が来ようとは。
 聞いたこともないほどの大きな声援を受けて緊張する俺を尻目に、ピノラは満員の観客の声援を笑顔で受け止めている。
 白くふわふわな耳と共に背筋をぴんと伸ばし、胸を張るその姿からは、緊張の色など微塵も感じられない。
 むしろ彼女の笑顔は、自信に満ち溢れているようにさえ見て取れる。
 

「うおおおおおおっ! ピノラちゃんだっ!」
「まさかあの子が、決勝まで来るなんてなぁ……!」
「今日も可愛いなあっ……! 頑張れよぉっ! 応援してるぞおおおっ!」
「うおっ!? ピノラちゃん、また新しい武具を装備してるぞ!? あの黒い武具……表面の感じからして、もしかしてアダマント製の武具じゃないか!?」
「本当だ…………! 3回戦で武具が壊れちまったって噂だったが、あんなものを持ってたなんて……! ピノラちゃんの訓練士トレーナーって、すげえ奴なんだなぁ……!」
「ピノラちゃあああああんっ! 頑張って! 新しい武具も似合ってるよおおおおおおっ!」


 ピノラの装備している新品のアダマント製武具は、さっそく注目の的のようだ。
 それもそのはず、このアダマント製の武具というものは本当に貴重なもので……このサンティカの闘技会グラディアに於いては、俺の知る限りでは全16人の出場選手のうち、ピノラを含めても3人しか持っていないものだ。
 そんな貴重なものを、最高のタイミングで用意してくれていたシュトルさんには本当に感謝しかない。
 大歓声とともに武具に関してお褒めの言葉を頂いたピノラは、照れたように頬に手を当ててニコニコしている。
 表情から察するに、本人にとっては『お洋服可愛いね、似合ってるね』と言われているのと同義なのだろうか。
 そんなピノラと共に、俺は胸を張って訓練士トレーナー専用席のスペースへ入った。

 東西の両端に設けられたこの訓練士トレーナー専用席は、他の客席とは仕切られた広い一角に椅子が置かれており、観客席の最前列に位置している。
 訓練士トレーナーは、この位置から試合の様子を見て、自身の獣闘士ビスタに指示を出す。
 普段は俺がこの位置についてから、ピノラたちは真下にある獣闘士ビスタ専用の入場門より闘技場内へと入るのだが、今日の決勝戦は試合前の催しがあるため、特別に訓練士トレーナー獣闘士ビスタが共にこの席へと入ることになっている。
 俺は緊張丸出しで、ピノラは満面の笑みのまま専用席に入り案内を待った。
 
 思い切り鼻から息を吸い込む。
 火蜥蜴サラマンダの月の陽光で熱せられた空気が、胸を熱くする。
 ひんやりとした地下の待機室とは異なり、この訓練士トレーナー専用席は立っているだけでもじとりと汗が滲むほどだ。
 ふと視線を上げると、北側の最上段にある客席が目に入る。
 周囲と比べて豪奢な天幕が張られたそこは、闘技会グラディアの協会関係者が試合を観覧する特別席である。
 最下段にある俺の席からは中に座っている人物を確認することはできないが、どうやら数名の人影が動いているようだ。
 そしてその更に上……はるか上空には、巨大な雲が聳り立つ色濃い青空が見えた。
 
 そうだ、緊張などしている場合ではない。
 俺は訓練士トレーナーとして、ピノラの戦いを支えなければ。
 傍らに立つピノラは、超満員の客席を目を煌かせて見ている。
 彼女の頭を右手で優しく撫でてやると、振り返ったピノラは『えへへ』と嬉しそうに顔を綻ばせた。
 そんな俺たちの方を向いている観客たちから様々な声が漏れ始める。
 

「な、なあ…………ちょっと、あそこ見てみろ」

「ん? ピノラちゃんの訓練士トレーナーの特別招待席の事か?」

「ああ…………あそこに居る灰色のスーツの爺さん……も、もしかして『シュトル=アルマローネ』じゃないのか!?」

「はあ!? う、嘘だろっ!? シュトル=アルマローネと言やあ、20年前に最強の兎獣人ラビリアン『ファルル』を育てた伝説の訓練士トレーナー、じゃねえか! そ、それがこんな場所にいるワケ…………」

「いや、見ろ! 手に持ってる灰色のステッキに、灰色の目、胸についたケルコの実のアミュレット……ま、間違いなく本人だぞ!!」

「もしかして……今回ピノラちゃんが急激に強くなったのは、『伝説の訓練士トレーナー』が関係してるのか……!?」


 俺は客席の声につられて、俺たちのいる専用席がある側の客席の一角に設けられた特別招待席を見る。
 総立ちの観客の視線の先……東寄りの特別招待席で堂々と立つスーツの男性は、シュトルさんだ。
 先ほど見た格好のまま両掌を重ね、地に刺した湾刀サーベルに手を添えるかのように腰の前で杖を握っている。
 体格の良いシュトルさんが正装に身を包んで立っている姿は、まさに往年の紳士ジェントルマン
 今から20年前……俺が生まれて間もない頃、シュトルさんはこんな姿で闘技会グラディアの地に立っていたのだろうか。

