「あなたのことは、もう忘れました」

まさき

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第15話「ルシアンの告白」 

第15話「ルシアンの告白」 

 翌朝、館へ向かった。
 
 今日は書庫の石の続きを読み解く予定だった。
 ルシアンも同席すると言っていた。
 
 館の門をくぐると、セバスタンが迎えた。
 
「リアナさん、おはようございます。当主は書庫でお待ちです」
 
「ありがとうございます」
 
 北棟の廊下を歩く。
 今は補強陣が入っていて、廊下の空気が少し違う気がした。
 自分が設計した陣が、静かに機能している。
 
 書庫の扉をノックした。
 
「入れ」
 
 ルシアンが棚の前に立っていた。
 手に父の研究ノートを持っている。
 
「おはようございます」
 
「ああ」ルシアンが振り返った。「昨夜、石は読んだか」
 
「少し。新しい記述がありました」
 
「何と書いてあった」
 
 リアナは石を取り出した。
 
「王都の魔法師協会の体制を変える可能性がある研究だと。それを恐れる者がいると」
 
 ルシアンが少し表情を変えた。
 
「……それは知らなかった」
 
「お父上の覚書には、何か関連することが書いてありましたか」
 
「調べてみる」
 
 二人で棚を調べ始めた。
 
 ルシアンが覚書のページをめくる。
 リアナが石に触れながら、記述の続きを読み解く。
 
 しばらく、静かな時間が続いた。
 
 リアナは石の中の情報を少しずつ受け取りながら、気づいたことをノートに書き留めた。
 
 父の計算式と、ルシアンの父の計算式が、どこで分岐してどこで合流しているか。
 二人の研究がどんな完成形を目指していたか。
 
 少しずつ、全体像が見えてくる。
 
「……すごい研究です」
 
 リアナはつぶやいた。
 
「何がわかった」
 
「この研究が完成すれば、魔法陣の設計コストが今の十分の一になります。誰でも、安価に高品質な結界が張れるようになる」
 
「それが、既存の利権を脅かすということか」
 
「はい。王都の魔法師たちは、高度な設計を独占することで地位を保っています。この研究が広まれば、その独占が崩れる」
 
 ルシアンが静かに言った。
 
「父は、それをわかった上で研究を続けていたんだな」
 
「そう思います」
 
 二人はしばらく黙って、それぞれの手元を見ていた。
 
 やがてルシアンが、覚書を閉じた。
 
「リアナ」
 
「はい」
 
「一つ聞いていいか」
 
「何ですか」
 
「王都を出た理由を、話せるか」
 
 リアナは少し間を置いた。
 
 今まで、誰にも話していなかった。
 ゴードンには「どうせ碌なことじゃない」と言われて、聞かれなかった。
 トーマスには「仕事を探しに」とだけ答えた。
 
 でも——ルシアンには。
 
「……親友だと思っていた人間に、十年分の研究ノートを盗まれました」
 
 静かに言った。
 
「試験の前夜に」
 
 ルシアンは何も言わなかった。
 
「泣かなかったし、怒らなかった。ただ、もうそこには居場所がないと思って、王都を出ました」
 
「……そうか」
 
「それだけです」リアナは石を握った。「大したことじゃありません」
 
「大したことだ」
 
 ルシアンが静かに言った。
 
「十年は、大したことだ」
 
 リアナは少し黙った。
 
「……ルシアンさんは、五年前にお父上を亡くされたと言っていました。その後は」
 
「領地の立て直しで手が回らなかった」ルシアンが言った。「父が亡くなったとき、俺はまだ十七だった。領主の仕事を引き継いで、五年間ずっとそれだけだった」
 
 十七。
 
 リアナと同じ年齢だ。
 父を亡くした年が。
 
「……大変でしたね」
 
「お前も同じだろう」
 
 リアナは少し驚いた。
 
「十四で父を亡くして、十七で親友に裏切られた」ルシアンはリアナを見た。「それで泣かずに歩いてきた」
 
 リアナはルシアンを見た。
 
 この男は、よく知っている。
 馬車の中での会話だけでなく、石の記述からも、覚書からも——全部繋いで、見ていた。
 
「……前に、最初は父の遺言だけが理由じゃないと言っていましたね」
 
「ああ」
 
「今なら、教えてもらえますか」
 
 ルシアンが少し間を置いた。
 
 窓の外で、風が吹いた。
 書庫の薄暗い光の中で、銀灰色の瞳がリアナを見ていた。
 
「馬車の中で、お前が窓の外を見ていた顔を見た」ルシアンは静かに言った。「何かを失ったばかりの顔だった。でも泣いていなかった。諦めてもいなかった。ただ、前を向いていた」
 
「……それが」
 
「それが、気になった。父の遺言とは関係なく」
 
 リアナは黙っていた。
 
「アーシェルに来てからも、ずっと見ていた。工房で仕事をするお前を。街を歩くお前を。館で陣を描くお前を」
 
「……知っています。よく見ているとは思っていました」
 
「嫌だったか」
 
 リアナは少し考えた。
 
「……嫌ではなかったです」
 
「そうか」
 
 ルシアンが、また少し間を置いた。
 
「俺は、お前のことが気になっている。父の遺言とは別に、俺自身が」
 
 静かな声だった。
 でも、はっきりした声だった。
 
 リアナはしばらく、何も言えなかった。
 
 心臓が、少し速く打っていた。
 
 セシルに裏切られてから、人を信じることが怖かったわけではない。
 ただ——誰かにこういうことを言われるとは、思っていなかった。
 
「……わかりました」
 
 リアナは静かに言った。
 
「今すぐ答えは出せません。でも、聞きました」
 
「それでいい」
 
 ルシアンは短く言った。
 焦らなかった。
 迫らなかった。
 
 それが、この男らしかった。
 
「石の続きを読み解きます」
 
「ああ」
 
 二人は並んで、棚に向かった。
 
 また、静かな時間が始まった。
 
 でも——さっきとは少し違う静けさだった。
 
 リアナは石に触れながら、頭の片隅でずっと考えていた。
 
 気になっている、と言った。
 俺自身が、と言った。
 
 セシルは十年間、笑顔で嘘をついていた。
 でもこの男は——笑わずに、本当のことを言う。
 
 どちらが信じられるかは、言うまでもなかった。
 
 ただ——まだ、怖かった。
 
 誰かを信じることが、怖いのではなく。
 信じた自分が、また間違えることが。
 
 リアナは石を握った。
 
 父の研究が、手の中で温かかった。
 
 今日のところは、これだけでいい。
 
 また明日、考えよう。
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