翼に愛を

亜珠貴

文字の大きさ
上 下
9 / 33
第二章

獣人の国と少年 (二)

しおりを挟む
 案内されたのはテーブルと椅子のある大きなダイニングルームで、シルヴァンはラフな服装に着替えて先に座っていた。
 シルヴァンと一番遠い向き合った席に向かうとトーマスに椅子を引かれ、座るのに合わせて前に出された。

「口にあうといいんだが」

 目の前に並んでいる食事は夜宵がこれまでに見たことがないような豪華なもので、もちろん箸で食べるようなものではない。
 俯向いていると正面に座っている彼に「どうかしたか」と声をかけられた。

「僕こういうの食べたことなくて、その、マナーとかわからないんだ」
「何だそんなことか。気にせず好きに食べていいぞ。ここには俺たちしかいないんだ」

 その言葉に甘えて、頬張った肉は絹のように解けて歯がいらないほどで、味付けもベスティアのものだが不思議と懐かしい味がした。
 母の味付けはたしかこんな感じだった、と思い出した途端視界が歪んだ。
 ガタッと音を立ってて席を立ったシルヴァンは夜宵の横で跪いて不安そうに夜宵の顔を見上げた。

「どうした?何か嫌いなものでもあったか?」

 夜宵は首を振る。

「母の味に近かったから……ごめん」
「いや、いいんだ。ところで夜宵の母上様は今は……」
「もう三年前に死んだんだ。家族は母さんだけだったのにっ」

 夜宵が泣き止むまでシルヴァンは隣で髪をなでたり背中を擦ったりして、夜宵が泣き止んでからは残りの料理を食べた。
 食べ終わるとシルヴァンの部屋で待つように言われ、「部屋に戻ったら君のことをもっと聞かせてほしい」と言い残し彼は風呂場に向かった。

 部屋に入るとそこにはキングサイズのベッドとソファ、小さなテーブル、クローゼットがおいてあるだけだがかなりゆとりのある部屋だった。
 ソファに腰掛けると雲のような柔らかさにパタリと身体を倒す。
 このふかふかした感覚はどこかで……。
 記憶を辿ってみるが、幼い時に感じた何かであることしか思い出せずモヤモヤとしたままだが考えるのを辞めた。
 そろそろ彼が戻ってくる頃だろうか、と身を起こして待っていたが、待てど暮らせど戻ってこない。
 待ちくたびれて部屋のドアを少し開けると黒い膝下スカートに白いエプロンをした女性が立っていた。
「メイド」というらしい。
 用事がある時はこの人に言うようにとトーマスに聞いていた。

「あの、みそら……じゃないや。シルヴァンは……?」
「来客がいらしたようで応接室にいらっしゃいます。旦那様はいつお戻りになられるか分かりませんので、本日はお休みになられた方が良いかと」
「そう。ありがとう」

 ――なんだ、来ないのか。

 メイドの言う通り寝てしまおうと大きなベッドに横になるがちっとも眠れず何度も寝返りをうってついには床に落下した。
 結局眠ることが出来ず窓の外に出て、朝日が昇るまで風に当たっていた。
 この国に着いた時から思っていたが、異国であるのにも関わらず、この空気は初めてではない気がしていた。
 どこか懐かしい、不思議な感覚が支配している。
 食事の時にも思ったが、母と一緒にいた時を頻繁に思い出す。
 母はヒトであったが、もしかしたら獣人と何か縁があったのかもしれないと思うと妙に納得出来た。
 結局その日のうちにシルヴァンが部屋に来ることはなく、すっかり日が登ったころ夜宵はベッドに横になり、そのタイミングでシルヴァンが部屋のドアを開けた。

「夜宵……寝ていなかったのか?」
「うん。ああいう生活してたからかな。夜は目が冴えてるんだ。逆に日が昇ると眩しくて眠くなる」
「そうか。来れなくてごめんな。ちょっと厄介な来客があったんだ」

 横になった夜宵の髪を撫でているシルヴァンの表情からは疲労が窺えた。
 撫でられる感触が気持ちよくて吸い込まれるように瞼を閉じた。

 この国に来てから自覚したことだが、夜宵の生活リズムはこの国の人とは真逆だった。
 これまでの生活も相まって、夜宵は太陽が出ている時間は眠り、暗くなり始めてから目を覚ます。
 逆にシルヴァンたちは日が昇るときに起き、暗くなってから眠りにつく。
 夜宵とシルヴァンが一緒に過ごせる時間は日が落ちてから数時間の短い時間だったが、留守にしていた間の仕事があるだとか、何だかの処理があるだとか、とにかく忙しくて同じ屋敷にいるにも関わらず顔を合わせる時間すらもほとんど無かった。

 そんな日が数日続き、あまりに忙しそうなシルヴァンの様子を見ていた夜宵は何かしてやれることが無いかと付きまとってみたが、どうやら夜宵が出来そうなことは無い。
 結局夜宵はみんなが寝静まった夜も更けた街にこっそり黙って足を延ばした。
 夜更けにも関わらず飲食店は賑わっており、仕事終わりの男たちや酔っ払いが多く見られた。
 夜宵は念の為、とシルヴァンから以前外出用で渡された獣耳のカチューシャを付けた上でマントを羽織り、フードを被って歩いた。
 すると漂ってくる食欲をそそる香ばしい匂いの先に人集りを見つけ、近くによるとどうやら肉を串に刺して焼いているようだ。
 仕事終わりだろう、服を泥だらけにした汗をかいた男が買った肉を近くのベンチに腰掛け口の周りを油でテカテカにしながらかぶりついている。
 どうにもその笑顔が焼き付いて、これを忙しくしているシルヴァンに差し入れたら喜んでもらえるだろうか、などと考えたが、夜宵はお金をこれっぽっちも持っていなかった。

 思えば夜宵はこれまでお金を稼いだことなどない。
 村の男たちと寝ることで生活に必要なものを与えられてきた。
 買いたいものがある、とシルヴァンに頼めばすぐにお金は出してくれるだろう。
 だが、知り合いの居ない異国の地、シルヴァンしか頼る宛は無いと言っても、それに甘えるのはいくら信頼している相手でも気が引ける。
 どうにか一人でも生きる術を見つけなければ、とは思うが方法は見つからない。

『――君はこうして足を開くことでしか生きられない――』

 以前あの小屋にいた時に放たれた言葉が夜宵の頭の中を暗く支配していく。
 しばらく肉を見つめたあとその場を立ち去ろうとすると、一人の獣人が声をかけてきた。

「なあ、腹が減ってんのか?」

 夜宵に話しかけたのは薄茶色の毛並みを持つ鼻筋の通ったイケメン獣人で、恐らくこの人も狼だろう。
 何用か尋ねるとその獣人は夜宵の顔を覗き込みじっと見つめられ、夜宵は何やら値踏みでもされているような気分になった。

「アンタ、可愛い顔してんだな。なあ、金が欲しいか?この時間に出歩くってことはつまりそういうことだよな?」

 夜宵は首を傾げる。

「あー、俺と一回寝てくれたらお礼に小遣いをやる。どうだ?」

 随分と単刀直入な誘いに夜宵は戸惑ったものの、少し悩んで差し出された獣人の手を取った。
しおりを挟む

処理中です...