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第二幕
すれ違う眼差し
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翌朝、職員室の前に恭也の姿があった。まだ朝早いようで、先生方の姿はまばらだ。
職員室に入ったはいいものの、入口でキョロキョロしている恭也に他の学年の先生がどうしたのかと問いかけた。恭也は九条先生がまだ来ていないと知ると、回れ右をして部室へ向かった。
そこにはすでに、慧と竜生がいた。
ふたりは相変わらず腰かけてダラダラしていたが、恭也が珍しく早く来たので驚いたようだ。いつもと違う理由を聞かれ恭也が戸惑っていると、Crescendoの四人目――智春が現れ、
「恭也、今日早いじゃん。どうしたの」
彼も慧たちと同じことを思ったようだ。智春が机に鞄を置くと、それを見計らったように恭也が口を開いた。
「あのさ……話があるんだ」
四人は部室の隣の教室へ移動した。一応、机や椅子はあるのだがほぼ授業で使われることはなく、吹奏楽部の天下になっている小汚い(失礼)部屋だ。
中に入ると、恭也以外の三人は適当にそのへんの椅子に腰をおろす。慧が伸びをしてひときわ大きなあくびをかました。
ひとり立ったままの恭也は下を向いており、右手でスラックスを軽く握った。
「あのさ、俺……」
うつむいたまま誰とも目を合わせず、口ごもっている。
「コンクール出られない」
一瞬、時間が止まったようにその場の全員の動きがピタリと止まり、智春の疑問の声が時計の針を動かした。
「……ん?」
「俺、支部大会出られなくなった」
恭也はさっきと変わらず黙ってうつむいたまま、立ちつくしている。竜生と慧は身を乗り出した。
「恭也……本気で言ってんのか!?」
「つーか何があった?」
「……じつは俺、Gloriaに引き抜きされた」
「はぁ!? いつの話だよ」
驚いている他のメンバーとは対照的にかなり落ち着き払っている。
「こないだのライブの、すぐあと。……世話になった先輩だから、手伝うくらいなら良いと思ったんだ。でも貴臣さんが勝手にバンドのオーディションに応募しちゃって」
「それって最初に恭也が見つけてきた、あのオーディションじゃないのか」
「そう……それだよ」
消え入りそうな声を聞くやいなや、慧の眉間にしわが切り込まれ眼光が鋭くなった。こうなると導火線に火がついた合図だ。
「恭也、何考えてんだ? あれは部活と両立できないから止めようってなったんじゃねーの? なのに、なんでお前ライブ出ようとしてんだよ。しかも大会休んでだ!?」
立ち上がり今にも殴りかかりそうな慧を、竜生があわててなだめる。
「まぁまぁ、恭也にも言い分が……」
「智春もなんか言ってやれよ」
悔しそうに慧は智春に視線を向けた。
智春は何も言わず座ったまま成り行きを見守っていたが、口を開いた。
「恭也。俺たちと組んでるのは、嫌か?」
「そんなこと……!」
その瞬間、恭也は顔をあげ智春と目が合った。
「じゃあなんで、相談も無く決めたんだよ」
智春の鋭いまなざしと言葉が、滅多に表さない激しい感情をぶつけていた。
恭也は表情を歪めたが、返す言葉が見つからないのか身動きひとつせず、また目をそらした。その様子を見かねた竜生は言い過ぎだとフォローしたが、それに対し慧が反論する。
「別にいいんじゃねぇの。智春も言いたいことあるなら、言っちまったほうがスッキリすんだろ」
腕を組んで指を動かしかなりイライラしている様子で、状況は一触即発だった。
「……恭也、なんか言えよ」
目線の合わない恭也を睨み付けているその目はどこか冷めている。
「なんとか言えっつってんだよ!」
吼えると同時に、近くにあった机を力任せに蹴飛ばした。派手な音を立て、机や椅子が散らばる。
