1 / 19
1話
しおりを挟む
四月の風は、まだ少し冷たかった。
星ヶ丘町の山々のあいだから吹き降ろす風が、
校庭の桜を揺らし、花びらを地面に散らしていく。
星ヶ丘小学校は、町はずれの坂を登った先にある。
木造の小さな校舎、校庭には一本だけの桜の木。
全校児童は二十五人。
朝のチャイムが鳴ると、みんなが一斉に走って昇降口へ駆けこんでいく。
教室に入ると、藤崎は思わず笑ってしまった。
黒板の端に描かれた、
“うさぎ”と“怪獣”が戦っている落書き。
「また春斗たちだな」と、チョークを持った手を止める。
六年生の岸本春斗は、明るくて元気な少年だ。
誰にでも話しかけ、誰とでも遊べる。
けれどときどき、空を見上げてぼんやりしていることがあった。
その日の授業はいつもと同じように過ぎていった。
昼休みには、春斗が校庭でドッジボールのチームを仕切っていた。
転んだ下級生を笑いながら起こして、
「ナイスキャッチ!」と手を上げる姿に、
藤崎も思わず拍手を送った。
放課後。
春斗は友達と一緒に理科室の後ろの倉庫を覗いていた。
小さな声で「見つけた」と言うのが、
藤崎の耳に届いた。
なにか面白いものを見つけたらしい。
「こら、お前たち、もう下校時間だぞ」
声をかけると、春斗は少しだけ慌てたように笑った。
「はい、先生! もう帰ります!」
その笑顔が、藤崎の見た最後の春斗だった。
翌朝も、町は深い霧に包まれていた。
山の輪郭も見えず、空の色がどこまでも白く溶けている。
校舎の窓を曇らせる湿気が、肌にまとわりつくようだった。
朝のチャイムが鳴っても、
春斗の席は空いたままだった。
黒板の前に立つ藤崎は、
出席簿に丸をつけられずに手を止める。
「先生、春斗くん、風邪ですか?」
と尋ねたのは、隣の席のひかりだった。
藤崎は少しだけ笑って答えた。
「そうかもしれないな。あとでお母さんに連絡してみよう」
だが、笑みはすぐに消えた。
昨日の放課後の、あの倉庫での春斗の笑顔が
頭の中に何度も浮かんでくる。
あのとき彼が言った「見つけた」という言葉。
あれは、なんだったのだろう。
授業が終わると、藤崎は職員室に戻り、電話を取った。
受話器の向こうで、母親の声が震えていた。
「……春斗、まだ帰ってきてないんです。
警察には連絡しました。でも……」
「でも?」と藤崎が聞き返すと、
一瞬の沈黙のあと、母親が小さく言った。
「父さんは、心配することないって。
“またすぐ帰ってくる”って言うんです」
その言葉に、藤崎の胸の奥がざらついた。
午後、藤崎は春斗の家を訪ねた。
坂道を登った先にある古い二階建ての家。
玄関前には、春斗の通学帽がそのまま置かれていた。
傘立てには昨日のままの長靴。
母親が出迎えた。
目の下に深い隈をつくり、
髪も乱れたまま、唇を噛みしめていた。
「朝起きたら、もういなくて……
靴もリュックもないんです。
でも、お弁当だけ置いてあって……」
その声を遮るように、
奥の部屋から低い声がした。
「先生。大げさにしすぎですよ。」
春斗の父親が、居間から顔を出した。
無精髭を伸ばしたまま、新聞を片手にしている。
その表情には焦りも怒りもなかった。
ただ、静かに、何かを見透かすように藤崎を見た。
「子供なんて、たまに家出したがるもんです。
すぐ戻ってきますよ。」
藤崎はその冷たさに、言葉を失った。
母親が小さく「そんなはずない」と呟いたが、
父親は聞こえないふりをした。
藤崎は、最近の春斗に変わった様子がないか訪ね
部屋を見せてもらた。
部屋の隅、春斗の机の上にノートが
一冊置かれていた。
ページの端が折られ、
鉛筆の文字がかすかに残っている。
ぼくは、れんに会いにいく。
藤崎は、その一行を見た瞬間、
全身が冷たい霧に包まれたような気がした。
星ヶ丘町の山々のあいだから吹き降ろす風が、
校庭の桜を揺らし、花びらを地面に散らしていく。
星ヶ丘小学校は、町はずれの坂を登った先にある。
木造の小さな校舎、校庭には一本だけの桜の木。
全校児童は二十五人。
朝のチャイムが鳴ると、みんなが一斉に走って昇降口へ駆けこんでいく。
教室に入ると、藤崎は思わず笑ってしまった。
黒板の端に描かれた、
“うさぎ”と“怪獣”が戦っている落書き。
「また春斗たちだな」と、チョークを持った手を止める。
六年生の岸本春斗は、明るくて元気な少年だ。
誰にでも話しかけ、誰とでも遊べる。
けれどときどき、空を見上げてぼんやりしていることがあった。
その日の授業はいつもと同じように過ぎていった。
昼休みには、春斗が校庭でドッジボールのチームを仕切っていた。
転んだ下級生を笑いながら起こして、
「ナイスキャッチ!」と手を上げる姿に、
藤崎も思わず拍手を送った。
放課後。
春斗は友達と一緒に理科室の後ろの倉庫を覗いていた。
小さな声で「見つけた」と言うのが、
藤崎の耳に届いた。
なにか面白いものを見つけたらしい。
「こら、お前たち、もう下校時間だぞ」
声をかけると、春斗は少しだけ慌てたように笑った。
「はい、先生! もう帰ります!」
その笑顔が、藤崎の見た最後の春斗だった。
翌朝も、町は深い霧に包まれていた。
山の輪郭も見えず、空の色がどこまでも白く溶けている。
校舎の窓を曇らせる湿気が、肌にまとわりつくようだった。
朝のチャイムが鳴っても、
春斗の席は空いたままだった。
黒板の前に立つ藤崎は、
出席簿に丸をつけられずに手を止める。
「先生、春斗くん、風邪ですか?」
と尋ねたのは、隣の席のひかりだった。
藤崎は少しだけ笑って答えた。
「そうかもしれないな。あとでお母さんに連絡してみよう」
だが、笑みはすぐに消えた。
昨日の放課後の、あの倉庫での春斗の笑顔が
頭の中に何度も浮かんでくる。
あのとき彼が言った「見つけた」という言葉。
あれは、なんだったのだろう。
授業が終わると、藤崎は職員室に戻り、電話を取った。
受話器の向こうで、母親の声が震えていた。
「……春斗、まだ帰ってきてないんです。
警察には連絡しました。でも……」
「でも?」と藤崎が聞き返すと、
一瞬の沈黙のあと、母親が小さく言った。
「父さんは、心配することないって。
“またすぐ帰ってくる”って言うんです」
その言葉に、藤崎の胸の奥がざらついた。
午後、藤崎は春斗の家を訪ねた。
坂道を登った先にある古い二階建ての家。
玄関前には、春斗の通学帽がそのまま置かれていた。
傘立てには昨日のままの長靴。
母親が出迎えた。
目の下に深い隈をつくり、
髪も乱れたまま、唇を噛みしめていた。
「朝起きたら、もういなくて……
靴もリュックもないんです。
でも、お弁当だけ置いてあって……」
その声を遮るように、
奥の部屋から低い声がした。
「先生。大げさにしすぎですよ。」
春斗の父親が、居間から顔を出した。
無精髭を伸ばしたまま、新聞を片手にしている。
その表情には焦りも怒りもなかった。
ただ、静かに、何かを見透かすように藤崎を見た。
「子供なんて、たまに家出したがるもんです。
すぐ戻ってきますよ。」
藤崎はその冷たさに、言葉を失った。
母親が小さく「そんなはずない」と呟いたが、
父親は聞こえないふりをした。
藤崎は、最近の春斗に変わった様子がないか訪ね
部屋を見せてもらた。
部屋の隅、春斗の机の上にノートが
一冊置かれていた。
ページの端が折られ、
鉛筆の文字がかすかに残っている。
ぼくは、れんに会いにいく。
藤崎は、その一行を見た瞬間、
全身が冷たい霧に包まれたような気がした。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
秘書と社長の秘密
廣瀬純七
大衆娯楽
社内の調査のため、社長・高橋健一はこっそり秘書・木村由紀と不思議なアプリで入れ替わることに。
突然“社長役”を任された由紀と、自由に動ける立場を手に入れた高橋。
ふたりの秘密の入れ替わり作戦は、どの様な結末になるのか?
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる