3 / 9
〈第一章 僕のこと③ 透編〉
しおりを挟む
壮介と僕とプラテーロは、これから麓までピクニックに出かける予定だ。プラテーロはリードつき。最初は嫌がってたけど、色々と心配だからね。だから我慢してね、プラテーロ。
午後の太陽がぎらぎら照らしている。僕は用意された麦わら帽子を被った。これは壮介が準備してくれていた。壮介は本当に気がきくんだ。
プラテーロには必要かな?と僕が尋ねると、難しい質問だね、と壮介が考えこんだ。馬とかロバ用の帽子は売ってなかったんだって。
「昔の映画で、ひらひらの帽子を被った馬をみたけど」
今はないのだろうか?
「ないなら作るしかないと思ってね。材料も調達してこよう」
「それは素敵だ。きっと似合うと思うな」
壮介はとても器用だ。彼は自分でデザインしたお手製の洋服を、よく僕に着せたがった。学業に育児に忙しいのに、よくそんな時間があったものだと、驚くしかない。
壮介が意味のなさそうな家の鍵をかけた。
「この鍵って役にたつのかな?入ろうすれば、どこからでも侵入できそう、、ご近所さんはないし、、」
「役には立たないだろうね。1番近い家は歩いて30分かかるしねえ」
壮介がのんびりと言った。
元々仕事で使う農作業のための小屋で、居住用にしている僕等は変り者らしい。地元の人は本宅は麓にあるというから。
「30分、、」
「1番近くてね。スーパーに行くのも大変だ。車がなかったら、とても暮らせないだろうな」
「でも、ここが気にいったんだね」
「うん、気に入った。人気はないけど心配いらないよ。貴重品は貸金庫に預けてあるから。金目のものはパソコンくらいかな。でも今はネットにも繋いでないし、型は古いし」
僕はすっかり嬉しくなった。壮介は完全に休業モードだ。なんて素敵な田舎暮らしだろう。スマートな壮介が小銭をやりくりしながら暮らしているなんて。考えるだけで可愛いすぎる。
僕はぐるりと1回転した。うねる様に山々が連なっている。頭上には青空がまあるく円形ドームみたいに広がっていて、処々に夏特有のもくもくした雲が浮かんでいる。僕はもう一度回ってみた。やはり山、山、山ばかりだ。なんて田舎だ。
「こらこら真っ直ぐ歩きなさい。転んでも知らないよ」
壮介が呆れ顔で笑っていた。僕は壮介の手をとってスキップした。
「田舎だ田舎だ。僕達の家は素敵な田舎にあるんだ」
僕がデタラメに謳いだすと、壮介も一緒に歌ってくれた。ノリの良い壮介。大好きだよ。
「田舎田舎。ボク達は田舎に越してきたんだ。ここには綺麗なトォニィと可愛いプラテーロが住んでいるんだ」
プラテーロも、ヒンヒンキュウキュウと鳴いている。
僕達は馬鹿みたいだったろうね。酔っ払っているみたいだったから。酒も飲んでいないのに。でも実際、酔っていたのかもしれないな。身体中のアドレナリンが小躍りしてさ。嬉しくて仕方なかったんだ。
はしゃぎすきて僕達は、樫の大木の根本に座り込んだ。はあはあ、ぜいぜい息が上がっちゃってた。
踊りながら、いつの間にか随分と下った処まできていた。
木々の隙間から、ミニチュアみたいな民家が眼下にポツポツ見えていた。畑や果樹園がずらりと並んでいて、そこに小さな人々が動いていた。ミニカーだって走ってる。
想像できるかい。巨大なジオラマに迷い込んだみたいなんだ。
「あれは葡萄の棚でね」
僕の思いを察してくれたのか、壮介が説明を始めてくれた。
「ワイン造りの盛んな土地らしいよ。なんでもフランスの土壌に近い土で、実に美味しいワインができるんだそうだ。いろんな種類があってね、シャンパンみたいなワインもあって驚いたよ」
僕が飲みたそうな顔をすると、「駄目だよ」と微笑みながら釘をさしてきた。尚も飲みたそうにしていると、「まあ、ヨーロッパでは子供もビールを飲むからなあ」と、帰ったら一口だけだよと、渋々許してくれた。
僕がホテル(寮)で、友人達と飲み明かしているとは、考えないのだろうか。生意気盛りの10代男子の寮生活に、酒やタバコはつきものだろうに。
そこで僕はハッと気がついた。
壮介が16歳の頃は、僕の育児に追われて大変だったことに。酒盛りも女の子達との交流も、僕のせいで参加できなかったんだ。僕は壮介以外の人を、ことごとく拒絶していたというから。壮介は僕に付ききりで、子育てに奮闘してくれたのだ。
僕はショボンと落ち込んだ。だって壮介の青春を奪い、取り上げてしまっていたのだから。
樫の木々が風に揺れていた。木々の隙間から零れる木漏れ陽が、ちらちらと悪戯っぽく踊っている。くらくらと目眩がしそうだった。じいじいと蝉の鳴き声がしていた。
「夏なんだな」
僕の呟きに壮介が微笑んだ。少しはにかむような僕の大好きな笑みだ。
「種無し葡萄の造り方を知ってる?」
突然、壮介がそんな質問をしてきた。
「初めから種無しの品種じゃないの?」
僕の返答に「ボクもそう思ってた。けど違った。そういう品種もあるのかもしれないけど、、違ってたんだよ」
と得意そうな顔になった。
もう、そんな事で自慢するんじゃないよ。全く子供なんだから。
「まだ青い実のときに、ジベレリンっいう薬品をつけるんだよ。5月か6月だったかな。村の人の作業が不思議でね。聞いたんだよ。いやーボクはびっくりしちゃってね」
「一房一房?」
「そうだよ。ひと房ずつ根気強く。気の遠くなりそうな作業だよね。薬品はワインみたいな赤い色をしていて、付いちゃうとなかなか落ちないそうだよ。近隣の小中学校では体験学習に組み込まれているらしい。秋にはお礼に葡萄がプレゼントされるんだって」
