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最終話 明日への咆哮

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 ザデラムが降らせた青い稲妻の雨は、そこにあった全てのものを大爆発させて消し去り、工場やオイルタンクが建ち並んでいた石油コンビナートの中心部を巨大なクレーターに変えた。

「ファル……ファルーっ!!」

 爆心地に立っていたファルハードも、稲妻の直撃を受けて肉片すら残さず爆散してしまったのだろうか。絶対に信じたくない、受け入れられるはずもない目の前の光景に、未玖は気が動転して大声で泣き叫んだ。

「ファルが……死んだ……」

 拓矢もショックのあまり呆然として、わなわなと身を小刻みに震わせながら立ち尽くしている。ザデラムを倒せる最後の希望だったファルハードが倒されてしまったことは、宏信や佳那子、そして全ての人類にとっても破滅の運命が現実のものとなったことを意味していた。

「万事休す、か」

 悲壮感の籠もった声で、宏信は呟くように言った。カタール軍を初めとする人類の軍事力による撃滅作戦は当然これから行われるだろうが、それで倒せるようなザデラムではないことを彼は長年の研究によってよく分かっている。諦念に満ちた宏信の表情を見て、もはやどうしようもないのだと悟った佳那子も愕然として死の恐怖にすくんだ。

「こっちに来るわ……!」

 蜘蛛のような七本の脚を動かして方向転換したザデラムが、未玖や拓矢たちがいるAJOCの本社ビルを奇怪な六つの目で見据える。佳那子がびくっと肩を震わせて声を上げた直後、ザデラムは脚の爪を地面に突き立てながら彼女らの方へ向かって進撃を開始した。

「終わり、だな」

 もはや逃げる術すらもない。従容と運命を甘受するような父親の言葉に、放心状態の未玖もただ黙って同意するしかなかった。
 だがザデラムがビルに迫ろうとしていたその時、驚くべきことが起こった。ザデラムの足元の地面が地割れを起こして急に崩れ、陥没して大きな穴となったのである。

「な、何だ……!?」

 突如として出現した自分の体高よりも深い穴に呑み込まれ、落下したザデラムは降ってきた大量の土砂を被って生き埋めになる。七本の脚を激しく動かし、地中から這い出たザデラムは蟻地獄から何とか脱出しようとする虫のように懸命にもがいた。

「どうなってるんだ……? 何があった……?」

 一体何が起こっているのか、宏信たちにも全く分からなかった。必死に穴からの脱出を図るザデラムだが、まるで地底から誰かに引っ張られてでもいるかのように、坂を這い上がろうとする度に強い力を受けて下へと引きずり降ろされてしまう。

「まさか……」

 同時に答に思い至った未玖と拓矢が、土砂が溜まった穴の底に期待の目を向ける。次の瞬間、ザデラムの下半身を沈み込ませていた土砂の下から、二人が聞き慣れた甲高く美しいドラゴンの鳴き声が響いてきた。地底に潜っていたファルハードが顔を出し、大きく咆えながら上から押さえつけるようにしてザデラムの胴体に覆い被さったのである。

「ファル!」

「やった! 生きてたんだ!」

 幼い頃のファルハードは毎晩いつも布団の下に潜り込み、全身を隠した状態のまま未玖の胸に抱きついて眠っていた。置いてあったタオルやカーペットなどの下にもよく入ろうとするので、もしかしたらモグラのように土に潜る習性があるのかも知れないと未玖と拓矢は話していたものである。
 二人が想像していた通り、地中を掘り進む能力を持つファルハードは頭の角に集めた高熱のエネルギーで土を溶かして穴を掘り、素早く地下へ逃れて稲妻の直撃を間一髪で回避していた。そしてザデラムの真下の土を削って空洞を作り、地面を陥没させてその落とし穴にザデラムを落下させたのである。

「まるでダルヴァザのガスクレーターみたいだな。やったぞファル!」

 ファルハードが熱エネルギーの補給地に利用したあのトルクメニスタンのガスクレーターと、起こった現象は同じであった。拓矢は歓喜して手を叩き、宏信もこれまで化石でしか知らなかったアヴサロスの地中潜行能力と、それを見事に活かしてみせた知能の高さに感嘆する。

