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◆第36話 集う役者

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「おう、あんたが組合のキャドリーさんかい? 超大物の前の席になっちまうとは、何だか申し訳ねえな」


 観客たちの話し声を聞き、特別席にいるシュトルさんは振り返ってキャドリーさんに語りかけた。
 彼女の周囲にいる側近たちが一斉にシュトルさんに顔を向けたが、キャドリーさんはそれを片手で制しながら微笑み返した。


「いえいえ、そんな。『伝説の訓練士トレーナー』シュトル=アルマローネ様でございますわね? そんな御仁にまでお見知り置き頂いているなんて、見に余る光栄に存じますわ、うふふふ」

「よしてくれ、理事長さん。俺は今や招待客の老人に過ぎねぇ身さ。それよか今回のこと、俺からも礼を言わせてくれ。アレンの話じゃ、あんたの助力が無ければ今回のピノラちゃんの快進撃は無かったって言うじゃねえか。あの2人を助けてくれて、ありがとうよ」


 再びハットを軽く上げながら感謝の意を伝えるシュトルさんに対し、キャドリーさんも胸に手を当てて返礼をする。


「礼には及びませんわ。わたくしはただ、将来有望な投資先に『私費』を投じたに過ぎませんもの。うふふふ」

「だとしてもだ。それがあの2人の背中を押してくれた事には違いないだろうよ。良かったら、アレンの用意してくれたこの広い席で一緒に試合を見るかい?」


 シュトルさんは、自身の座っている広いスペースを指さしながらキャドリーさんに微笑みかけた。
 訓練士トレーナーによる特別招待席は、訓練士トレーナーの専用席程ではないにせよ、通常の客席の5倍ほどの広さがある。
 俺の唯一の招待客であるシュトルさんには、そのスペースを1人でゆったりと使用して貰っているので、そこにキャドリーさんが入ったところで手狭にはなるまい。
 だがキャドリーさんは、再び胸元に手を添えたと思うとやんわりとした口調で返した。


「いいえ、せっかくのご厚意ですが遠慮させて頂きますわ。組合理事というのは、何事も面倒な役職でしてね……公人としてその席に入りますと、今はまだ我が商会と正式な契約を結んでいないモルダン様に、色々とご面倒をお掛けしてしまいかねません」


 キャドリーさんはシュトルさんに顔を向けている。
 しかし、その声のトーンにはどこか演説めいたものを感じた。
 これはきっとシュトルさんだけではなく、周囲にいる観客たちにもわざと聞こえるように喋っているのだろう。


「ですが、としては、この決勝戦の結果は次なる商機としても気になるところでしたので、今日のわたくしはあくまで『話題の試合を私費で観に来た客』ということにしてくださいませ」


 にこりと微笑むキャドリーさんの紫色の瞳が細められる。
 
 なるほど。
 キャドリーさんは恐らく、俺とピノラが他の資金提供源スポンサーに目をつけられないように自身の存在をアピールするために来たに違いない。
 サンティカで最も大きな商業組合の、理事長本人が資金提供源スポンサーとして名乗りを上げようとしていると知れ渡れば、他の組合たちは俺たちへの関与を諦め、手を引いて行くだろう。
 これは、俺たちが優勝を果たすと信じてくれたキャドリーさんが、何が何でも俺たちを他の組合に渡すものかというメッセージを発信している行為に他ならない。

 尾蛇獣人コカトリス族の石化の魔力を秘めたその瞳は周囲にいる側近たちには誠に恐ろしいもののようで、黒スーツの8人全員が身を固くしているのがこの距離からも解るほどだ。
 だがそんな恐ろしい情報を知る由もないシュトルさんは、満面の笑みでキャドリーさんと話している。


「ははは、なるほどなぁ! 理事長ってのは大変そうな仕事だ! だがまぁ、隣の観客と酒を飲み合うのはこの闘技会グラディアじゃ別に特別な事じゃねえ。ヴェセット産の良いベルモットがあるから、良かったら飲んでくれや!」

「あら、それでしたらわたくしも、良いブランデーがございますので、ご一緒に頂きましょうか、うふふふ」


 そう言って2人は、互いに持ち寄った酒を文字通り酌み交わしながら笑顔で酒盛りを始めてしまった。
 そんな2人を、ピノラは『なかよしさんだね!』などと嬉しそうに見ている。
 ……こっちはもうすぐ運命を決める一戦に臨むところだというのに。
 まぁ2人とも俺の知る限り、一、二を争う程の酒好きなので、仕方のない事か。
 そんなシュトルさんとキャドリーさんのやりとりを見ていた俺は、すっかり緊張がほぐれてしまった。
 苦笑しながらも気持ちに余裕のできた俺は、ひとつ息を吐いてから正面を見据えた。
 それとほぼ同時に、北側最前列にある壇上から声が響く。


『会場の皆様! これより決勝を戦う2人の訓練士トレーナーとその獣闘士グラディオビスタにご注目ください!』


 進行役の男が告げる。
 さあ、いよいよ決勝戦の始まりだ。
 俺とピノラは事前に関係者から聞いていた打ち合わせの通りに、闘技場の北側に位置する壇上へ向かって歩き始めた。


『陽光の門より歩み出でたるは……兎獣人ラビリアンピノラ選手とその訓練士トレーナー、アレン=モルダン氏!! 前回大会までの戦績は幻だったのでしょうか!? 誰もが目を疑うほどの快進撃! 今大会優勝の大本命に躍り出た、今を駆ける獣闘士グラディオビスタです!!』


