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神のいない山
◆終幕
しおりを挟む――夢を見た。
広い広い原っぱに、楽しそうに駆け回りに語らう幼い男女。
少女は、色素の薄い柔らかな髪をふわふわと風に遊ばせながら、様々な種類の生える草の中、何かを探している。
小さな手は泥だらけ。
それでも、愛らしい幼顔には、満面の笑みが溢れていた。
「千代瀬、何探してるの?」
「クローバー!」
パタパタと子犬のように駆け回る少女を見守っていた少年は、艶やかな黒髪を、少女同様靡かせながらきょとんと少女を見つめた。
「クローバー?」
「そう! クローバー探してるの!」
「……前も探してたよね?」
「そうよ! 四つ葉のクローバーを見付けると良いことがある、てお母さんが言ってたの! だから探すのよ!」
キラキラと屈託のない笑顔で少年を見遣る少女に、優しい眼差しで迎えた少年は、内緒事のように囁いた。
「千代瀬はクローバーが好きなんだね。ふふっ、じゃあこんな話は知ってる? クローバーの花言葉はね――――」
――パチリ。
目が覚めた。
(あれ……今、どんな夢、見てたっけ……?)
朦朧とする意識の中、幼く優しい笑い声が反響する。
――それは、束の間の幸せの話。
◆◆◆
ほんの少しの睡眠から明けた現在。
清海野旅館の客間にて、清海野の女将と美岬館の女将が、対面ソファーに僕等と対峙するような形で座っていた。今回の件に関わる人物を集めた結果だ。
一番の当事者であり、被害者であり、加害者でもある千代瀬は、未だ目覚めない為、後日伝える形で収まった。
その方が此方としても都合が良いのだろう。
記憶があるにしろないにしろ、聞いていて気分の良い話ではないのだから。
体調の優れない今は、心神的負担のかかる話は避けるべきだ。
元々美岬館に泊まっていた客には、既に美岬館へと戻ってもらっている。
そもそもこの清海野への移動理由も、スプリンクラーの調子が悪い為、念の為のメンテナンス、と説明されていたので、無事が確認された時点でこの場に引き留める効力は失われるのだ。
いや、引き留める気など更々ないし、移って貰わねば困るからわざわざ時政が解除したり再操作したりと、面倒な作業を秘密裏に動かしていた訳だが。
……ほんと、どっから培ってくんのさ。その技術。
互いに口を開かず坦々と時間が過ぎる中、僕は瞳を伏せながら、膝の上に乗せた拳を耐えるため握っていた。
朝、――いや、とっくに時計の針は正午を指していたのでとても朝とは呼べない時間だったが、寝起きの気分から朝のような感覚が抜けなかったのだ――のそりと起きた時政が静かな声で忠告のように説いた言葉を反芻させながら。
「……んあ、」
むくりと重そうにワカメのような頭が擡げた。
「あ、おはよう……じゃないけど、おはようございます。時政さん。具合はどうですか? まだフラフラします?」
「あー……大丈夫だ。今、何時だ?」
「もうお昼ですよー」
時政より先に目覚めていた僕は、(時政さんは重症だったんだから当たり前なんだけれど。)自分の布団を畳みながら、もそもそと布団の中無意味に動いている時政を横目で見遣った。
なんか時政さんって狼っぽいよなー。
こう、やる気ない群れの長、みたいな?
……あ、想像したら笑えてきた。
「……あ? 何笑ってんだ。気色わりい」
「ヒドッ!」
不機嫌そうにしている時政にじゃれ付きながら、着替えやら準備やらを済ませる。
「それで時政さん。どうするんですか? 今日、女将さん達に説明するんですよね?」
まさか例の不審者が自分の実の娘だった、などと知れば、あの厳格そうな女将はなんと思うのだろうか。
どう転ぶかわからない展開に、不安を帯びさせながら問うと。
「ああ。説明はする。が、バイト、――テメェは絶対口出すな」
「……え?」
何時になく真剣な声で制する時政に、忙しなく動かしていた手を止めて、見えぬ瞳を見つめた。
「多分、俺がこれから話す内容は、お前にとって納得いかないものになると思う。けど、それでも、絶対に余計な事は言うな。いいな?」
固い声。
彼は一体、この常識では語れない事件をどう話すつもりなのか。
「……世の中、てのは、そんなもんなんだ」
感情を殺すように呟かれた一言に、僕はわけもわからず頷いた。
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