抑えきれない感情がそれにぶつけられていた。
朝練の音が一瞬、ピタリと静まる。
「……うっせぇな」
恭也は目を合わせないまま、うんざりしたようにつぶやいた。
「部活出ようが出まいが、俺の勝手だろ」
「そうだな、ホントに勝手だよ。お前がそんな無責任だったとは、残念だ」
そう言って慧は、わざとらしく恭也から目をそらして椅子に腰かけた。
「後輩に全部押しつけて、お前はばっくれかよ。いい御身分だな。廃部になるかもしれないってのに」
言い終わるか終わらないかくらいで、鈍い音が響いた。智春と竜生が止める間もなく、恭也が慧の横っ面を殴っていた。
不意打ちを食らって慧は椅子から崩れ落ち、床に手を着いた。
「ってーな。文句あんのか」
立ち上がり、恭也を睨みつける。
「慧に、俺の何がわかるんだよ!? お前みたくお気楽に進学考えて、ヘラヘラしてる奴と一緒にすんな!」
「んだと……もういっぺん言ってみろぁ!!」
慧が恭也を殴り返し、取っ組み合いの喧嘩が始まってしまった。
智春と竜生が止めようとするが、なんせ彼らより背が高いふたりは完全に頭に血が昇っていて手に負えない。
すると───勢いよく教室の戸が開いて、誰かが入ってきて叫んだ。
「ちょっ……きゃあ!」
よく見ると瑞穂だった。目の前の出来事に驚いて立ちすくんでいる。
こちらも驚いて一瞬手を止めた慧と恭也を、急いで智春と竜生で引き離して押さえ込んだ。
事態を飲み込めない瑞穂は四人を見るなり、
「な、何があったの!?」
「別に」と、その言葉に一番似つかわしくない恭也が息の上がった声で答えた。
慧はやれやれと自分を押さえてた竜生を振りほどき、
「喧嘩だよ、喧嘩……。見りゃわかるだろ」
最初に恭也に食らった傷で、唇が切れて腫れていた。今日は楽器は吹けないだろう。
瑞穂がいる手前、やっと恭也もおとなしくなり、智春は恭也を離した。
瑞穂は心配そうに慧の顔を見上げる。
「また派手にやらかして……口切ってるじゃん! 吹けるの?……って、わっ」
慧はいきなり、心配する瑞穂を右手で抱き込むと入り口へと歩き始めた。そのまま教室のドアを開け、廊下へ連れ出す。
瑞穂は彼を突き飛ばすこともなく、胸の前に腕を縮めてされるがままになっていた。よく見ると、耳が少し赤い。
「瑞穂は心配しなくていいの。だからもう楽器片づけて教室帰るの。わかった? あ、部室の鍵は俺にちょうだい。返しとくから」
慧は息継ぎもせず、笑顔でそこまで一気にしゃべった。
「はぁ? なんでそんな勝手な……」
瑞穂が言い返そうとして慧を見たが、そこで止まってしまった。
「……瑞穂、どうした?」
上から降ってきた低い声に、瑞穂の身体はピクッと反応した。慧はそれに気づいていない様子だ。
「あ、その……。じゃあこれ、鍵」
「サンキュ」
ピッコロを奏でるのに具合の良さそうなすらりと細長い指で鍵を受け取ると、慧は再び瑞穂にニッコリ笑いかけた。
「んもう……っ!」
瑞穂は何か言いたそうだったが、慧は彼女を抱き込んでいた手を離してウインクをかますと、有無を言わせず扉を閉めた。
だてに翔鳳ブラバンのセクシー担当(自称)ではないらしい。
瑞穂は仕方なく、楽器を持って部室へ戻り片づけをするしかなかった。
戻ってきた慧を見て、智春は笑みを浮かべている。
「智春、何ニヤけてんの、気持ち悪りぃ」
「別に」
それでもまだ、智春の口元は笑っていた。
「ま、そういうことで……。あとで九条先生にも言うけど、おまえらには早く言っときたかったから……」
恭也はクールダウンしたのか、最初の頃のような小声に戻った。
「恭也、また戻ってくるんだよな?」
教室を出ようとする恭也の背中に、竜生が問いかけた。その顔はなんだか少し泣きそうにも見える。
