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第4話「ロセール男爵家の、真の姿」
第4話「ロセール男爵家の、真の姿」
ロセール男爵が屋敷を訪ねてきたのは、協議から四日後のことだった。
事前の連絡はなかった。突然の来訪だ。しかしシオンはすでに応接間を整え、わたくしに知らせを入れていた。
「いつ来るとわかっていたの?」
「昨日の時点で、男爵家の馬車が王都に入ったことを確認しておりました」
「なるほど」
わたくしは鏡の前で髪を確認した。今日は深紅のドレスにしていた。シオンが「本日は深紅がよろしいかと」と朝に言っていたから。
「どんな用件だと思う?」
「息子の減刑交渉かと」
「ですわね」
わたくしは立ち上がった。
「参りましょうか」
*
応接間に入ると、ロセール男爵はすでに着席していた。
六十がらみの、かつては恰幅がよかったであろう男だ。しかし今は頬がこけ、目の下に隈がある。借金まみれの家を抱えて、ずいぶんと苦労しているのだろう。
わたくしを見た瞬間、男爵の表情が複雑に動いた。頭を下げるべきか、強気に出るべきか、迷っているのが見て取れた。
わたくしは微笑んで、向かいに座った。
「ようこそいらっしゃいました、男爵」
「……レイラ殿」
男爵は結局、頭を下げた。
「突然の訪問、失礼した」
「いいえ」
わたくしは扇を開いた。
「ご用件をお聞かせください」
男爵が咳払いをした。
「単刀直入に申す。ガイウスのことだ」
「存じております」
「あの覚書は……あれは、いくらなんでも酷ではないか。婚姻初日に細かい条文を仕込んで、十二年後に突きつけるなど」
「仕込んだ、とはずいぶんな言い方ですわね」
わたくしは穏やかに言った。
「公証人の立会いのもとで締結した正式な契約です。仕込んだのではなく、備えていただけですわ」
「しかし――」
「男爵」
わたくしは扇を閉じた。
「ひとつ、お聞きしてもよろしいですか」
「……何だ」
「ガイウスとわたくしが結婚した十二年前、ロセール家の財政状況はどのようなものでしたか」
男爵の表情が固まった。
「それは……」
「すでに借金がございましたわね」わたくしは静かに続けた。「ヴァンクール家との縁組みを望んだのは、そのためではありませんか。わたくしの実家の財力を当てにして」
「……それは」
「否定なさらないのですね」
わたくしは少し首を傾けた。
「十二年間、ロセール家はヴァンクール家の支援で生き延びてきた。ガイウスの遊興費も、ミレーヌ・コッテへの貢ぎ物も、すべてわたくしの実家が出してきた。それが事実ですわ」
「……」
「男爵、わたくしは恨み言を言いたいわけではありませんの」
わたくしは声のトーンを少し和らげた。
「ただ、事実は事実として確認しておきたかっただけです。ロセール家がヴァンクール家に対して負っているものが何であるか、男爵ご自身はわかっておられるはずです」
男爵は黙った。長い沈黙だった。
シオンが静かに紅茶を補充した。男爵はそれに手をつけなかった。
「……わかっている」
男爵がようやく言った。声が、少し小さくなっていた。
「わかっているが、ガイウスは息子だ。親として、何もしないわけにはいかない」
「それはそうですわね」
わたくしは頷いた。
「では男爵、ご提案がございます」
「提案?」
「ロセール家が四万二千ルークを返済してくださるなら、ガイウスの更生院送りは取り消しましょう」
男爵の目が光った。
「本当か」
「ええ。ただし」
わたくしは続けた。
「全額、一括で。分割は認めません」
男爵の表情が、また曇った。
「……四万二千ルークは、ロセール家にも用意できない」
「そうですか」
「せめて、分割で――」
「覚書の条件は変えられません」
わたくしはきっぱりと言った。
「男爵、ロセール家の現在の資産状況はこちらで把握しております」
シオンが書類をテーブルに置いた。男爵が目を見開いた。
「なぜ、お前たちがこれを……」
「備えておりましたので」
シオンが静かに答えた。
「ロセール家の総資産は約八千ルーク、負債は約一万五千ルーク。実質的にすでに債務超過の状態です。四万二千ルークはおろか、一万ルークの用意も難しい状況かと存じます」
男爵の顔が、みるみる赤くなった。恥と怒りが混ざったような色だ。
