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辞めてからの日々

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レゾブン在籍時代。最初はメンバー全員が同じマンションの中で部屋を与えられての寮暮らしだった。
その後、収入に余裕が出来て自立を望む者は寮から出て行くことを許される。


俺はそんな中で寮に残っていた残留組だった。収入的には一人暮らしも難なくやっていけたが、寮が事務所のすぐ近くだったこともあって、事務所の練習室にすぐ行ける利点から俺は練習にひたすら時間を割きたくて残留していた。事務所が家から見える範囲にある、そこまでの好物件は早々ない。寮を出るまでのほぼ毎日、俺は事務所の練習室へ行って練習をしていた。
それが俺がいい歳しても寮に居た理由だった。



その毎日の習慣が伊月の家に居候することによって変わった。伊月の家からでも事務所に行けないことはない。だから行こうか悩んだが、グループを辞めた奴が面の皮厚く練習室を占領するのは何だか申し訳無くて憚られた。
社長は気にするなと言うが、そういうわけにもいかないことは理解している。
だけど身体が鈍るのだけはどうしても嫌だった。なので俺は日課としてランニングを毎日始めることにした。雨の日などで外へ走りに行けない時は室内トレーニングに切り替えながら、暇を持て余して時間だけは毎日たっぷりある俺はサボることなく身体を動かしていた。



「そろそろ休憩か」


スマホと連携している時計の画面を確認するとインターバルの表示になっていた。体内時計の正確さに1人でドヤ顔をしながら水分補給をする。
日に日に長く走れるようになってきたなと時計の画面から走った距離数を確認し、今日はどのくらい走ろうかな、とタオルで汗を拭きながら思案する。



「随分楽しそうっスね」


背後からの聞き覚えのある声に俺は顔を歪めた。見えないことをいいことに"イヤホンをしているので何も聞こえてません"の体を装う。
ドリンクを片付けてそのまま走り出すと後ろから少し慌てたような声が聞こえた。



「ちょっと、何で無視するんスか!」



俺は時計の画面を操作して音楽の音量を上げた。そして走るスピードを上げていく。撒く気満々だった。普段走るようなタイプじゃないコイツなら簡単に撒けるだろうと俺は少しナメていた。



「逃げんなよッ……!」



振り切ろうとする直前、腕を掴まれる。息を切らしながら須美はこちらを睨みつけた。俺は面倒な奴に捕まったと思わず舌打ちをした。すると須美は驚いたような表情を浮かべた。無理もない。俺はいつもメンバーに優しく、特に年下に対しては威圧感を出さないように心掛けてきた。意見を言い合うことで強く言ってしまうことはあっても、あからさまに舌打ちするみたいに怒りや不快さを態度に出すことは絶対にしなかった。
それは同じグループの仲間に対してだったからだ。
今は違う。しかも絡んで来る奴に優しくする理由も無かった。



「何だよ」


掴まれたままの腕を振り払うと須美は我に返ったのか、歯切れ悪く反応した。



「何も逃げなくてもいいじゃないスか……」
「トレーニングの邪魔すんな」
「なっ……!」
「用件は何だ。何も無いなら話し掛けるな」


自分でも随分と冷えた声に感じる。



「アンタどうしたんだよ……いつもならアンタは練習中だろうが、トレーニング中だろうが手を止めて話を聞いてくれただろ……」
「レゾブンのリオンならな?」


ハッ、と呆れたような笑いが自分から漏れた。コイツらはどこまで夢を見ているのか。辞めてまでも俺がサンドバッグのままでいると本気で思っているのだろうか。


「レゾブンのリオンはもう居ないんだよ」


優しいリオンはもう居ない。
そんな当たり前のことに今気付きましたと言いたげな表情を須美は浮かべた。



「俺はグループを抜けた。いい加減俺に甘えるな」


俺はやる気のない奴は好きじゃない。同じグループのメンバーだったから、協力し合わないといけなかったから、練習中やトレーニング中でも好き嫌いの感情を押し込めてメンバーを優先していただけだ。

本当はずっと腹に据え兼ねていた。やる気のない奴が俺の時間を奪うことが許せなかった。
どうして俺が合わせないといけないのか、と。
ずっと我慢していた。
でも今は違う。誰にも合わせる必要のない俺の自由な時間。俺が合わせる義理なんて無いのだ。
どうしても聞いてほしい用件があるなら相手の都合に合わせるのが一般常識。それもしないで、一方的に相手の都合を考えずに話し掛ける常識のない奴にわざわざこちらが優しくしてやる理由もない。



「二度とランニング中に話し掛けるな」


俺は帽子を深く被り直し、須美の顔を見る事もないまま走り出す。


俺は自分がストイックと呼ばれる部類の人間だということを理解している。だから他人に俺に合わせろなんて理不尽なことは思わない。
だけど、俺が相手に合わせるのもおかしな話ではないかとずっと感じていた。
こうして1人で気兼ねなく黙々とトレーニングしていると尚更思う。
こちらに合わせられないならせめて邪魔をするな、と。




「ちょっ……待って、待って……!」



あれから毎日。何故か須美とランニング中に必ず遭遇する。
不思議なのはルートを変えても、走る時間を変えても絶対にどこかでコイツと遭遇するのだ。ここまで遭遇すると気味が悪くてしょうがない。
まさかコイツ跡を付けてきているんじゃ……?と思ったりもしたが、須美もそこまでヒマではないはずだ。俺は考え直しながら須美を振り切っていつも通り走る。
ランニングも辞めた方がいいのだろうか。そんなことを時折考える。
だけど考えれば考える程に何故俺が諦めなければならないのだろうと怒りに似た感情が沸き上がる。
諦めるのはレゾブンだけで充分だ。
俺はもう何にも妥協したくない。できるところまで全力で駆け抜けたい。
自分の負けず嫌いも相俟って、この鬼を置き去りにする鬼ごっこはしばらく続いていた。




「お前何なの?何がしたいわけ?」


インターバル。いつもの自販機で水を2つ購入し、俺は後ろから必死に追い掛けてくる須美にそれを投げ渡して問い掛けた。



「ハァ、ハァ……ちょっ、待って……」
「落ち着くまで待ってるから休憩しろ」


肩で息をする須美にそう言って、自分自身も休憩を取る。
俺はこの鬱陶しい鬼ごっこを今日で終わらせようと決めていた。数日で諦めると思っていた自分が甘かったらしい。毎日遭遇して嫌な気分になるくらいなら話だけでも聞いて、快適なランニングの時間を取り戻したかった。




「もう逃げない……?」
「まず逃げてない」
「嘘つき……ずっと逃げてたじゃん。てか速すぎでしょアンタ」
「何で俺がお前に合わせないといけないんだ。合わせてもらえるのが当たり前だと思うなよ」
「わかってるよ……だから必死に追い掛けてたんだし……」



余程疲れているのか須美はいつもの生意気さは見る影もなかった。



「てか何で息すら上がってないの?化物じゃん……」



やっぱりこのまま置き去りにして走り出してやろうか。苛ついてそんなことを思った。
だがこれ以上付き纏われるのは御免だ。ケリをつけるんだ。
俺は溜息を吐きながら自分に言い聞かせて淡々と言う。



「鍛え方が違う」
「……ごめん、怒らせたかったんじゃないんだ……アンタが元々凄いのは知ってるし……」



突然のしおらしい態度。しかも何故かヨイショされている。
あまりの嘘くささに不信に満ちた眼を須美に向ける。
須美は俺の視線に気付いて気まずそうに俯きながら唸りだした。


「あー……、その……、」
「そういうのいいから早く用件」
「あ、うん……その、…………めん」
「は?なに?」
「だから……ッ、今までごめん!俺、アンタのこと最低だって最後に言ったけど、最低なのは俺だった……」


思ってもみなかった謝罪に俺は呆気に取られる。須美は恥ずかしそうに頭をぐしゃぐしゃに掻き毟りながらもボソボソと続けた。



「アンタに酷いことしてきた……謝っても許されるとは思ってないけど直接謝りたくて……でもアンタ全然姿現さないし、近い内に海外に留学するって聞いて……」



だから毎日追い掛けてきてたのか。
留学する前に謝ろうと?
迷惑すぎて理解はしたくないが、不可解だった行動に納得はできた。
俺は重い溜息を吐く。



「気にしてない」
「え……?」
「もう終わったことだ」
「でも、アンタ怒ってたじゃないスか……」
「突っ掛かられたり絡まれるのが鬱陶しいだけだ」
「ごめん……」


シュン……と頭を項垂れる須美。
変わり過ぎた姿に戸惑いを隠せない。



「俺、アンタが凄い人ってちゃんと知ってたんだ。なのにお荷物なんて……アンタは俺たちに合わせてくれたのに……俺たちはアンタに追い付いて、追い越したと勘違いして……」
「俺はチームとして上手くできなかった。そもそもグループに向いてなかった。それだけだ」
「でも、アンタは、」


須美は泣きそうな顔で縋る様にこちらを見つめる。
なんだかこちらが悪いことをしているみたいで、ばつが悪い。



「過ぎたことだ」
「アンタはそれでいいのかよ……?」
「今更どうしようもないこと言ってもしょうがないだろ」
「俺たち、昔みたいに戻れない……?」
「レゾブンの優しいリオンはもうどこにも居ない。お前も忘れろ」


本当に今更どうしようもないことを。戻って何になるというのか。
俺は言葉を飲み込んで溜息を吐いた。




「じゃ、じゃあ、また新しく、俺たち事務所の先輩後輩としてやり直せないっスか……?」



恐る恐るどこか窺うように訊く須美はまた縋る瞳でこちらを見つめる。
水のペットボトルを握っている須美の手が震えているのがわかった。本人なりに勇気を出したのだろう。
俺は伊月に天使の微笑みと言われた蕩けるような甘ったるい笑みを浮かべてみせた。須美はそれを見て顔を真っ赤にしながら期待に満ちた瞳を潤ませる。



「無理だ。仕事ならともかく俺は今後一切関わりたくない」


俺は自分の中の極上の笑顔でそう吐き捨てた。







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