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4章: 波のまにまに愛を求めて

4-8 愛して。

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僕は耳を疑った。いや、冷酷な彼女なら別にそういう指示をしてきてもおかしくない。おかしくはないが、それでも、僕は聞き返せずにはいられなかった。到底、それをすんなり受け入れるわけにはいかない気がした。



「・・・なによ。今まで散々、やってきた事でしょ?」



首を傾げ、一体どうしたんだと言いたげな表情だ。僕が当然、すんなりと自分の指示を受け入れるものと思っていたのだろう。

確かにこの状況ではそうするしかないし、そもそも彼女の言う通り、これは今まで散々やってきた事だ。この足下にある死体が身につけている、衣服をちょっと触れば、それで済む話だ。病室のベッドや、地面にこびりついた血痕を触るのと同じ事。犯人を逃してしまった以上、これはやるしかない事だ。

でも、僕は気が進まなかった。

この事態を目の前にして、血痕と子供の死体は、こうも差があるものなのかと改めて思う。思えばこれほど生々しい死体を目にするのは初めての事だ。ほんの十数分前までは、生きていたであろう「人形」を目の前にして、僕は怖気づいているのだ。

これよりも酷い死を何度も見てきたのに、何故だろうか。いつかの片腕の男の肉塊よりも、より現実味のある死だからだろうか。それとも彼が、まだ幼い子供だったから、無意識に同情しているのだろうか。自分でも、何故これほど恐ろしいと感じるのか分からなかった。



「早くして。万が一人が来たらまずいわ。」



「分かってるよ!急かすな!」



そうだ。どれだけ嫌でもやらなくてはいけない。こんな簡単な事なのだ。ちょっと触って、ちょっと記憶を視る。いつも楽しくやってる事じゃないか。

そう自分に言い聞かせ、僕は遺体のそばに膝をついた。小さな体が身につけている服の袖に、恐る恐る震える手を近づける。

その時ふと、少年の顔が目に入った。



ーーーあぁ、くそだめだ。



思わず目を逸らして天を仰いだ。

やっぱり無理かもしれない。今まで出来ていた事が出来ない自分に腹が立つ。今からこの顔をした少年の記憶を覗くのだと考えると、どうしても気味が悪くなってしまった。

痺れを切らすように、神永が口を開く。



「ちょっと、いい加減にーーー」



「黙ってろっ!分かってんだよっ!!」



皆まで言わせず怒鳴って遮った。



もういい。どうにでもなってしまえ。



僕は思い切って、少年の衣服に触れた。






ーーー愛して


ーーーーーー愛して


ーーーーーーーーー愛して



ーーーーーーーーーーーー愛して



ーーーーーーーーーーーーーーー愛して!



愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して
愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して





「あいして。」






ーーー愛して、欲しかった?

そう言うと、少女は笑った。
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