「これは……これは、プライバシーの侵害では――」
「公的に閲覧可能な記録を整理しただけでございます」
シオンは表情一つ変えなかった。
「男爵」
わたくしは静かに言った。
「ガイウスには三つの選択肢があると、すでにお伝えしました。一括返済、更生院入所、裁判。ロセール家が返済できない以上、選択肢は事実上二つです」
「裁判を起こす」男爵が言った。「貴族院に訴える。ヴァンクール家による不当な――」
「どうぞ」
わたくしは微笑んだ。
「裁判でも何でも。ただ、裁判を起こしている間も利子は加算され続けますわ。それから」
わたくしは少しだけ声を低くした。
「貴族院への訴えは、ロセール家の財政状況が公の場で明らかになることを意味します。それでもよろしいですか」
沈黙。
男爵の顔から、すうっと色が消えた。
爵位を持つ貴族にとって、財政破綻が公になることは致命的だ。社交界での立場、他家との縁組み、すべてに影響する。
「……」
「男爵」
わたくしは立ち上がった。
「わたくしは意地悪をしたいわけではありませんの。ガイウスが更生院で誠実に働いてくださるなら、それで十分です。更生院はきつい場所ですが、理不尽な場所ではありません。ちゃんと働けば、ちゃんと返済できる仕組みになっております」
「……貴族を、労働施設に」
「男爵」
わたくしは穏やかに、しかしはっきりと言った。
「借金をした人間が返済するのは、貴族も平民も関係ありませんわ」
男爵は長い間、黙っていた。
それからゆっくりと、立ち上がった。
「……持ち帰って、考える」
「どうぞ。ただし、ご返答は今週中にいただけますか。利子のことがございますので」
男爵が帰った後、応接間にわたくしとシオンだけが残った。
シオンが片付けを始める。男爵が手をつけなかった紅茶のカップを、静かに下げていく。
「お疲れ様でございました」
珍しく、シオンの方から言った。
わたくしは少し驚いて、シオンを見た。
「あなたが言うと、嫌みに聞こえるのだけれど」
「……申し訳ございません」
「冗談ですわ」
わたくしは笑った。
「ありがとう、シオン。今日もよくやってくれました」
シオンは一礼した。その顔には何の表情もなかった。
ただ、耳がほんの少しだけ赤かった。
わたくしはそれを見て、また少し笑った。声には出さずに。
ロセール男爵が屋敷を訪ねてきたのは、協議から四日後のことだった。
事前の連絡はなかった。突然の来訪だ。しかしシオンはすでに応接間を整え、わたくしに知らせを入れていた。
「いつ来るとわかっていたの?」
「昨日の時点で、男爵家の馬車が王都に入ったことを確認しておりました」
「なるほど」
わたくしは鏡の前で髪を確認した。今日は深紅のドレスにしていた。シオンが「本日は深紅がよろしいかと」と朝に言っていたから。
「どんな用件だと思う?」
「息子の減刑交渉かと」
「ですわね」
わたくしは立ち上がった。
「参りましょうか」
*
応接間に入ると、ロセール男爵はすでに着席していた。
六十がらみの、かつては恰幅がよかったであろう男だ。しかし今は頬がこけ、目の下に隈がある。借金まみれの家を抱えて、ずいぶんと苦労しているのだろう。
わたくしを見た瞬間、男爵の表情が複雑に動いた。頭を下げるべきか、強気に出るべきか、迷っているのが見て取れた。
わたくしは微笑んで、向かいに座った。
「ようこそいらっしゃいました、男爵」
「……レイラ殿」
男爵は結局、頭を下げた。
「突然の訪問、失礼した」
「いいえ」
わたくしは扇を開いた。
「ご用件をお聞かせください」
男爵が咳払いをした。
「単刀直入に申す。ガイウスのことだ」
「存じております」
「あの覚書は……あれは、いくらなんでも酷ではないか。婚姻初日に細かい条文を仕込んで、十二年後に突きつけるなど」
「仕込んだ、とはずいぶんな言い方ですわね」
わたくしは穏やかに言った。
「公証人の立会いのもとで締結した正式な契約です。仕込んだのではなく、備えていただけですわ」
「しかし――」
「男爵」
わたくしは扇を閉じた。
「ひとつ、お聞きしてもよろしいですか」
「……何だ」
「ガイウスとわたくしが結婚した十二年前、ロセール家の財政状況はどのようなものでしたか」
男爵の表情が固まった。
「それは……」
