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思ってもみないことを言われ、呆然とするわたくしの前でヴィルバルト様が話し続ける。
「まさか、キャルとのことがバレているとは思わなかった。一応これでも君に配慮して、隠れて会うようにしていたんだけどね。無駄なことだったらしい」
震える声でわたくしは問いかけた。
「それはつまり、このままわたくしと結婚したとしても、キャリリン様との付き合いをやめるつもりはないということですか。愛人関係を継続すると……?」
「当然じゃないか。その分、侯爵家のことは任せて欲しい。君のお父上に負けないよう、領地繁栄のために尽力するつもりだ。そのためにも、本物の愛情でわたしを支えてくれる女性が傍に必要なんだ」
「わたくしではあなた様を支えられないと?」
ふっ、とヴィルバルト様は呆れ顔で笑う。
「君みたいに甘やかされたお嬢様には無理だろう? それにやはり、二人の間に本物の愛がないとね」
隣に座るキャリリン嬢の手に自分の手を重ね置くと、ヴィルバルト様は愛おしい者を見る優しい目をして彼女を見つめた。キャリリン嬢はそれを受けて、幸せそうに微笑んでいる。
やがてキャリリン嬢が、自らの腹部を手でそっと撫でたかと思うと、わたくしに向かってニコリと笑った。
「安心して下さい。あたしはバルトと結婚できなくても、生活できるだけのお金と家、そしてバルトの愛があればそれでいいんです。実はあたし、もう妊娠しているんです」
わたくしは息を飲んだ。
妊娠?
それは二人の間に肉体関係があることを意味している。
「侯爵家の資産からすれば、バルトがあたしを囲うくらいのお金なんて、微々たるものでしょう? 結婚は譲るんだもの、それくらい出してくれたってかまいませんよね?」
「さっきも言ったけど、わたしは婚姻後は侯爵家のために尽くすつもりだ。自分の使える金で愛人を囲うくらいのこと、許されてしかるべきだろう?」
「来年には生まれますから、なるべく早く家が欲しいんです。できれば今すぐにでも。そうしたら、学園もすぐに退学するし」
「そうだな、わたしからも頼むよ、エレオノーラ。キャルの身体はもう一人だけのものじゃない。無理はさせたくないからね」
二人からのあまりにも身勝手な頼みごとに、わたくしはテーブルの下で拳を強く握りしめた。そうでもしないと、なにかヒステリックに叫んでしまいそうだった。
吐き気がするほどの眩暈の中、侯爵令嬢としてプライドで背筋を伸ばした。
ふと隣を見ると、ラファリック殿下がわたくしに労わる様な視線を送ってくれている。更に視線を伸ばしてハインツ殿下とアリア様を見ると、二人とも苦虫を噛み潰したような顔で、ヴィルバルト様とキャリリン嬢を睨みつけていた。
ここでアリア様が口を開いた。
「改めて確認するけれど、キャリリン嬢、あなたのお腹にベッケル殿の子が宿っているというのは、間違いないことなのね?」
氷のような冷たい声と口調から、アリア様の機嫌が悪いことがわたくしには分かる。けれどもキャリリン嬢には伝わらないらしい。愛らしい顔をパアァッと輝かせて元気よく答えた。
「はい、その通りです。お腹の中にいるのはバルトの子です。ねっ?」
キャリリン嬢に問いかけられて、ヴィルバルト様も大きく頷いた。
「ええ、間違いありません。わたしの子です。なので、さっきの婚約解消の件。わたしたちのことを思って考えてくれたのは有難いと思う。だけど、わたしにはそのつもりはないから。愛する人との子をしっかり育てるためにも、アクス侯爵家からのこれまでの恩に報いるためにも、婚約は続行する。そして、学園卒業と同時にわたしはエレオノーラと結婚するから」
安心したかい、という声が聞こえてきそうなヴィルバルト様からの視線に、わたしの心がスッと冷えた。
この人は一体誰だろう?
わたくしが好きになったはずの、優しくて誠実で思いやりのあるヴィルバルト様はどこ?
