続・公証長サーシャの通過点―巻き戻れなくとも自分に負けずに生きる

蜂須賀漆

文字の大きさ
45 / 82

第15話(5)

しおりを挟む
もう1つの難題、メルジューンへの設置交渉はさらに頭の痛いものであり、アレクサンドラはペンをインク壺に戻して、天井のアカンサス模様を仰いだ。
メルジューンはソルトモーレ帝国第2の都市であり、ベンケンドルフ公爵が統治している。
ベルケンドルフ家は特に国王陛下に連なるというわけではなく、建国に尽力した功績により公爵位に就いた家で、メルジューンも建国当初は一豪族が収める土地の中の大きな街という程度だったのが、国の発展とともに歴代領主が注力して規模を拡大させ、現在の繁栄を得るに至った。
公爵は、元老院の構成員ではないものの、国政での別部門で手腕を振るい、現在でも最高の方々の覚えめでたかった。
そして、ベルケンドルフ公爵は、元老院とは別な意味で一筋縄ではいかないと予測されるところに、頭痛の種が存在した。

まず設置交渉をした場合、公爵がどのような条件を付して来るか全く読めないことであった。
世間からは、人当たりが良く、身分の高低を問わずに気さくに接するという評価を受けていたが、見たままが本質だと信じる者は大概痛い目を見た。
例えば、公爵の管轄において陳情を持ち込んだ者がいるとすると、話を親身になって聞かれ、然るべきところに指示を出そうと温かい言葉をかけられて有頂天になっていると、しばらくして陳情と真逆の決定がなされる。
あるいは経済的に窮して請願する者に、助力の見返りに何をもたらしてくれるのかとにこやかに問いかける。
と思えば、当たって砕ける覚悟で来た者の要望をすんなりと通すだけではなく、改良さえ加えて政策として走らせる。
話術が巧みなことも加わって、その態度は非常に気まぐれに見えたが、笑顔の裏で徹底した功利主義を動かしているというのが、知識階級の密かな見方であった。
いずれにせよ、こちらの希望に丸ごと同意してもらうということはできないだろうと、アレクサンドラは見積もっていた。
話の仕方を考えなければならなかった。

それから、ベルケンドルフ公爵への交渉と、元老院からの内諾、どちらを先にすべきかという点も悩ましかった。
交渉を先にすれば、公爵から、まだ内諾も得ていない制度を作ろうというのかと揚げ足を取られるかもしれないし、元老院を通らなかった場合に備えて何らかの担保を要求されるかもしれない。
だからと言って内諾を先にすれば、特に議長のデミトフ公爵から、設置できるかどうか定かではないただのアイディアを内諾せよとは何事かと叱責される未来が容易に想像できた。

正直なところ、オルロフの領地であるオルトに窓口を置ければ、農夫婦との約束は守れるという点が、アレクサンドラに若干の躊躇を生んでいる原因であった。
ゆえに、まずオルトに置いて様子を見、他の土地にも必要である、という要望の高まりを待つ選択肢も、十分説得力があった。
ただし、今後も長く続いていく制度にする観点からは、人口分布や地理的な利便性を考えると、第2の都市メルジューンに置かないのは理屈が通らないと感じた。

ただニコライも、先にオルトに設置する方がスムーズだろうという考えであった。
父伯爵には一度窓口設置自体を反対されたことから、再度の相談を躊躇っていると、折良くニコライが話題を振ってくれたため、ありがたくも恥じらいながら意見を求めたのだった。

「デミトフ公爵は導火線が短いですが、態度が分かりやすいのでまだ何とかなるかもしれませんが、ベルケンドルフ公爵は……設置の交渉を貴女にさせたくないのが正直なところです」
「と仰いますと」

ベルケンドルフ公爵の噂は、貴族としてアレクサンドラも当然知りつつも、公爵位取得と結婚挨拶で訪問した際には、特に噂と合致するような言動は見られなかったため、ニコライの懸念を体感までできていなかった。
夫は稀に見る難しい顔で、「別に貴女を侮るわけではありませんよ」と前置きをして言った。

「ベルケンドルフ公爵は、分け隔てなく誰からも話を聞くと言います。貴賎問わず、男女も問わず。ただ実際、公爵に要望を聞いてもらおうとする女性もそれなりにいるとか。ただ、その女性達にも、男と同じような主義で接するという噂です。どういうやり方で貴女に応じるか、非常に懸念を感じます、夫として」
「どのようなやり方が想定されるでしょうか、もしお考えがおありでしたら、仰って下さいませ」


制度におかしい点があれば修正するし、設置を認める見返りとしてある程度までの対価は覚悟していたが、ニコライ曰くそういう意味ではないという。
何より、夫として、という語尾に引っかかりを感じなおも尋ねると、ニコライは、至極言い辛そうに、