それは素敵な学習だ。僕は感心した。
「叔父さんがここに来たのはいつなの?」
報告書には4月とあったけど、僕は知らない事になってるからね。
「債権の通知がきたのは3月で、4月にこの地を訪れたんだ。一目で気に入ったよ」
「それってプラテーロ?それとも土地?」
壮介は片目を瞑って「プラテーロかな」と言ってから、僕の拳をひょいとかわした。僕の怒りの鉄拳?は空をきった。ほんとに勘がいいんだから。そうだよ。僕はひどい焼き餅やきやだよ。
僕はといえば反動のついた身体を支えきれず、壮介の上に倒れ込んだ。
「プラテーロに一目惚れしたのは本当だけど、トォニィも気に入ると思ったんだよ」
耳元で囁かれて、僕の身体に震えに似た電流が駆け巡った。
「うん」と応えながら、僕は子供の頃からのキスを、壮介の頬に軽くした。それから偶然を装って、ちょっとだけ壮介の耳朶を甘噛みした。
壮介の身体がピクリと反応した。
僕は素早く離れると「休憩はおしまい」と、勢いよく立ち上がった。
……………………………
その晩、僕はもう一つのお風呂に入った。リフォームした家には、ちゃんとお風呂が造られていたが、この家の元の風呂は外にあったんだ。
僕はてっきり納屋と思っていた離れが、お風呂場だった事に心底驚いた。それが薪風呂であったから、その驚きと嬉しさは尚更だった。
ほんとに使えるのか否か、甚だ怪しい年代物の風呂を沸かすべく、僕等は果敢に挑戦することにした。
離れの風呂場には水道がなかったから、裏口から家風呂の蛇口から、ホースで水を引くことにした。湯船と洗い場を徹底的に洗ってから水を溜める。あとは薪を燃やしつければ完了だ。
プラテーロも面白そうに小首を傾げている。
ここからは駄目だよ。火を使うからね。火傷でもしたら大変だ。
薪は前の住人がたくさん残してくれており、しかもすぐ使える状態だった。
しかし、そこからが大変だった。ど素人が2人、手探りだから恐ろしい。キャンプの釜戸の要領だろうと、見切り発車で進めるのだから尚更だ。
でも何とかなるもんだね。悪戦苦闘の末、薪風呂に成功したんだよ。ブラボーと思わす叫んでしまった。
パチパチと火の爆ぜる音が、なんとも楽しげだ。いつの間にか辺りは暗くなっていて、いかに薪風呂に苦戦したかが伺えた。
「叔父さん、先に入って」僕が勧めると、壮介は思ったとおり首を横に振った。
「駄目だよ。せっかくトォニィが帰ってきたんだから、トォニィからじゃないと。ああ、でもそうすると、トォニィが湯上がりに追い焚きすることになるのか、、、」
壮介が真剣に考えてる。そんな悩む事かな。
「そうだ。一緒に入ればいいんだ。薪をくべれるだけくべてね、今は湯冷めの心配もない時期だから」
良いこと思いついた!みたいに壮介は満面の笑みだ。僕は心臓がどくどく鳴りっぱなしだ。壮介と一緒に入るだなんて。
壮介は本当に気付いていないのだろうか。今朝の濃密なキスも、昼間に耳たぶをなぶったことも。僕の抑えきれない熱視線も、何もかも全て。
そんな僕の動揺をよそに、壮介が無邪気にはしゃいでいた。
「一緒のお風呂なんて、何年ぶりだろう。離れて暮らすようになってから、始めてじゃないか?」
そうだよ。始めてだよ。僕らの旅行はいつもホテル泊まりだったから、交代でバスルームを使ってたしね。温泉旅館に泊まったことすら、なかったんだから。
あの十歳以来だよ。それ以降、僕の身体は大人へと変わり、一緒に入るなんて気恥ずかしくて無理。僕の下半身の分身も不可能だと訴えてる。僕は壮介の裸身に耐える自信が全くないんだ。万事休す。壮介はすっかりその気になっている。楽しそうに鼻歌まじりだ。どうしよう。
ああ、プラテーロも一緒に入れたら、そうしたら何とか誤魔化せるかもしれないのに、、、そうだ、プラテーロだ。
「僕等だけ入ったらプラテーロが寂しがらないかな?」
僕の一言は絶大な効果をあげた。たちまち壮介の顔が曇った。
「確かに、、1人ぼっちは辛いよね。うんと小さな頃、ずいぶん虐められて仲間外れにされたらしいんだ。ボクのトォニィはやっぱり優しいな」
僕はほっと胸をなで下ろすと、「じゃあ叔父さんからね」と、火かき棒をかき回しながら薦めた。
でも壮介はやはり首を横に振った。プラテーロを風呂場に連れてくると、桶でそっとお湯を流してみた。
プラテーロはびっくりして、前脚をあげて、次に後ろ脚をあげた。それから不思議そうに壮介の顔を見上げる。
「これはお湯というんだよ。ボク達はこれからお風呂に入るんだ。先にプラテーロを洗ってあげようね」
そう言って、壮介はざぶざぶとプラテーロを洗いだしたんだ。
ウマイ!と思ったね。プラテーロを先に洗ってあげて、大切にしているよ、との認識を彼に与えるわけだ。そして僕達が後からはいる戦法か。
逃げ場はないな、と僕は観念した。
プラテーロが気持ち良さそうに、身を委ねている。彼は身体を洗ってもらうのが好きなんだよ。うっとりと目を瞑ってる。馬もそうだよね。競走馬が温泉療養をするっていうもんね。人間と同じでお風呂やお湯は、リラックス効果があるんだな。
だったらプラテーロ専用の湯船を増設した方がいいかな。毎日入る内風呂にね。薪風呂は準備が一苦労だから、多分、滅多に使わないだろう。
僕の提案に壮介が喜んだ。どうやら壮介は僕がプラテーロを気遣ってくれるのが、嬉しいみたい。上手くやれるか、そんなに心配していたのかな。