 大喝采の拍手に包まれながら、俺は壇上への通路をピノラと共に歩いて行く。
 闘技会グラディアの決勝戦は、他の試合とは異なり開始前に獣闘士グラディオビスタとその訓練士トレーナーの紹介が行われる。
 準決勝までの試合なら、いつも通り各訓練士トレーナーが専用席に到着次第試合が始まるところ、今回は試合前に相手の訓練士トレーナーと顔を突き合わせる必要がある。
 これから決勝を戦う訓練士トレーナー獣闘士グラディオビスタが対峙するだけの、ちょっとした催し。
 これは試合を盛り上げるための、いわゆる余興ではあるのだが……これがなかなか大切な一幕なのだ。
 何故なら、ここで喋った事が後日新聞に掲載されることもあるため、下手に口を滑らせる訳にはいかない。
 『初決勝進出のモルダン氏、緊張で喋れず』────────などという記事にされては、たまったものでは無い。

 なんてことを考えながら歩くと、向かいにある西の訓練士トレーナー専用席から歩いてくる対戦相手の人影が見えた。


『対して、月光の門より出でたるは……狼獣人ワーウルフマナロ選手とその訓練士トレーナー、プレシオーネ=ロガンツァ氏!! こちらも今季大会で初の決勝進出を果たした、大躍進中の獣闘士グラディオビスタ! 優勝へと突き進むピノラ選手を止める事ができるのかああっ!?』


 だんだんと近づいて来る相手の訓練士トレーナー
 だが……何故だろうか。
 よく見ると、明らかに不機嫌そうな顔をしているように見える。
 俺ほどでは無いにせよかなり若い印象で、重たそうな装飾のついた長衣チュニックの裾を揺らしながら大股で歩いてくる様は、こう言ってはなんだが、まるで喜劇の登場人物だ。
 彼の後ろに付き従って歩く狼獣人ワーウルフの女性も、冷めたような視線で客席を一瞥している有様である。
 闘技場の北側に位置する壇上に辿り着いた俺は、正面から歩いてきた彼らに軽く会釈をした。

 だが『プレシオーネ=ロガンツァ』なる人物は、俺の挨拶に応える素振そぶりを見せようとしない。
 俺の顔を見てつまらなそうに視線を外すと、ふんと鼻息をひとつ吐いた。
 その様子を見ていた進行役の男性は、ちょっと困ったような顔をしつつも再び声を張る。


『そ、それではまず、決勝の舞台を前にしたアレン=モルダン氏より、これから始まる運命の戦いについてお気持ちをお聞かせ願いましょう!』


 発言を促された俺は、進行役の男性に促されて壇上の中央に立つ。
 ひとつ咳払いをしたあと、大きく息を吸い込んだ。
 それに合わせ、会場も徐々に静まり返る。
 3万人を超える聴衆を前に話すなど、生まれて初めてのことだ。
 だが幸いにも直前に緊張がほぐれていた事と、目の前でピノラが楽しそうに笑顔を浮かべているさまを見て、俺は胸を張って口を開いた。


「ご来場の皆様、私は獣闘士グラディオビスタ、ピノラの訓練士トレーナー、アレン=モルダンです」


 闘技場内を反響する自分の声を耳にしつつ、俺は目を見開いて続ける。
 決勝戦の舞台で発言の場を与えられるなど、協会認定の訓練士トレーナーのなかでも限られた人数しか経験していないだろう。
 初めて立つ、栄光の舞台。
 だが俺は、この場所でどうしても言いたい事があった。


「皆様にご覧頂いている通り、ピノラは生まれ変わりました。お気付きの方もいらっしゃると思いますが、今回ピノラが大躍進を遂げたのは、今日会場にも来ている『最強の兎獣人ラビリアン、ファルル』の訓練士トレーナーである、シュトル=アルマローネ氏に教えを乞うたことで実現したものです。お恥ずかしながら、私ひとりの力ではとてもこの舞台に立つことなどできなかったでしょう。この場をお借りして、シュトル氏に心より感謝を伝えたいと思います」


 俺は後方の席にいるシュトルさんへと向き直り、頭を下げる。
 専用席に居たシュトルさんは、まさか決勝の挨拶の場で自分の名前が出るとは思っていなかったようで、手にしたベルモットを溢しそうになっていた。
 一方、その様子を見た観客たちは、驚きとともに興奮を覚えたかのような唸り声を上げる。
 引退したと思われていた訓練士トレーナーが、密かに決勝まで進んだ獣闘士ビスタのトレーニングに関与していたという種明かしは、闘技会グラディアを愛するサンティカ市民たちの胸を熱くした事だろう。


「氏のおかげで、私とピノラは……初めて決勝戦まで来ることができました! これから皆様に、優勝を賭けるにふさわしい試合をご覧頂きたいと思っています! どうか応援頂けますよう、宜しくお願いします!!」

「お願いしまーーすっ!!」

 
 言い終えると同時に、深く頭を下げる。
 当時にピノラも、満面の笑顔のまま叫ぶ。
 挨拶を終えた俺たちに向けて、全方位から万雷の拍手が沸き起こった。

 よし、何とかやり遂げた。
 初めて決勝に挑む者として、そして若輩者の訓練士トレーナーとして、相応の挨拶ができたと思う。


「えへへへ……! トレーナーっ! カッコ良かったよーっ!」

「ははは、何だか照れくさいな」


 俺の腕を掴み身体を寄せてくるピノラも、観客たちが笑顔で拍手をしてくれている事が嬉しいようだ。
 挨拶を終えた俺は、会場に向けて頭を下げたあと、対面にいる相手訓練士トレーナー……プレシオーネ氏に握手のために手を差し出した。
 さあ、今度は相手訓練士トレーナーの挨拶の番だ。
 本来ならここで、拍手のなか互いに健闘を誓い合う握手となるはず

 だったのだが────────




「まったく……長ったらしい挨拶だ。待ちくたびれてしまったじゃないか」


 差し出した右手を、払い除けられた。
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