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第八話 侯爵様は、なかなかしつこい
第八話 侯爵様は、なかなかしつこい
ルーク・ヴァーノン侯爵が再び公爵邸を訪れたのは、先日の訪問から三日後のことだった。
今度はアルドへの政務の用件ではなく、私宛に面会の申し込みが来た。
「断れ」
朝食の席でケインが即座に言った。
「まだ断るとは言っていないわ」
「俺が断る」
「あなたが決めることじゃない」
「兄として決める」
「その理屈はおかしい」
セオが紅茶を飲みながら、二人を交互に見ていた。
楽しんでいる顔だった。
アルドが静かに口を開いた。
「エレーナ、会うかどうかはお前が決めろ。ケイン、口を出すな」
「しかし兄さん」
「口を出すな」
ケインが黙った。
不満そうな顔は隠していないが、アルドに言われると従う。それがこの家の秩序だった。
私はしばらく考えた。
断る理由は特にない。
ただ、何の目的で来るのかがわからない。
「……会いましょう。ただし応接間で、セオ兄さんに同席してもらって」
「俺じゃないのか」とケインが言った。
「あなたは感情的になるから」
「ならない」
「なる」
セオが立ち上がった。
「わかった、同席する。ケイン、お前は廊下で待っていろ」
「廊下!?」
「扉の外なら文句あるまい」
ケインは納得していない顔をしたが、結局廊下で待つことになった。
ルークが応接間に現れたのは、約束の時刻きっかりだった。
時間に正確な人らしい。
「ドレイク公爵令嬢、お時間をいただきありがとうございます」
「どうぞ、お座りください」
ルークが腰を下ろした。
セオが斜め後ろの椅子に座って、羽根ペンを指で回している。同席しているが、主役は私だという立ち位置を自然に作っていた。
「単刀直入に伺います。侯爵様、何が目的ですか」
私は先に切り出した。
ルークが少し目を細めた。驚いたというより、予想どおりだという顔だ。
「二つあります。一つは、お詫びです」
「お詫び」
「私はライアン・ハートの事業に出資していました。債権者の一人として、今回の件に間接的に関与していた形になります。結果的にエレーナ様が五年間苦労される一因を作ったかもしれない。その点についてお詫びしたかった」
私は少し驚いた。
予想していなかった言葉だった。
「侯爵様が出資していたことと、私の結婚生活は別の話です」
「そうかもしれません。ただ、ライアン・ハートの事業が私の出資によって延命していた事実はあります。もし早い段階で手を引いていれば、事業はもっと早く破綻し、あなたの状況も変わっていたかもしれない」
「……それは、考えすぎではないですか」
「かもしれません。ただ、考えずにいられなかった」
ルークが真っ直ぐに私を見た。
灰色の目に、感情的な色はない。ただ、誠実さだけがある。
「二つ目は何ですか」
私は続きを促した。
「あなたに会いたかった、というのが正直なところです」
「……理由は」
「先日申し上げた通りです。感情的にならずに最善の手を選んだ人間に、興味があります。それだけです」
それだけ、という言葉が、自分が昨夜日記に書いた言葉と重なった。
私は少しだけ、口元が動きそうになるのを抑えた。
「侯爵様、私は特別な人間ではありません」
「そうは思っていません」
「先日もそう仰っていたわね」
「事実ですから」
ルークが静かに言った。
押しつけがましくない。ただ、言ったことを撤回しない。
先日と同じ印象だった。
「わかりました。お詫びは受け取ります。ただ、侯爵様が責任を感じる必要はありません」
「ありがとうございます」
「ただし」
私はルークの目を見た。
「興味があるから会いたい、というのは理由になりません。私は珍しい生き物ではないと、先日も申し上げた通りです」
「覚えています」
「ならば、次にいらっしゃるときは、もう少し具体的な目的をお持ちください」
ルークが少し間を置いた。
それから、ほんのわずかに口元が動いた。
笑った、というほどではない。でも、確かに何かが緩んだ。
「承知しました。では、次の機会に」
「ええ」
ルークが立ち上がり、一礼して応接間を出た。
扉が閉まった瞬間、セオが口を開いた。
「『次の機会に』を否定しなかったな」
「…………」
「拒絶するつもりなら、『次の機会は結構です』と言えばよかった」
「言いそびれただけよ」
「そうか」
セオがペンを置いて、立ち上がった。
「まあ、悪い展開じゃない」
「何も展開していないわ」
「そうか」
同じ言葉を繰り返して、セオは先に応接間を出た。
廊下に出ると、ケインが仁王立ちで待っていた。
「どうだった」
「普通の会談よ」
「あの男、何が目的だ」
「お詫びと、私への興味、だそうよ」
「興味!?」
ケインの声が廊下に響いた。
使用人が数人、驚いた顔でこちらを見た。
「ケイン、声が大きい」
「興味って何だ、興味って。そんな理由で公爵家の令嬢に会いに来るのか」
「来たわね」
「不届きだ」
「そうかしら」
私は歩き出した。
ケインがついてくる。
「エレーナ、あの男は信用できるのか」
「まだわからないわ。一度しか会っていないもの」
「じゃあ会うな」
「それは順序が逆よ」
ケインが唸った。
言い返せない、という顔だった。
私は廊下を歩きながら、少し考えた。
信用できるかどうか、まだわからない。
嫌かどうかも、まだわからない。
ただ、「次の機会に」を否定しなかったのは事実だった。
それが何を意味するのか、今の私にはまだわからなかった。
でも、考えていること自体は、悪くない気がした。