そりゃあ相手が女性だったら僕のライバルだ。いい顔なんて難しい。魅力的であればある程ね。
だけどプラテーロはそうじゃない。彼は僕達の家族で、近い将来、僕の扶養家族として養うと認めているんだから。
プラテーロで時間は稼げたものの、タイムリミットは刻々と近づいていた。こんなにも楽しみにしている壮介を裏切る訳にはいかない。僕自身も壮介の裸体を見たいという誘惑にも勝てそうにない。
何のことはない。僕が先に入って後から出れば良いのだ。そうすれば僕の下半身がどうなっているかなんて、バレやしない。そもそも下半身といっても一部分だ。タオルで隠せる大きさだ。
絶対に壮介は僕を優先させて、先に入らせるだろう。遠慮しないで、ササッと入ってしまえばいいんだ。
僕の予想通り、プラテーロを洗い終えた壮介が、薪の番をしている僕の脇に屈んだ。
「火の係、ありがとう。代わるよ。もう少し薪を足してからボクは入るから、トォニィは先に入っておいで」
「うん、ありがとう。早くきてね」
僕は好意に甘え、全速力で身体を洗うと素早く湯船に身を浸した。
まろやかなお湯が肌を包みこんだ。
薪風呂がこんなにも素晴らしいなんて。僕は感動した。
馥郁とした木の香りが、優しく鼻腔をくすぐり、細胞の1つ1つが満ち足りていくようだった。
壮介が入ってきた。
痩せているとはいえ、男2人の体積だから、ザァっとお湯が溢れ流れる。プラテーロが面白そうに跳ねていた。
湯船は座って入るというより、膝立ちするほどの深さがあった。子供の背ならば立ったまま入れるだろう。
「これは船じゃなく樽みたいだね」
僕の発言に壮介は大いに賛同し、垂れてくる前髪を長い五指でかきあげた。いつも感じるのだが、そんなふとした仕草がとても艶っぽく、僕は目のやり場に困ってしまうのだ。
僕は息が詰まりそうになり、「プラテーロ」と声をかけた。愛らしいロバは黒曜石のような瞳を煌めかせて寄ってきた。洗いたての毛並みが艷やかに濡れていた。
僕は手を伸ばして彼の首筋を撫でてやる。
眺めていた壮介も寄ってきて、、でも壮介はプラテーロじゃなく、僕の耳の後ろを指でこづいた。
不意打に僕の心臓がどきりと鳴った。
「ちゃんと耳の裏も洗うんだよ。トォニィ」
「洗ってるよ。もう子供じゃないんだから」
僕が苦笑いすると「まだまだ子供だよ」と、可笑しそうに笑った。
甘いよ、壮介。全くもって甘いとしか言いようがない。今、僕の頭の中を覗いたら、笑ってなんかいられないよ。卒倒もんだよ。
僕は夕暮れで、薄青白くぼんやりと浮かび上がっている壮介の裸身を、抱きしめたくて仕方ないんだから。こんな僕の妄想なんて夢にも思っていないんだろう。罪作りな壮介。
僕はそっと壮介の背後にまわった。壮介がプラテーロに構っている隙に、何気なさを装いつつ移動したんだ。
「ここって電気がないんだね」
だんだんと薄暗くなる風呂場で、僕の声が反響した。
「電気を引くかい?」
「ううん、いらない。夕暮れ時にこうして入るほうが素敵だ。贅沢な気持ちになる」
僕は慌てて却下した。次々に散財したら、あっという間に破産だ。
「贅沢、そうだね。ちょっと不便なくらいが調度いいのかもね」
「うん、それって分かるな。手間をかけるのは面倒だけど、生活を楽しんでいる実感があるもの」
壮介が、おや?と笑った。
「現代っ子のトォニィが、そんな事を言うなんて」
「ほんとにそうなんだよ。ここでの暮らしは手間なことばかりだけど愉しいもの」
僕はそう言ってから、「肩をもんであげる」という口実で、壮介の肌に触れた。壮介は嬉しそうにしているけど、僕の下心を知ったら、どう思うだろう。
「今はスピードの時代だから。田舎でのゆったりした生活は、むしろ贅沢になってしまったんだなあ。子供の頃、祖父母宅にコークスのストーブがあってね。コークスを焚べて火かき棒で灰をおとして暖まっていたんだよ。知らないよね」
「へえ」
僕は綿入れ半纏を着込んで、火かき棒を使う壮介を想像してみる。なんだか昔の書生さんみたいだ。
「コークスのストーブってね。エアコンやヒーターとは違っていてね。なんというのかなあ。まろやかな温かさなんだ。部屋中の空気がぬくもる感じで、、ふわっと暖かいんだ」
分からないだろうなあ、と壮介が残念そうに言い、僕も残念になった。
「もう、そういうストーブってないよね?」
「ないだろうね。石炭やコークス自体が手に入らないから。それに今は安全第一で子供に火をつけさせたりしないしね。昔は小学生でもガスコンロをマッチでつけて、煮炊きしたから」
「昔の子って、大人なんだ」
「必要に迫られていたからね。包丁も使ってたし。鉛筆はカッターや小刀で削ってもいたし」
「財閥の息子の壮介もしてたの?」
「母方の祖父母はさせてたよ。経験は大事だからって」
それは良い事だと僕は思ったね。壮介の器用さも、子供の頃の色んな経験がベースになっているんだろうな。
「火鉢や囲炉裏は?」
僕は質問しながら壮介を盗み見る。彼は気持ち良さそうに目を瞑って、僕に肩を預けていた。
僕はちゃぷちゃぷとお湯が揺れるのに紛れて、そっと首筋にキスをした。壮介は気がつかない。僕はもう一度、今度は長めのキスをした。
「火鉢は見たことはあるけど、使った事はないんだ」
残念そうに壮介が言って、ざばりと顔を洗った。
「今度はボクが揉んであげるよ」
