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#35 「今」へ駆ける
しおりを挟むだから自分たちは出会ったのではないか。
だから惹かれるのではないか。
それはひそかにユーゴの中でくすぶっていた不安だった。ルーファスといるとほっとする。素直でよく笑う彼をかわいいと思う。大切だと思う。守ってやりたいと思う。
初めは彼の少女のような容貌のせいだと思っていた。華奢で色白で、誰がどう見たって少女にしか見えない。絹や真綿にくるまれて大事に大事に保管されてきたような繊細なお姫様が己をふるいたたせようと義務や使命を口にし、よたよたと慣れない足どりで歩く姿は痛ましささえあって、保護欲のようなものをかきたてられた。自分もしょせん男なんだなと思ったものだ。
ルーファスと過ごすうちに芽生え始めた輪郭の曖昧でふわふわとした気持ちに名前をつけなかったのは、彼にも語った通りである。ユーゴは恋や愛というものに思い入れもあこがれも抱いていないが、リンゴのにおいで尻が濡れるという現象を平然とそこにカウントできるほどドライでもないつもりだ。のちに判明した通り、そう、あれは「食事」だった。
盟友という関係。リュカと四祖エドモントという因縁。
ルーファスといると「ほっと」する、彼を「かわいい」と思う、大切だと思う、守りたいと思う。それらは総じて盟友という関係性やリュカの面影を見ていた四祖エドモントの感情を説明するものであり、「ユーゴ」自身とは切り離すべきものとして考えた。ジーンのスケッチブックを開いていたのも、それを媒介にルーファスの声や姿を求めていたのも。
これまでに起こった心の動きとその答えと思われる原因理由を、錠と鍵を合わせるように整理していく。ときどき「そうじゃない」と抗議する声が胸奥から聞こえたり、心の一部を無理やり剥がされるような痛みが発生したが気のせいとして処理した。
そうしてひたすら内面と向き合って、どの錠にも鍵にも合わないものが残った。最初からすべてが約束されていたなら、すべての錠と鍵が合わなければならなかった。けれど残った。余った。
これが何を意味するのか。答え合わせをしたいと思った。ルーファスも同じ不安を持っているのだとわかってうれしかった。
だから自分たちは出会ったのではないか。
だから惹かれるのではないか。
まぎれもなくそれらは「自分」以外には持ちようのない不安だからだ。ふれあえば全部わかる。答えが出る。
同じことを考えてルーファスも応じてくれたのだと思った。四祖も盟友もリュカも全部しめだして正真正銘、何も手に持たない、最小単位の自分になる。そうして互いに最後に残った鍵と錠を合わせたとき、はじめて言葉は真の姿をあらわし、手に取ることができるのだと。
(あんたをずっと利用してきたおれなりに、けっこう考えたんだぜ、これでも)
ベンチで一人午睡から覚めるような気持ちで、ユーゴは目をあけた。山の中だ。暗いのはまだ夜が明けていないからなのかもしれないと思う。鳥の声も風の音も動物の気配もない。実際視界に風景をとらえるまでは、ユーゴは自分がまだ夢を見ているか、知らないうちに別の場所へ移動したのではないかと思ったほどだった。
地面はあたたかいが、それは時間の経過によるものではない。ルーファスがずいぶん前にそばを離れただろうことは、きちんと整えられた衣服がユーゴに教えた。まるで二人の間になにごともなかったかのように。
ユーゴは起き上がった姿勢のまま、小さく息を吐く。やがて暗さが時刻のせいではないことに気づいた。それにしてはずいぶん視界の見通しがいいからだ。
さて、どうしようか、と思う。いがつくような喉を水で潤し顔を洗うと、することがなくなってしまった。
山全体へ音もなく伸びていく霧のような不吉な臭気は言わずもがな、強い負の気配によるものである。ヤンガルドでもミュッセンでもさんざん出遭ってきたのに、ユーゴはいまだにこの臭いに慣れない。
「愛してる、…か」
流れていく水を、ユーゴは見つめた。山に逃げることになったルーファスの経緯については、エドモントの「目」がユーゴに教えてくれたので理解している。ヴァッテンでルーファスが遭遇し、ジーンの別邸でも現れたあのしゃべる魔物、またルーファスをそそのかそうとしていたそれの正体が創世神の負であることも。
「じゃあ何であんたは今、ここにいない? ルーファス」
おもえばルーファスとセックスをするときはいつも何かしらの「建前」があった。今回だってユーゴにとっては確認の意味が強かったし、あんなにルーファスは言葉を降らせたのに、ユーゴはひとことも返していない。
