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第15話(5)
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もう1つの難題、メルジューンへの設置交渉はさらに頭の痛いものであり、アレクサンドラはペンをインク壺に戻して、天井のアカンサス模様を仰いだ。
メルジューンはソルトモーレ帝国第2の都市であり、ベンケンドルフ公爵が統治している。
ベルケンドルフ家は特に国王陛下に連なるというわけではなく、建国に尽力した功績により公爵位に就いた家で、メルジューンも建国当初は一豪族が収める土地の中の大きな街という程度だったのが、国の発展とともに歴代領主が注力して規模を拡大させ、現在の繁栄を得るに至った。
公爵は、元老院の構成員ではないものの、国政での別部門で手腕を振るい、現在でも最高の方々の覚えめでたかった。
そして、ベルケンドルフ公爵は、元老院とは別な意味で一筋縄ではいかないと予測されるところに、頭痛の種が存在した。
まず設置交渉をした場合、公爵がどのような条件を付して来るか全く読めないことであった。
世間からは、人当たりが良く、身分の高低を問わずに気さくに接するという評価を受けていたが、見たままが本質だと信じる者は大概痛い目を見た。
例えば、公爵の管轄において陳情を持ち込んだ者がいるとすると、話を親身になって聞かれ、然るべきところに指示を出そうと温かい言葉をかけられて有頂天になっていると、しばらくして陳情と真逆の決定がなされる。
あるいは経済的に窮して請願する者に、助力の見返りに何をもたらしてくれるのかとにこやかに問いかける。
と思えば、当たって砕ける覚悟で来た者の要望をすんなりと通すだけではなく、改良さえ加えて政策として走らせる。
話術が巧みなことも加わって、その態度は非常に気まぐれに見えたが、笑顔の裏で徹底した功利主義を動かしているというのが、知識階級の密かな見方であった。
いずれにせよ、こちらの希望に丸ごと同意してもらうということはできないだろうと、アレクサンドラは見積もっていた。
話の仕方を考えなければならなかった。
それから、ベルケンドルフ公爵への交渉と、元老院からの内諾、どちらを先にすべきかという点も悩ましかった。
交渉を先にすれば、公爵から、まだ内諾も得ていない制度を作ろうというのかと揚げ足を取られるかもしれないし、元老院を通らなかった場合に備えて何らかの担保を要求されるかもしれない。
だからと言って内諾を先にすれば、特に議長のデミトフ公爵から、設置できるかどうか定かではないただのアイディアを内諾せよとは何事かと叱責される未来が容易に想像できた。
正直なところ、オルロフの領地であるオルトに窓口を置ければ、農夫婦との約束は守れるという点が、アレクサンドラに若干の躊躇を生んでいる原因であった。
ゆえに、まずオルトに置いて様子を見、他の土地にも必要である、という要望の高まりを待つ選択肢も、十分説得力があった。
ただし、今後も長く続いていく制度にする観点からは、人口分布や地理的な利便性を考えると、第2の都市メルジューンに置かないのは理屈が通らないと感じた。
ただニコライも、先にオルトに設置する方がスムーズだろうという考えであった。
父伯爵には一度窓口設置自体を反対されたことから、再度の相談を躊躇っていると、折良くニコライが話題を振ってくれたため、ありがたくも恥じらいながら意見を求めたのだった。
「デミトフ公爵は導火線が短いですが、態度が分かりやすいのでまだ何とかなるかもしれませんが、ベルケンドルフ公爵は……設置の交渉を貴女にさせたくないのが正直なところです」
「と仰いますと」
ベルケンドルフ公爵の噂は、貴族としてアレクサンドラも当然知りつつも、公爵位取得と結婚挨拶で訪問した際には、特に噂と合致するような言動は見られなかったため、ニコライの懸念を体感までできていなかった。
夫は稀に見る難しい顔で、「別に貴女を侮るわけではありませんよ」と前置きをして言った。
「ベルケンドルフ公爵は、分け隔てなく誰からも話を聞くと言います。貴賎問わず、男女も問わず。ただ実際、公爵に要望を聞いてもらおうとする女性もそれなりにいるとか。ただ、その女性達にも、男と同じような主義で接するという噂です。どういうやり方で貴女に応じるか、非常に懸念を感じます、夫として」
「どのようなやり方が想定されるでしょうか、もしお考えがおありでしたら、仰って下さいませ」
制度におかしい点があれば修正するし、設置を認める見返りとしてある程度までの対価は覚悟していたが、ニコライ曰くそういう意味ではないという。
何より、夫として、という語尾に引っかかりを感じなおも尋ねると、ニコライは、至極言い辛そうに、
「貴女のお耳に入れるのは憚られるのですが、例えば、愛人関係を結ぶ、など」
と顔を逸らしながら呟いた。
アレクサンドラは心底驚いて、「まあ流石にそれは。公爵も私共も結婚しておりますもの」と異議を唱えたものの、ニコライからは「彼にとっては、それはあまり関係がないようです」という答えが返った。
実際に事例があったと思わせる言い振りだった。
アレクサンドラは、血の気が一気に引き、一気に押し寄せるのを感じた。
要望を通す見返りに己を差し出せという非道な要求が、仮にも公爵の地位にある者からなされるのか。
手が震え、声が出なくなる。
ニコライは、ショックを受けている妻を労わりの眼差しで見遣りながら、
「いずれ、元老院へのアプローチ開拓がまだ終わっておりません。少し時間を置いて改めて考えられてはいかがです。W公爵家の舞踏会が今のところ先ですから」
