上 下
10 / 16

第9話 ウラルの狼

しおりを挟む
「えっ? 二人ともまだ帰ってないんですか?」

 ザデラムとファルハードが旭川市に出現した翌々日の朝。
 栗原家を訪れた拓矢は、あの日アミードの車に乗って現場を去った未玖と宏信がそのまま一度も帰宅していないと道郎から聞いて驚いた。

「うむ。メールの返信はあるんだが、大事な用があるからまだ帰れないんだと言うばかりで詳しいことは何も教えてくれん。電話を鳴らしても一度も出ないし、どうなっておるのか」

「俺もです。メールには、大丈夫だから心配しないでってすぐに返事が来るんですけど、電話には今はちょっと出られない、ごめんって……」

 スマートフォンでメールの文章を打って送信するだけなら、本人でなくても簡単にできる。未玖の肉声が確認できないまま、素性のよく分からない外国人に連れて行かれたきり行方知れずになっているのはやはり心配だった。

「せっかく、おめでたい時だというのに済まんな。本当なら未玖にも直接会ってお祝いしてもらえるはずだっただろうに」

 間もなくカタールで幕を開ける、アラブの石油王が大会スポンサーとなって開催されるサッカーの国際ユース選手権。レギュラーのストライカーにケガ人が出たための代役としての急な追加召集という形ではあったが、ライザーレ旭川での活躍が評価された拓矢はその大会に出場するU-18アンダーエイティーン (=18歳以下)日本代表のメンバーに選ばれたのである。拓矢にとっては初めての代表入りで、本来ならば未玖と一緒に大喜びしたいところだったが、今はそれよりもガールフレンドへの心配の方が先立ってしまい拓矢の心は浮かなかった。

「いえ、あの時そのまま行かせてしまった俺も迂闊だったのかも知れません。まずいことになってなければいいんですけど……」

 近日中に拓矢は代表チームと合流し、日本を離れてカタールへ行かなければならない。ただでさえ誰しも緊張してしまう初めての日本代表入りに未玖のことも重なって、拓矢としてはとてもプレーに集中できる心境ではなかった。



 事件が起こったのは、拓矢らユース日本代表の一団がカタールへ出発したその直後のことである。

 代表チームの選手やスタッフたちを乗せ、成田からドーハへ向かう飛行機は日本の領空を間もなく離れようとしている。座席の前に備えつけられたテレビの地図で現在位置を確認した拓矢は長いフライトの退屈凌ぎのため、何の気なしにリモコンを操作してチャンネルを回してみた。

「あまり面白そうなのがないな……。ニュースでも見るか」

 旭川で勃発した二大怪獣の激突は当然ながら日本中を震撼させる大事件となり、マスメディアでも連日取り上げられている。
 あの戦闘の後、ファルハードは遠く西表いりおもて 島の沖合まで飛んで岩礁の上で翼を休めており、中国や台湾との国境付近という政治的にデリケートな場所ということもあって日本政府は自衛隊を出動させての駆除などの思い切った対応を躊躇い、ひとまず動向を注視するのみに止めていた。ファルハードが攻撃されて殺されてしまうのも、逆に反撃して自衛隊員などの人間に犠牲者を出してしまうのも未玖や拓矢にとっては最悪の事態であるだけに、これはなかなか好都合な展開になったと言っていい。

(分かっててやってるわけじゃないだろうけど、ファルもいい場所を選んだもんだな)

 と、つい感心してしまう拓矢であった。
 一方のザデラムは銅剣を使って送られた未玖の指令で石狩湾の海上に移動させられたまま、こちらも空中に浮遊しながらずっと動かずにいる。ザデラムに対しても再び都市を襲う前にミサイルなどで撃滅を試みるべきか否か、国会では与野党の激しい論争が続いていて未だに結論が出ていなかった。

「怪獣に破壊された旭川の街について、政府は先ほど緊急の復興支援計画をまとめ……あっ、ここで速報が入りました」

 ニュースキャスターが原稿を読むのを中断し、飛び込んできたばかりの新たな情報を伝える。石狩湾の上空で停止していたザデラムが突如、南に進路を取って動き出したというのである。

「ザデラムが……!?」

 拓矢は驚いた。ザデラムの動きは、あの銅剣によって未玖が制御できているはずだ。それが行動を開始したということは、未玖がそうさせているということだろうか。理屈ではそうとしか考えられないが、現実に起きている事態は拓矢にそれを納得させるのを強く拒んでいた。ザデラムは南下し、再び北海道に侵入して破壊活動を再開したからである。

