きみと明日の約束をしないで

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#36-1 きみと明日の約束をしないで

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 黒い髪がさらりと揺れる。長いまつげに縁どられた彼の瞳の色が赤く色をおびていることに、ユーゴは気づいた。
「迎えに? 私を?」
 言って、ルーファスが王冠を手に立ち上がった。王座の上に置いて段を降りる。ユーゴの前、小首をかしげて見せた。

「この私を、どこへ? 父と母を殺し、民の命を奪い、のみならず祖国や地上に滅びを招こうとしている私に、いったいどこへゆけというのですか? 私と、…どこへ」

 それとも、とルーファスが笑む。ユーゴの腰に手を伸ばし、尻の奥へと指をすべらせた。ほどんど夜の間じゅうルーファスを抱きこんでいたそこが恋しい相手の気配に反応するようにひくりと動く。
「あんなに注いでさし上げたのに、足りない? それとも、気絶してしまったからでしょうか。びっくりしましたよ、いったいどこであんなふうに、おねだりの仕方を覚えたのですか、ユーゴ」
 そんなにほしいなら、犯してあげましょうか、この場で。言いながら、ルーファスの指が角度をつけた。まだやわらかい粘膜の入り口をぐりぐりと揉むようにされて、生地の厚いスキニーの上からなのに、ユーゴの口から甘い悲鳴が漏れる。

「そんな声でよろこんで、いやらしいひと」

 淫乱。屈辱的な言葉をルーファスのきれいな顔で吐かれて興奮する自分はいよいよ深刻に変態かもしれないとユーゴは思う。おまけにこの場には魔物といえども「他者」の存在があるわけで、倒錯にも程がある。
 人前で発情する趣味も、見せてやる趣味もないつもりだったが。
 ユーゴは喉奥で笑った。

「いいぜ、やれよ」
「え?」
「おまえならいいよ、どうされたって。どんな風に抱かれても、それがたとえ無理やりだったとしても、…おれは傷つかない。ここならおまえの顔、よく見えそうだし」

 言いながらユーゴがルーファスの頬へ手を添わせると、何を言われたのかわからないかのようにルーファスが言葉を失った。まがまがしい色の瞳がぱちくりとユーゴのよく知る“ルーファス”の表情かおでまたたいて、それから、ゆがむ。
「……何を、」
「なんならはいつくばって、しゃぶってやろうか、おまえの」
 口を開けて舌をのぞかせ、ユーゴは娼婦が客を誘うようにルーファスの股間を指でさすった。床に膝をつき、やわらかいそこに鼻づらを埋めるようにすると、ルーファスの顔色がはっきりと変わる。

「ッ! やめてください!」
「なんだよ、いいのか。せっかくその気になったのに」

 残念、と肩をすくめたユーゴを、ルーファスが警戒するように睨んだ。悪趣味だな、とユーゴは思う。自分のことだ。ルーファスを傷つけた、そのことにひどく興奮している。
 怒りを表す彼の顔だとか、そこに入り混じった泣きだす直前のような表情だとか、必死に自分を制御しようとしている様子だとか。そういうものを目の当たりにして、もっといじめてやりたい、追いつめてやりたいような衝動さえ感じているのだった。
 変態の上に悪趣味だ。

(おまえと会ってから、そんなんばっかだ)

 ルーファスが右手に大剣をあらわした。アーガンジュと同じ形状をしているが、まったく別のものであることは負をおびた刀身を見ればあきらかだった。けがれた力を血のようにしたたらせ、そこからうぞうぞと魔物がわいて出ていく。
 切っ先を、ルーファスがユーゴに向けた。
「私と戦いなさい、四祖エドモント。あなたには四祖として、この地上を守るため、魔に堕ちた私をここで滅する義務がある。何より、あなたはそのためにここまで私を追ってきたのでしょう」

 あやうく二人のセックスを盛り上げるための舞台装置にされるところだった影たちがわらわらと集約して、ひとつのエネルギーを作りだした。大剣を連絡路に循環したそれが今度は室内に拡散して、壁や天井を微生物のように食らっていく。
 めりめりと大きな音をたてながら柱が壁から離された。ガラスが割れ、虫食いのように剥かれた天井から毒々しい色でせまる空が見える。

