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①
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ばばちゃまが眠りについてから半年が経とうとしていた。
私が小さな子供の頃から、ばばちゃまは時折、何の前触れもなく昏々と深い眠りに陥ることがあった。大抵は2日か3日で目が覚めて、長くても5日くらいだった。幼い頃はこのまま死んでしまうんじゃないかと不安でいっぱいだった。いつも、ばばちゃま特有の変わった体質なのかもしれないと、自分を納得させていた。目が覚めた後は前日の続きのように何事もなかったかのように振る舞うので、いつも私は「ばばちゃまの電池切れ」と言っていた。
ばばちゃまも「心配いらないの。疲れるとこうなってしまうだけだから」と笑っていた。初めは気をもんでいた私だったが次第に慣れてゆき、いつしか不安も薄らいでいった。
ばばちゃまは正確には私の祖母ではない。祖母の妹にあたる。母は未婚で私を産む際に、住み慣れた実家のある土地から逃げるように、ばばちゃまの元に転がりこんできたらしい。ばばちゃまは生涯独身で母を可愛がっていたから、気兼ねなく飛び込めたのかもしれない。母にとっては叔母にあたる訳だが、叔母というより歳の離れた姉のように慕っていた。私はばばちゃまと呼んでいたが、母は玲子さんと名前で呼んでいた。
祖母とばばちゃまは姉妹でも随分と性格が違っていたらしい。ばばちゃまは万事鷹揚な人で、未婚で子供を産もうとする姪に、なんのこだわりも無く労ってくれたそうだ。しかしばばちゃまの姉、つまり母の実母は世間体を非常に気にして、大変難色を示したものらしい。実の娘と姪では思い入れも違うのは当然なのかもしれないが。もともと反りが合わなかった事も大きいのだろう。母は逃げるようにばばちゃまを頼ってきたらしい。
祖母にしてみれば、夫に先立たれ女手1つで苦労して育てた娘が、未婚で子供を産むなど暴挙以外の何ものでもなかったのだろう。裏切られた感も強かったに違いない。また閉鎖的な土地柄も祖母を頑なにさせた一因かもしれない。母の生家はここよりも更に田舎であったそうだから。
私が小学校に上がる前に祖母が倒れ、母は私を同行せず、1人きりで実家に戻った。私の存在は隠されていたので、一緒に帰るわけにいかなかったのだ、私はばばちゃまの元に残された。母もまた人の目を恐れ、私を公表する勇気はなかったのだ。数年の間看病し、実母を看取ると母が後を追うように亡くなった。進行性の癌だった。以来、私はばばちゃまと2人で暮らしている。
母の死に少なからず衝撃は受けたものの、一緒に過ごした時間が少なかったためか、私は存外平気だった。ことさらに寂しいとも哀しいとも思わなかった。結果として母に捨てられた事実から、自分の心を守る防衛的感情だったのかもしれない。
ただ、今この歳になって何処か虚しくなってしまうのは何故だろう。情の薄い自分が情けないのか、私の存在をひた隠しにされたことが辛いのか。おそらくはその両方であるのだろう。
母に置き去りにされた私を、ばばちゃまはとても可愛がって育ててくれた。そしてあの時、私を連れて帰れば好奇や蔑み等の瞳に晒され、私が辛い思いをしただろうからと慰めてくれた。
父に関しては写真はおろか、名前さえも知らされておらず、手掛かりも何一つなかった。知りたいと願っても調べようもなかった。見事なまでに父親の存在は完璧に消されていた。私も、今更もう知りたいとは思わないし、そのような感傷的な時期はとうに過ぎていた。
それに父にあたる人も私の存在自体を知らされていない可能性は高い。
私の家族は昔も今もばばちゃまだけだった。
そして、そのばばちゃまは、今、昏々と眠っている。