と可能な限り柔らかな声音で宥めた。
アレクサンドラは固い表情のまま、黙って頷いた。
メルジューンはソルトモーレ帝国第2の都市であり、ベンケンドルフ公爵が統治している。
ベルケンドルフ家は特に国王陛下に連なるというわけではなく、建国に尽力した功績により公爵位に就いた家で、メルジューンも建国当初は一豪族が収める土地の中の大きな街という程度だったのが、国の発展とともに歴代領主が注力して規模を拡大させ、現在の繁栄を得るに至った。
公爵は、元老院の構成員ではないものの、国政での別部門で手腕を振るい、現在でも最高の方々の覚えめでたかった。
そして、ベルケンドルフ公爵は、元老院とは別な意味で一筋縄ではいかないと予測されるところに、頭痛の種が存在した。
まず設置交渉をした場合、公爵がどのような条件を付して来るか全く読めないことであった。
世間からは、人当たりが良く、身分の高低を問わずに気さくに接するという評価を受けていたが、見たままが本質だと信じる者は大概痛い目を見た。
例えば、公爵の管轄において陳情を持ち込んだ者がいるとすると、話を親身になって聞かれ、然るべきところに指示を出そうと温かい言葉をかけられて有頂天になっていると、しばらくして陳情と真逆の決定がなされる。
あるいは経済的に窮して請願する者に、助力の見返りに何をもたらしてくれるのかとにこやかに問いかける。
と思えば、当たって砕ける覚悟で来た者の要望をすんなりと通すだけではなく、改良さえ加えて政策として走らせる。
話術が巧みなことも加わって、その態度は非常に気まぐれに見えたが、笑顔の裏で徹底した功利主義を動かしているというのが、知識階級の密かな見方であった。
いずれにせよ、こちらの希望に丸ごと同意してもらうということはできないだろうと、アレクサンドラは見積もっていた。
話の仕方を考えなければならなかった。
それから、ベルケンドルフ公爵への交渉と、元老院からの内諾、どちらを先にすべきかという点も悩ましかった。
交渉を先にすれば、公爵から、まだ内諾も得ていない制度を作ろうというのかと揚げ足を取られるかもしれないし、元老院を通らなかった場合に備えて何らかの担保を要求されるかもしれない。
だからと言って内諾を先にすれば、特に議長のデミトフ公爵から、設置できるかどうか定かではないただのアイディアを内諾せよとは何事かと叱責される未来が容易に想像できた。
正直なところ、オルロフの領地であるオルトに窓口を置ければ、農夫婦との約束は守れるという点が、アレクサンドラに若干の躊躇を生んでいる原因であった。
ゆえに、まずオルトに置いて様子を見、他の土地にも必要である、という要望の高まりを待つ選択肢も、十分説得力があった。
ただし、今後も長く続いていく制度にする観点からは、人口分布や地理的な利便性を考えると、第2の都市メルジューンに置かないのは理屈が通らないと感じた。
ただニコライも、先にオルトに設置する方がスムーズだろうという考えであった。
父伯爵には一度窓口設置自体を反対されたことから、再度の相談を躊躇っていると、折良くニコライが話題を振ってくれたため、ありがたくも恥じらいながら意見を求めたのだった。
「デミトフ公爵は導火線が短いですが、態度が分かりやすいのでまだ何とかなるかもしれませんが、ベルケンドルフ公爵は……設置の交渉を貴女にさせたくないのが正直なところです」
「と仰いますと」
ベルケンドルフ公爵の噂は、貴族としてアレクサンドラも当然知りつつも、公爵位取得と結婚挨拶で訪問した際には、特に噂と合致するような言動は見られなかったため、ニコライの懸念を体感までできていなかった。
夫は稀に見る難しい顔で、「別に貴女を侮るわけではありませんよ」と前置きをして言った。
「ベルケンドルフ公爵は、分け隔てなく誰からも話を聞くと言います。貴賎問わず、男女も問わず。ただ実際、公爵に要望を聞いてもらおうとする女性もそれなりにいるとか。ただ、その女性達にも、男と同じような主義で接するという噂です。どういうやり方で貴女に応じるか、非常に懸念を感じます、夫として」
「どのようなやり方が想定されるでしょうか、もしお考えがおありでしたら、仰って下さいませ」
制度におかしい点があれば修正するし、設置を認める見返りとしてある程度までの対価は覚悟していたが、ニコライ曰くそういう意味ではないという。
何より、夫として、という語尾に引っかかりを感じなおも尋ねると、ニコライは、至極言い辛そうに、
「貴女のお耳に入れるのは憚られるのですが、例えば、愛人関係を結ぶ、など」
と顔を逸らしながら呟いた。
アレクサンドラは心底驚いて、「まあ流石にそれは。公爵も私共も結婚しておりますもの」と異議を唱えたものの、ニコライからは「彼にとっては、それはあまり関係がないようです」という答えが返った。
実際に事例があったと思わせる言い振りだった。
アレクサンドラは、血の気が一気に引き、一気に押し寄せるのを感じた。
要望を通す見返りに己を差し出せという非道な要求が、仮にも公爵の地位にある者からなされるのか。
手が震え、声が出なくなる。
ニコライは、ショックを受けている妻を労わりの眼差しで見遣りながら、
「いずれ、元老院へのアプローチ開拓がまだ終わっておりません。少し時間を置いて改めて考えられてはいかがです。W公爵家の舞踏会が今のところ先ですから」
と可能な限り柔らかな声音で宥めた。
アレクサンドラは固い表情のまま、黙って頷いた。
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