「すでに借金がございましたわね」わたくしは静かに続けた。「ヴァンクール家との縁組みを望んだのは、そのためではありませんか。わたくしの実家の財力を当てにして」
「……それは」
「否定なさらないのですね」
わたくしは少し首を傾けた。
「十二年間、ロセール家はヴァンクール家の支援で生き延びてきた。ガイウスの遊興費も、ミレーヌ・コッテへの貢ぎ物も、すべてわたくしの実家が出してきた。それが事実ですわ」
「……」
「男爵、わたくしは恨み言を言いたいわけではありませんの」
わたくしは声のトーンを少し和らげた。
「ただ、事実は事実として確認しておきたかっただけです。ロセール家がヴァンクール家に対して負っているものが何であるか、男爵ご自身はわかっておられるはずです」
男爵は黙った。長い沈黙だった。
シオンが静かに紅茶を補充した。男爵はそれに手をつけなかった。
「……わかっている」
男爵がようやく言った。声が、少し小さくなっていた。
「わかっているが、ガイウスは息子だ。親として、何もしないわけにはいかない」
「それはそうですわね」
わたくしは頷いた。
「では男爵、ご提案がございます」
「提案?」
「ロセール家が四万二千ルークを返済してくださるなら、ガイウスの更生院送りは取り消しましょう」
男爵の目が光った。
「本当か」
「ええ。ただし」
わたくしは続けた。
「全額、一括で。分割は認めません」
男爵の表情が、また曇った。
「……四万二千ルークは、ロセール家にも用意できない」
「そうですか」
「せめて、分割で――」
「覚書の条件は変えられません」
わたくしはきっぱりと言った。
「男爵、ロセール家の現在の資産状況はこちらで把握しております」
シオンが書類をテーブルに置いた。男爵が目を見開いた。
「なぜ、お前たちがこれを……」
「備えておりましたので」
シオンが静かに答えた。
「ロセール家の総資産は約八千ルーク、負債は約一万五千ルーク。実質的にすでに債務超過の状態です。四万二千ルークはおろか、一万ルークの用意も難しい状況かと存じます」
男爵の顔が、みるみる赤くなった。恥と怒りが混ざったような色だ。
「これは……これは、プライバシーの侵害では――」
「公的に閲覧可能な記録を整理しただけでございます」
シオンは表情一つ変えなかった。
「男爵」
わたくしは静かに言った。
「ガイウスには三つの選択肢があると、すでにお伝えしました。一括返済、更生院入所、裁判。ロセール家が返済できない以上、選択肢は事実上二つです」
「裁判を起こす」男爵が言った。「貴族院に訴える。ヴァンクール家による不当な――」
「どうぞ」
わたくしは微笑んだ。
「裁判でも何でも。ただ、裁判を起こしている間も利子は加算され続けますわ。それから」
わたくしは少しだけ声を低くした。
「貴族院への訴えは、ロセール家の財政状況が公の場で明らかになることを意味します。それでもよろしいですか」
沈黙。
男爵の顔から、すうっと色が消えた。
爵位を持つ貴族にとって、財政破綻が公になることは致命的だ。社交界での立場、他家との縁組み、すべてに影響する。
「……」
「男爵」
わたくしは立ち上がった。
「わたくしは意地悪をしたいわけではありませんの。ガイウスが更生院で誠実に働いてくださるなら、それで十分です。更生院はきつい場所ですが、理不尽な場所ではありません。ちゃんと働けば、ちゃんと返済できる仕組みになっております」
「……貴族を、労働施設に」
「男爵」
わたくしは穏やかに、しかしはっきりと言った。
「借金をした人間が返済するのは、貴族も平民も関係ありませんわ」
男爵は長い間、黙っていた。
それからゆっくりと、立ち上がった。
「……持ち帰って、考える」
「どうぞ。ただし、ご返答は今週中にいただけますか。利子のことがございますので」
男爵が帰った後、応接間にわたくしとシオンだけが残った。
シオンが片付けを始める。男爵が手をつけなかった紅茶のカップを、静かに下げていく。
「お疲れ様でございました」
珍しく、シオンの方から言った。
わたくしは少し驚いて、シオンを見た。
「あなたが言うと、嫌みに聞こえるのだけれど」
「……申し訳ございません」
「冗談ですわ」
わたくしは笑った。
「ありがとう、シオン。今日もよくやってくれました」
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