僕は必要ないって断ったんだけど、構いたがりの壮介が許すはずもなく、むんずと捕まえられてしまった。
身の丈にしか養分のいってない薄い肩をつかみ、「細いなあ。もう少し太らないと」と献立を思案する独り言が聞こえてきた。
「今は成長期だから、全部身長にいっちゃうよ。それに太るのは嫌だよ」
僕は壮介もキスしてくれたら嬉しいのに、と思いながら反論した。
「でもトォニィは痩せすぎているよ。ボクも人のことは言えないけどね。そろそろ出ようか」
薪が燃え尽きてお湯がぬるくなっていた。
先に壮介がでて、次いで僕はのろのろと湯船から出ると、素早くバスタオルを腰に巻き付けた。ちょっとヤバかった。ギリセーフ。
シャツと短パンを着て外にでると、壮介が空を仰いでいた。
始めて薪風呂を堪能している内に、辺りはすっかり薄暗くっなっていて、星がポツリポツリと瞬いていた。ぐるりと黒く染まった山々に囲まれて、群青色の夜空がまあるく広がっていた。
「プラネタリウムみたいだ。天然の」
僕が感嘆して叫ぶと、壮介が僕を抱きしめてきた。
「ボクも同じことを思ったよ。ああトォニィ、どんなにか君に見せたかったか。どんなに待っていたか分かるかい?」
「嬉しいよ叔父さん。とても嬉しい」
壮介は僕が来るまで薪風呂を待ってくれていたんだ。僕と一緒に感動し共感したかったんだ。ここでの生活の全てを。プラテーロと共にくらす田舎暮らしを。
こんな素敵な事ってないよ。
「もう学校に戻れなくなりそう」
ぽつりと漏らした言葉に、壮介が頬を擦り寄せた。
「ボクだって帰したくない」
置いていかれる方が辛いのは経験ずみだ。壮介の、あの金庫強奪事件と僕の拉致失敗事件で、嫌というほど味わった。
だからこそ決意したんじゃないか。僕達の関係が永続するために、僕は学力と財力を蓄えると。しっかりしろ。僕の阿呆。
壮介が無邪気に僕を抱きしめている。僕は軽いスキンシップに物足りなくなって、両手で壮介の顔を包んで、、そして、、口づけをしていた。
壮介の身体がピクリと震えたのが分った。
うん分かってる。壮介は戸惑っているんだよね。僕が子供のキスの延長線上で、唇にキスをしたと思いたいんだよね。今までみたいに。
でもね、違うんだよ。その証に僕は舌で壮介の唇をなぞってみた。
今朝のように応えてくれるだろうか。それとも、やんわり拒否されるだろうか。
逃さない、、、
離れようとする壮介の顔と腰を両腕に強く抱き込んで、逃げられない態勢に彼を拘束する。それからもう一度口づけをし、僕の舌で彼の弾力のある唇をなぞってみる。壮介の上唇を、次いで下唇を甘噛し舐める。
壮介の息が苦しくなり、酸素を求めて微かに開いた機会を逃さず、僕は舌を滑りこませた。
ピクピク動く彼の舌を追いかけて捕まえるのに、僕は夢中になっていた。
こういう事って教えて貰わなくとも、本能的に知っているものなんだね。自然と身体が動いていた。
僕は壮介の唇を存分に堪能してから、そっと彼を離した。
壮介の顔はほんのりと上気して、淡い桃色に染まっていた。
瞳は、、瞳は何を語っているのだろう。呆然としているように見えるけれど。経験値ゼロの僕には分からない。
潤んでいる瞳は、何を言っているのか。
でも怒ってはいない様子に僕は安堵した。
壮介は戸惑っているに違いない。僕がこんなキスをするなんて、驚いたに違いない。
僕は告白はもう少し先延ばしすることにした。そんなに驚かれちゃ出来ないよ。
壮介には時間が必要だ。
子供じゃない僕をみて貰う時間が、必要だと感じたんだ。ねえ、本当に気がついていなかったの?だとしたら僕は少し凹んでしまうよ。
これ以上、進めるのが怖くなってしまうよ。
気不味くはなりたくないんだ。充分にマズイ事をやらかしたって自覚があるだけに。
猛烈にアタックしたいけど、拒絶されたら、、家族としても側にいられなくなってしまう。
家族としての僕まで拒絶されたら、僕はもう生きていけないもの。
ああもう、僕の馬鹿野郎。慎重にことを運びたかったのに。
でももう限界だったんだ。
ゆっくりでいいから、僕との関係を考えて欲しいんだ。僕と共に歩む未来を。僕は本気だから。
だから壮介。僕を1人の恋する男としてみて欲しい。あなたに焦がれている男として。
僕は待つことには慣れているし、辛抱強いから。だから、ね、考えて。
そして僕を受け入れて。
僕があまりにじっと見つめていたからか、壮介がついっと顔をそむけた。耳が真っ赤になっていた。
僕は思わずその耳にキスをして、柔らかい耳たぶに歯をたてた。
壮介の全身がぶるっと震えて、次いでその震えが僕を襲った。
僕は急いで母屋に駆け込んだ。
「晩ごはん作らないと。さ、プラテーロおいで」
あのままいたら、僕の決心は瓦礫のごとく崩れていただろう。それでなくても、また壮介にキスしちゃったし。
壮介、固まっちゃってる、、
ねえ、壮介。僕は急がないよ。あなたの心が僕に向くように、精一杯努力するよ。もちろん大事にするから。
だからお願い。簡単に拒絶しないで欲しいんだ。僕は真剣で、こんなにも貴方を愛してる。
壮介編に続く
午後の太陽がぎらぎら照らしている。僕は用意された麦わら帽子を被った。これは壮介が準備してくれていた。壮介は本当に気がきくんだ。
プラテーロには必要かな?と僕が尋ねると、難しい質問だね、と壮介が考えこんだ。馬とかロバ用の帽子は売ってなかったんだって。
「昔の映画で、ひらひらの帽子を被った馬をみたけど」
今はないのだろうか?
