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第五話 三人の兄は今日も私を過保護にする
第五話 三人の兄は今日も私を過保護にする
公爵邸に戻って、二週間が経った。
日々の暮らしは、穏やかだった。
朝食を三人の兄と囲み、午前中は本を読むか庭を散歩し、午後はセオに付き合って書庫で過ごすことが多くなった。
ケインは毎朝「今日の護衛は俺がやる」と名乗り出て、毎朝アルドに書類を積まれて諦める。それが日課になっていた。
穏やかで、静かで、安全な日々。
それなのに、ときどき妙な感覚に襲われることがあった。
このままでいていいのだろうか、という感覚だ。
セオは今日は宮廷が休みだと言って、朝から書庫に籠もっていた。その日の午後、私は書庫でセオと向き合っていた。
セオが魔導書を読んでいる隣で、私は小説を読んでいた。
特に会話もなく、ただそれぞれの本を読んでいる。
それが、不思議と居心地よかった。
「セオ兄さん」
「なんだ」
「私、ここにいていいの?」
セオが本から目を上げた。
「何の話だ」
「ここは、兄さんたちの家でしょう。私はもう嫁いだ身で……いえ、嫁いでいたけれど、今は違うけれど。でも、いつまでもここにいるわけには」
「なぜ」
「……邪魔でしょう」
「誰の」
セオが本を閉じて、真っ直ぐに私を見た。
「アルドの邪魔か? ケインの邪魔か? 俺の邪魔か? 使用人の邪魔か? 誰の邪魔だ、具体的に言ってみろ」
「そういうことを言っているんじゃなくて」
「いや、そういうことを言っている。邪魔というのは誰かにとっての邪魔だ。お前はここにいる誰かの邪魔をしているか?」
私は黙った。
「していない。だったら邪魔じゃない。論理的だろう」
「……セオ兄さんは、そういうところが意地悪ね」
「正確と言ってくれ」
セオがまた本を開いた。
私も本に視線を戻した。
でも、胸の中にあった何かが、少しだけほどけた気がした。
夕方、庭に出ると、ケインが剣の手入れをしていた。
珍しく一人で、黙々と作業をしている。
「珍しいわね、一人で」
「部下に見られたくないことがあるんだ」
「何を」
ケインが少し間を置いた。
「……お前のことを考えていた」
「私の?」
「五年間、お前がどんな思いをしていたか。俺はずっと、何もできなかった。それが悔しくて」
ケインの声が、珍しく低かった。
剣を磨く手は止まっていない。
「ケイン兄さん」
「お前が助けを求めてこなかったのは知っている。お前がそういう女だということも。でも、俺はもっと早く気づくべきだった。兄として」
「……気づいていたら、どうしたの」
「ライアンを殴りに行った」
「それは困るわ」
「だから言わなかったんだろう、お前は」
私は少し笑った。
ケインも、口元だけ笑った。
「ケイン兄さんは何も悪くないわ。私が選んだことだもの」
「それでも」
「それでも、あなたは今ここにいてくれている。それで十分よ」
ケインが剣から目を上げた。
何か言いたそうな顔をして、結局黙って、また剣に視線を戻した。
その横顔が、少し子供みたいで、私はまた笑いそうになった。
夜、アルドに呼ばれた。
執務室に入ると、アルドは書類仕事の手を止めて、椅子を勧めた。
「座れ」
「何かあった?」
「ない。ただ、話がしたかった」
アルドが話したかった、という言葉に少し驚いた。
この人は必要なこと以外を口にしない。
「エレーナ、お前は今、何が欲しい」
「……突然ね」
「突然ではない。ずっと聞こうと思っていた」
アルドが私を見た。
静かで、真っ直ぐな目だった。
「屋敷か。資金か。それとも別の何かか。お前が必要なものを言え。公爵家にできることはする」
「兄さん、そんな大げさな」
「大げさではない。お前は五年間、自分のために何かを求めることをしなかった。今がその機会だ」
私はしばらく、アルドの顔を見ていた。
この人は、いつもこうだ。
遠回しなことは言わない。ただ、必要なことを、静かに言う。
「……今すぐは、わからない」
「わからなくていい」
「でも、一つだけ」
「言え」
「もう少し、ここにいさせてほしい」
アルドが、ほんの少し目を細めた。
それがこの人の笑顔だと、私は知っている。
「最初からそのつもりだ」
短い言葉だった。
でも、その四文字が、今の私にはどんな言葉より温かかった。
執務室を出て、廊下を歩きながら、私は気づいた。
欲しいものを言えた。
居たい場所を言えた。
それが、今日の私にできた一番大きなことだった。
夜風が廊下の窓から吹き込んで、燭台の炎が揺れる。