「未玖……何があったんだ……!?」

 飛行形態のザデラムは石狩港に停泊していたタンカーを鋏から放った稲妻で爆破して撃沈し、そのまま陸地へ進むと脚の生えた陸戦形態に変形して札幌の街を破壊し始めた。未玖の意思でコントロールされているのならば、こんなことはあり得ない。

「今入って来た情報です。西表島沖にいた赤いドラゴンが西の方角へ向かって飛び立ったと、先ほど防衛庁から発表がありました。日本の領空を離れ、現在は台北タイペイ 市の上空を通過中とのことです」

「ファルまで……一体何が起こってるんだよ」

 マッハ三の速度でわずか数分の内に台湾を横切ったファルハードは中国の福健ふっけん 省を突破し、更に西のチベット方面へ向かって飛行を続けている。北海道で暴れているザデラムにまた戦いを挑もうとしているわけではないようで、むしろ反対方向へ逃げるように飛び去ってしまったのだ。何がどうなっているのか、拓矢には全く分からなかった。



 状況が明らかとなったのは、札幌を襲撃したザデラムが再び海に撤退したその日の夜のことであった。この事態を引き起こした犯人グループによる犯行声明の動画が、インターネット上に公開されたのである。

「我々はクレムリンに対するレジスタンス組織・ウラルヴォールクである。日本政府に告ぐ。ザデラムは現在、我々の完全な制御下にある。これ以上、日本の国土と国民に被害を出したくなければ、八年前に逮捕された我々の革命同志を直ちに釈放し、更に十億ドルの資金提供を我々の組織に行なうべし。これは言わば全ての日本人の命をあがな うための身代金だ。我々の命令一つで、ザデラムは日本全土を焦土に変えることもできるのだからな」

 八年前、東京と川崎でテロを実行しようとして未然に阻止され、その後ロシア政府によって撲滅されたはずのロシアの反政府組織・ウラルヴォールクが、再び日本に対してその牙を剥いたのである。彼らはザデラムに札幌で最初の示威行動をさせた後、翌日には一気に南西へと移動させて名古屋を襲わせた。

「次は東へ進んで首都・東京を壊滅させるも良し、西へ向かって幾多の貴重な歴史的建造物がある京都を焼き払うも良し。そのような悲惨な事態が起こるのを避けたければ、速やかに我々の要求を受け入れよ!」

 セルゲイ・ジルコフと名乗るロシア人の男が、動画の中で高圧的にそう叫んで日本政府を恫喝する。要求が通り次第、ウラルヴォールクは日本への攻撃を中止し、ザデラムをモスクワへ進撃させて自分たちの本来の目的である革命のための闘争を開始すると述べていた。既に壊滅したはずだったテロ組織の突然の復活と想定外の手段による報復に、日本とロシアの国民と政府、そして全世界は強い衝撃を受けることになったのである。

「ロシアの大統領は日本に、要求には絶対に屈するなと圧力をかけておるようだ。まあ向こうの都合からすれば当然の言い分だが、かと言って東京や京都を本当に壊滅させられたら大変だし、この旭川だっていつまた攻撃されるか分からん。全くえらいことになったもんだな」

 カタールに到着した拓矢は、日本代表チームの宿泊先であるドーハの豪華な六つ星ホテルから旭川の栗原家に国際電話をかけて道郎と話をした。未玖と宏信は未だに帰宅せず、大丈夫だから安心してというメールを送ってくるばかりで電話に出ないままだという。

「未玖が自分からザデラムにそんなことをさせようとするはずがありません。きっとテロリストたちに脅迫されているんだと思います。早く助け出さないと……」

 ひとまず拓矢は自分が知っている全ての情報を証言し、ザデラムは銅剣によって操られていること、その銅剣を使える未玖が今は行方不明になっていることを道郎を介して警察や日本政府に伝えてもらうことにした。この情報はロシア政府とも直ちに共有され、両国の総力を挙げて未玖の居場所の捜索が開始されたが、領土問題などを抱えて普段から外交関係が冷え込んでいる日本とロシアでは連携を取ることも難しく、手がかりはなかなか掴めないまま時間だけが虚しく過ぎていった。
 騒然とした情勢の中で、サッカーの国際ユース選手権は開幕の日を迎えることになったのである。
しおりを挟む

処理中です...