「ないなら作るしかないと思ってね。材料も調達してこよう」
「それは素敵だ。きっと似合うと思うな」
壮介はとても器用だ。彼は自分でデザインしたお手製の洋服を、よく僕に着せたがった。学業に育児に忙しいのに、よくそんな時間があったものだと、驚くしかない。
壮介が意味のなさそうな家の鍵をかけた。
「この鍵って役にたつのかな?入ろうすれば、どこからでも侵入できそう、、ご近所さんはないし、、」
「役には立たないだろうね。1番近い家は歩いて30分かかるしねえ」
壮介がのんびりと言った。
元々仕事で使う農作業のための小屋で、居住用にしている僕等は変り者らしい。地元の人は本宅は麓にあるというから。
「30分、、」
「1番近くてね。スーパーに行くのも大変だ。車がなかったら、とても暮らせないだろうな」
「でも、ここが気にいったんだね」
「うん、気に入った。人気はないけど心配いらないよ。貴重品は貸金庫に預けてあるから。金目のものはパソコンくらいかな。でも今はネットにも繋いでないし、型は古いし」
僕はすっかり嬉しくなった。壮介は完全に休業モードだ。なんて素敵な田舎暮らしだろう。スマートな壮介が小銭をやりくりしながら暮らしているなんて。考えるだけで可愛いすぎる。
僕はぐるりと1回転した。うねる様に山々が連なっている。頭上には青空がまあるく円形ドームみたいに広がっていて、処々に夏特有のもくもくした雲が浮かんでいる。僕はもう一度回ってみた。やはり山、山、山ばかりだ。なんて田舎だ。
「こらこら真っ直ぐ歩きなさい。転んでも知らないよ」
壮介が呆れ顔で笑っていた。僕は壮介の手をとってスキップした。
「田舎だ田舎だ。僕達の家は素敵な田舎にあるんだ」
僕がデタラメに謳いだすと、壮介も一緒に歌ってくれた。ノリの良い壮介。大好きだよ。
「田舎田舎。ボク達は田舎に越してきたんだ。ここには綺麗なトォニィと可愛いプラテーロが住んでいるんだ」
プラテーロも、ヒンヒンキュウキュウと鳴いている。
僕達は馬鹿みたいだったろうね。酔っ払っているみたいだったから。酒も飲んでいないのに。でも実際、酔っていたのかもしれないな。身体中のアドレナリンが小躍りしてさ。嬉しくて仕方なかったんだ。
はしゃぎすきて僕達は、樫の大木の根本に座り込んだ。はあはあ、ぜいぜい息が上がっちゃってた。
踊りながら、いつの間にか随分と下った処まできていた。
木々の隙間から、ミニチュアみたいな民家が眼下にポツポツ見えていた。畑や果樹園がずらりと並んでいて、そこに小さな人々が動いていた。ミニカーだって走ってる。
想像できるかい。巨大なジオラマに迷い込んだみたいなんだ。
「あれは葡萄の棚でね」
僕の思いを察してくれたのか、壮介が説明を始めてくれた。
「ワイン造りの盛んな土地らしいよ。なんでもフランスの土壌に近い土で、実に美味しいワインができるんだそうだ。いろんな種類があってね、シャンパンみたいなワインもあって驚いたよ」
僕が飲みたそうな顔をすると、「駄目だよ」と微笑みながら釘をさしてきた。尚も飲みたそうにしていると、「まあ、ヨーロッパでは子供もビールを飲むからなあ」と、帰ったら一口だけだよと、渋々許してくれた。
僕がホテル(寮)で、友人達と飲み明かしているとは、考えないのだろうか。生意気盛りの10代男子の寮生活に、酒やタバコはつきものだろうに。
そこで僕はハッと気がついた。
壮介が16歳の頃は、僕の育児に追われて大変だったことに。酒盛りも女の子達との交流も、僕のせいで参加できなかったんだ。僕は壮介以外の人を、ことごとく拒絶していたというから。壮介は僕に付ききりで、子育てに奮闘してくれたのだ。
僕はショボンと落ち込んだ。だって壮介の青春を奪い、取り上げてしまっていたのだから。
樫の木々が風に揺れていた。木々の隙間から零れる木漏れ陽が、ちらちらと悪戯っぽく踊っている。くらくらと目眩がしそうだった。じいじいと蝉の鳴き声がしていた。
「夏なんだな」
僕の呟きに壮介が微笑んだ。少しはにかむような僕の大好きな笑みだ。
「種無し葡萄の造り方を知ってる?」
突然、壮介がそんな質問をしてきた。
「初めから種無しの品種じゃないの?」
僕の返答に「ボクもそう思ってた。けど違った。そういう品種もあるのかもしれないけど、、違ってたんだよ」
と得意そうな顔になった。
もう、そんな事で自慢するんじゃないよ。全く子供なんだから。
「まだ青い実のときに、ジベレリンっいう薬品をつけるんだよ。5月か6月だったかな。村の人の作業が不思議でね。聞いたんだよ。いやーボクはびっくりしちゃってね」
「一房一房?」
「そうだよ。ひと房ずつ根気強く。気の遠くなりそうな作業だよね。薬品はワインみたいな赤い色をしていて、付いちゃうとなかなか落ちないそうだよ。近隣の小中学校では体験学習に組み込まれているらしい。秋にはお礼に葡萄がプレゼントされるんだって」
それは素敵な学習だ。僕は感心した。
「叔父さんがここに来たのはいつなの?」
報告書には4月とあったけど、僕は知らない事になってるからね。
「債権の通知がきたのは3月で、4月にこの地を訪れたんだ。一目で気に入ったよ」
「それってプラテーロ?それとも土地?」
壮介は片目を瞑って「プラテーロかな」と言ってから、僕の拳をひょいとかわした。僕の怒りの鉄拳?は空をきった。ほんとに勘がいいんだから。そうだよ。僕はひどい焼き餅やきやだよ。
僕はといえば反動のついた身体を支えきれず、壮介の上に倒れ込んだ。
「プラテーロに一目惚れしたのは本当だけど、トォニィも気に入ると思ったんだよ」
耳元で囁かれて、僕の身体に震えに似た電流が駆け巡った。
「うん」と応えながら、僕は子供の頃からのキスを、壮介の頬に軽くした。それから偶然を装って、ちょっとだけ壮介の耳朶を甘噛みした。
壮介の身体がピクリと反応した。
僕は素早く離れると「休憩はおしまい」と、勢いよく立ち上がった。
……………………………
その晩、僕はもう一つのお風呂に入った。リフォームした家には、ちゃんとお風呂が造られていたが、この家の元の風呂は外にあったんだ。
僕はてっきり納屋と思っていた離れが、お風呂場だった事に心底驚いた。それが薪風呂であったから、その驚きと嬉しさは尚更だった。
ほんとに使えるのか否か、甚だ怪しい年代物の風呂を沸かすべく、僕等は果敢に挑戦することにした。
離れの風呂場には水道がなかったから、裏口から家風呂の蛇口から、ホースで水を引くことにした。湯船と洗い場を徹底的に洗ってから水を溜める。あとは薪を燃やしつければ完了だ。
プラテーロも面白そうに小首を傾げている。
ここからは駄目だよ。火を使うからね。火傷でもしたら大変だ。
薪は前の住人がたくさん残してくれており、しかもすぐ使える状態だった。