愛してる、愛してるとくり返していたルーファスの声を、ユーゴは思いだす。いつもルーファスはユーゴを抱くときにそうやって口にしていたので気がつかなかった。
(最初は、あのへんな発情に引きずられてるだけだって、思ってたのになあ)
南町の宿屋でのことだ。ルーファスがうたうような声で口にしながら、ユーゴの体のあちこちにキスをするものだから、恥ずかしくてやめさせようとしたのだった。
ルーファスは例の花のようなかんばせで「魔法をかけてるんですよ」と笑って、それからユーゴの手の甲にキスをほどこした。ユーゴをうかがうように顔をあげて、そうしてしあわせそうに笑むひとみがいじらしくて、胸奥が切なく痛んだのを覚えている。本気なのだと。
――あなたを愛して、あなたに愛されて、そうして生きていけたら、いいのに
(別れの言葉だったんだな、あれは)
あなたを愛している、とても愛している。だから、さようなら。
にわかにごぼごぼと水たまりで泡が、堆積した腐葉土や葉を押し上げた。やがて生き物のように次第に大きく、フジツボのようなそれが範囲をひろげてうごめく。水の周辺だけじゃない、すでにあちこちで魔物の発生がはじまっている。
ユーゴは立ち上がった。地面を蹴って高く宙がえりをする。
「違うだろ、そこは。言えばいいじゃねーか、一緒に生きたいってよ!」
獣の足が着地し、一頭の赤獅子となった。ひとみがいきいきと碧色にかがやいて、獅子を起点に光をともなった炎を放射する。枝や葉を紅蓮に染め上げ、だが、燃えて消えるのは魔物だけだ。そのまま獅子はエドモントの方角へ向かって駆けだす。
「『おまえが不安だったように、おれだってずっと不安だったんだよ。てか、なんも思ってねーやつに抱かれてやるほど尻軽でも物好きでもねーっつの! わかれよ!』」
時折木々の間からのぞく空では雷雲のような雲が生き物のようにとぐろを巻いて厚い垣を作っていくようだった。マグマのように煮えたつそこから、雨漏りのように真っ黒なかたまりが地上へ落ちていく。
ためこまれた人間たちの負。地上を食い滅ぼす魔物の雨だ。
「『勝手に終わりにすんな!』」
獅子が吼えた。
*
途中、不自然に残骸の散らばっている場所があった。武器や防具、人間の腕や足といった「残骸」だ。点々と残る黒い液だまりが何であるかまでは、ユーゴは考えなかった。そのまま降りて猟師村を通ると、戦闘があったのか建物のいくつかに煙が残っている。ここでも生きた人間に出会うことはできなかった。ユーゴはさらに走る。
きれいな縞をつくっていた畑や牧草地は見る影もなく黒く枯れ、あるいは焼け焦げていた。いぶすような煙のなかを魔物たちが我が物顔で歩いている。畑に水をひきいれるための水車は半壊し、あるいは堰が壊されて水浸しになっているところがあった。
ルーファスはどこにいったのか。駆けていくユーゴの前方に「雨」が落ちる。カップに湯をそそぐように落下したそれは、つい数か月前までウシたちがのんびりとくつろいでいた牧草地に広がり、小屋を飲みこみ、柵を押し流した。
ユーゴは思わず顔をあげる。雨雲がその場所を去るまで降り続くように、魔物の「雨」もまたあちこちに落下しては大地を流れていたからだった。
(どうしろっつーんだよ……)
躊躇はしたが、ここで足を止めるわけにもいかない。ユーゴは王城へ向かった。ルーファスの考えていることはわからないが、創世神は人間と四祖エドモントの縁そのものを断ち切ろうとしている。ならばルーファスを王城へ行かせるはずだった。
人間の生命史を防衛することがエドモントの望みであり、理由だからだ。盟約はそこから端を発し続くものにすぎないが、エドモントにとっては自らに刻んだ贖罪と信念を象徴するものでもある。すなわち、エドモントが創世世界に抗い続ける動機であり、これを失えばエドモントが地上に執着する理由がなくなるという狙いだ。創世神にとっては同時に、効率よく地上をリセットすることにもなる。
(そんでまた、「最初から」か)
ユーゴの視界にやがて赤々と燃えるヴァッテンの街が映った。そしてそこに「雨」が排泄されるのを、ユーゴは見る。
「『!』」
やめろと、叫ぶ間もない。街がまるごと飲みこまれ、炎の中を飛沫さえはねる。だが、ぼうぜんとしている時間はなかった。ひときわ巨大な雲のうずが王都上空に出現していたからだ。
ヤンガルドの比ではない。我知らずユーゴは笑ってしまう。
「『何をどんだけ食ったらあんなでかいのが出るんだ』」
あんなものが落ちたらエドモントはおろか、文字通り地上そのものが焦土と化してしまう。ユーゴは故郷を取り戻すべく戦うヤンガルドの青年隊の者たちを、それからジーンを思い出した。スイファンでも国王夫妻が王城を開放し、民を支えるべく必死にかけずりまわっているという。