悪びれることなく浮気相手に子供ができたことを口に出し、その浮気相手と子供を幸せにするためにわたくしと結婚すると胸を張って言う。
理解できない。どうすればそんな身勝手なことを思い付き、人前で恥ずかしげもなく言葉にすることができるのか。恥という概念がないのだろうか。
取り合えず、わたくしは疑問に思ったことの一つを質問してみることにした。
「ヴィルバルト様、今更ですが、わたくしたち二人の婚約が整った経緯を御存じですか?」
「勿論だよ」
わたくしの質問に、ヴィルバルト様はにこやかに話し始めた。
「アクス侯爵家には君以外の子がいないから、後継ぎのための入婿を必要としていた。ベッケル子爵家はアクス侯爵家の隣の領だし、両家には綿花取引の上でも昔から深い関係にある。だから、ベッケル家に優秀な男子がいて、しかもそれが三男だったことは、アクス侯爵にとって願ってもないことだったはずだ。要するに、是が非でもわたしをアクス家に取り込みたいがゆえの政略結婚だよ。父からも、アクス侯爵から是非にと請われたことだと聞いている」
「分かるわ! だって、バルトはとても優秀だもの。誰だって欲しがるはずよ。流石はあたしの自慢の旦那様だわ」
「ありがとう、キャル」
ごく自然に他人の婚約者を旦那様と呼ぶキャリリン嬢と、それを否定すらしないヴィルバルト様。もはや、呆れるばかりでなにも言う気力も起きない。
それにしても、先ほどのヴィルバルト様の言葉から分かったことがある。わたくしの想いは、幼い頃から彼に抱いてきた初恋の気持ちは、少しもヴィルバルト様に伝わっていなかったらしい。
彼にとってわたくしとの婚約は政略的な意味しかなく、しかも、さきほどの口ぶりから想像するに、ヴィルバルト様の優秀さに惚れ込んだお父様が頭を下げて婚約を願った、みたいなことを図々しく思っているようだ。
その勘違いは許せない。
わたくしはこれでも名門貴族、アクス侯爵家の娘なのだ。家格が段違いに劣るたかが子爵家の三男に過ぎない男から、当家を、当主であるお父様を軽く見る発言を目前でされて、捨ておけるわけがない。
わたくしは自分の胸に手を当てて、心の中を探ってみた。
不思議なことに、あれほど恋焦がれていたヴィルバルト様への熱い想いが、まるでロウソクの火が消えたかのごとくに失われていた。
目の前にいる男は、婚約者のいる身でありながら浮気をしただけではなく、相手を妊娠させ、結婚後はその浮気相手を愛人として囲うことを婚約者に宣言するという、そんな恥知らずで厚かましいことが平気でできる、そんな見下げ果てた下衆にすぎない。
なんだか長年の憑き物が落ちたような、そんな清々しい気持ちだった。
そんなわたくしの心境の変化が表情に現れていたのだろう、横からラファリック殿下の少し楽し気な声が聞こえた。
「どうやら吹っ切れたらしいな」
「はい」
力強くわたくしは答えた。
見ると、ハインツ殿下とアリア様も温かな目でわたくしを見てくれている。
これまでご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。
けれど、わたくしはもう大丈夫です。
背筋を伸ばし、凛とした気品を纏ってわたくしは胸を張った。
さあ、婚約破棄ですわ!!!
「まさか、キャルとのことがバレているとは思わなかった。一応これでも君に配慮して、隠れて会うようにしていたんだけどね。無駄なことだったらしい」
震える声でわたくしは問いかけた。
「それはつまり、このままわたくしと結婚したとしても、キャリリン様との付き合いをやめるつもりはないということですか。愛人関係を継続すると……?」
「当然じゃないか。その分、侯爵家のことは任せて欲しい。君のお父上に負けないよう、領地繁栄のために尽力するつもりだ。そのためにも、本物の愛情でわたしを支えてくれる女性が傍に必要なんだ」
「わたくしではあなた様を支えられないと?」
ふっ、とヴィルバルト様は呆れ顔で笑う。
「君みたいに甘やかされたお嬢様には無理だろう? それにやはり、二人の間に本物の愛がないとね」
隣に座るキャリリン嬢の手に自分の手を重ね置くと、ヴィルバルト様は愛おしい者を見る優しい目をして彼女を見つめた。キャリリン嬢はそれを受けて、幸せそうに微笑んでいる。
やがてキャリリン嬢が、自らの腹部を手でそっと撫でたかと思うと、わたくしに向かってニコリと笑った。
「安心して下さい。あたしはバルトと結婚できなくても、生活できるだけのお金と家、そしてバルトの愛があればそれでいいんです。実はあたし、もう妊娠しているんです」
わたくしは息を飲んだ。
妊娠?
