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#34 ある飢えた子どもと神の話
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ルーファスと分かれてしばらくはミュッセンにいたのだと、ユーゴは言った。
「ジーンたちと行動してた。断片的だけど、エドモントの話は聞いてたよ」
「……。そうですか」
あえて多くを言わないのはユーゴなりの気遣いなのだろうとルーファスは解釈する。きっと彼はわかっているのだ。エドモントに帰国したルーファスがどんな境遇にあったのか。
「ありがとな」
ユーゴがその場に腰をおろす。ルーファスもならって座った。すっかり気持ちがユーゴと旅をしていた頃に戻ってしまったらしく、あくびまで出てくる。
「かばってくれたんだろ、おれのこと。あんたがとっさに機転利かせてくれたおかげで、助かった。まあ、護衛としては最悪だけど」
ユーゴが肩をすくめた。
「どうする、これから。おれと一緒に傭兵でもやるか? ジーンのやつも困ったらいつでも来いって言ってたし」
「……」
ユーゴと一緒に。想像して、きっと楽しいだろうなとルーファスは思う。国にも義務にも縛られることなく、その日その日をユーゴと自由に生きる。それもいいですね、と答えようとして、ルーファスはうつむいた。問う。
「どうして、ここが?」
「おれじゃなくて四祖さまだな。ずっとだんまりかましてたくせに急に自己主張始めるからさ、おれどうなっちゃうんだろうってすげーびびったけど」
言って、ユーゴがルーファスを見る。それから彼がヤンガルドに移動したこと、そこでどのように過ごしていたかを聞いた。
そのなかで、ルーファスはユーゴが四祖さま、と四祖エドモントを呼びわけていることに気づく。彼の中でユーゴとエドモントの意識は別個になりたっているということだろうか。
「さっきあんたのことを“リュカ”って呼んだだろ、あれ、四祖さまの方なんだ。どうも、あんたは“リュカ”によく似てるらしい」
「…“リュカ”」
ユーゴがうなずいた。ルーファスの声ににじんだ苦い音を感じ取ったか、悪い、と断りの言葉を入れる。
「あんたと同じ髪色の子どもだったよ。痩せて弱って、ほっとけば明日にはもう死んでるような。年はせいぜい生まれて四年か五年。それでもあのころにしたら充分生きた方だったらしいけど」
にわかに頭上で枝がざわついた。山全体を探知するように目をやって、それからユーゴが地面に手のひらをつく。ユーゴのひとみがはっきりと碧色を帯び、それからまるで室内に入ったようなあたたかさがルーファスを包んだ。
「この時期にここでたき火やるわけにはいかねーからな。地熱を借りた。ちょっとはましになってるといいけど」
「はい、あたたかいです」
ありがとうございます、と言う。それから、と先を求めた。その、ルーファスに似ているという“リュカ”とエドモントの間に何があったのか。
ユーゴが話を再開した。
そのころ、エドモントたちは創世神の命令をうけてミュッセンたちとともに地上にあったこと。生まれたばかりの人間たちにさまざまな生活の知恵をさずけたこと。しかしなかなか生活水準が向上せず、多くの人間が飢えて死んだこと。
「とりわけ子どもが多かったな。皆自分食わすのでいっぱいいっぱいだったから、かまってらんねーの。食えるもん持ってたら奪う、くらいの感じでさ。ドハラ――じゃねえか、ヤンガルドがよく怒ってたな」
“リュカ”はそんなときにエドモントが出会った子どもだった。
「へんなガキでさ、にこにこして、ぐーぐー腹鳴らしながら、そもそも食う必要のない飢えもない四祖さまにいうんだ、腹減ってんのかって」
