「あなたのことは、もう忘れました」

まさき

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第10話「二人の父親」

第10話「二人の父親」

 翌朝から、館での作業が始まった。
 
 玄関ホールの結界から手をつける。
 古い陣の残滓を清浄化して、新しい補強陣を重ねていく。
 
 作業しながら、リアナは昨日のことを考えていた。
 
 ルシアン・カサレス。
 馬車の中の男が、この館の当主だった。
 
 それよりも。
 
 父の名前を知っていた。
 父の書いたものの中に、ランドルという名前が出てきた。
 
 二人の父親の間に、何があったのか。
 
 考えながら手を動かす。
 でも手は止まらなかった。
 リアナの体は、考えながら描くことに慣れていた。
 
 昼前に玄関ホールの作業が終わった。
 
 道具を片付けていると、廊下の奥からルシアンが来た。
 
「終わったか」
 
「玄関ホールだけです。午後は応接室に入ります」
 
 ルシアンは完成した補強陣を見た。
 しばらく無言で見ていた。
 
「昨日より密度が高い」
 
「建物の入口なので、優先して強化しました」
 
 ルシアンが顔を上げた。
 
「昼飯はどうする」
 
 唐突な質問だった。
 
「……工房に戻るつもりでした」
 
「ここで食べていけ。毎日来るなら、いちいち戻る必要はない」
 
 断るべきか迷った。
 でも、往復の時間を考えると、確かにここで食べた方が効率がいい。
 
「……では、お言葉に甘えます」
 
 セバスタンが用意した昼食は、質素だが温かかった。
 ルシアンと向かい合って食べる。
 
 最初は無言だった。
 
 トーマスが鼻歌を歌いながら食べる工房の食卓とは、全然違う。
 
 ルシアンが口を開いた。
 
「昨日、俺がお前のことを知っていると言った」
 
「はい」
 
「不思議に思っただろう」
 
「少し」
 
「領主として、街に来た者の情報は把握している。特に技術を持つ者はな」リアナは短く頷いた。「工房の評判は耳に入っていた。王都から来た若い魔法陣師が、改良案を次々と出していると」
 