しかし、そこからが大変だった。ど素人が2人、手探りだから恐ろしい。キャンプの釜戸の要領だろうと、見切り発車で進めるのだから尚更だ。
でも何とかなるもんだね。悪戦苦闘の末、薪風呂に成功したんだよ。ブラボーと思わす叫んでしまった。
パチパチと火の爆ぜる音が、なんとも楽しげだ。いつの間にか辺りは暗くなっていて、いかに薪風呂に苦戦したかが伺えた。
「叔父さん、先に入って」僕が勧めると、壮介は思ったとおり首を横に振った。
「駄目だよ。せっかくトォニィが帰ってきたんだから、トォニィからじゃないと。ああ、でもそうすると、トォニィが湯上がりに追い焚きすることになるのか、、、」
壮介が真剣に考えてる。そんな悩む事かな。
「そうだ。一緒に入ればいいんだ。薪をくべれるだけくべてね、今は湯冷めの心配もない時期だから」
良いこと思いついた!みたいに壮介は満面の笑みだ。僕は心臓がどくどく鳴りっぱなしだ。壮介と一緒に入るだなんて。
壮介は本当に気付いていないのだろうか。今朝の濃密なキスも、昼間に耳たぶをなぶったことも。僕の抑えきれない熱視線も、何もかも全て。
そんな僕の動揺をよそに、壮介が無邪気にはしゃいでいた。
「一緒のお風呂なんて、何年ぶりだろう。離れて暮らすようになってから、始めてじゃないか?」
そうだよ。始めてだよ。僕らの旅行はいつもホテル泊まりだったから、交代でバスルームを使ってたしね。温泉旅館に泊まったことすら、なかったんだから。
あの十歳以来だよ。それ以降、僕の身体は大人へと変わり、一緒に入るなんて気恥ずかしくて無理。僕の下半身の分身も不可能だと訴えてる。僕は壮介の裸身に耐える自信が全くないんだ。万事休す。壮介はすっかりその気になっている。楽しそうに鼻歌まじりだ。どうしよう。
ああ、プラテーロも一緒に入れたら、そうしたら何とか誤魔化せるかもしれないのに、、、そうだ、プラテーロだ。
「僕等だけ入ったらプラテーロが寂しがらないかな?」
僕の一言は絶大な効果をあげた。たちまち壮介の顔が曇った。
「確かに、、1人ぼっちは辛いよね。うんと小さな頃、ずいぶん虐められて仲間外れにされたらしいんだ。ボクのトォニィはやっぱり優しいな」
僕はほっと胸をなで下ろすと、「じゃあ叔父さんからね」と、火かき棒をかき回しながら薦めた。
でも壮介はやはり首を横に振った。プラテーロを風呂場に連れてくると、桶でそっとお湯を流してみた。
プラテーロはびっくりして、前脚をあげて、次に後ろ脚をあげた。それから不思議そうに壮介の顔を見上げる。
「これはお湯というんだよ。ボク達はこれからお風呂に入るんだ。先にプラテーロを洗ってあげようね」
そう言って、壮介はざぶざぶとプラテーロを洗いだしたんだ。
ウマイ!と思ったね。プラテーロを先に洗ってあげて、大切にしているよ、との認識を彼に与えるわけだ。そして僕達が後からはいる戦法か。
逃げ場はないな、と僕は観念した。
プラテーロが気持ち良さそうに、身を委ねている。彼は身体を洗ってもらうのが好きなんだよ。うっとりと目を瞑ってる。馬もそうだよね。競走馬が温泉療養をするっていうもんね。人間と同じでお風呂やお湯は、リラックス効果があるんだな。
だったらプラテーロ専用の湯船を増設した方がいいかな。毎日入る内風呂にね。薪風呂は準備が一苦労だから、多分、滅多に使わないだろう。
僕の提案に壮介が喜んだ。どうやら壮介は僕がプラテーロを気遣ってくれるのが、嬉しいみたい。上手くやれるか、そんなに心配していたのかな。
そりゃあ相手が女性だったら僕のライバルだ。いい顔なんて難しい。魅力的であればある程ね。
だけどプラテーロはそうじゃない。彼は僕達の家族で、近い将来、僕の扶養家族として養うと認めているんだから。
プラテーロで時間は稼げたものの、タイムリミットは刻々と近づいていた。こんなにも楽しみにしている壮介を裏切る訳にはいかない。僕自身も壮介の裸体を見たいという誘惑にも勝てそうにない。
何のことはない。僕が先に入って後から出れば良いのだ。そうすれば僕の下半身がどうなっているかなんて、バレやしない。そもそも下半身といっても一部分だ。タオルで隠せる大きさだ。
絶対に壮介は僕を優先させて、先に入らせるだろう。遠慮しないで、ササッと入ってしまえばいいんだ。
僕の予想通り、プラテーロを洗い終えた壮介が、薪の番をしている僕の脇に屈んだ。
「火の係、ありがとう。代わるよ。もう少し薪を足してからボクは入るから、トォニィは先に入っておいで」
「うん、ありがとう。早くきてね」
僕は好意に甘え、全速力で身体を洗うと素早く湯船に身を浸した。
まろやかなお湯が肌を包みこんだ。
薪風呂がこんなにも素晴らしいなんて。僕は感動した。
馥郁とした木の香りが、優しく鼻腔をくすぐり、細胞の1つ1つが満ち足りていくようだった。
壮介が入ってきた。
痩せているとはいえ、男2人の体積だから、ザァっとお湯が溢れ流れる。プラテーロが面白そうに跳ねていた。
湯船は座って入るというより、膝立ちするほどの深さがあった。子供の背ならば立ったまま入れるだろう。
「これは船じゃなく樽みたいだね」
僕の発言に壮介は大いに賛同し、垂れてくる前髪を長い五指でかきあげた。いつも感じるのだが、そんなふとした仕草がとても艶っぽく、僕は目のやり場に困ってしまうのだ。
僕は息が詰まりそうになり、「プラテーロ」と声をかけた。愛らしいロバは黒曜石のような瞳を煌めかせて寄ってきた。洗いたての毛並みが艷やかに濡れていた。
僕は手を伸ばして彼の首筋を撫でてやる。
眺めていた壮介も寄ってきて、、でも壮介はプラテーロじゃなく、僕の耳の後ろを指でこづいた。
不意打に僕の心臓がどきりと鳴った。
「ちゃんと耳の裏も洗うんだよ。トォニィ」
「洗ってるよ。もう子供じゃないんだから」
僕が苦笑いすると「まだまだ子供だよ」と、可笑しそうに笑った。
甘いよ、壮介。全くもって甘いとしか言いようがない。今、僕の頭の中を覗いたら、笑ってなんかいられないよ。卒倒もんだよ。
僕は夕暮れで、薄青白くぼんやりと浮かび上がっている壮介の裸身を、抱きしめたくて仕方ないんだから。こんな僕の妄想なんて夢にも思っていないんだろう。罪作りな壮介。
僕はそっと壮介の背後にまわった。壮介がプラテーロに構っている隙に、何気なさを装いつつ移動したんだ。
「ここって電気がないんだね」
だんだんと薄暗くなる風呂場で、僕の声が反響した。
「電気を引くかい?」
「ううん、いらない。夕暮れ時にこうして入るほうが素敵だ。贅沢な気持ちになる」
僕は慌てて却下した。次々に散財したら、あっという間に破産だ。
「贅沢、そうだね。ちょっと不便なくらいが調度いいのかもね」
「うん、それって分かるな。手間をかけるのは面倒だけど、生活を楽しんでいる実感があるもの」