自分の方がよっぽど腹を空かせているはずなのに、どういうわけか子どもは、エドモントにそう言ってリンゴをさしだしたという。
言いながら、ユーゴが親指とひとさし指を折り曲げて輪をつくった。
「リンゴなんてとうてい呼べないような小さくて青い実だったよ。今なら真っ先に間引かれて捨てられるだろうな。しぶくて硬くて、たぶん鳥でも食わねえ。腹も壊すし。それをあいつは、大事そうに持ってて」
ユーゴがそこで一度言葉をきった。自分の中を過ぎていく何かをやりすごすように一度目を閉じ、続ける。
「四祖さまが地上に降りるとき、創世神はいくつか条件をだしたんだ。人間に必要以上に干渉するな、姿も見せるな、それから地上のものを絶対食うなって」
だからエドモントも、人間には見えないはずだった。それとも極度の空腹で幻を見ていて、たまたまエドモントはそこに居合わせていただけだったのかもしれない。
今となっては誰にもわからないことだ。
「四祖さまはちゃんと創世神との約束を覚えてた。だけど、リンゴを受け取った。受け取って、食った」
ユーゴがまばたきをする。当時を望むようにうわむけている頬へやがて涙が落ちていくのを、ルーファスは見た。ユーゴが泣いている。
「おいしい? って聞くから、うまいって答えた。こんなにうまいもん食ったことねえって。ハッ、うまいわけあるかよ、うまいどころか、全身に毒が回ってくみたいで気持ち悪かった。ああ、それで食うなっつったのかと思ったよ。だけど、言うしかねーだろ、うまいって」
涙があとからあとから彼の頬をすべって、落ちていった。少しだけためらって、ルーファスはそっとユーゴの手をとる。
泣きたいときに誰もが誰かのぬくもりを欲するわけじゃない。だけど、話をしない選択肢だってあった。“リュカ”のことを告げるにしろ、ユーゴなら簡単に要点をまとめて終わりにすることだってできたはずなのに、彼はそれをしなかった。
今初めて自分が泣いていることに気づいたように、ユーゴがぐしぐしとグローブの背で涙をぬぐった。ルーファスの手を、彼は払わなかった。
「よかったって言った。よかったって笑って、そんで、…死んだ」
声がかすれる。濡れたままの頬を新しく涙が軌跡をつくった。
「何やってんだって思ったよ、おれ、なにしてるんだろうって。こんなかわいそうなガキ一人の腹も満たしてやれねえで、何が神なんだよ。何がそんなにえらいんだ? そう思ったら、力解放してた」
「……」
「葉が茂って花が咲いた。はちきれそうな実がたくさん採れるようになって、夜になるとやってくる飢えたオオカミにこわがることもなくなって、川で獲った魚を、焼いて食った。畑を荒らすイノシシは狩って、その肉を食って子供たちは大人になっていった。それがずっと当たり前だったみたいに」
ばからしい。
ユーゴが吐き捨てる。
「こんなに簡単なことをずっとやらなかった。こんなに簡単なことをおれがしなかったせいで、あの子を死なせてしまった」
「ユーゴ」
「だから決めたんだ。絶対にもう間違えねーって。おれは、おれだけは絶対に最後まで人間の味方でいるって。そんでそのあとエドモントの王子さまたちに出会って、現在に至るってわけだ」
そういうことだよ、とユーゴが話を切り上げた。もう寝ようぜと言われ、ルーファスも倣う。ユーゴはこちらに背を向けていたが、そっと問うた。
「…そばに寄っても?」
「……」
答えはない。だけどルーファスにはユーゴが起きていることがわかっていたので、許可と解釈した。
まずは背中にくっついてみる。それから大胆になって腕を回してみた。それでも何も言われないので、ぎゅっと力をこめてみる。
ねえ、とたずねた。
「怒らないでくださいね。あなたから見て、私、そんなにその子に似てますか? だから、私、」
