だから、おまえとはもうしない

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#25 だから、おまえとはもうしない

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 敗者復活戦を上位で勝ち抜き、礼音たちは上位決定戦の参加資格を得た。その夜はみんなでお祝いをした。
「お疲れ、明」
 今日もMVPは明だった。攻守ともに目覚ましい活躍を見せて得点に貢献した。礼音は持ってきたウーロン茶を明のコップにそそいでやる。

「球技苦手って言ってたのに、結局一番成長したの明だったな」
「そんなことはないさ」
「謙遜するなあ」
「長篠とうまくやっているようで、安心した。呼吸が合ってきたな」
「いろいろあって」

 まさかセックス三昧のただれた関係ですとも言えず、礼音は言葉を濁す。これでいいのかなあと思う気持ちがないでもないけれど、チームは現に勝ってるし礼音たちの間には依然恋愛感情はない。
(だからこそ今の関係が不思議なんだけど…結果が出てるからいいのかな)

 少なくとも、礼音を抱いているときも野球をしているときも、守仁に嫌そうな意思は感じない。だったら何も問題はないのではと思う一方で、釈然としない気持ちも残る。
 守仁とバッテリー的に結ばれればもっとすごいプレーが見られるかもしれないと思って、礼音は心を決めた。だけど守仁はどうなんだろうと思うのだ。
 だって守仁は後悔をしている。礼音たちと野球をしながら、彼はずっと“センザキ”のことを考えていたに違いなかった。あのきれいな涙は彼のために流されたのだから。

(だからオレと、したのかな)

 胸の奥がきしむように痛む。奥の届かない場所をつかまれるような痛みだ。礼音は顔を苦悶に歪ませる。
 守仁は“礼音”を通して贖罪を果たそうとしているのかもしれないと思ったのだ。それが守仁の礼音を抱いた理由なのかもしれないと。
「痛っ……」
「…礼音?」
 いぶかしむような明の声がすぐ間近。それから明が黙って立ち上がる。正面から礼音の左側へ場所を変えた。どうして、と思って、まもなく礼音はその理由を理解する。涙が膝に落ちて、足を濡らしていた。

「わからないんだ」

 試合のハイライトを熱っぽく語るリンリンの声、照れるチームメイト、それから対戦したチームをたたえる言葉。手酌しながらそれらへ耳をかたむけるベルフェゴール。そんな彼に料理を持参しながら話しかける千歳。
 わからない、と礼音はつぶやく。
「なんでこんなに胸が苦しいのか、わからなくて、……困ってる」
「うん」
「話を聞いてから、ずっと苦しくてしょうがないんだ。自分で言わせたのに」
 守仁に抱かれるたびに、正体のわからない痛みが礼音を苦しめる。

 『好きじゃないくせに』。
 『どうして』。

 黒々とした汚れのような気持ちだ。礼音の感じる痛みの分だけ切っ先を鋭くしていって、守仁を傷つけようとする。責めようとする。自分だって守仁を、“捕手”を利用しようとしたくせに。
(じゃあ、どんな理由なら納得できるんだ。どんな理由なら、苦しくないんだ?)
 守仁が礼音を好きで、だから了承したのだとでも言えば満足する? 贖罪のためではなく、守仁が守仁のために、守仁の意思で礼音を抱きたいのだと言えば、自分は満足できるのだろうか。
 フェロモンのせいでもベルフェゴールの作為でも、投手とか捕手とかの因果でもなく、守仁がその意思で選んでくれたなら。

(そっか、……もしかして、オレ)

 ズ、と礼音は鼻をすすった。ぼろぼろ落ちていた涙が少しずつ細くなって、気持ちが落ち着いてくる。
(オレ、守仁のこと好きなんだ。守仁も同じ気持ちじゃなきゃ嫌だって思ってて、…だからこんなにこだわってるんだ)
 好きだから“かわり”にされるのが嫌で、好きだから望まれたい。
 気づいてみれば簡単なことだったけれど、新しく生まれた気持ちの幸福感も長くは続かなかった。守仁は礼音をそういう意味で好きではない。そのうえで今後も同じように守仁に抱かれることができるかどうかという問題が礼音を絶望させた。

(無理)

 考えるまでもなくはっきりと答えが出る。いやだ、と思った。
(守仁と、したくない。できない)
 守仁はやさしい。礼音を傷つけないように負荷をかけないように大事に大事に抱いてくれる。そのなかで、肩、と守仁が言うのが礼音はとても好きだ。少しくらいおかしな体勢をしたって、すぐに駄目になるわけないのに。そんなやわじゃないのに。
 まるで好かれてるように錯覚してしまう。目的のためなのに、まるでお互いに求め合っているような気になってしまう。

(無理だ)

 自覚する前だってまんざらでもなかったのに、自覚した今、そういうふうに抱かれるのは無理だ。守仁の手がやさしければやさしいほど、礼音をいつくしめばいつくしむほど、そんなのつらくなっていくに決まっている。
(だけど、やっと勝てるってわかったのに)
 罰が当たったのかもしれないと思った。守仁の気持ちを無視して、自分の目的のために魔力を利用しようとした罰。バッテリーだの相棒だのと言っておきながら守仁の気持ちに寄り添おうとしてこなかった罰。自分勝手にふるまってきた罰。

「礼音?」

 無意識にかぶりを振った礼音に気づいて、明が礼音の背中をなでてくれる。俺にできることはあるか? とやさしい声が言った。
「何か、力になれることはあるか、礼音」
「……明、」
 すがるように明を見上げて、礼音はためらう。できるなら明に甘えて全部吐き出してしまいたいし、聞いてほしいと思う。明なら頭がいいから、きっと親身に話を聞いて、礼音に的確な答えをくれるはずだった。

(明だったらどうなってたかな)

 礼音は想像する。もしもあの日礼音を選んだのが明だったら。あるいは千歳や勇多でもいい。どうなっていただろう。
(もっときっと簡単だった)
 会話をして心を開いて甘えて、相手のくれるものを受け取って、返して、それでよかった。包容されて信頼して、心地のいい関係になっただろう。今だってそうなのだから。
(だけど、たぶん)
 たぶん、恋はしなかっただろうと礼音は思う。好きだなあいい奴だなあと思って、それでおしまいだった。

(何が違うんだろう)

 守仁と明たちと。いったい何が違っていたのだろう。それとも礼音のこの気持ちは“投手”だからなのだろうか。
(嬉しかった)
 初めて守仁とキャッチボールをして、楽しいと言った礼音に守仁が笑いかけた。「そうだろ」と言って、まるで自分の宝物を褒められたような顔をしたのだ。
(かわいいなって思ったんだ。こんな顔ができるのかって)
 恋に落ちたのかなと冗談交じりに考えたのを覚えている。まさか本当にそうなるなんて夢にも思っていなかったけれど。

「ごめん、明」

 礼音は明から離れる。コップを持ってたちあがりしな、守仁を見つけた。目が合う。
「なんか思ったより疲れたみたい。だから、部屋に、戻る」
「……」
「明?」
「そうか」
 送ろうかと明が言ってくれたけれど迷惑をかけるわけにはいかない。それに今は一人で考えたいような気持ちだった。考えたところで答えが出るとも思えないけれど。

「いい夢を、礼音」

 言って、明が礼音の頬にキスをする。幼い弟妹にするようなやさしいキスは、不思議と初めてではないような気がした。そういえばまだ礼音が幼い頃には、母が寝る前にしてくれたなあと礼音は思いだす。
 おやすみ、と返して礼音は部屋を出た。



        *



 上位決定戦一戦目のセックスはしなかったけれど勝つことができた。千歳たちも美里のときのような体調不良をうったえなかったので、魔力的にはセーフだったのだろう。礼音はホッと胸をなでおろした。
(監督、気づいてたみたいだけど何も言わなかった)
 魔法を使ってまで守仁とのセックスを強要してきたわりに、その後ベルフェゴールは礼音に干渉してこない。そのかわりというか、守仁と話をする姿を見かけるようになった気がする。意外な組み合わせだと思ったが、性格的な相性自体は悪くないらしい。

(…明日、か)

 バッティングマシーンは勇多たちが使っていた。グラウンドでは千歳と守仁を中心に守備の練習をしていたし、トレーニングルームもいっぱいだった。素振りの音はいつも絶えないし、いつのまにか、全員が息をするように野球漬けになっている。
(明日)
 最後の球を拾ってカゴに入れる。明日は濱田屋との試合だ。守仁の“センザキ”と同じ名前の投手がいるチーム。なんとなく胸がざわつくのは予感のせいかもしれなかった。

 ――後悔してる?

 根拠はない。ただの予感で、直感だ。けれど、“センザキ”と守仁の糸はまだ切れていないような気がする。仮にそうだとして、そのとき自分はどうするのだろうと礼音は思う。
 守仁と“センザキ”の再会。もしも自分がその場に立ち会うことがあったら?
 ラスト、と言って守仁がバットを振る。片づけをしてめいめいに寮に戻った。汗を流して湯冷ましをして、礼音は階段を上がる。上位決定戦は五チーム、うちすでに二試合が終わり、次が準決勝、最後が決勝だ。決勝で待つのは美里たちギガクラッシャーズ。もともと濱田屋自体が先のリーグ戦における優勝チームの一つだ。魔力の底上げなしで勝てる相手ではないことは明白だった。

(でも、…したくない)

 礼音は部屋の前、足を止める。この時間なら守仁はまだ起きている。もしも部屋に入って、守仁が言いだしてきたらどうしようと思った。一方で、守仁の性格なら言いださないのではとも思う。礼音と現実にセックスをしているくせに、守仁はまだ勝つ手段としての魔力強化に対して消極的だ。

(“センザキ”くんの、せいなんだろうな)

 礼音はドアを開ける。案の定守仁は起きていて、ベッドでスコアブックを読んでいるようだった。礼音に気づき、守仁が「おかえり」と言う。いつも通りに。
「…守仁」
 呼ぶと、守仁が首をかしげて応える。そうだ、と礼音は思う。セックスをするときはいつも礼音が守仁に申告していた。守仁からは一度だって言われたことはなかった。「あのさ、」と言葉を続ける。

「“センザキ”くんて、もしかして千崎皇帝しーざーって名前だったりする?」

 リンリンがあらためて発表した濱田屋のデータを聞きながら、守仁の顔色はしかし、変わらなかった。淡々として、驚くくらい普通だった。あんまりいつも通りだったから、あやうく礼音も「やっぱり別人なのかな」と思いかけたくらいだ。
 だけど礼音の直感は正しかったらしい。そうだよ、と守仁が肯定する。
 礼音は首からタオルを抜いた。こわくないの、と問う。

「…わからない」
「……」
「実感がわかなくて、…自分が今何を感じてるのかわからない。もう一度会えたら謝りたいと思ってた。どんな形でもいいから野球を続けてくれていたらいいなとか思うくらいで、…まさか別のチームで対戦するなんて、そんな日がくるなんて、想像もしてなくて」
「もし続けてたら、どうする? “センザキ”くんが、今もどこかの学校で投手をしてたら」

 礼音はたずねてみる。
 仮定の話だ。
 美里たち、それから右京たちの話では、礼音たち同様に現役の野球部はいないという。もしそれが召喚された者たちの共通点だとすれば、“センザキ”は現在野球をやっていないということになる。
 それでもきいてみたかった。もしも“センザキ”が、今も野球を続けていたら。守仁以外の捕手に投げていたら。

「うれしいよ」

 うれしい、と守仁はわらう。
「あんなことがあっても野球を変わらずに好きでいてくれるなら、どこかでちゃんとあいつに合った相手を見つけて投げてくれているなら、ぼくはうれしいと思う」
「嫌とか思わないんだ?」
「どうして?」
 守仁がきょとんと首をかしげた。本当に不思議に思っているらしい、少し稚いような表情が礼音を見る。

「今は礼音さんたちがいるだろ」
「……。ん」

 真顔で返されて、礼音はつま先でふくらはぎを掻いてしまう。うなじのあたりがこそばゆい。ぎゅうぎゅうと締め付けられるようだった胸が、現金なことに多幸感で融かされていく。
 迷いのない言葉がうれしいと思った。
「オレさ、守仁」
 ベッドの階段をあがって、礼音は守仁に近づく。めがね越し、夾雑物のない守仁のきれいな目が礼音を見上げていた。嘘を言わない誠実な眼。
 明日はこの眼のために何ができるだろうと思う。言う。

「精一杯投げるから。千崎くんをもしかしたらがっかりさせるかもしれないけど、…守仁のために投げるから。守仁だけのピッチャーになるから、オレだけを見てて」

 震えた声を、礼音はこぶしを握ってこらえる。広げたままのスコアブックのページを隠すように手を置いた。体を伸ばして、そうして守仁にキスをする。
「守仁のこと、好きになっちゃったみたいなんだ」
 ごめん、と言った。
「だから、もう守仁とはしない。オレの勝手で守仁に嫌なことさせてきたのに、さんざん勝ちたい勝ちたいって嫌な思いさせて来たのに、千崎くんといい試合させてあげたいけど、見たかったけど、……無理」
「…礼音さん、」
「みっともない投球はしない。守仁に恥をかかせることは絶対しないから、だから、守仁」

 守仁の言葉を、礼音はかぶりを振って拒む。懇願するように守仁の手をぎゅっと握った。
「オレだけ見てて。千崎くんを、見ないで」
 今だけはそのミットを、このチームに、オレだけに向けていて。



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