竜生の言葉に恭也は一度立ち止まったが、答えることなくそのまま扉を開けて出ていった。
残された三人はただその後ろ姿を見送るしかなかった。
職員室に入ったはいいものの、入口でキョロキョロしている恭也に他の学年の先生がどうしたのかと問いかけた。恭也は九条先生がまだ来ていないと知ると、回れ右をして部室へ向かった。
そこにはすでに、慧と竜生がいた。
ふたりは相変わらず腰かけてダラダラしていたが、恭也が珍しく早く来たので驚いたようだ。いつもと違う理由を聞かれ恭也が戸惑っていると、Crescendoの四人目――智春が現れ、
「恭也、今日早いじゃん。どうしたの」
彼も慧たちと同じことを思ったようだ。智春が机に鞄を置くと、それを見計らったように恭也が口を開いた。
「あのさ……話があるんだ」
四人は部室の隣の教室へ移動した。一応、机や椅子はあるのだがほぼ授業で使われることはなく、吹奏楽部の天下になっている小汚い(失礼)部屋だ。
中に入ると、恭也以外の三人は適当にそのへんの椅子に腰をおろす。慧が伸びをしてひときわ大きなあくびをかました。
ひとり立ったままの恭也は下を向いており、右手でスラックスを軽く握った。
「あのさ、俺……」
うつむいたまま誰とも目を合わせず、口ごもっている。
「コンクール出られない」
一瞬、時間が止まったようにその場の全員の動きがピタリと止まり、智春の疑問の声が時計の針を動かした。
「……ん?」
「俺、支部大会出られなくなった」
恭也はさっきと変わらず黙ってうつむいたまま、立ちつくしている。竜生と慧は身を乗り出した。
「恭也……本気で言ってんのか!?」
「つーか何があった?」
「……じつは俺、Gloriaに引き抜きされた」
「はぁ!? いつの話だよ」
驚いている他のメンバーとは対照的にかなり落ち着き払っている。
「こないだのライブの、すぐあと。……世話になった先輩だから、手伝うくらいなら良いと思ったんだ。でも貴臣さんが勝手にバンドのオーディションに応募しちゃって」
「それって最初に恭也が見つけてきた、あのオーディションじゃないのか」
「そう……それだよ」
消え入りそうな声を聞くやいなや、慧の眉間にしわが切り込まれ眼光が鋭くなった。こうなると導火線に火がついた合図だ。
「恭也、何考えてんだ? あれは部活と両立できないから止めようってなったんじゃねーの? なのに、なんでお前ライブ出ようとしてんだよ。しかも大会休んでだ!?」
立ち上がり今にも殴りかかりそうな慧を、竜生があわててなだめる。
「まぁまぁ、恭也にも言い分が……」
「智春もなんか言ってやれよ」
悔しそうに慧は智春に視線を向けた。
智春は何も言わず座ったまま成り行きを見守っていたが、口を開いた。
「恭也。俺たちと組んでるのは、嫌か?」
「そんなこと……!」
その瞬間、恭也は顔をあげ智春と目が合った。
「じゃあなんで、相談も無く決めたんだよ」
智春の鋭いまなざしと言葉が、滅多に表さない激しい感情をぶつけていた。
恭也は表情を歪めたが、返す言葉が見つからないのか身動きひとつせず、また目をそらした。その様子を見かねた竜生は言い過ぎだとフォローしたが、それに対し慧が反論する。
「別にいいんじゃねぇの。智春も言いたいことあるなら、言っちまったほうがスッキリすんだろ」
腕を組んで指を動かしかなりイライラしている様子で、状況は一触即発だった。
「……恭也、なんか言えよ」
目線の合わない恭也を睨み付けているその目はどこか冷めている。
「なんとか言えっつってんだよ!」
吼えると同時に、近くにあった机を力任せに蹴飛ばした。派手な音を立て、机や椅子が散らばる。
抑えきれない感情がそれにぶつけられていた。
朝練の音が一瞬、ピタリと静まる。
「……うっせぇな」
恭也は目を合わせないまま、うんざりしたようにつぶやいた。
「部活出ようが出まいが、俺の勝手だろ」
「そうだな、ホントに勝手だよ。お前がそんな無責任だったとは、残念だ」
そう言って慧は、わざとらしく恭也から目をそらして椅子に腰かけた。
「後輩に全部押しつけて、お前はばっくれかよ。いい御身分だな。廃部になるかもしれないってのに」
言い終わるか終わらないかくらいで、鈍い音が響いた。智春と竜生が止める間もなく、恭也が慧の横っ面を殴っていた。
不意打ちを食らって慧は椅子から崩れ落ち、床に手を着いた。
「ってーな。文句あんのか」
立ち上がり、恭也を睨みつける。
「慧に、俺の何がわかるんだよ!? お前みたくお気楽に進学考えて、ヘラヘラしてる奴と一緒にすんな!」
「んだと……もういっぺん言ってみろぁ!!」
慧が恭也を殴り返し、取っ組み合いの喧嘩が始まってしまった。
智春と竜生が止めようとするが、なんせ彼らより背が高いふたりは完全に頭に血が昇っていて手に負えない。
すると───勢いよく教室の戸が開いて、誰かが入ってきて叫んだ。
「ちょっ……きゃあ!」
よく見ると瑞穂だった。目の前の出来事に驚いて立ちすくんでいる。
こちらも驚いて一瞬手を止めた慧と恭也を、急いで智春と竜生で引き離して押さえ込んだ。
事態を飲み込めない瑞穂は四人を見るなり、
「な、何があったの!?」
「別に」と、その言葉に一番似つかわしくない恭也が息の上がった声で答えた。
慧はやれやれと自分を押さえてた竜生を振りほどき、
「喧嘩だよ、喧嘩……。見りゃわかるだろ」
最初に恭也に食らった傷で、唇が切れて腫れていた。今日は楽器は吹けないだろう。
瑞穂がいる手前、やっと恭也もおとなしくなり、智春は恭也を離した。
瑞穂は心配そうに慧の顔を見上げる。
「また派手にやらかして……口切ってるじゃん! 吹けるの?……って、わっ」
慧はいきなり、心配する瑞穂を右手で抱き込むと入り口へと歩き始めた。そのまま教室のドアを開け、廊下へ連れ出す。
瑞穂は彼を突き飛ばすこともなく、胸の前に腕を縮めてされるがままになっていた。よく見ると、耳が少し赤い。
「瑞穂は心配しなくていいの。だからもう楽器片づけて教室帰るの。わかった? あ、部室の鍵は俺にちょうだい。返しとくから」
慧は息継ぎもせず、笑顔でそこまで一気にしゃべった。
「はぁ? なんでそんな勝手な……」
瑞穂が言い返そうとして慧を見たが、そこで止まってしまった。
「……瑞穂、どうした?」
上から降ってきた低い声に、瑞穂の身体はピクッと反応した。慧はそれに気づいていない様子だ。
「あ、その……。じゃあこれ、鍵」
「サンキュ」
ピッコロを奏でるのに具合の良さそうなすらりと細長い指で鍵を受け取ると、慧は再び瑞穂にニッコリ笑いかけた。
「んもう……っ!」
瑞穂は何か言いたそうだったが、慧は彼女を抱き込んでいた手を離してウインクをかますと、有無を言わせず扉を閉めた。
だてに翔鳳ブラバンのセクシー担当(自称)ではないらしい。
瑞穂は仕方なく、楽器を持って部室へ戻り片づけをするしかなかった。
戻ってきた慧を見て、智春は笑みを浮かべている。
「智春、何ニヤけてんの、気持ち悪りぃ」
「別に」
それでもまだ、智春の口元は笑っていた。
「ま、そういうことで……。あとで九条先生にも言うけど、おまえらには早く言っときたかったから……」
恭也はクールダウンしたのか、最初の頃のような小声に戻った。
「恭也、また戻ってくるんだよな?」
教室を出ようとする恭也の背中に、竜生が問いかけた。その顔はなんだか少し泣きそうにも見える。
竜生の言葉に恭也は一度立ち止まったが、答えることなくそのまま扉を開けて出ていった。
残された三人はただその後ろ姿を見送るしかなかった。
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