 終末までのカウントダウン。
 膝を払ってたちあがり、ユーゴは空を指さした。ルーファスは地上を救うために自分を殺せというが、それをする前に確認するべきことがある。
「おまえをここで倒せばあれが止まるっていう理解でいいのか?」
「……」
「おれがおまえを殺せば、創世神は地上をぶっこわすのをやめるのかって聞いてる」
 創世神はもとよりエドモントの転生体のひとつにすぎない「ユーゴ」には興味がない。つまり、ユーゴがここで魔王となったルーファスを滅ぼしても、地上の運命は変わらない。ルーファスの死は無駄になるだけなのだ。
 ユーゴが知りたかったのはルーファスがそれを知っているのかということだった。自身が使い捨てにされることを承知でここにいるのか。だが、ルーファスは答えない。

「時間がありませんよ、四祖エドモント」

 ヒュ、と空気がうなって次の瞬間、床が酸をぶちまけたように蒸発した。ハンマーのように振り下ろされた大剣が大きく宙をターンしてユーゴの胴を狙う。
「あなたは地上を守るため、私をここで滅する。それで全部終わりです! ほら、早く武器をとりなさい。あなたなら、簡単なはずです!」
 ルーファスが振り回すたび切っ先からルーファスの感情を源にした魔物が生まれて落ちていく。彼が盟友であうることを差し引いたとしても、ただの「人間」から生じるにはあまりにも大きなエネルギーは、創世神が噛んでいるのかもしれなかった。力の消耗が反動するようにルーファスが人間の面を失い、その右半身もまた黒くどろりとしたうろこ状の外装に覆われだす。
 させるか。燦と放たれた光と炎が、大剣から生じた魔物とルーファスを腐食しようとする負とを押し返す。ぶつかりあった両者の力が激しい風となってユーゴのジャケットの裾をはためかせた。

 再び人間の様相を取り戻すも、だが、ルーファスは攻撃と負の使役をやめない。ルーファスが魔物化しかけるたびにユーゴがそれを払うという繰り返しは時間と体力を削るだけの不毛な応酬だった。ついに焦れたユーゴは床を蹴って跳躍する。
 着地したのはルーファスの背後、そこからユーゴは足払いをかけてルーファスを転倒させた。顔面からいったはずだが、ルーファスはすぐさま大剣をとろうと腕を伸ばす。いい反応だと思いながら、ユーゴはそれを片足でおさえつけた。

「っぐ!」
「どうしたよ、王子さま。その程度の殺気じゃ準備運動にもならねーぜ」
「っ……まだまだ!」
 ユーゴの足を振り払い、ルーファスが立ち上がる。またユーゴに蹴飛ばされる。それでもルーファスは起き上がって立ち向かってくる。これじゃあどっちが魔王さまなんだかなと、ユーゴは胸中で苦笑した。再度足をひっかける。
「ずるいですよ、ユーゴ!」
 どしゃっと何度目になるか床面とキスをしたルーファスが抗議した。「四祖エドモント」ではなく、「ユーゴ」。その変化に手ごたえを感じながら、ユーゴはわざとうるさそうに耳の片側へと小指をつっこむ。

「だっておれ、傭兵だしぃ。騎士様がやるような礼儀作法とか知らねーしぃ」
「“だって”じゃないですよ、もう!」

 ルーファスがふきだした。汚れのように見えるが顔のあちこちに分散しているのは負による腐食だ。その顔でルーファスが声をあげて笑うから、ユーゴも警戒を解いてしまう。
 そのままルーファスは大剣の刀身に手のひらを当てた。何をするのかとみていると、ガラスのように刀身が砕け、短剣ほどの長さになる。さながら刀工のように、ルーファスが新しくこしらえたそれを掲げた。