それは二人の間に肉体関係があることを意味している。
「侯爵家の資産からすれば、バルトがあたしを囲うくらいのお金なんて、微々たるものでしょう? 結婚は譲るんだもの、それくらい出してくれたってかまいませんよね?」
「さっきも言ったけど、わたしは婚姻後は侯爵家のために尽くすつもりだ。自分の使える金で愛人を囲うくらいのこと、許されてしかるべきだろう?」
「来年には生まれますから、なるべく早く家が欲しいんです。できれば今すぐにでも。そうしたら、学園もすぐに退学するし」
「そうだな、わたしからも頼むよ、エレオノーラ。キャルの身体はもう一人だけのものじゃない。無理はさせたくないからね」
二人からのあまりにも身勝手な頼みごとに、わたくしはテーブルの下で拳を強く握りしめた。そうでもしないと、なにかヒステリックに叫んでしまいそうだった。
吐き気がするほどの眩暈の中、侯爵令嬢としてプライドで背筋を伸ばした。
ふと隣を見ると、ラファリック殿下がわたくしに労わる様な視線を送ってくれている。更に視線を伸ばしてハインツ殿下とアリア様を見ると、二人とも苦虫を噛み潰したような顔で、ヴィルバルト様とキャリリン嬢を睨みつけていた。
ここでアリア様が口を開いた。
「改めて確認するけれど、キャリリン嬢、あなたのお腹にベッケル殿の子が宿っているというのは、間違いないことなのね?」
氷のような冷たい声と口調から、アリア様の機嫌が悪いことがわたくしには分かる。けれどもキャリリン嬢には伝わらないらしい。愛らしい顔をパアァッと輝かせて元気よく答えた。
「はい、その通りです。お腹の中にいるのはバルトの子です。ねっ?」
キャリリン嬢に問いかけられて、ヴィルバルト様も大きく頷いた。
「ええ、間違いありません。わたしの子です。なので、さっきの婚約解消の件。わたしたちのことを思って考えてくれたのは有難いと思う。だけど、わたしにはそのつもりはないから。愛する人との子をしっかり育てるためにも、アクス侯爵家からのこれまでの恩に報いるためにも、婚約は続行する。そして、学園卒業と同時にわたしはエレオノーラと結婚するから」
安心したかい、という声が聞こえてきそうなヴィルバルト様からの視線に、わたしの心がスッと冷えた。
この人は一体誰だろう?
わたくしが好きになったはずの、優しくて誠実で思いやりのあるヴィルバルト様はどこ?
悪びれることなく浮気相手に子供ができたことを口に出し、その浮気相手と子供を幸せにするためにわたくしと結婚すると胸を張って言う。
理解できない。どうすればそんな身勝手なことを思い付き、人前で恥ずかしげもなく言葉にすることができるのか。恥という概念がないのだろうか。
取り合えず、わたくしは疑問に思ったことの一つを質問してみることにした。
「ヴィルバルト様、今更ですが、わたくしたち二人の婚約が整った経緯を御存じですか?」
「勿論だよ」
わたくしの質問に、ヴィルバルト様はにこやかに話し始めた。
「アクス侯爵家には君以外の子がいないから、後継ぎのための入婿を必要としていた。ベッケル子爵家はアクス侯爵家の隣の領だし、両家には綿花取引の上でも昔から深い関係にある。だから、ベッケル家に優秀な男子がいて、しかもそれが三男だったことは、アクス侯爵にとって願ってもないことだったはずだ。要するに、是が非でもわたしをアクス家に取り込みたいがゆえの政略結婚だよ。父からも、アクス侯爵から是非にと請われたことだと聞いている」
「分かるわ! だって、バルトはとても優秀だもの。誰だって欲しがるはずよ。流石はあたしの自慢の旦那様だわ」
「ありがとう、キャル」
ごく自然に他人の婚約者を旦那様と呼ぶキャリリン嬢と、それを否定すらしないヴィルバルト様。もはや、呆れるばかりでなにも言う気力も起きない。
それにしても、先ほどのヴィルバルト様の言葉から分かったことがある。わたくしの想いは、幼い頃から彼に抱いてきた初恋の気持ちは、少しもヴィルバルト様に伝わっていなかったらしい。
彼にとってわたくしとの婚約は政略的な意味しかなく、しかも、さきほどの口ぶりから想像するに、ヴィルバルト様の優秀さに惚れ込んだお父様が頭を下げて婚約を願った、みたいなことを図々しく思っているようだ。
その勘違いは許せない。
わたくしはこれでも名門貴族、アクス侯爵家の娘なのだ。家格が段違いに劣るたかが子爵家の三男に過ぎない男から、当家を、当主であるお父様を軽く見る発言を目前でされて、捨ておけるわけがない。
わたくしは自分の胸に手を当てて、心の中を探ってみた。
不思議なことに、あれほど恋焦がれていたヴィルバルト様への熱い想いが、まるでロウソクの火が消えたかのごとくに失われていた。
目の前にいる男は、婚約者のいる身でありながら浮気をしただけではなく、相手を妊娠させ、結婚後はその浮気相手を愛人として囲うことを婚約者に宣言するという、そんな恥知らずで厚かましいことが平気でできる、そんな見下げ果てた下衆にすぎない。
なんだか長年の憑き物が落ちたような、そんな清々しい気持ちだった。
そんなわたくしの心境の変化が表情に現れていたのだろう、横からラファリック殿下の少し楽し気な声が聞こえた。
「どうやら吹っ切れたらしいな」
「はい」
力強くわたくしは答えた。
見ると、ハインツ殿下とアリア様も温かな目でわたくしを見てくれている。
これまでご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。
けれど、わたくしはもう大丈夫です。
背筋を伸ばし、凛とした気品を纏ってわたくしは胸を張った。
さあ、婚約破棄ですわ!!!
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