5日か過ぎた頃さすがに心配になって、掛かり付けのお医者さんをよんだ。だが老医師は「ただ眠っているだけですね」と首を傾げるばかりだった。それから更に十日たち今度は介護タクシーで総合病院の門をくぐった。そこでも身体の異常は何も見つけられないといわれた。
ーー「ですが体温が異常に低く、全てが低いレベルで保たれています。まるで冬眠しているかのように。こうした症例は初めてですから、大学病院などの研究機関のある病院に任せた方がいいでしょう。いえ脳死ではありません。強いて言うなら仮死状態に近い
、そう申した方が適切かもしれません」
医師は紹介状を書いてくれ、私はばばちゃまを連れて家に戻った。
それから半年が過ぎようとしているが、私はいまだに大学病院に行けずにいる。行けば病室でチューブだらけになるのを憂いたからだ。更に珍しい症例として何をされるか分からない不安も大きかった。
ばばちゃまは亡くなる時はぽっくりと、自然に虹の橋を渡りたいと、日頃から口癖のように言っていたから。
いや、そうではない。私がばばちゃまと離れたくないだけなのだ。連れていったら二度とばばちゃまが帰ってこないような、深い危惧感に襲われているからだ。それにもはや病院に連れていくには機を逸していた。何故もっと早く連れて来なかったと責められてしまうに違いない。私は後戻りのできない泥沼に、ずっぷりと嵌まり込んでいた。全ては側にいたいと願う私の我儘だった。
今日こそはと期待をこめて朝を迎えるのだが、ばばちゃまが目覚める気配はない。ばばちゃまは依然として眠り続けている。
そう、ばばちゃまは眠り続けている。めっきり姿を見せなくなったばばちゃまを心配する近所の人が、時折、見舞いに訪れてくれたが、ばばちゃまは穏やかに眠っているので、訪れた人々は幾分安心して帰っていった。ばばちゃまが半年も眠り続けていることなど、私は一言も言わないから、何も知らない彼等は高齢だからと思っているだろう。そうしているうちに訪問する人もいなくなった。
ばばちゃまの状態が異常であることは重々承知している。だが本当に眠っているだけに見えるのだ。ときおり瞼がぴくぴくと動き、まるで楽しい夢を見ているみたいに。
私は大切なばばちゃまと何時までも一緒にいたいのだ。痛みや苦痛がないなら、このままずっと私の元に居て欲しい。私たちは十年以上のときを、2人で支え合ってきたのだから。
終業のチャイムが鳴っていた。1週間後の中間テストを控えてクラスがざわついていた。辛い試験が終われば楽しい夏休みが待っていて、気の早いクラスメートは夏休みの計画に浮き立っていた。
私は帰りの挨拶を返しながら、足早に学校から家路を急いだ。電車に揺られながら夕飯の献立を考えるのが私の日課だった。ばばちゃまは変わらず眠り通しだったが、私は毎晩2人分の食事を用意していた。いつ目が覚めても大丈夫なように、おかゆと消化の良いおかずをこしらえていた。
そうしていないと私の心は挫けてしまいそうだった。認めたくはないが確実にばばちゃまを失いかけている事を、心の片隅で感じとっていた。
玄関に人の気配がした。
私は〈木蓮の人〉だと察すると、果たして其処には端正な人の立ち姿があたった。その人は無言で軽く会釈をするとお見舞いの花を渡してきた。私はお礼を言いながら、ばばちゃまの眠る日当たりの良い和室にその人を通した。いつものように。
私はその人の名前もばばちゃまと、どんな知り合いなのかも知らないでいる。幼い頃からたまさか訪ねてくる人という認識しかなかった。ばばちゃまが元気な頃は、私が学校にいっている時に訪れていたし、口の不自由なその人に話かける勇気が子供の私にはなかった。結局、聞くきっかけを掴めなかった私は、未だにその人の名前すら知らないでいる。木蓮の咲く頃に決まって訪ねてきたので、私は勝手に〈木蓮の人〉と呼んでいた。