(悪いばっかじゃねーんだ。いいやつもいるんだ。いいところもあるんだ。だから、帰れなかったんだ)
たとえばヤンガルドは、どんな過酷な環境下でもじっと耐え忍び生き抜こうとする人間のたくましさを愛していた。スイファンは彼らの、失敗から学び明日に活かそうとする知を、ミュッセンは人間たちのみずみずしい感性やそこから生まれる芸術を愛した。だから彼らもまた人間に力を貸すことを約束し、人間がそれを忘れ去ったのちも待ち続けたのだと、ユーゴは思っている。だって結局、ミュッセンも創世世界には戻らなかった。あんなに帰りたがっていたのに。
王城が見えてくる。
途中、魔物の群におそわれている人々を、ユーゴはたすけた。中には見知った顔もあったし知らない顔もあった。逃げろと言ってやれればよかったが、今このエドモント国内で安全な場所などあるまい。
「まさか、……獅子王さま!?」
「『死ぬなよ』」
声をかけて去る。王都に到着すると、ユーゴは真っ先に王城を目指した。傾斜のある通りを駆けあがっていくのだが、街中は案の定魔物が徘徊し、あちこちで火の手が上がっている。建物のほとんどが木造なので火の回りが早いのだ。
窓枠から鉢が落ちて割れる。誰も消火活動にあたっていないのはそれどころではないからだろう。あるいは、とユーゴは押し返そうとするような風圧を仰いだ。
高濃度の負の力が風となって街中に吹き荒れているのだった。絶望、怒り、悲しみ。一人部屋隅でむせび泣くようなさびしさに招かれて物陰から、壁から、足もとから、黒い影が這いだしてくる。
ユーゴは獣の姿を解いた。道の先にエドモントの王城がある。より大きく、より高く城を見せるために選ばれた立地は、天候条件が良ければ海まで見渡すことができるそうだ。
(と、昔、見せてくれたやつが)
いたなあ、とユーゴはぼんやりと思う。カゴに山と積まれた小玉リンゴを眺めていたら好きなのかと問われた。たしか、リュカにもらったリンゴのことを思い出していたような気がする。エドモントがうなずくと、王子はカゴごとエドモントにさしだした。
活発で楽しいことが大好きな王子だった。リンゴを奉納する年に一度の祭りはエドモントが「リンゴを堂々と腹いっぱい食えるように」と彼が始めたイベントだ。
(これ、……けっこうクるなあ)
ユーゴは軽く頬を叩いて感傷を飛ばした。しっかり前を見ていないと追憶の波に押し流されてしまいそうになる。
城門の前に立ってあおぐと、空は夜のように暗く街はあんなにも赤々と燃えているというのに、まるで城自体は別の場所に建っているかのようにくっきりと静寂を守っている。まるで遺物だなとユーゴは思った。たしかにエドモント城は歴史の長い城ではあるが、その威容が滑稽に感じるほどたたずまいからは「今」を――生気を感じない。
(こんなにさびしい城じゃ、なかったんだけどな)
門から中へ踏み出す足がなんとなくすくむのは「エドモント」のせいだ。その理由は、人間が盟約を偽ったのちも野にありつづけ、ついに力の欠乏が目に見えてきた時代までさかのぼる。
このままでは地上を守ることができない。エドモントは意を決し、王城にやってきた。もちろん四祖たちは反対したが、時代は異なっても『王子』であればきっと理解してくれるとエドモントは信じた。信じて、失敗に終わった。
その時代のエドモントは追われ、王城の地下深い場所で処刑されている。ミュッセンたちがエドモントの魂に術を施し、転生ごとに記憶がリセットするようにしたのはそのあとのことだった。
ユーゴはついに城内へ入る。客人の目に入るはずの通路や部屋でところどころ不自然なスペースが目立ったのは気になったが、戦闘の行われた様子はない。
灯のあかりに埃が舞う。歴史に久しく埋もれていた地下墓所に迷い込んだような趣さえある廊下を進み、やがてユーゴは広い部屋へ出た。見上げるような高い天井と、天頂部で複雑な音楽のように交差する柱。上座へむかって列をなす細長い窓は着色したガラスがモザイク状にはめこまれ、光がつねに王座にそそぐよう計算されている。
無音に近い冷たく閑かな光の下は、しかし、無人ではなかった。平素“そう”であるようにいくつもの影が直立し、遅れてやってきた弔問客を迎えるようにユーゴを迎えた。
ルーファス、とユーゴは呼ぶ。彼は王座から少し離れた場所で暇をもてあました子どものようにすわりこんでいた。だらりと落とされたその手元には王冠が転がっている。
国王は、という言葉を、ユーゴは飲みこんだ。かわりに、別の言葉を続ける。
「迎えに来た」
ルーファスが顔をあげた。
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