「貴女のお耳に入れるのは憚られるのですが、例えば、愛人関係を結ぶ、など」

と顔を逸らしながら呟いた。
アレクサンドラは心底驚いて、「まあ流石にそれは。公爵も私共も結婚しておりますもの」と異議を唱えたものの、ニコライからは「彼にとっては、それはあまり関係がないようです」という答えが返った。
実際に事例があったと思わせる言い振りだった。
アレクサンドラは、血の気が一気に引き、一気に押し寄せるのを感じた。
要望を通す見返りに己を差し出せという非道な要求が、仮にも公爵の地位にある者からなされるのか。
手が震え、声が出なくなる。
ニコライは、ショックを受けている妻を労わりの眼差しで見遣りながら、

「いずれ、元老院へのアプローチ開拓がまだ終わっておりません。少し時間を置いて改めて考えられてはいかがです。W公爵家の舞踏会が今のところ先ですから」

と可能な限り柔らかな声音で宥めた。
アレクサンドラは固い表情のまま、黙って頷いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

学生時代、私をいじめていた女と一緒に異世界召喚されたけど、無能扱いされた私が実は本物の聖女で、いじめていた女は災厄を呼ぶ魔女でした。

さら
恋愛
いじめていた女と一緒に異世界召喚された私。 聖女として選ばれたのは彼女で、私は無能扱いされ追放された。 だが、辺境の村で暮らす中で気づく。 私の力は奇跡を起こすものではなく、 壊れた世界を“元に戻す”本物の聖女の力だった。 一方、聖女として祭り上げられた彼女は、 人々の期待に応え続けるうち、 世界を歪め、災厄を呼ぶ魔女へと変わっていく――。

【完結】恋が終わる、その隙に

七瀬菜々
恋愛
 秋。黄褐色に光るススキの花穂が畦道を彩る頃。  伯爵令嬢クロエ・ロレーヌは5年の婚約期間を経て、名門シルヴェスター公爵家に嫁いだ。  愛しい彼の、弟の妻としてーーー。  

村娘あがりの娼婦ですが、身請けされて幸せです

春月もも
恋愛
村を飛び出して王都に来たリリアは、いまは高級娼婦として生きている。 ここは通過点のはずだった。 誰かに選ばれて終わる物語なんて、わたしには関係ないと思っていたのに。 触れない客。 身体ではなく、わたしの話を聞きに来るだけの商人。 「君と話す時間を、金で買うのが嫌になった」 突然の身請け話。 値札のついた自分と向き合う三日間。 選ばれるのではなく選ぶと決めたとき、 通過点は終わりになる。 これは救いではなく対等な恋の話。

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

【魔女と蔑まれた私。実は神託の聖女でした?-命を弄ぶ回復魔法使いと蔑まれた私の物語-】

はくら(仮名)
恋愛
・本作は別名義で『小説家になろう』にも掲載しています。 ・早めに終わります。 【 レアフ伯爵家の令嬢ユキアは回復魔法が得意だったが、義父家族からは命を弄ぶ魔女として蔑まれてしまう。  しかし実はユキアは女神の神託を受けた『運命の聖女』であり、そのことを知った王太子が彼女の元を訪れる――】

君は恋人、でもまだ家族じゃない

山田森湖
恋愛
あらすじ 同棲して3年。 毎朝コーヒーを淹れて、彼の寝ぼけた声に微笑んで、 一緒に暮らす当たり前の幸せを噛みしめる——そのはずだった。 彼女は彼を愛している。 彼も自分を愛してくれていると信じている。 それでも、胸の奥には消えない不安がある。 「私たちは、このまま“恋人”で止まってしまうの?」 結婚の話になると、彼はいつも曖昧に笑ってごまかす。 最初は理由をつけていたのに、今では何も言わなくなった。 周囲の友人は次々と結婚し、家族を持ち始めている。 幸せそうな写真を見るたび、彼女の心には “言えない言葉”だけが増えていく。 愛している。 でも、それだけでは前に進めない。 同棲という甘い日常の裏で、 少しずつ、確かにズレ始めているふたりの未来。 このまま時間に流されるだけの恋なのか、 それとも、家族へと歩き出せる恋なのか——。 彼の寝息を聞きながら、 彼女は初めて「涙が出そうな夜」を迎えていた。

最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました

めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。 白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。 その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。 それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。 やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり―― 白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。 身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。

幼馴染の許嫁は、男勝りな彼女にご執心らしい

和泉鷹央
恋愛
 王国でも指折りの名家の跡取り息子にして、高名な剣士がコンスタンスの幼馴染であり許嫁。  そんな彼は数代前に没落した実家にはなかなか戻らず、地元では遊び人として名高くてコンスタンスを困らせていた。 「クレイ様はまたお戻りにならないのですか……」 「ごめんなさいね、コンスタンス。クレイが結婚の時期を遅くさせてしまって」 「いいえおば様。でも、クレイ様……他に好きな方がおられるようですが?」 「えっ……!?」 「どうやら、色町で有名な踊り子と恋をしているようなんです」  しかし、彼はそんな噂はあり得ないと叫び、相手の男勝りな踊り子も否定する。  でも、コンスタンスは見てしまった。  朝方、二人が仲睦まじくホテルから出てくる姿を……  他の投稿サイトにも掲載しています。

処理中です...