私はそれをしばらく眺めてから、自分の部屋へと歩いていった。
明日も、ここで目が覚める。
それだけで、今は十分だった。
公爵邸に戻って、二週間が経った。
日々の暮らしは、穏やかだった。
朝食を三人の兄と囲み、午前中は本を読むか庭を散歩し、午後はセオに付き合って書庫で過ごすことが多くなった。
ケインは毎朝「今日の護衛は俺がやる」と名乗り出て、毎朝アルドに書類を積まれて諦める。それが日課になっていた。
穏やかで、静かで、安全な日々。
それなのに、ときどき妙な感覚に襲われることがあった。
このままでいていいのだろうか、という感覚だ。
セオは今日は宮廷が休みだと言って、朝から書庫に籠もっていた。その日の午後、私は書庫でセオと向き合っていた。
セオが魔導書を読んでいる隣で、私は小説を読んでいた。
特に会話もなく、ただそれぞれの本を読んでいる。
それが、不思議と居心地よかった。
「セオ兄さん」
「なんだ」
「私、ここにいていいの?」
セオが本から目を上げた。
「何の話だ」
「ここは、兄さんたちの家でしょう。私はもう嫁いだ身で……いえ、嫁いでいたけれど、今は違うけれど。でも、いつまでもここにいるわけには」
「なぜ」
「……邪魔でしょう」
「誰の」
セオが本を閉じて、真っ直ぐに私を見た。
「アルドの邪魔か? ケインの邪魔か? 俺の邪魔か? 使用人の邪魔か? 誰の邪魔だ、具体的に言ってみろ」
「そういうことを言っているんじゃなくて」
「いや、そういうことを言っている。邪魔というのは誰かにとっての邪魔だ。お前はここにいる誰かの邪魔をしているか?」
私は黙った。
「していない。だったら邪魔じゃない。論理的だろう」
「……セオ兄さんは、そういうところが意地悪ね」
「正確と言ってくれ」
セオがまた本を開いた。
私も本に視線を戻した。
でも、胸の中にあった何かが、少しだけほどけた気がした。
夕方、庭に出ると、ケインが剣の手入れをしていた。
珍しく一人で、黙々と作業をしている。
「珍しいわね、一人で」
「部下に見られたくないことがあるんだ」
「何を」
ケインが少し間を置いた。
「……お前のことを考えていた」
「私の?」
「五年間、お前がどんな思いをしていたか。俺はずっと、何もできなかった。それが悔しくて」
ケインの声が、珍しく低かった。
剣を磨く手は止まっていない。
「ケイン兄さん」
「お前が助けを求めてこなかったのは知っている。お前がそういう女だということも。でも、俺はもっと早く気づくべきだった。兄として」
「……気づいていたら、どうしたの」
「ライアンを殴りに行った」
「それは困るわ」
「だから言わなかったんだろう、お前は」
私は少し笑った。
ケインも、口元だけ笑った。
「ケイン兄さんは何も悪くないわ。私が選んだことだもの」
「それでも」
「それでも、あなたは今ここにいてくれている。それで十分よ」
ケインが剣から目を上げた。
何か言いたそうな顔をして、結局黙って、また剣に視線を戻した。
その横顔が、少し子供みたいで、私はまた笑いそうになった。
夜、アルドに呼ばれた。
執務室に入ると、アルドは書類仕事の手を止めて、椅子を勧めた。
「座れ」
「何かあった?」
「ない。ただ、話がしたかった」
アルドが話したかった、という言葉に少し驚いた。
この人は必要なこと以外を口にしない。
「エレーナ、お前は今、何が欲しい」
「……突然ね」
「突然ではない。ずっと聞こうと思っていた」
アルドが私を見た。
静かで、真っ直ぐな目だった。
「屋敷か。資金か。それとも別の何かか。お前が必要なものを言え。公爵家にできることはする」
「兄さん、そんな大げさな」
「大げさではない。お前は五年間、自分のために何かを求めることをしなかった。今がその機会だ」
私はしばらく、アルドの顔を見ていた。
この人は、いつもこうだ。
遠回しなことは言わない。ただ、必要なことを、静かに言う。
「……今すぐは、わからない」
「わからなくていい」
「でも、一つだけ」
「言え」
「もう少し、ここにいさせてほしい」
アルドが、ほんの少し目を細めた。
それがこの人の笑顔だと、私は知っている。
「最初からそのつもりだ」
短い言葉だった。
でも、その四文字が、今の私にはどんな言葉より温かかった。
執務室を出て、廊下を歩きながら、私は気づいた。
欲しいものを言えた。
居たい場所を言えた。
それが、今日の私にできた一番大きなことだった。
夜風が廊下の窓から吹き込んで、燭台の炎が揺れる。
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