「まさかこんな戦術があったとはね。恐れ入ったな」

 ザデラムは脚の爪でファルハードを突き刺して反撃しながら懸命に穴から脱出しようとするが、ファルハードはザデラムの左の後ろ脚を掴んで力任せにへし折り、二本目の脚の欠損を生じさせて坂を登る力を更に奪った。二匹の怪獣たちが激しく暴れたことで、その重みと衝撃を受けた地面はますます崩れ、穴が大きく広がってゆく。

「でも、危ないわ。あの石油タンクが……!」

 佳那子が危惧して指差した直後、傍にあった大型のオイルタンクが土砂崩れに飲まれ、倒壊して中の石油ごと穴へと落下していった。他にもいくつものタンクが足場を崩されて滑落し、穴の底は撒かれた大量の石油で満たされて池のようになる。その石油の溜め池の中に半身を沈めながら、ファルハードとザデラムは油まみれになって格闘を続けていた。

「お、おい! よせ! ファル!」

「そんなことしたら、自分も死んじゃうわ!」

 口を大きく開いたファルハードの喉の奥に、赤い灼熱の炎が灯ったのを見て拓矢と未玖が咄嗟に制止の声を上げる。このオイルの池の中で、ファルハードは必殺の熱線を吐こうとしているのだ。それは確かに熱線の火力を猛烈に上昇させる効果的な作戦ではあったが、この状態で発射すれば穴の中にいるファルハードも一瞬で炎に呑まれ、共に焼け死んでしまいかねない。

「やめて! ファルっ!!」

 未玖が声を限りに叫んだ瞬間、覚悟を決めたように全身に力を込めたファルハードの口から紅蓮の炎が勢いよく噴き出され、たちまち周囲の石油に引火して轟音と共に巨大な爆炎が空高く立ち昇った。



「どう……なったんだ……?」

 地を揺るがす大爆発が起こった後も、穴に溜まった大量の石油は激しく燃え続けている。その中で動いている者の気配はなかった。ファルハードもザデラムも、いくら待っても炎の中から上がって来ないのだ。相手を道連れにする壮絶な自爆戦法で、ファルハードはザデラムを葬ったようであった。

「ファル……っ……どうして……」

 焼け焦げた床の絨毯の上に膝を突いた未玖は泣いていた。拓矢も絶句して、もはや頭の中が真っ白になってしまっている。生まれてすぐに冷たい雨に打たれて死にかけていたところを助け、親代わりとなって大切に育ててくれた二人のためならファルハードはどんな危険も顧みず戦ってくれた。だが、まさかここまでするとは二人も思わなかったのだ。

「……!?」

 不意に、燃え盛る炎の中で何かが動いたのを感じて未玖は顔を上げた。穴の底から、何かがゆっくりと浮上してくる。立ち昇る炎を突破してこちらへと前進し、その巨大な飛翔体は姿を露にした。

「ザデラム……!」

 それはファルハードではなく、第一形態に変身して穴から飛び立ったザデラムであった。第三形態の時にもぎ取られた右の前脚は復元できておらず、鋏のついた左腕のみを前方にかざして威嚇するように構えている。未玖たちの表情から期待の色が消えて恐慌に変わったのを嘲笑うかのように、ザデラムは顔から生えたホースのような長い突起の先にある口を彼女たちに向けて開き、ビームを撃ち出そうと紫色のエネルギーをその中にチャージした。

「そんな……! こんなことって……」

「何てことだ。せっかくファルハードが命まで犠牲にしてくれたのに……!」

 最悪の展開に、宏信と佳那子も天を呪う言葉を呟くのが精一杯だった。主砲の破壊光線を発射しようとエネルギーを充填するザデラム。だが、体内を行き巡って口へと集積されようとしていたそのエネルギーの熱に耐えかねたように、ザデラムの全身は音を立ててひび割れ、内部から爆裂してバラバラに砕け散った。

「ファルが、やったんだ……」

 地面に落ちたザデラムの破片は溶けて泥となり、コンビナートを包む炎に焼かれて灰となってゆく。超古代の魔術師が造り出した、神を討つための強力な破壊兵器の最期。それを見届けた未玖たちの耳に、炎上を続ける深い穴の下からあの声が響いてきた。