 なるほど、と思った。
 馬車の中での「知っている」は、そういう意味だったのか。
 
「……それで、馬車の中でも気にしていたんですか」
 
「ああ」ルシアンは少し間を置いた。「ただ、まさか同じ馬車に乗っているとは思わなかった」
 
「私もまさか当主とは思いませんでした」
 
 ルシアンが、かすかに表情を動かした。
 
 笑ったわけではない。
 でも、口の端が少しだけ上がった気がした。
 
「馬車の中で声をかけたのは、それだけが理由ではない」
 
「……他に何が」
 
「お前が王都を出た朝を、見ていた」
 
 リアナは食べる手を止めた。
 
「見ていた?」
 
「馬車乗り場の近くにいた。城門から出てきたお前を見た」ルシアンは静かに言った。「荷物が少なかった。急いでいた。でも、泣いていなかった」
 
 あの朝のことだ。
 ノートが消えていた朝。
 セシルの手紙を読んだ朝。
 誰にも告げずに王都を出た朝。
 
「……それが、何か」
 
「何でもない」ルシアンは視線を戻した。「ただ、気になった」
 
 気になった。
 この男が、そういう言葉を使う。
 
 リアナはしばらく黙っていた。
 
「昨日の続きをしてもいいですか」
 
「何を」
 
「書庫の資料。少しだけ見せていただけますか。結界を読み解くための参考にしたい」
 
 ルシアンが立ち上がった。
 
「来い」
 
 書庫の扉の前に立つ。
 ルシアンが扉を開ける。
 
 薄暗い部屋の中へ入った。
 
 棚に並ぶ本と羊皮紙。
 どれも古い。
 でも、丁寧に整理されていた。
 
「父が整理していたものだ。亡くなってからは俺が管理している」
 
「全部読まれたんですか」
 
「半分ほどは」ルシアンが答えた。「難解なものが多い。魔法陣の理論書は、俺には読み解けない部分がある」
 
 リアナは棚を見た。
 
「どのあたりにランドルの名前が出てきましたか」
 
 ルシアンが棚の一角に歩いた。
 羊皮紙の束を取り出した。
 
「これだ。父の研究ノートだが、何度かその名前が出てくる」
 
 リアナは受け取って、広げた。
 
 古い字だった。
 でも読める。
 
 魔法陣の理論が書かれていた。
 収束点の計算式。
 主軸線の配置理論。
 
 ——これは。
 
 リアナの手が、止まりかけた。
 
 読んだことがある。
 いや、正確には——似た計算式を、父のノートで見たことがある。
 
 父の書いた計算式と、この羊皮紙の計算式が、同じ方向性を持っていた。
 
 全く同じではない。
 でも、思想の根っこが同じだ。
 
 さらに読み進めると、文章があった。
 
 ——ランドルとの議論より。収束点の最適化について、彼の提案は正しかった。次の手紙で確認を取りたい。
 
「……手紙のやり取りがあったようです」
 
 ルシアンが覗き込んだ。
 
「手紙?」
 
「ここに『次の手紙で確認を取りたい』とあります。お父上とランドルは、文通をしていたかもしれません」
 
 ルシアンは少し考えた。
 
「父の手紙の束がある。確認したことがなかった」
 
「見てもいいですか」
 
 ルシアンが棚の奥から、小さな木箱を取り出した。
 中には、折り畳まれた手紙が何通か入っていた。
 
 リアナは一通ずつ確認した。
 
 差出人を見る。
 
 ほとんどは読んだことのない名前だった。
 
 でも——一通。
 
 ——ヴェイル・ランドルより
 
 リアナは息を呑んだ。
 
「ありました」
 
 ルシアンが手紙を受け取った。
 静かに読んでいる。
 
 しばらくして、ルシアンがリアナに渡した。
 
 リアナは読んだ。
 
 父の字だった。
 
 魔法陣の理論について書かれていた。
 丁寧で、でも熱のある文章だった。
 
 最後の一文。
 
 ——いつか辺境へ参りたいと思っております。その折にはぜひお目にかかりたい。
 
 いつか辺境へ。
 
 父は、この館に来たかったのだ。
 でも、来られなかった。
 病に倒れたから。
 
 リアナは手紙をそっと折り畳んだ。
 
「……父は、結局辺境には来られませんでした」
 
「そうか」ルシアンが静かに言った。「父も、会いたがっていたようだった」
 
 二人の父親は、会えないまま終わった。
 
 リアナはしばらく手紙を見ていた。
 
 泣きたいとは思わなかった。
 でも、胸の奥が、静かに痛んだ。
 
「……持っていっていいですか」
 
「ああ」
 
 リアナは手紙を鞄にしまった。
 
 書庫を出ると、廊下が明るかった。
 午後の光が窓から差し込んでいた。
 
「続きは明日以降にしましょう。今日は午後の作業があります」
 
「そうしろ」
 
 ルシアンが廊下を歩き始めた。
 リアナはその隣を歩いた。
 
 少し間があって、ルシアンが言った。
 
「お前の父親は、良い魔法師だったようだ」
 
 リアナは前を向いたまま答えた。
 
「はい。私の知る中で、一番の魔法師でした」
 
 ルシアンは何も言わなかった。
 
 でも、それでよかった。
 
 応接室に戻って、午後の作業の準備をする。
 
 羽根ペンを取り出す。
 インクを開ける。
 羊皮紙を広げる。
 
 父の手紙が、鞄の中にある。
 
 父は辺境に来たかった。
 来られなかった。
 
 でも、私は来た。
 
 父の代わりに、ではない。
 自分の足で、来た。
 
 それだけで、十分だ。
 
 リアナはペンを手に取って、描き始めた。
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