「婚約破棄されたので外資に逃げたら業界成績No.1コンサルに溺愛されました。元婚約者はざまぁの途中です」

まさき

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第12話 気づき

第12話 気づき

六月の終わりに、東都製造の案件が一つの節目を迎えた。
代替仕入れ先Bからの部品供給が安定し、製造ラインの稼働率が改善前の水準を超えた。
品質管理の改善効果と合わせて、コストは当初の目標値まで下がっている。
田中主任から「現場が変わった」という言葉をもらった時、凛は静かに達成感を感じた。
 
「瀬川さん、東都製造の最終報告書、確認しました。完璧です」
 
篠原がデスクに資料を戻しながら言った。
 
「ありがとうございます」
 
「黒瀬に出しましたか」
 
「これから持っていきます」
 
「緊張しますか」
 
「少しだけ」
 
「正直ですね、相変わらず」
 
篠原が笑った。
凛は報告書を手に取って、黒瀬のデスクに向かった。
 
「東都製造の最終報告書です。確認をお願いします」
 
黒瀬は受け取って、すぐに読み始めた。
凛は隣に立って待った。
 
十分後、黒瀬が顔を上げた。
 
「問題ない。このまま来週の経営会議に出せ」
 
「わかりました」
 
「お前がゼロから作り直した案件だ。最後まで責任を持ってやり切れ」
 
「はい」
 
「以上だ」
 
凛は報告書を受け取って、自分のデスクに戻った。
篠原が小声で聞いてきた。
 
「どうでしたか」
 
「問題ないと」
 
「黒瀬に問題ないと言われたら、本当に完璧ってことですよ」
 
篠原がにっこりした。
凛は報告書をファイルにまとめながら、少し考えた。
 
入社して約二ヶ月。
最初に現場を見ずに提案をして役員に切り捨てられた。
次に時間のプレッシャーに負けてミスをした。
その度に黒瀬に指摘されて、修正して、また動いた。
 
それが今、「問題ない」という言葉につながっている。
 
悪くない、と思った。
 
 
昼過ぎに、桐島院長との三回目の訪問があった。
 
前回の視察から二週間。
川島看護師長から受け取った三年前の提案書を分析して、凛なりの仮説を立てていた。
 
院長室に通されると、桐島の態度が少し変わっていた。
最初の時のような、試すような沈黙がなかった。
 
「来ましたね」
 
「はい。よろしくお願いします」
 
「川島から聞きました。あなたが三年前の提案書を見せてほしいと言ったと」
 
「はい。現場の視点を理解するために、必要だと思いましたので」
 
「あの提案書を見た外部の人間は、あなたが初めてです」
 
桐島がしばらく凛を見た。
 
「何かわかりましたか」
 
「一つ、確認したいことがあります」
 
「どうぞ」
 
凛は資料を開いた。
 
「三年前の提案書には、スタッフの離職率改善という項目がありました。でも院長は予算がないで終わらせた。なぜですか」
 
桐島の目が、わずかに動いた。
 
「予算がなかったからです」
 
「本当にそれだけですか」
 
室内が静かになった。
黒瀬が凛を横目で見た。
踏み込みすぎかという目ではなく、どこまで行くかを見ている目だった。
 
桐島はしばらく黙っていた。
長い沈黙だった。
凛は待った。
焦らなかった。
 
「……当時、私は離職率の問題を、スタッフの甘えだと思っていた」
 
静かな声だった。
 
「今は違う考えですか」
 
「今は……違います。あの頃から三年で、さらに五人辞めました。今の川島の負担を見ていると、私の判断が間違っていたと思っています」
 
凛は次の言葉を選んだ。
 
「では、今回は離職率の改善を中心に据えた提案をさせてください。経営効率化はその結果としてついてくる。そういう順番で考えたいと思っています」
 
桐島がまた黙った。
今度は短い沈黙だった。
 
「……進めなさい」
 
帰り道のタクシーの中で、黒瀬が静かに言った。
 
「桐島に、あそこまで踏み込むとは思っていなかった」
 
「出過ぎましたか」
 
「いや。あの院長が本音を話したのは、たぶん初めてだ」
 
「なぜそう思いますか」
 
「長年、あの人を見てきた人間の顔ではなかった。何かが解けた顔だった」
 
凛は窓の外を見た。
 
「川島さんの提案書を見た時、院長はきっと気づいていたんだと思いました。間違っていたと。でも認められなかった。そこを突いてみました」
 
「なぜそう読めた」
 
「私も同じだったので」
 
黒瀬が凛を見た。
 
「同じ?」
 
「前の会社で、自分の判断が間違っていると気づいていても、認められないことがありました。プライドなのか、怖さなのか。桐島院長の顔が、その頃の自分に似ていた気がして」
 
黒瀬はしばらく黙った。
 
「……それを武器にした」
 
「武器というより、共感です。間違いを認めるのは怖い。でも認めた先に、前に進める。それを知っているので」
 
「お前が前の会社で間違いを認めたのはいつだ」
 
凛は少し考えた。
 
「辞める日の朝です。退職届を出して、三年間ずっと間違った場所にいたと認めました」
 
黒瀬は何も言わなかった。
でも、左手が凛の手に重なった。
言葉ではなく、それだけだった。
 
凛は窓の外を見たまま、その温度を感じていた。
 
 
オフィスに戻ると、渡辺が声をかけてきた。
 
「桐島病院、どうでしたか」
 
「前進しました」
 
「さすがですね。あの案件、社内で誰もやりたがらなかったのに」
 
渡辺は屈託なく笑った。
悪意のない言葉だとわかっていた。
 
「渡辺さんも、今の案件うまくいってますよね」
 
「おかげさまで。でも瀬川さんみたいに、現場を読む力がまだ足りないなと思って。どうやって身につけたんですか」
 
「現場に行き続けることだと思います。答えはいつも現場にあるので」
 
「なるほど。今度、一緒に現場視察に行かせてもらえますか。勉強させてほしくて」
 
仕事上の依頼だった。
断る理由はない。
 
「黒瀬さんに確認してから」
 
「もちろんです」
 
渡辺が自分のデスクに戻った。
篠原が隣でこっそり凛に囁いた。
 
「渡辺さん、最近は仕事の話しかしてきませんね」
 
「そうですね」
 
「潔いというか、切り替えが早いというか」
 
「仕事のできる人はそういうものじゃないですか」
 
「瀬川さんって、人に優しいですよね」
 
「そうですか」
 
「断った相手でも、仕事上はちゃんとフラットに見てる。前の会社でひどい目に遭ったのに」
 
凛は少し考えた。
 
「ひどい目に遭ったのは、蓮と萌の話であって、渡辺さんは関係ないので」
 
「そうやって切り分けられるのが、すごいと思います」
 
「切り分けないと、仕事ができなくなるので」
 
篠原がまた「強いですね」と言いかけて、止まった。
 
「……強いじゃなくて、今日は何て言おうかな」
 
「何でも同じです」
 
「かっこいい、にします」
 
凛は思わず笑った。
 
 
その夜、残業していると黒瀬が凛のデスクに来た。
 
「今日の桐島のことで、一つ言っておきたいことがある」
 
「はい」
 
「あの踏み込み方は、俺にはできない」
 
凛は顔を上げた。
黒瀬が自分にできないと言うのは、初めて聞いた。
 
「なぜですか」
 
「俺は相手の感情より、論理で動く。桐島の間違いを指摘するにしても、データで詰めていた。でもそれでは、あの院長は動かなかった」
 
「感情に触れる必要があったということですか」
 
「お前は、自分の経験を使って相手の感情に触れた。それは俺が持っていないものだ」
 
凛はしばらく黙った。
黒瀬がこういうことを言うのは、初めてだった。
弱さを認めるというより、互いに違うものを持っているという話だった。
 
「私には、黒瀬さんの論理の鋭さがないです」
 
「だから二人でやる意味がある」
 
さらりと言った。
凛は返事ができなかった。
 
仕事の話をしているのに、仕事だけの話ではない気がした。
二人でやる意味がある。
その言葉が、凛の胸の中で静かに広がった。
 
「……黒瀬さん」
 
「何だ」
 
「気づいたことがあります」
 
「言え」
 
「私、ここに来てよかったと、毎日思っています」
 
黒瀬は少し黙った。
 
「それは俺も同じだ」
 
「GACに来てよかったということですか」
 
「お前が来てくれてよかった、ということだ」
 
凛は目を伏せた。
この人はなぜ、こういう言葉をこんなにさらりと言えるのだろう。
 
「……ありがとうございます」
 
「礼はいらない。早く仕事を終わらせろ」
 
「はい」
 
黒瀬が自分のデスクに戻った。
凛はパソコンの画面を見ながら、今日一日のことを思い返した。
 
東都製造の案件が一つの節目を迎えた。
桐島院長が初めて本音を話した。
黒瀬が「俺にはできない」と言った。
 
全部、一日の中に起きたことだった。
 
凛がここに来て、何かが確実に変わっていた。
仕事の力がついた。
人を読む目が鋭くなった。
感情を表に出せるようになった。
 
そして気づいたことが、もう一つある。
 
黒瀬航のことを、もっと知りたいと思っている。
仕事の話だけでなく、この人がどんな過去を持って、何を考えて、どんな時に笑うのかを。
 
それはたぶん、仕事の感情ではなかった。
 
凛はその気づきを、まだ言葉にしなかった。
でも、確かにそこにある感情として、静かに受け取った。
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