「言ったでしょう、ユーゴ。私は罪深いのだと。私の心はこんなにも醜くて、欲深だ。きっとヤンガルドさまよりも」

 天にむかって逆流していくような風がユーゴとルーファスの髪を乱す。いつのまにか「空」がさらに近づいて、排泄口付近の襞のようなこまかい層まで見えるほどだった。さらに拡大すればそれらが魔物の集合であることに気づくだろう。住居部や塔を失い、広間だけとなった王城の周囲を見たこともないような数の魔物の大軍がとりかこんでいる。
 ユーゴは舌打ちした。このままでは本当に二人ともここで地上もろとも滅びることになってしまう。ルーファス。早く来いとユーゴは手を伸ばし急かすが、ルーファスは収集した宝物を観賞するような風情でそこにとどまっている。

「ねえ、ユーゴ」

 短剣となった柄を大事そうに抱えながら、ルーファスが言った。
「旅をする中で、たくさんのやさしい方に出会いましたね。親切にしていただきました。オレゴテッド公のようなすばらしい方もいた。だから私、すべての人間が悪ではないことも知っています。知っているのです。ユーゴ、あなたを通して見た世界は美しかった。やさしくて、あたたかかった」
「何を、もう死ぬみたいに言ってんだよ、まだ終わりじゃねーよ!」

 言葉では強がっても、現実的に考えて、この先に待っているのは世界の終末であり滅びでありゲームオーバーだった。ユーゴにだってそんなことはわかっている。四祖として目覚めたとはいっても地上においてエドモントは神の力を奪われた一魔物に過ぎず、かつ四体揃っているわけでもない。せめて悔いなくその時を迎えられるよう、ルーファスのように感謝の言葉なり別れの言葉を口にするのが正しいのだろう。
(なんかねーのかよ、方法が……)
 せっかく乗りこんできて、手をこまねいて滅びを待つしかないのか。

「ここで私との盟約を解いたとして、地上が救われたとして、あなたは次にどんな世界で生まれるのでしょうね。どんな人と出会い、旅をするでしょうか。誰があなたの隣に立つのかな。あなたはどんな人を好きになるのかな、どんな人の隣で、笑うのかな」

 ルーファスの声音がにわかに明るくなった。赤い狂気の色がまぶしそうにユーゴを見、それから、合図をする。
「私の知らないあなたが、私の知らない人の名前を呼ぶ。あなたに触れる。考えるだけで気がおかしくなりそうです。だって、“そこ”に私はいない。あなたの生きる世界に私はいない。あなたの明日に、私はいない」
「ルーファス!」
 濁流のように押し入ってきた魔物たちがユーゴとルーファスの立つ直線上を分断する。魔物たちの目的はルーファスの周囲に壁を作ることのようだった。

(おい、待てよ――)

 頭を殴られたような衝撃がユーゴを襲う。
 
 考えるより早く、ユーゴは火炎をまとうのも忘れてそこへ突進した。大剣を、わざわざ彼は短剣に作り替えた。
「ルーファス! おい! おまえ、何をするつもりだ!? おい、ちゃんと説明しろよ、ルーファス!」
「私なんか、…生まれなければよかったのに……」
 ルーファスが自嘲する。

 脇腹が切れ肩口が焼かれたが、かまわずユーゴは手を伸ばし続けた。魔物の波に押し出されそうになるとまたかきわけて進む。そうしてついにルーファスまであと少しというところまできたが、ルーファスがユーゴの手をとることはなかった。ルーファスから手を伸ばせばじゅうぶんに届く距離だったのに。
 ルーファスがゆっくりと首を横に振るのを、ユーゴは信じられない思いで見る。さようならとその唇がうごいて、高くふりあげられた短剣がルーファスの胸を突いた。

「!」

 ルーファスを中心とした負の爆発が魔物たちを、それからユーゴを、城を、さらに城下の街までひろがって飲みこむ。より強大なエネルギーにふきとばされ、あるいは吸収されていく魔物たちにまざってごろごろと転がりながら、ユーゴはしめつけられるような胸の痛みを感じていた。「エドモント」が泣いている。それとも、「ユーゴ」が?
 思考はやがてフェードアウトし、ユーゴの意識は深い闇の中へと落ちていった。

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