前髪を無造作にかきあげ、セミロングの木蓮の人は男性にも女性にも見える。一度ばばちゃまに「男の人?女の人?」と尋ねたことがあった。ばばちゃまは面白そうに「どちらに見える?」と微笑むだけだった。しかしばばちゃまの化粧がいつもより念入りで、何処か浮き立つ様子から男性なのだと検討をつけていた。よくみると骨格も男性のものだったが、柔らかい仕草が中性的な印象を与えるのかもしれない。いや、その表現も正しいとはいえない。中性的というよりは女性と男性の両方を備えている、そんな感じの人だった。
木蓮の人は初めて会った頃と同じで、いつ見ても瑞々しい印象を受ける。眠りについたばばちゃまの如く、時間が止まっているかのようだった。
木蓮の人はばばちゃまが眠りについてから、頻繁に訪れるようになっていた。今までは年に2、3回程度であったのが、毎週お見舞いに来るようになっていた。彼が来た時、僅かだがほんのりとばばちゃまの頬が赤らむように感じるのは、私の希望的観測なのだろうか。いえ、ばばちゃまは眠っていても木蓮の人に気がつかない訳はない。五感で全身で察知しているに違いないのだ。
木蓮の人が来訪するたびに、今日こそ目覚めてくれるのでは、と希望を抱くのだが、ばばちゃまの眠りは深くなかなか起きてはくれない。おとぎ話では眠り姫は王子の出現で目を覚ますというのに。ばばちゃまの王子様がこんなに会いに来てくれるというのに。どうしてばばちゃまは眠ったままなのだろう。子供じみた願望なのは分かってる。おとぎ話の頃はとうに過ぎていたが、その話にすがりたい程、私はばばちゃまを失いたくなかった。
いつの間にか木蓮の人が私の近くに立っていた。面会を終えた彼はきれいなお辞儀をよこしてくれた。
「ありがとうございます。お気をつけて」
私は玄関で見送りながら、足を運んでくれたお礼を言う。木蓮の人は艷やかな微笑みを浮かべ、いつものように軽く会釈して帰っていった。それは穏やかで包み込むような優しい笑みで、いかにばばちゃまを大切に思っているか伺えるほどで、ばばちゃまがその微笑みを見れないことが心底悔やまれて仕方ない。
そして今回も目覚めなかった事に私は落胆し溜息をついた。
私が小さな子供の頃から、ばばちゃまは時折、何の前触れもなく昏々と深い眠りに陥ることがあった。大抵は2日か3日で目が覚めて、長くても5日くらいだった。幼い頃はこのまま死んでしまうんじゃないかと不安でいっぱいだった。いつも、ばばちゃま特有の変わった体質なのかもしれないと、自分を納得させていた。目が覚めた後は前日の続きのように何事もなかったかのように振る舞うので、いつも私は「ばばちゃまの電池切れ」と言っていた。
ばばちゃまも「心配いらないの。疲れるとこうなってしまうだけだから」と笑っていた。初めは気をもんでいた私だったが次第に慣れてゆき、いつしか不安も薄らいでいった。
ばばちゃまは正確には私の祖母ではない。祖母の妹にあたる。母は未婚で私を産む際に、住み慣れた実家のある土地から逃げるように、ばばちゃまの元に転がりこんできたらしい。ばばちゃまは生涯独身で母を可愛がっていたから、気兼ねなく飛び込めたのかもしれない。母にとっては叔母にあたる訳だが、叔母というより歳の離れた姉のように慕っていた。私はばばちゃまと呼んでいたが、母は玲子さんと名前で呼んでいた。
祖母とばばちゃまは姉妹でも随分と性格が違っていたらしい。ばばちゃまは万事鷹揚な人で、未婚で子供を産もうとする姪に、なんのこだわりも無く労ってくれたそうだ。しかしばばちゃまの姉、つまり母の実母は世間体を非常に気にして、大変難色を示したものらしい。実の娘と姪では思い入れも違うのは当然なのかもしれないが。もともと反りが合わなかった事も大きいのだろう。母は逃げるようにばばちゃまを頼ってきたらしい。
祖母にしてみれば、夫に先立たれ女手1つで苦労して育てた娘が、未婚で子供を産むなど暴挙以外の何ものでもなかったのだろう。裏切られた感も強かったに違いない。また閉鎖的な土地柄も祖母を頑なにさせた一因かもしれない。母の生家はここよりも更に田舎であったそうだから。