ルーク・ヴァーノン侯爵が再び公爵邸を訪れたのは、先日の訪問から三日後のことだった。
今度はアルドへの政務の用件ではなく、私宛に面会の申し込みが来た。
「断れ」
朝食の席でケインが即座に言った。
「まだ断るとは言っていないわ」
「俺が断る」
「あなたが決めることじゃない」
「兄として決める」
「その理屈はおかしい」
セオが紅茶を飲みながら、二人を交互に見ていた。
楽しんでいる顔だった。
アルドが静かに口を開いた。
「エレーナ、会うかどうかはお前が決めろ。ケイン、口を出すな」
「しかし兄さん」
「口を出すな」
ケインが黙った。
不満そうな顔は隠していないが、アルドに言われると従う。それがこの家の秩序だった。
私はしばらく考えた。
断る理由は特にない。
ただ、何の目的で来るのかがわからない。
「……会いましょう。ただし応接間で、セオ兄さんに同席してもらって」
「俺じゃないのか」とケインが言った。
「あなたは感情的になるから」
「ならない」
「なる」
セオが立ち上がった。
「わかった、同席する。ケイン、お前は廊下で待っていろ」
「廊下!?」
「扉の外なら文句あるまい」
ケインは納得していない顔をしたが、結局廊下で待つことになった。
ルークが応接間に現れたのは、約束の時刻きっかりだった。
時間に正確な人らしい。
「ドレイク公爵令嬢、お時間をいただきありがとうございます」
「どうぞ、お座りください」
ルークが腰を下ろした。
セオが斜め後ろの椅子に座って、羽根ペンを指で回している。同席しているが、主役は私だという立ち位置を自然に作っていた。
「単刀直入に伺います。侯爵様、何が目的ですか」
私は先に切り出した。
ルークが少し目を細めた。驚いたというより、予想どおりだという顔だ。
「二つあります。一つは、お詫びです」
「お詫び」
「私はライアン・ハートの事業に出資していました。債権者の一人として、今回の件に間接的に関与していた形になります。結果的にエレーナ様が五年間苦労される一因を作ったかもしれない。その点についてお詫びしたかった」
私は少し驚いた。
予想していなかった言葉だった。
「侯爵様が出資していたことと、私の結婚生活は別の話です」
「そうかもしれません。ただ、ライアン・ハートの事業が私の出資によって延命していた事実はあります。もし早い段階で手を引いていれば、事業はもっと早く破綻し、あなたの状況も変わっていたかもしれない」
「……それは、考えすぎではないですか」
「かもしれません。ただ、考えずにいられなかった」
ルークが真っ直ぐに私を見た。
灰色の目に、感情的な色はない。ただ、誠実さだけがある。
「二つ目は何ですか」
私は続きを促した。
「あなたに会いたかった、というのが正直なところです」
「……理由は」
「先日申し上げた通りです。感情的にならずに最善の手を選んだ人間に、興味があります。それだけです」
それだけ、という言葉が、自分が昨夜日記に書いた言葉と重なった。
私は少しだけ、口元が動きそうになるのを抑えた。
「侯爵様、私は特別な人間ではありません」
「そうは思っていません」
「先日もそう仰っていたわね」
「事実ですから」
ルークが静かに言った。
押しつけがましくない。ただ、言ったことを撤回しない。
先日と同じ印象だった。
「わかりました。お詫びは受け取ります。ただ、侯爵様が責任を感じる必要はありません」
「ありがとうございます」
「ただし」
私はルークの目を見た。
「興味があるから会いたい、というのは理由になりません。私は珍しい生き物ではないと、先日も申し上げた通りです」
「覚えています」
「ならば、次にいらっしゃるときは、もう少し具体的な目的をお持ちください」
ルークが少し間を置いた。
それから、ほんのわずかに口元が動いた。
笑った、というほどではない。でも、確かに何かが緩んだ。
「承知しました。では、次の機会に」
「ええ」
ルークが立ち上がり、一礼して応接間を出た。
扉が閉まった瞬間、セオが口を開いた。
「『次の機会に』を否定しなかったな」
「…………」
「拒絶するつもりなら、『次の機会は結構です』と言えばよかった」
「言いそびれただけよ」
「そうか」
セオがペンを置いて、立ち上がった。
「まあ、悪い展開じゃない」
「何も展開していないわ」
「そうか」
同じ言葉を繰り返して、セオは先に応接間を出た。
廊下に出ると、ケインが仁王立ちで待っていた。
「どうだった」
「普通の会談よ」
「あの男、何が目的だ」
「お詫びと、私への興味、だそうよ」
「興味!?」
ケインの声が廊下に響いた。
使用人が数人、驚いた顔でこちらを見た。
「ケイン、声が大きい」
「興味って何だ、興味って。そんな理由で公爵家の令嬢に会いに来るのか」
「来たわね」
「不届きだ」
「そうかしら」
私は歩き出した。
ケインがついてくる。
「エレーナ、あの男は信用できるのか」
「まだわからないわ。一度しか会っていないもの」
「じゃあ会うな」
「それは順序が逆よ」
ケインが唸った。
言い返せない、という顔だった。
私は廊下を歩きながら、少し考えた。
信用できるかどうか、まだわからない。
嫌かどうかも、まだわからない。
ただ、「次の機会に」を否定しなかったのは事実だった。
それが何を意味するのか、今の私にはまだわからなかった。
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※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。