壮介が、おや?と笑った。
「現代っ子のトォニィが、そんな事を言うなんて」
「ほんとにそうなんだよ。ここでの暮らしは手間なことばかりだけど愉しいもの」
僕はそう言ってから、「肩をもんであげる」という口実で、壮介の肌に触れた。壮介は嬉しそうにしているけど、僕の下心を知ったら、どう思うだろう。
「今はスピードの時代だから。田舎でのゆったりした生活は、むしろ贅沢になってしまったんだなあ。子供の頃、祖父母宅にコークスのストーブがあってね。コークスを焚べて火かき棒で灰をおとして暖まっていたんだよ。知らないよね」
「へえ」
僕は綿入れ半纏を着込んで、火かき棒を使う壮介を想像してみる。なんだか昔の書生さんみたいだ。
「コークスのストーブってね。エアコンやヒーターとは違っていてね。なんというのかなあ。まろやかな温かさなんだ。部屋中の空気がぬくもる感じで、、ふわっと暖かいんだ」
分からないだろうなあ、と壮介が残念そうに言い、僕も残念になった。
「もう、そういうストーブってないよね?」
「ないだろうね。石炭やコークス自体が手に入らないから。それに今は安全第一で子供に火をつけさせたりしないしね。昔は小学生でもガスコンロをマッチでつけて、煮炊きしたから」
「昔の子って、大人なんだ」
「必要に迫られていたからね。包丁も使ってたし。鉛筆はカッターや小刀で削ってもいたし」
「財閥の息子の壮介もしてたの?」
「母方の祖父母はさせてたよ。経験は大事だからって」
それは良い事だと僕は思ったね。壮介の器用さも、子供の頃の色んな経験がベースになっているんだろうな。
「火鉢や囲炉裏は?」
僕は質問しながら壮介を盗み見る。彼は気持ち良さそうに目を瞑って、僕に肩を預けていた。
僕はちゃぷちゃぷとお湯が揺れるのに紛れて、そっと首筋にキスをした。壮介は気がつかない。僕はもう一度、今度は長めのキスをした。
「火鉢は見たことはあるけど、使った事はないんだ」
残念そうに壮介が言って、ざばりと顔を洗った。
「今度はボクが揉んであげるよ」
僕は必要ないって断ったんだけど、構いたがりの壮介が許すはずもなく、むんずと捕まえられてしまった。
身の丈にしか養分のいってない薄い肩をつかみ、「細いなあ。もう少し太らないと」と献立を思案する独り言が聞こえてきた。
「今は成長期だから、全部身長にいっちゃうよ。それに太るのは嫌だよ」
僕は壮介もキスしてくれたら嬉しいのに、と思いながら反論した。
「でもトォニィは痩せすぎているよ。ボクも人のことは言えないけどね。そろそろ出ようか」
薪が燃え尽きてお湯がぬるくなっていた。
先に壮介がでて、次いで僕はのろのろと湯船から出ると、素早くバスタオルを腰に巻き付けた。ちょっとヤバかった。ギリセーフ。
シャツと短パンを着て外にでると、壮介が空を仰いでいた。
始めて薪風呂を堪能している内に、辺りはすっかり薄暗くっなっていて、星がポツリポツリと瞬いていた。ぐるりと黒く染まった山々に囲まれて、群青色の夜空がまあるく広がっていた。
「プラネタリウムみたいだ。天然の」
僕が感嘆して叫ぶと、壮介が僕を抱きしめてきた。
「ボクも同じことを思ったよ。ああトォニィ、どんなにか君に見せたかったか。どんなに待っていたか分かるかい?」
「嬉しいよ叔父さん。とても嬉しい」
壮介は僕が来るまで薪風呂を待ってくれていたんだ。僕と一緒に感動し共感したかったんだ。ここでの生活の全てを。プラテーロと共にくらす田舎暮らしを。
こんな素敵な事ってないよ。
「もう学校に戻れなくなりそう」
ぽつりと漏らした言葉に、壮介が頬を擦り寄せた。
「ボクだって帰したくない」
置いていかれる方が辛いのは経験ずみだ。壮介の、あの金庫強奪事件と僕の拉致失敗事件で、嫌というほど味わった。
だからこそ決意したんじゃないか。僕達の関係が永続するために、僕は学力と財力を蓄えると。しっかりしろ。僕の阿呆。
壮介が無邪気に僕を抱きしめている。僕は軽いスキンシップに物足りなくなって、両手で壮介の顔を包んで、、そして、、口づけをしていた。
壮介の身体がピクリと震えたのが分った。
うん分かってる。壮介は戸惑っているんだよね。僕が子供のキスの延長線上で、唇にキスをしたと思いたいんだよね。今までみたいに。
でもね、違うんだよ。その証に僕は舌で壮介の唇をなぞってみた。
今朝のように応えてくれるだろうか。それとも、やんわり拒否されるだろうか。
逃さない、、、
離れようとする壮介の顔と腰を両腕に強く抱き込んで、逃げられない態勢に彼を拘束する。それからもう一度口づけをし、僕の舌で彼の弾力のある唇をなぞってみる。壮介の上唇を、次いで下唇を甘噛し舐める。
壮介の息が苦しくなり、酸素を求めて微かに開いた機会を逃さず、僕は舌を滑りこませた。
ピクピク動く彼の舌を追いかけて捕まえるのに、僕は夢中になっていた。
こういう事って教えて貰わなくとも、本能的に知っているものなんだね。自然と身体が動いていた。
僕は壮介の唇を存分に堪能してから、そっと彼を離した。
壮介の顔はほんのりと上気して、淡い桃色に染まっていた。
瞳は、、瞳は何を語っているのだろう。呆然としているように見えるけれど。経験値ゼロの僕には分からない。
潤んでいる瞳は、何を言っているのか。
でも怒ってはいない様子に僕は安堵した。
壮介は戸惑っているに違いない。僕がこんなキスをするなんて、驚いたに違いない。
僕は告白はもう少し先延ばしすることにした。そんなに驚かれちゃ出来ないよ。
壮介には時間が必要だ。
子供じゃない僕をみて貰う時間が、必要だと感じたんだ。ねえ、本当に気がついていなかったの?だとしたら僕は少し凹んでしまうよ。
これ以上、進めるのが怖くなってしまうよ。
気不味くはなりたくないんだ。充分にマズイ事をやらかしたって自覚があるだけに。
猛烈にアタックしたいけど、拒絶されたら、、家族としても側にいられなくなってしまう。
家族としての僕まで拒絶されたら、僕はもう生きていけないもの。
ああもう、僕の馬鹿野郎。慎重にことを運びたかったのに。
でももう限界だったんだ。
ゆっくりでいいから、僕との関係を考えて欲しいんだ。僕と共に歩む未来を。僕は本気だから。
だから壮介。僕を1人の恋する男としてみて欲しい。あなたに焦がれている男として。
僕は待つことには慣れているし、辛抱強いから。だから、ね、考えて。
そして僕を受け入れて。
僕があまりにじっと見つめていたからか、壮介がついっと顔をそむけた。耳が真っ赤になっていた。
僕は思わずその耳にキスをして、柔らかい耳たぶに歯をたてた。
壮介の全身がぶるっと震えて、次いでその震えが僕を襲った。
僕は急いで母屋に駆け込んだ。
「晩ごはん作らないと。さ、プラテーロおいで」