 周囲の観客の視線に応えるかのように、特別招待席に立つシュトルさんは片手でハットを脱ぐと、口元に笑みを浮かべながら掲げて見せた。
 たったそれだけの動作で、客席からは一層大きな歓声が沸き起こる。
 まるで国王が観覧に来たかのような盛り上がりだ。
 その様子を見ながら、俺はピノラと顔を見合わせて笑った。
 ……あれは、きっとめちゃめちゃ気取ってるな、シュトルさん。
 普段あんな対応をするような人じゃないだろうに。
 しかし、客席にいると知れただけでこの歓声とは……シュトルさんは闘技会グラディア界では本当に伝説的な人物なんだろう。
 そんな人に、俺は無遠慮に訓練を頼み、ピノラを預け、挙げ句の果てには一緒に酒を飲んでいたとは。
 お気に入りのマグにお酒を注いでいる姿しか見た事がない俺とピノラは、シュトルさんの紳士っぷりに思わず吹き出しそうになってしまった。

 再びハットを頭の上に乗せたシュトルさんは、訓練士トレーナー席から見上げていた俺たちの視線に気付くと、照れ隠なのか肩をすくめてみせた。
 『た、たまにはいいだろうが!』とでも言いたげだ。


「トレーナーっ! シュトルさんカッコ良いねぇ~! トレーナーも、ああいう格好すれば良いのにぃ」

「えっ? お、俺が!? いや、ピノラ……さすがに俺にはまだ、ああいう格好は似合わないんじゃないか。髭だって生えないし、体格も……」

「えぇぇ~、トレーナーも背が高いし、かっこいいと思うけどなぁ~!」


 笑顔で提案してくるピノラに言われると、俺も満更ではない気がしてきてしまう。
 い、いかん、試合前だと言うのにニヤける。
 だが、緊張を解くにはちょうど良いかも知れない。
 
 ……などと、自分に言い聞かせていると、客席からさらにどよめきが起こった。


「な、なぁ、おい……俺の見間違いじゃなけりゃ、そのすぐ後ろにももう一人、とんでもねぇ人物がいるぞ……!?」


 観客のひとりが、そう呟いたのが聞こえる。
 釣られて俺も見やると、シュトルさんのひとつ後ろの席……一般観客席の最前列に、何やらモノトーンの集団が居る。
 8人ほどの黒いスーツを着た屈強な獣人族に囲まれながら、その中央に真っ白のスーツを着た人物が見えた。
 側近と思われる人物に日傘を掲げられながらも、日の光の当たった艶やかな髪からは黄金を思わせる光沢が煌めいている。
 その姿を目にした俺は、思わず声をあげてしまった。


「え、えぇっ!?」

「ふぇっ!? どうしたの、トレーナーっ!?」


 あまりに頓狂とんきょうな声を出してしまい、俺は慌てて口をつぐんだ。
 それもそのはず、そこに居たのは────────


「み、見ろっ! サ、サンティカ商業組合の……キャ、キャドリー理事だああああ!!」

「えっ!? う、うそでしょ!? 本人なの!?」

「な、何てこった……! 超大物有名人じゃねえか……!?」

「それが、な、何でピノラちゃん側の観覧席に居るんだああ!?」


 長く細い足を組んで座っている人物は……間違いない、サンティカ商業組合のキャドリーさんだった。
 手元や首筋から覗く鱗は、陽光を反射して艶かしく輝いている。
 見上げている俺の視線に気付くと、キャドリーさんは他の客たちに気取られない程度に小さく頷き返してくれた。
 まさか今日この場に彼女が来ているとは思っても見なかった。
 キャドリーさんの存在そのものが驚きではあるのだが、彼女が座っている場所こそがさらに問題だ。
 白スーツのキャドリーさんと、その付き人である黒スーツの計9人が座っているのは、シュトルさんの真後ろ……つまり、俺の用意した特別招待席のすぐ後ろである。
 サンティカの闘技会グラディアでは、試合の様子が良く見える前列席のほとんどは座席指定の席となっており、後方の自由席と比べて高額ではあるものの任意の場所を指定して購入することができる。
 通常ならば観客たちは自身が応援する獣闘士グラディオビスタが入場する門に近い場所の席を購入することで、対戦する獣闘士グラディオビスタのうちどちらの選手を応援しているかを明瞭にする事が可能となっている。
 
 キャドリーさんが俺たちの入場門側の指定席にいる、という事は……つまるところそれは、俺たちを応援している事を暗に示している事になるのだ。
 『ただ試合を見に来た』のではなく、明確に『俺たちを応援に来た』と言っているようなものだ。
 確か以前に仕事を紹介して頂いた際、『組合として表立って支持はできない』と言っていたはずなのだが……一体なぜ、この決勝の舞台に姿を現したのだろうか?
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