その先はのみこむ。『だからあの日、私たちは出会ったのだろうか』。『だから私はあなたに惹かれたのだろうか』。
だから、こんなにも彼のことが。
「さーな。血筋だけでいえばあんたとリュカに接点はねーけど」
ユーゴがこちらを向いた。まだ少し涙の気配を残すひとみが挑発的な色あいでルーファスを見る。
「気になるなら確かめてみれば? 自分で」
「……」
沈黙があった。相手がどう出るのか探り合うようにじっと見つめ合って、それから、どちらからともなくキスをする。自分の行動に驚いたように両者一度唇を離して、くすっと笑った。仕切り直すようにふたたび皮膚をふれあわせ、一度、二度と挨拶を返しあうようにくりかえす。さらにもう一度。
「…そうですね」
吐息が浅く混ざる。次に唇を合わせたときはどちらも口を開いて舌を伸ばしていた。からみあった舌が、互いの呼吸を奪うようにさらに深く、より深くもぐりあう。
先に上着を脱いだのはユーゴだった。
*
突然の春のおとずれにざわついていた山の夜は今やすっかり元の静寂をとりもどしていた。ひっそりと虫の音が木々をわたり、夜行性の鳥たちが活動する。
どこかで枝が落ちた。
「ふ、……ぅん」
競い合うように着ているものを脱いでいって、肌への愛撫もそこそこに互いの硬く膨らんだ性器をこすりつけあう。そのうちにユーゴの指が何かをうったえるようにルーファスの髪を混ぜ、熱い湿った息を吐いた。
「一度、出しましょうか」
言って、ルーファスはユーゴの輪郭をたどるようにかがんだ。頬や顎、耳のかたち。髪に隠れた頭部、うなじから肩へ、ていねいに舌をはわせていく。
人並み以上に食べるのが嘘のようにいっさい無駄な贅肉のない腕、かたい胸板。腹部からへそへくだり、下腹までたちあがった彼のペニスをやっと口中に含むと、ユーゴの体は歓喜するようにはねる。
「ふぁ、……あ、」
鼻で鳴くような甘い声がルーファスを興奮させた。もっと聞きたいなと思うけれど、ユーゴが身をよじってそれを拒む。
「そんなの、いい、……っから!」
両肩をひっぱられ、ルーファスの口からユーゴのペニスがすぽんと抜けた。縦に大きく揺れた光景をシュール、とでもいいたげにユーゴが顔をひきつらせる。怒鳴る。
「いいっつってんだろ!」
「でも、」
まだまだユーゴのそこは収まりそうもない。ルーファスは声と視線でうったえるが、ユーゴはなぜか舌打ちして、ルーファスの手を強引にとった。
意を決したように彼がルーファスの指を導いたのは股奥だ。熱い体液で満ちたユーゴのそこがずぷりとルーファスの指をのみこんで、食む。
「……っ」
ユーゴの懸命に耐えるような顔が、けして痛みによるものではないことは、さらに指をのみこもうとする粘膜の動きで知れた。それから、一瞬だけ陶酔した彼の表情で。
「んっ、……」
「ユ、ユーゴ……」
きゅうきゅうとユーゴの体がルーファスを求めてしめつける。ねだり媚びるような動きのいやらしさに、ルーファスの喉が鳴った。今すぐにでも押し入れてしまいたい衝動をぎりぎりにこらえ、じゅくじゅくと水音をたてる彼の尻穴をひろげていく。
「…、早く……ッ」
ルーファスにしがみつくようにしてユーゴが耳元で乞うた。早く、早くとルーファスの耳を甘噛みするので、ルーファスはやや雑な動作で指を引き抜く。
「好き、…好き。あなたを愛してる。あなたと生きていけたらいいのにと思う。あなたを愛して、あなたに愛されて、そうして生きていけたら、いいのに」
体位を何度もかえ、そのたびにユーゴのからだをむさぼりながら、うわごとのようにルーファスはうったえる。好き。愛している。
まるで別れの言葉のようだと思った。
『最後まで人間の味方でいる』。
それがエドモントの決意であるのなら、きっとこれから先もエドモントは地上に残り続けるのだろうと思う。盟友であるはずの人間に裏切られても、同性の精をうけなければならない体にされても、救うことのできなかった“リュカ”のかわりに、人間を守るために戦い続ける。それともそれがヤンガルドの言っていたエドモントに課せられた刑なのかもしれない。わからない。
(『現四大王家の祖である四人の王子たちの直系の子孫が発生するごとに自動的に更新される』――)
ルーファスは胸内でじっと反芻する。ルーファスの射精をうけて、大きくユーゴがのけぞった。
(リュカさんへの強い罪の意識が四祖さまをしばりつけているのなら、“私”なら、四祖さまを解放してさしあげられるのだろうか。ずっと眠ってらしたという四祖さまが目覚めるほどに似ているという、私なら)
言葉での説得ならば時間をかけてさんざんヤンガルドたちがやってきたはずだった。きっとおなじようにルーファスがしても、エドモントは耳を貸すまいとルーファスは思う。似ているとは言ったけれど、それに、両者が同じ魂であるとはユーゴは言わなかった。血筋上の接点についても。
(もしも私がリュカさんの生まれ変わりだったのなら、獅子王さまのお心を救うことができたのだろうか)
ユーゴの腹内に精を塗りつけるように腰をいくどか動かして、ルーファスは気を失った彼からペニスを引き抜く。汗ではりついた髪を指でよけキスをすると、声をあげて泣きたいような気持ちになった。
夜の奥で風が鳴る。ルーファスはしばし目をとじてその音に耳をかたむけた。おまえがエドモントを救うのだと告げた魔物の声がそこに重なる。
(『私にできること』。”私”だけに)
黒く染まったままの自分の髪をひと房、ルーファスは指にとった。ジーンがしたように自分の名を声に出して唱える。ルーファス・ヘルリ・ガト・エドモント。エドモント王家の血筋をあとへつなげることでも命を賭して地上を救うことでもない。きっとこれこそが自分の真の役割だったのだと。
(あなたが殺してくれるなら、ユーゴ、きっと怖くはありませんね)
四祖エドモントを罪から解放してみせる。
「ジーンたちと行動してた。断片的だけど、エドモントの話は聞いてたよ」
「……。そうですか」
あえて多くを言わないのはユーゴなりの気遣いなのだろうとルーファスは解釈する。きっと彼はわかっているのだ。エドモントに帰国したルーファスがどんな境遇にあったのか。
「ありがとな」
ユーゴがその場に腰をおろす。ルーファスもならって座った。すっかり気持ちがユーゴと旅をしていた頃に戻ってしまったらしく、あくびまで出てくる。
「かばってくれたんだろ、おれのこと。あんたがとっさに機転利かせてくれたおかげで、助かった。まあ、護衛としては最悪だけど」
ユーゴが肩をすくめた。
「どうする、これから。おれと一緒に傭兵でもやるか? ジーンのやつも困ったらいつでも来いって言ってたし」
「……」
ユーゴと一緒に。想像して、きっと楽しいだろうなとルーファスは思う。国にも義務にも縛られることなく、その日その日をユーゴと自由に生きる。それもいいですね、と答えようとして、ルーファスはうつむいた。問う。
「どうして、ここが?」
「おれじゃなくて四祖さまだな。ずっとだんまりかましてたくせに急に自己主張始めるからさ、おれどうなっちゃうんだろうってすげーびびったけど」
言って、ユーゴがルーファスを見る。それから彼がヤンガルドに移動したこと、そこでどのように過ごしていたかを聞いた。
そのなかで、ルーファスはユーゴが四祖さま、と四祖エドモントを呼びわけていることに気づく。彼の中でユーゴとエドモントの意識は別個になりたっているということだろうか。
「さっきあんたのことを“リュカ”って呼んだだろ、あれ、四祖さまの方なんだ。どうも、あんたは“リュカ”によく似てるらしい」
「…“リュカ”」
ユーゴがうなずいた。ルーファスの声ににじんだ苦い音を感じ取ったか、悪い、と断りの言葉を入れる。
「あんたと同じ髪色の子どもだったよ。痩せて弱って、ほっとけば明日にはもう死んでるような。年はせいぜい生まれて四年か五年。それでもあのころにしたら充分生きた方だったらしいけど」
にわかに頭上で枝がざわついた。山全体を探知するように目をやって、それからユーゴが地面に手のひらをつく。ユーゴのひとみがはっきりと碧色を帯び、それからまるで室内に入ったようなあたたかさがルーファスを包んだ。
「この時期にここでたき火やるわけにはいかねーからな。地熱を借りた。ちょっとはましになってるといいけど」
「はい、あたたかいです」
ありがとうございます、と言う。それから、と先を求めた。その、ルーファスに似ているという“リュカ”とエドモントの間に何があったのか。
ユーゴが話を再開した。
そのころ、エドモントたちは創世神の命令をうけてミュッセンたちとともに地上にあったこと。生まれたばかりの人間たちにさまざまな生活の知恵をさずけたこと。しかしなかなか生活水準が向上せず、多くの人間が飢えて死んだこと。
「とりわけ子どもが多かったな。皆自分食わすのでいっぱいいっぱいだったから、かまってらんねーの。食えるもん持ってたら奪う、くらいの感じでさ。ドハラ――じゃねえか、ヤンガルドがよく怒ってたな」
“リュカ”はそんなときにエドモントが出会った子どもだった。
「へんなガキでさ、にこにこして、ぐーぐー腹鳴らしながら、そもそも食う必要のない飢えもない四祖さまにいうんだ、腹減ってんのかって」
自分の方がよっぽど腹を空かせているはずなのに、どういうわけか子どもは、エドモントにそう言ってリンゴをさしだしたという。
言いながら、ユーゴが親指とひとさし指を折り曲げて輪をつくった。
「リンゴなんてとうてい呼べないような小さくて青い実だったよ。今なら真っ先に間引かれて捨てられるだろうな。しぶくて硬くて、たぶん鳥でも食わねえ。腹も壊すし。それをあいつは、大事そうに持ってて」
ユーゴがそこで一度言葉をきった。自分の中を過ぎていく何かをやりすごすように一度目を閉じ、続ける。
「四祖さまが地上に降りるとき、創世神はいくつか条件をだしたんだ。人間に必要以上に干渉するな、姿も見せるな、それから地上のものを絶対食うなって」
だからエドモントも、人間には見えないはずだった。それとも極度の空腹で幻を見ていて、たまたまエドモントはそこに居合わせていただけだったのかもしれない。
今となっては誰にもわからないことだ。
「四祖さまはちゃんと創世神との約束を覚えてた。だけど、リンゴを受け取った。受け取って、食った」
ユーゴがまばたきをする。当時を望むようにうわむけている頬へやがて涙が落ちていくのを、ルーファスは見た。ユーゴが泣いている。
「おいしい? って聞くから、うまいって答えた。こんなにうまいもん食ったことねえって。ハッ、うまいわけあるかよ、うまいどころか、全身に毒が回ってくみたいで気持ち悪かった。ああ、それで食うなっつったのかと思ったよ。だけど、言うしかねーだろ、うまいって」
涙があとからあとから彼の頬をすべって、落ちていった。少しだけためらって、ルーファスはそっとユーゴの手をとる。
泣きたいときに誰もが誰かのぬくもりを欲するわけじゃない。だけど、話をしない選択肢だってあった。“リュカ”のことを告げるにしろ、ユーゴなら簡単に要点をまとめて終わりにすることだってできたはずなのに、彼はそれをしなかった。
今初めて自分が泣いていることに気づいたように、ユーゴがぐしぐしとグローブの背で涙をぬぐった。ルーファスの手を、彼は払わなかった。
「よかったって言った。よかったって笑って、そんで、…死んだ」
声がかすれる。濡れたままの頬を新しく涙が軌跡をつくった。
「何やってんだって思ったよ、おれ、なにしてるんだろうって。こんなかわいそうなガキ一人の腹も満たしてやれねえで、何が神なんだよ。何がそんなにえらいんだ? そう思ったら、力解放してた」
「……」
「葉が茂って花が咲いた。はちきれそうな実がたくさん採れるようになって、夜になるとやってくる飢えたオオカミにこわがることもなくなって、川で獲った魚を、焼いて食った。畑を荒らすイノシシは狩って、その肉を食って子供たちは大人になっていった。それがずっと当たり前だったみたいに」
ばからしい。
ユーゴが吐き捨てる。
「こんなに簡単なことをずっとやらなかった。こんなに簡単なことをおれがしなかったせいで、あの子を死なせてしまった」
「ユーゴ」
「だから決めたんだ。絶対にもう間違えねーって。おれは、おれだけは絶対に最後まで人間の味方でいるって。そんでそのあとエドモントの王子さまたちに出会って、現在に至るってわけだ」
そういうことだよ、とユーゴが話を切り上げた。もう寝ようぜと言われ、ルーファスも倣う。ユーゴはこちらに背を向けていたが、そっと問うた。
「…そばに寄っても?」
「……」
答えはない。だけどルーファスにはユーゴが起きていることがわかっていたので、許可と解釈した。
まずは背中にくっついてみる。それから大胆になって腕を回してみた。それでも何も言われないので、ぎゅっと力をこめてみる。
ねえ、とたずねた。
「怒らないでくださいね。あなたから見て、私、そんなにその子に似てますか? だから、私、」
その先はのみこむ。『だからあの日、私たちは出会ったのだろうか』。『だから私はあなたに惹かれたのだろうか』。
だから、こんなにも彼のことが。
「さーな。血筋だけでいえばあんたとリュカに接点はねーけど」
ユーゴがこちらを向いた。まだ少し涙の気配を残すひとみが挑発的な色あいでルーファスを見る。
「気になるなら確かめてみれば? 自分で」
「……」
沈黙があった。相手がどう出るのか探り合うようにじっと見つめ合って、それから、どちらからともなくキスをする。自分の行動に驚いたように両者一度唇を離して、くすっと笑った。仕切り直すようにふたたび皮膚をふれあわせ、一度、二度と挨拶を返しあうようにくりかえす。さらにもう一度。
「…そうですね」
吐息が浅く混ざる。次に唇を合わせたときはどちらも口を開いて舌を伸ばしていた。からみあった舌が、互いの呼吸を奪うようにさらに深く、より深くもぐりあう。
先に上着を脱いだのはユーゴだった。
*
突然の春のおとずれにざわついていた山の夜は今やすっかり元の静寂をとりもどしていた。ひっそりと虫の音が木々をわたり、夜行性の鳥たちが活動する。
どこかで枝が落ちた。
「ふ、……ぅん」
競い合うように着ているものを脱いでいって、肌への愛撫もそこそこに互いの硬く膨らんだ性器をこすりつけあう。そのうちにユーゴの指が何かをうったえるようにルーファスの髪を混ぜ、熱い湿った息を吐いた。
「一度、出しましょうか」
言って、ルーファスはユーゴの輪郭をたどるようにかがんだ。頬や顎、耳のかたち。髪に隠れた頭部、うなじから肩へ、ていねいに舌をはわせていく。
人並み以上に食べるのが嘘のようにいっさい無駄な贅肉のない腕、かたい胸板。腹部からへそへくだり、下腹までたちあがった彼のペニスをやっと口中に含むと、ユーゴの体は歓喜するようにはねる。
「ふぁ、……あ、」
鼻で鳴くような甘い声がルーファスを興奮させた。もっと聞きたいなと思うけれど、ユーゴが身をよじってそれを拒む。
「そんなの、いい、……っから!」
両肩をひっぱられ、ルーファスの口からユーゴのペニスがすぽんと抜けた。縦に大きく揺れた光景をシュール、とでもいいたげにユーゴが顔をひきつらせる。怒鳴る。
「いいっつってんだろ!」
「でも、」
まだまだユーゴのそこは収まりそうもない。ルーファスは声と視線でうったえるが、ユーゴはなぜか舌打ちして、ルーファスの手を強引にとった。
意を決したように彼がルーファスの指を導いたのは股奥だ。熱い体液で満ちたユーゴのそこがずぷりとルーファスの指をのみこんで、食む。
「……っ」
ユーゴの懸命に耐えるような顔が、けして痛みによるものではないことは、さらに指をのみこもうとする粘膜の動きで知れた。それから、一瞬だけ陶酔した彼の表情で。
「んっ、……」
「ユ、ユーゴ……」
きゅうきゅうとユーゴの体がルーファスを求めてしめつける。ねだり媚びるような動きのいやらしさに、ルーファスの喉が鳴った。今すぐにでも押し入れてしまいたい衝動をぎりぎりにこらえ、じゅくじゅくと水音をたてる彼の尻穴をひろげていく。
「…、早く……ッ」
ルーファスにしがみつくようにしてユーゴが耳元で乞うた。早く、早くとルーファスの耳を甘噛みするので、ルーファスはやや雑な動作で指を引き抜く。
「好き、…好き。あなたを愛してる。あなたと生きていけたらいいのにと思う。あなたを愛して、あなたに愛されて、そうして生きていけたら、いいのに」
体位を何度もかえ、そのたびにユーゴのからだをむさぼりながら、うわごとのようにルーファスはうったえる。好き。愛している。
まるで別れの言葉のようだと思った。
『最後まで人間の味方でいる』。
それがエドモントの決意であるのなら、きっとこれから先もエドモントは地上に残り続けるのだろうと思う。盟友であるはずの人間に裏切られても、同性の精をうけなければならない体にされても、救うことのできなかった“リュカ”のかわりに、人間を守るために戦い続ける。それともそれがヤンガルドの言っていたエドモントに課せられた刑なのかもしれない。わからない。
(『現四大王家の祖である四人の王子たちの直系の子孫が発生するごとに自動的に更新される』――)
ルーファスは胸内でじっと反芻する。ルーファスの射精をうけて、大きくユーゴがのけぞった。
(リュカさんへの強い罪の意識が四祖さまをしばりつけているのなら、“私”なら、四祖さまを解放してさしあげられるのだろうか。ずっと眠ってらしたという四祖さまが目覚めるほどに似ているという、私なら)
言葉での説得ならば時間をかけてさんざんヤンガルドたちがやってきたはずだった。きっとおなじようにルーファスがしても、エドモントは耳を貸すまいとルーファスは思う。似ているとは言ったけれど、それに、両者が同じ魂であるとはユーゴは言わなかった。血筋上の接点についても。
(もしも私がリュカさんの生まれ変わりだったのなら、獅子王さまのお心を救うことができたのだろうか)
ユーゴの腹内に精を塗りつけるように腰をいくどか動かして、ルーファスは気を失った彼からペニスを引き抜く。汗ではりついた髪を指でよけキスをすると、声をあげて泣きたいような気持ちになった。
夜の奥で風が鳴る。ルーファスはしばし目をとじてその音に耳をかたむけた。おまえがエドモントを救うのだと告げた魔物の声がそこに重なる。
(『私にできること』。”私”だけに)
黒く染まったままの自分の髪をひと房、ルーファスは指にとった。ジーンがしたように自分の名を声に出して唱える。ルーファス・ヘルリ・ガト・エドモント。エドモント王家の血筋をあとへつなげることでも命を賭して地上を救うことでもない。きっとこれこそが自分の真の役割だったのだと。
(あなたが殺してくれるなら、ユーゴ、きっと怖くはありませんね)
四祖エドモントを罪から解放してみせる。
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