あのままいたら、僕の決心は瓦礫のごとく崩れていただろう。それでなくても、また壮介にキスしちゃったし。
壮介、固まっちゃってる、、
ねえ、壮介。僕は急がないよ。あなたの心が僕に向くように、精一杯努力するよ。もちろん大事にするから。
だからお願い。簡単に拒絶しないで欲しいんだ。僕は真剣で、こんなにも貴方を愛してる。
壮介編に続く
10
あなたにおすすめの小説
陰キャな俺、人気者の幼馴染に溺愛されてます。
陽七 葵
BL
主人公である佐倉 晴翔(さくら はると)は、顔がコンプレックスで、何をやらせてもダメダメな高校二年生。前髪で顔を隠し、目立たず平穏な高校ライフを望んでいる。
しかし、そんな晴翔の平穏な生活を脅かすのはこの男。幼馴染の葉山 蓮(はやま れん)。
蓮は、イケメンな上に人当たりも良く、勉強、スポーツ何でも出来る学校一の人気者。蓮と一緒にいれば、自ずと目立つ。
だから、晴翔は学校では極力蓮に近付きたくないのだが、避けているはずの蓮が晴翔にベッタリ構ってくる。
そして、ひょんなことから『恋人のフリ』を始める二人。
そこから物語は始まるのだが——。
実はこの二人、最初から両想いだったのにそれを拗らせまくり。蓮に新たな恋敵も現れ、蓮の執着心は過剰なモノへと変わっていく。
素直になれない主人公と人気者な幼馴染の恋の物語。どうぞお楽しみ下さい♪
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます
なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。
そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。
「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」
脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……!
高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!?
借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。
冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!?
短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。
【BL】捨てられたSubが甘やかされる話
橘スミレ
BL
渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。
もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。
オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。
ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。
特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。
でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。
理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。
そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!
アルファポリス限定で連載中
二日に一度を目安に更新しております
【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話
日向汐
BL
「好きです」
「…手離せよ」
「いやだ、」
じっと見つめてくる眼力に気圧される。
ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。
・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・:
純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26)
閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、
一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕
・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・:
📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨
短期でサクッと読める完結作です♡
ぜひぜひ
ゆるりとお楽しみください☻*
・───────────・
🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧
❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21
・───────────・
応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪)
なにとぞ、よしなに♡
・───────────・
隣に住む先輩の愛が重いです。
陽七 葵
BL
主人公である桐原 智(きりはら さとし)十八歳は、平凡でありながらも大学生活を謳歌しようと意気込んでいた。
しかし、入学して間もなく、智が住んでいるアパートの部屋が雨漏りで水浸しに……。修繕工事に約一ヶ月。その間は、部屋を使えないときた。
途方に暮れていた智に声をかけてきたのは、隣に住む大学の先輩。三笠 琥太郎(みかさ こたろう)二十歳だ。容姿端麗な琥太郎は、大学ではアイドル的存在。特技は料理。それはもう抜群に美味い。しかし、そんな琥太郎には欠点が!
まさかの片付け苦手男子だった。誘われた部屋の中はゴミ屋敷。部屋を提供する代わりに片付けを頼まれる。智は嫌々ながらも、貧乏大学生には他に選択肢はない。致し方なく了承することになった。
しかし、琥太郎の真の目的は“片付け”ではなかった。
そんなことも知らない智は、琥太郎の言動や行動に翻弄される日々を過ごすことに——。
隣人から始まる恋物語。どうぞ宜しくお願いします!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる