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第二幕
宵の記憶
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部活が始まる前に九条先生から恭也について話があった。詳しい理由は触れなかったが、彼が今日から休むとだけ説明していた。
恭也の担当していたパーカッションパートは戸惑っているようで、二年生の平良明日香はいまにも泣き出しそうな顔をしていた。
瑞穂はくちびるをキュッと結び、下を向いたまま何も発言しなかった。
パート練習に移動する途中、俊太がおずおずと智春に訊ねる。
「恭也さんはもう部活に来ないんですか?」
「そういうわけじゃないんだけど、ちょっとね」
智春は不慣れなりにはぐらかした。入ってきたばかりの一年生に、バンドのために辞退しましたなんて口が裂けても言えないだろう。
「そうなんですか。残念ですね。恭也さんすごく上手いから、県大も楽勝だと思って心強かったのに」
俊太は淋しそうな顔をした。あどけないが端正な顔立ちが余計に悲壮感を誘う。
「特定の楽器が上手いだけで上にいけるわけじゃないからね。吹奏楽は団体競技だから、みんなの気持ちを一つにしないと」
「……そうでしょうか」
智春の言葉に俊太は少し不服そうだ。
「やっぱり、上手いものはみんなの目を引くんじゃないですか? 評価されて当然なのでは」
「それは……」
口ごもった智春の代わりに、背後から声がした。翔鳳の自称セクシー担当だが本日は負傷により楽器が吹けない慧である。
「それはちょっと違うな。たとえひとりが上手くても、それはあくまでもそいつの評価だろ。楽団の音楽の評価じゃない」
「そういうものですかね」
俊太はまだ納得がいかない様子だ。
そこへ九条先生がやってきた。
「俺は慧の意見に賛成、かな。ひとりが上手いだけで上に行けるなら、そんな学校は山ほどあると思うね」
穏やかだが少し厳しい口調で、俊太に優しい眼差しを向けた。
「自分の技術を向上させたいだけなら、何も吹奏楽部に入る必要は無い。ひとりで練習して、ソロコンに出るのもいいんじゃないか」
「……そうですね」
俊太はそれ以上は何も言わず、目を伏せてその場を去った。
「あの……先生、恭也は部活辞めたことになるんですか?」
「籍はまだあるよ。さっき“お休み”って言ったでしょ?」
「本当ですか!? ありがとうございます。俺、それだけが気がかりで……」
「本人は退部するって言ったんだけどね、俺はもったいないと思って。三年生だし、コンクール出られなくても定演あるからさ」
そうして九条先生はニッコリ微笑むと、準備室へと入って行ったのだった。
一方、恭也は授業が終わるとすぐに帰って練習するようになった。
「恭也、今日も帰るのか?」
「ああ」
心配そうに声を掛ける亮平に返ってきたのは、そそくさと帰り支度をする恭也のそっけない返事だった。
「部活はいいのか?」
「……もういいんだ」
亮平の顔も見ずに答え、鞄を持って教室を出て行った。
その夜、とある小さな店に恭也とGloriaメンバーの姿があった。
繁華街の路地裏にある『ペサディジャ』というこじんまりとしたバーで、ほぼ常連の人間しか来ない。
店内は薄暗くて少々サイケデリックとも思える青いライトが壁やテーブルを光らせている。重低音が響く中、恭也はカウンターの隅でタバコをふかしていた。貴臣たちは女の子を見つけて口説いている。
恭也は初めて連れてこられて以来、ここがあまり好きになれなかった。
高校入学と同時に禁煙していたが、部活を休むようになってまた吸い始めた。
ただ貴臣たちの付き添いで来て、ノリのいい音楽に身を任せるここでは、恭也にとって酒とタバコしかやることがなかった。
煙の混じった息を吐くと、言葉も一緒に漏れた。
「……元に戻っちまった」
ふと名前を呼ばれて横を向くと貴臣が、
「女の子がおまえ呼んで来いって言うからさ。ちょっと来いよ」
何事もなかったかのようについて行くと、そこに居たのは恭也と同い年ぐらいに見える二人の女の子だった。
「恭也くん? ヤバ、カッコイイじゃん!」
「しかもドラムやってんでしょ!? すごいよね~」
ふたりのうち一人は、日焼けした肌にダンサー系の服装。もう一人は、どちらかというと白くて盛りメイクのキャバ嬢系の子だった。
どちらの系統も嫌いではない。
恭也が彼女たちに軽く挨拶すると、貴臣の話は先に進んでいた。
「恭也くん、この後何か予定あるの?」
「べつに無いけど」
「じゃあさ、アタシと一緒に出かけよう~?」
言い終わらないうちに、キャバ系の女の子が恭也に腕を組んできた。わざと胸をぎゅっと押しつけてつぶれた谷間が見えているが、恭也の表情は全く変わらなかった。彼女は彼のことはお構い無しだ。
「よかったな、恭也。こっちはこっちで楽しむからさ」
「ね~♪」
「たまには息抜きも大事だぜ」
貴臣はいつの間にかダンサーギャルと絡み合っていて、恭也の肩を叩いてクラブを出て行った。残ったキャバ系女子が、恭也の腕を抱き外へ出る。
「んじゃ決まりッ♪ 行こ行こ~」
少しひんやりとした夜風が頬をなでる。
恭也はとくに嫌がることもせず、ただ黙って腕を引かれるまま、夜の街へ消えて行った。
恭也の担当していたパーカッションパートは戸惑っているようで、二年生の平良明日香はいまにも泣き出しそうな顔をしていた。
瑞穂はくちびるをキュッと結び、下を向いたまま何も発言しなかった。
パート練習に移動する途中、俊太がおずおずと智春に訊ねる。
「恭也さんはもう部活に来ないんですか?」
「そういうわけじゃないんだけど、ちょっとね」
智春は不慣れなりにはぐらかした。入ってきたばかりの一年生に、バンドのために辞退しましたなんて口が裂けても言えないだろう。
「そうなんですか。残念ですね。恭也さんすごく上手いから、県大も楽勝だと思って心強かったのに」
俊太は淋しそうな顔をした。あどけないが端正な顔立ちが余計に悲壮感を誘う。
「特定の楽器が上手いだけで上にいけるわけじゃないからね。吹奏楽は団体競技だから、みんなの気持ちを一つにしないと」
「……そうでしょうか」
智春の言葉に俊太は少し不服そうだ。
「やっぱり、上手いものはみんなの目を引くんじゃないですか? 評価されて当然なのでは」
「それは……」
口ごもった智春の代わりに、背後から声がした。翔鳳の自称セクシー担当だが本日は負傷により楽器が吹けない慧である。
「それはちょっと違うな。たとえひとりが上手くても、それはあくまでもそいつの評価だろ。楽団の音楽の評価じゃない」
「そういうものですかね」
俊太はまだ納得がいかない様子だ。
そこへ九条先生がやってきた。
「俺は慧の意見に賛成、かな。ひとりが上手いだけで上に行けるなら、そんな学校は山ほどあると思うね」
穏やかだが少し厳しい口調で、俊太に優しい眼差しを向けた。
「自分の技術を向上させたいだけなら、何も吹奏楽部に入る必要は無い。ひとりで練習して、ソロコンに出るのもいいんじゃないか」
「……そうですね」
俊太はそれ以上は何も言わず、目を伏せてその場を去った。
「あの……先生、恭也は部活辞めたことになるんですか?」
「籍はまだあるよ。さっき“お休み”って言ったでしょ?」
「本当ですか!? ありがとうございます。俺、それだけが気がかりで……」
「本人は退部するって言ったんだけどね、俺はもったいないと思って。三年生だし、コンクール出られなくても定演あるからさ」
そうして九条先生はニッコリ微笑むと、準備室へと入って行ったのだった。
一方、恭也は授業が終わるとすぐに帰って練習するようになった。
「恭也、今日も帰るのか?」
「ああ」
心配そうに声を掛ける亮平に返ってきたのは、そそくさと帰り支度をする恭也のそっけない返事だった。
「部活はいいのか?」
「……もういいんだ」
亮平の顔も見ずに答え、鞄を持って教室を出て行った。
その夜、とある小さな店に恭也とGloriaメンバーの姿があった。
繁華街の路地裏にある『ペサディジャ』というこじんまりとしたバーで、ほぼ常連の人間しか来ない。
店内は薄暗くて少々サイケデリックとも思える青いライトが壁やテーブルを光らせている。重低音が響く中、恭也はカウンターの隅でタバコをふかしていた。貴臣たちは女の子を見つけて口説いている。
恭也は初めて連れてこられて以来、ここがあまり好きになれなかった。
高校入学と同時に禁煙していたが、部活を休むようになってまた吸い始めた。
ただ貴臣たちの付き添いで来て、ノリのいい音楽に身を任せるここでは、恭也にとって酒とタバコしかやることがなかった。
煙の混じった息を吐くと、言葉も一緒に漏れた。
「……元に戻っちまった」
ふと名前を呼ばれて横を向くと貴臣が、
「女の子がおまえ呼んで来いって言うからさ。ちょっと来いよ」
何事もなかったかのようについて行くと、そこに居たのは恭也と同い年ぐらいに見える二人の女の子だった。
「恭也くん? ヤバ、カッコイイじゃん!」
「しかもドラムやってんでしょ!? すごいよね~」
ふたりのうち一人は、日焼けした肌にダンサー系の服装。もう一人は、どちらかというと白くて盛りメイクのキャバ嬢系の子だった。
どちらの系統も嫌いではない。
恭也が彼女たちに軽く挨拶すると、貴臣の話は先に進んでいた。
「恭也くん、この後何か予定あるの?」
「べつに無いけど」
「じゃあさ、アタシと一緒に出かけよう~?」
言い終わらないうちに、キャバ系の女の子が恭也に腕を組んできた。わざと胸をぎゅっと押しつけてつぶれた谷間が見えているが、恭也の表情は全く変わらなかった。彼女は彼のことはお構い無しだ。
「よかったな、恭也。こっちはこっちで楽しむからさ」
「ね~♪」
「たまには息抜きも大事だぜ」
貴臣はいつの間にかダンサーギャルと絡み合っていて、恭也の肩を叩いてクラブを出て行った。残ったキャバ系女子が、恭也の腕を抱き外へ出る。
「んじゃ決まりッ♪ 行こ行こ~」
少しひんやりとした夜風が頬をなでる。
恭也はとくに嫌がることもせず、ただ黙って腕を引かれるまま、夜の街へ消えて行った。
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