「ファル……!」

「ファルハードだ!」

 未玖と拓矢が、歓声を上げながら手を取り合って喜ぶ。全てを焼き尽くすかのような業火に耐え、翼を羽ばたかせて飛び立ったファルハードが穴の中から出てきて無事な姿を見せたのである。未玖たちがいるAJOCの本社ビルのすぐ前に着地したファルハードは身を屈め、子供の頃と同じ愛情表現をしたそうに鼻を突き出して十階の壊れた窓の前に立つ未玖と拓矢に近づけた。

「ファル……ファルぅっ……! 良かった! もう、死んじゃったかと思ったのに……!」

 あふれ出す感情を決壊させて、未玖はファルハードの大きな鼻に抱きつくと子供のように泣きじゃくった。拓矢もその横でファルハードの鼻に手を乗せ、労わるように優しく撫でる。

「頑張ったな。凄いよ。ファル!」

 それは人と竜との絆が起こした奇跡。一万年の時を超えて結ばれ育まれた、特別な愛情が掴んだ勝利であった。ザデラムは遂に滅び、世界は危機から救われたのである。

「お陰で助かったわ。ファル。大好きよ」

 ここから下りたいという未玖の意思を機敏に読み取ったファルハードは未玖と拓矢を右手に、宏信と佳那子を左手に乗せ、ゆっくりとビルから地上に下ろした。本当に賢い子ね、と、未玖は改めてこの心から愛するドラゴンの素晴らしさに笑顔を見せる。

「ありがとう。また会おうね。ファル!」

「じゃあな! 元気で暮らせよ!」

 高らかに雄叫びを上げたファルハードは翼を広げて飛び立ち、東の空へと去って行った。ファルハードの飛んで行った方向から太陽が昇り、暗かった夜空が次第に明るくなってゆく。

「何と言うか、感動以外の言葉が出て来ないな。これだけのことが起きた割には、実に平凡でありきたりな感想だけどね」

 万感の思いはかえって語彙を奪っている。大きく嘆息してそう言った宏信に、肩を寄せるようにして佳那子は訊ねた。

「それより、さっきのあの言葉の方が私にはずっと気になるんだけど。あれは本気? それとも銃を向けられて取り乱しただけ?」

「ああ、あれかい?」

 今生の別れのつもりで口にしたあの時の科白について問い質された宏信は、気恥ずかしそうに頭を掻きながら答えた。

「もちろん本気だよ。いくら死ぬ寸前でパニックになったからって、心にもないことを口走ったりはしないさ。君の答はどうだか知らないけどね」

「ええ、そうね……。正直、あなたからまたあんな言葉をもらえて嬉しかったわ」

 微笑して、佳那子は宏信の肩に頬を寄せた。自分がまだ小さい頃に離婚してしまった両親がようやく和解できた様子を、傍に立つ未玖は満面の笑みで見つめている。

「何か、いい感じみたいだな。じゃ、俺はこれで」

 やっと絆を取り戻すことができた家族三人の時間を久しぶりにゆっくり過ごすといい。未玖にそう言って、拓矢は邪魔にならないようにとその場から立ち去ろうとしたが、宏信が声をかけてそれを呼び止めた。

「いやいや、こっちもまだよりを戻せるとはっきり決まったわけじゃないんでね。せっかくだからここはお互い、まずは結婚を前提にお付き合いということでダブルデートっていうのはどうだい?」

「そ、そんな」

 宏信の冗談に未玖と拓矢が同時に顔を赤らめたので、佳那子もくすりと笑った。焼け落ちて瓦礫の山と化したコンビナートに背を向けて、宏信は三人を手招きする。

「行こう。向こうに洒落た雰囲気の喫茶店があるんだ。あの石油王の男があちこち連れ回してくれたお陰で、この街についてはそれなりに詳しいからね」

「ケガの功名って言うのかしらね。行くわよ。未玖」

「うん! さあ行きましょ。拓矢」

「えっ……ああ、そうだな」

 戦いが終わり、平穏が戻ったドーハの街を眩しい朝陽が照らしている。歩き出した四人の未来にも、明るい光が射しているようであった。

〈完〉
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