私が小学校に上がる前に祖母が倒れ、母は私を同行せず、1人きりで実家に戻った。私の存在は隠されていたので、一緒に帰るわけにいかなかったのだ、私はばばちゃまの元に残された。母もまた人の目を恐れ、私を公表する勇気はなかったのだ。数年の間看病し、実母を看取ると母が後を追うように亡くなった。進行性の癌だった。以来、私はばばちゃまと2人で暮らしている。
母の死に少なからず衝撃は受けたものの、一緒に過ごした時間が少なかったためか、私は存外平気だった。ことさらに寂しいとも哀しいとも思わなかった。結果として母に捨てられた事実から、自分の心を守る防衛的感情だったのかもしれない。
ただ、今この歳になって何処か虚しくなってしまうのは何故だろう。情の薄い自分が情けないのか、私の存在をひた隠しにされたことが辛いのか。おそらくはその両方であるのだろう。
母に置き去りにされた私を、ばばちゃまはとても可愛がって育ててくれた。そしてあの時、私を連れて帰れば好奇や蔑み等の瞳に晒され、私が辛い思いをしただろうからと慰めてくれた。
父に関しては写真はおろか、名前さえも知らされておらず、手掛かりも何一つなかった。知りたいと願っても調べようもなかった。見事なまでに父親の存在は完璧に消されていた。私も、今更もう知りたいとは思わないし、そのような感傷的な時期はとうに過ぎていた。
それに父にあたる人も私の存在自体を知らされていない可能性は高い。
私の家族は昔も今もばばちゃまだけだった。
そして、そのばばちゃまは、今、昏々と眠っている。
5日か過ぎた頃さすがに心配になって、掛かり付けのお医者さんをよんだ。だが老医師は「ただ眠っているだけですね」と首を傾げるばかりだった。それから更に十日たち今度は介護タクシーで総合病院の門をくぐった。そこでも身体の異常は何も見つけられないといわれた。
ーー「ですが体温が異常に低く、全てが低いレベルで保たれています。まるで冬眠しているかのように。こうした症例は初めてですから、大学病院などの研究機関のある病院に任せた方がいいでしょう。いえ脳死ではありません。強いて言うなら仮死状態に近い
、そう申した方が適切かもしれません」
医師は紹介状を書いてくれ、私はばばちゃまを連れて家に戻った。
それから半年が過ぎようとしているが、私はいまだに大学病院に行けずにいる。行けば病室でチューブだらけになるのを憂いたからだ。更に珍しい症例として何をされるか分からない不安も大きかった。
ばばちゃまは亡くなる時はぽっくりと、自然に虹の橋を渡りたいと、日頃から口癖のように言っていたから。
いや、そうではない。私がばばちゃまと離れたくないだけなのだ。連れていったら二度とばばちゃまが帰ってこないような、深い危惧感に襲われているからだ。それにもはや病院に連れていくには機を逸していた。何故もっと早く連れて来なかったと責められてしまうに違いない。私は後戻りのできない泥沼に、ずっぷりと嵌まり込んでいた。全ては側にいたいと願う私の我儘だった。
今日こそはと期待をこめて朝を迎えるのだが、ばばちゃまが目覚める気配はない。ばばちゃまは依然として眠り続けている。
そう、ばばちゃまは眠り続けている。めっきり姿を見せなくなったばばちゃまを心配する近所の人が、時折、見舞いに訪れてくれたが、ばばちゃまは穏やかに眠っているので、訪れた人々は幾分安心して帰っていった。ばばちゃまが半年も眠り続けていることなど、私は一言も言わないから、何も知らない彼等は高齢だからと思っているだろう。そうしているうちに訪問する人もいなくなった。
ばばちゃまの状態が異常であることは重々承知している。だが本当に眠っているだけに見えるのだ。ときおり瞼がぴくぴくと動き、まるで楽しい夢を見ているみたいに。
私は大切なばばちゃまと何時までも一緒にいたいのだ。痛みや苦痛がないなら、このままずっと私の元に居て欲しい。私たちは十年以上のときを、2人で支え合ってきたのだから。
終業のチャイムが鳴っていた。1週間後の中間テストを控えてクラスがざわついていた。辛い試験が終われば楽しい夏休みが待っていて、気の早いクラスメートは夏休みの計画に浮き立っていた。
私は帰りの挨拶を返しながら、足早に学校から家路を急いだ。電車に揺られながら夕飯の献立を考えるのが私の日課だった。ばばちゃまは変わらず眠り通しだったが、私は毎晩2人分の食事を用意していた。いつ目が覚めても大丈夫なように、おかゆと消化の良いおかずをこしらえていた。
そうしていないと私の心は挫けてしまいそうだった。認めたくはないが確実にばばちゃまを失いかけている事を、心の片隅で感じとっていた。
玄関に人の気配がした。
私は〈木蓮の人〉だと察すると、果たして其処には端正な人の立ち姿があたった。その人は無言で軽く会釈をするとお見舞いの花を渡してきた。私はお礼を言いながら、ばばちゃまの眠る日当たりの良い和室にその人を通した。いつものように。
私はその人の名前もばばちゃまと、どんな知り合いなのかも知らないでいる。幼い頃からたまさか訪ねてくる人という認識しかなかった。ばばちゃまが元気な頃は、私が学校にいっている時に訪れていたし、口の不自由なその人に話かける勇気が子供の私にはなかった。結局、聞くきっかけを掴めなかった私は、未だにその人の名前すら知らないでいる。木蓮の咲く頃に決まって訪ねてきたので、私は勝手に〈木蓮の人〉と呼んでいた。
前髪を無造作にかきあげ、セミロングの木蓮の人は男性にも女性にも見える。一度ばばちゃまに「男の人?女の人?」と尋ねたことがあった。ばばちゃまは面白そうに「どちらに見える?」と微笑むだけだった。しかしばばちゃまの化粧がいつもより念入りで、何処か浮き立つ様子から男性なのだと検討をつけていた。よくみると骨格も男性のものだったが、柔らかい仕草が中性的な印象を与えるのかもしれない。いや、その表現も正しいとはいえない。中性的というよりは女性と男性の両方を備えている、そんな感じの人だった。
木蓮の人は初めて会った頃と同じで、いつ見ても瑞々しい印象を受ける。眠りについたばばちゃまの如く、時間が止まっているかのようだった。
木蓮の人はばばちゃまが眠りについてから、頻繁に訪れるようになっていた。今までは年に2、3回程度であったのが、毎週お見舞いに来るようになっていた。彼が来た時、僅かだがほんのりとばばちゃまの頬が赤らむように感じるのは、私の希望的観測なのだろうか。いえ、ばばちゃまは眠っていても木蓮の人に気がつかない訳はない。五感で全身で察知しているに違いないのだ。
木蓮の人が来訪するたびに、今日こそ目覚めてくれるのでは、と希望を抱くのだが、ばばちゃまの眠りは深くなかなか起きてはくれない。おとぎ話では眠り姫は王子の出現で目を覚ますというのに。ばばちゃまの王子様がこんなに会いに来てくれるというのに。どうしてばばちゃまは眠ったままなのだろう。子供じみた願望なのは分かってる。おとぎ話の頃はとうに過ぎていたが、その話にすがりたい程、私はばばちゃまを失いたくなかった。
いつの間にか木蓮の人が私の近くに立っていた。面会を終えた彼はきれいなお辞儀をよこしてくれた。
「ありがとうございます。お気をつけて」
私は玄関で見送りながら、足を運んでくれたお礼を言う。木蓮の人は艷やかな微笑みを浮かべ、いつものように軽く会釈して帰っていった。それは穏やかで包み込むような優しい笑みで、いかにばばちゃまを大切に思っているか伺えるほどで、ばばちゃまがその微笑みを見れないことが心底悔やまれて仕方ない。
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